今月の一冊

第7回 2011年2月(前編)

2011.02.08更新


三島今日は、「今月の一冊」2011年の第1回目です。しかも2カ月のブランクが空きましたので、今日は爆発させましょう。よろしくお願いします。
じゃんけんほい。

「男の食」。全サラリーマン必読の書。だと思います!

今月の一冊2011年2月号

『孤独のグルメ』(久住昌之、谷口ジロー、扶桑社文庫)

では、2011年は私からですね。今日は『孤独のグルメ』(久住昌之、谷口ジロー、扶桑社文庫)を持ってきました。
最近、個人的に「食」に対して興味が高まっていることもあり、気になって読んでみたのですが、これがとてもおもしろかったんです。渋くて味があって、ぜひみんなに読んでもらいたいと思った一冊です。

この漫画は、輸入雑貨商を営む中年男が主人公で、彼が営業の合間に立ち寄った定食屋の食事シーンをひたすら描いていく、という内容の漫画です。でも、ただ料理を食べるだけではなく、じっくりと店内の雰囲気や人の様子を観察していたり、体全体で食事を楽しんでいる様子が伝わってきて面白いんです。

主人公は大抵、「看板のあの感じがよさそうだ」「今日はここで食うか」みたいな直感で店を選ぶのですが、ひとりで食べながら、「これはうまい!」「この片田舎にこんな店があるとは・・・」って感動しているのがいいです。

私も営業中のお昼ごはんで、行ったことのないお店にあえて入るときに感じるドキドキ感とか、失敗だな、と思うポイントだったりがわかるので、とても身近に感じました。

「東京都台東区三谷のぶた肉いためライス」とか「東京都武蔵野市吉祥寺の廻転寿司」、銀座でステーキ、赤羽でうな丼、信濃町でペルー料理など、主人公が食べた場所がわかるので「実際に行ってみたいな」と思わされるところもみそだと思いました。

大越すごい名著ですよね。オリジナル(単行本)が出たのは10年以上前、97年か。文庫化されてから、10万部以上売れているってのがすごい。

窪田「営業の合間に立ち寄った定食屋」という設定がすごくわかりますね。自分も営業なので、「今日はどこで食べようかな〜」とかよく考えますし。

たぶん、あまりない設定ですよね。しかも、営業先でご飯を食べていくことで、少しずつ主人公のパーソナリティがわかってくるんですよ。「この人、輸入業なんだ」とか「前、女優さんと付き合ってたんだ」とか。

窪田なるほどね(笑)。最初はわからないわけですね。

「ふつうのおじさん」の素性が次第に知れていって、全体を通してもひとつの物語になっています。その筋書きがあるので、どんどん読みたくなるんです。

窪田原作者の久住昌之さんは『小説 中華そば「江ぐち」』の著者ですよね。

大越あと、『中学生日記』で第45回の文藝春秋漫画賞も受賞されています。

渡辺1巻で終わりなんですか。『クッキングパパ』みたいにたくさん出てないんですか?

出たら買いますね。

渡辺いいですね〜。1巻で終わらせる潔さもいいですね。

なんか「男の食!」という感じでよかったです。全サラリーマン必読だと思います。ぜひ。

山路を登りながら、こう考えた。

今月の一冊2011年2月号

『草枕』(夏目漱石、集英社文庫)

三島僕は、夏目漱石の『草枕』(集英社文庫)を持ってきました。最初に読んだのはいつ頃か覚えてないのですが、この年末年始に台湾で読んだのがこの『草枕』でした。

夏目漱石の文章は、ほとんど漢語調なところがおもしろいですね。漢語が日本語に溶け込んでいるのがおもしろいといいますか。この本のなかでも、漱石自身、漢文をたくさん読んでいて、それがいちいち美しい。二字熟語や四字熟語に強さがあります。

例えば、「氤氳(いんうん)たる瞑氛(めいふん)が散るともなしに四肢五体に纏綿(てんめん)して、依々たり恋々(れんれん)たる心持ちである」とかさ。かっこいい。

文章の意味すべてがわかるわけではないのですが、言葉の響きと漢字にした時の美しさがぐっと入ってくる。そのあと、「余が寤寐(ごび)の境(さかい)にかく逍遥(しょうよう)して居ると、入口の唐紙(からかみ)がすうと開いた。あいた所へまぼろしの如く女の影がふうと現はれた。余は驚きもせぬ。恐れもせぬ。只心地よく眺めて居る」と続くのですが、完全に意味は理解できなくても、なんとなく情景が浮かびます。

『草枕』は100年くらい前の本ですが、現代人と語彙のレベルが違うんだなと思いました。というか、100年くらいで日本人の文体はまるで違うものになったんだなと改めて思いました。

今月の一冊2011年2月号

物語は、洋画家を志す主人公が田舎の温泉宿で経験した、というかほとんど何も起きないんですが、そこで過ごした日々をつづっています。彼は画についての哲学は持っているのですが、まだ描いていない画家です。

で、宿に滞在するうちに、その温泉宿の若い奥さん(出戻りの奥さん)と出会うのですが、それ以来、その人がいろいろなシーンにふっと入ってくるようになるんですね。戸を開けたときに遠くに見えるとか。奔放な彼女のうわさ話を耳にしたりする。そしてあるときふと、主人公はその若い奥さんの画を描きたいと思う。でも、彼は「彼女は確かに美しい。けれど、何かが欠けている。これでは画にならない」と描かないんですね。

その「欠けているものというのはいったい何なのか?」というところを主人公は考えていきます。「芸術とは何か」「小説とは何か」と坊さんなどと問答を繰り返したり、漱石自身の考えを並行させて日々の営みが描かれていきます。

そうやって結末に続いていくのですが、この一連のやりとりは山里という、現実の世界とは少し離れたところで行われているところも大事なところかなと思いました。この小説の時代設定は日露戦争の頃で、温泉宿の奥さんの従兄弟も志願兵となって戦地へ向かいます。ですが、それとは対照的に山里の光景は静かで、物音もしない。のどかな世界は、現実か夢かの区別もつかなかったりする。

主人公が温泉に浸かっていると、すっと音がした。ふと見ると奥さんが入っている。その先にいるのはわかるが、湯煙で姿は見えない。最後は、笑い声と足音だけ残して去っていった。というような、ある種幻想的で現実離れした世界が描かれているんですね。

でも、そういう場所において「芸術とは何なんだ?」という漱石の問いかけが、非常に格好いいなと思うんですね。何と言うか、これこそが僕たちが日々つくっている「本」というものそのものなのではないかなと思うんです。「普遍的なものというのはこういうことなのかな」ということをなんとなく感じさせてくれる。

つまり、現実の社会では戦争や経済があり、いろいろな活動が回り回っているわけですが、でも、そういった移り変わる現象を追求しすぎると芸術は描けなくなる。『草枕』では、漱石の葛藤を含め、普遍的な部分をまさにひとつの絵として残した作品なのかなと思いました。漱石作品のなかでも一際美しい作品で、改めて感動した一冊です。

大越「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟つた時、詩が生れて、画が出来る」

こうやって日々、芸術論を確立していくんですよね。

三島そう。そしてその主人公自身は、肝心の画が描けない。

このギャップは、まさに明治の文化人が直面した西洋哲学との戦いも意味しているのではないかと思います。例えば、明治時代、日本にはたくさんの西洋文化が入ってきました。それによって日本も近代化したわけですが、それはしかし技術的な側面で恩恵を享受したにすぎない。日本人には、日本人の芸術がある。日本人がいくら西洋的な詩や画を追求しても、借り物のテクニックで本当の芸術は描けないんだよ、という思いがメッセージとして入っています。

「二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀に此出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれて居るから、わざわざ呑気な扁舟(へんしゅう)を泛(うか)べて此桃源(とうげん)に溯(さかのぼ)るものはない様だ。余は固(もと)より詩人を職業にして居らんから、王維(おうい)や淵明(えんめい)の境界(きょうがい)を今の世に布教(ふきょう)して広げやうと云う心掛(こころがけ)も何もない。只自分にはかう云ふ感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になる様に思はれる。ファウストよりも、ハムレットよりも有難(ありがた)く考へられる」

と、そんな感じの一冊でした。ぜひご一読を。

良書・名著の予感がぷんぷんします。

今月の一冊2011年2月号

『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』(安宅和人、英治出版)

渡辺私は、『イシューからはじめよ――知的生産の「シンプルな本質」』(安宅和人、英治出版)を持ってきました。これはビジネス書ジャンルでまさにいま売れてる本です。でも、一軒だけの「ビジネス書ランキング○○店1位!」とかではなく、いろいろなお店で「3位!」「5位!」「8位!」という感じで、軒並みランクインしている、旬な一冊です。

私は、この本がいろいろなお店のランキングに入る前から、店頭で見て、たたずまいが気になっておりました。しかも「イシューからはじめよ」と言われても、「イシュー」ってなに? あんまり聞いたことない言葉だなあ・・・、って思っていたんですね。それで、ついつい雰囲気も新しい感じがしたので、買ってしまいました。

ビジネス書には「問題解決手法」を伝授する内容の本が多いですよね。ですが、この本は、「そもそも、その問題をどれだけうまく解決できたとしても、その問題設定であってるの?」と問いかけています。問題解決に挑む立ち位置からひとつ高い視点で「問題」というものを捉えようとしています。

「やるべきことが1/100になる」と帯にも書かれていますが、「あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、あれもやってなかった」と、がんじがらめになっている人には特におすすめです。視界が開かれるのではないかなと思います。

三島なるほど。いまの渡辺さんの説明から「イシュー」を日本語に訳すとどうなりますかね? 僕は「本質」と訳せるかなと思いました。表紙の「ISSUE DRIVEN」は「本質を引き出す」ですかね。

そもそも「問題」というものは、いってみれば、そこに現れている最終形態なわけですよね。意識の上に「問題」として現れる前には、なんだかよくわからないモヤモヤとした状態がある。この本の論旨は、そういった「問題」に行き着く前の、より根幹的なところにもう一度視点を向けなさい、ということだと思います。

そうすることで、いままで100解決しないといけないと思っていたことが、ぐーっと収斂して、ひとつになる。その部分を解決すれば100通り解明していることになる、ということを言っている本ではないかなと僕は思いました。

窪田なるほど。

三島読んでないけど(笑)。どうですか? 渡辺さん。

渡辺そうですね(笑)。
一応、本書の「イシュー」の定義をメモしてきたので紹介すると、「イシュー」とは、「"2つ以上の集団の間で決着のついていない問題"であり"根本に関わる、もしくは白黒がはっきりしていない問題"の両方の条件を満たすもの」だそうです。

これだと、わかるようでわからない感じ(笑)ですが、続けて、「あなたが"問題だ"と思っていることは、そのほとんどが、"いま、この局面でケリをつけるべき問題=イシュー"ではない。 本当に価値のある仕事をしたいなら、本当に世の中に変化を興したいなら、この"イシュー"を見極めることが最初のステップになる」と著者は説きます。

今月の一冊2011年2月号

やっぱり何が大事かって、本質を捉えることこそ大事ですよね。そこを捉えてはじめて「いかにやるか」という手段が出てくる。この著者は「イシュー」という言葉に対してしっかりした定義を持って書いているので、論旨が明快でわかりやすいです。

ただ、内容は、頭では理解できても、簡単には腑に落ちない部分もあります。やはり、実感をともなって理解するためには、働きながら、気づいたり感じていくことが必要なのかなと思いました。
漱石の書いたものや古典もそうですが、良書や名著には、読んでもすぐには腑に落ちないところがありますよね。あとになって効いてくるという効果がある。

三島そうですね。

渡辺あと、装丁もよい雰囲気があるんです。もしかしたら、この本が四六判で並製本だったら買わなかったかなと思います。かといって、上製本にされていても買わなかったかもしれません。ちょっと縦に長いA5判で、ちょうどモレスキンの手帳のラージ判と同じかたちがよかったところもあります。それで、1800円です。英治出版さん、上手いです。

白黒の2色刷りではっきりしてますもんね。

三島コスト的にも、ものづくりとしても上手くできているということですか。

なるほど。イシューからはじめた結果の装丁でもあるわけですね。


(後編に続きます!)

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