凍った脳みそ

第15回 痛いシカゴ

2017.06.15更新

 ソロアルバムのミックスのために訪れたシカゴは、数十年に一度という猛烈な寒波が到来して、気温がマイナス10℃以下の日が続いていた。

 シカゴのみならず、大寒波はアメリカの広範囲に押し寄せ、動画サイトには噴水やら滝やらの凍りついた映像や、交通網が麻痺している様子が投稿されていた。なかには鹿や狐などの動物が立ったまま凍りつくという恐ろしい動画もあった。

 俺は寒さに弱い。

 なぜならば、日本のなかでも比較的温暖な静岡県出身だからだ。

 なにしろ、静岡県では滅多に積雪という現象を目撃することがない。数年に一度、「一応、地球には雪という気象もあります」と誰かが申し開くかのような降雪があるのだけれど、降ったそばから溶けてしまう。

 それでも、降雪自体が珍しいので、日中に雪が降るようなことがあれば、多くの学校で学級崩壊さながら、生徒だけでなく教頭クラスの先生まで窓際に張り付いて「わぁ」とか言いながら、その風景に見入ってしまうのである。

 そんな温暖な地域出身の人間が獣も立ったまま凍るほどの大寒波に遭遇したらどうなるのか。

 それはもう、絶望するしかない。

 寒い、を通り越して、シカゴの外気は痛い、だった。酸素やら窒素やら二酸化炭素やら、空気の一粒一粒がなんらかの方法で尖って、尖ったうえにねっとりとしたローション状になって空間を満たし、全方位から刺してくる、みたいな状況に思えた。

 百姓一揆の一団に囲まれた代官はこのような気分だったかもしれない。あるいは、室町時代には山伏の一団に邸宅を取り囲まれて金品を要求される大名などがあったそうだけれども、四方八方から不条理が押し寄せてくることと寒波の襲来は似ているかもしれない。そのような空想が脳内に立ち起こる前に凍りつき、カチコチに凍った空想で釘が打てるほどの痛寒さだった。もう少し分かりやすく言うと、何も考えられないほど寒かった。

 スタジオ作業は翌日なので、ホテルからは出ずにのんびりと過ごそう。

 そうした建設的な考えを持てる人がうらやましい。ベネフィットとリスクについて適切な判断を下し、事業などを起こして社会的に成功するのだろう。なるほど、ホテル窓の外をよく見れば、世界的な名建築とやらが屹立している。このような寒い街に住む人々は、寒波が来ると痛いほど寒いというリスクを超えて有り余るベネフィットをこの土地から享受し、成功を重ね、いつしかシカゴは美しいビルディングが立ち並ぶアメリカで三番目に大きな都市になったのだろう。

 ところが、俺は前述したように静岡県の出身であった。積もりもしない程度の降雪で校庭に飛び出す部族の民であるからして、ホテルに面した河川が凍りついている、みたいな風景を前にして「うっかりしたら死ぬほど寒いので外出はよそう」という建設的な思考を保持する能力がなかった。

 おまけに、体験したことのない寒さでまともな判断ができなくなっていた。

 そうした理由から、「せっかくシカゴに来たので美術館へ行きましょう」という言葉が俺の口から滑り出てしまったのだった。

 スタッフたちは内心に「このような寒さの中を突き抜けて芸術の鑑賞を望むとは、さすがにアーティストの端くれだね。さすがだね」とつぶやくのではなく、「正気なのか」という疑問を怒声のごとく響かせたことだと思う。

 そして、我々はタクシーでシカゴ美術館へ向かった。

 シカゴ美術館はアメリカ三大美術館のひとつということで、大変に素晴らしい展示内容だった。そして広大だった。このようなシンプルな感想しか出てこないのは寒波のせいであって、俺の語彙力の問題ではない。と思いながら美術館の外に出ると、来たときよりも気温が下がり、体感では三倍くらい寒いように感じられ、おまけに雪まで降りだしていた。

 これはかなわない。寒い。いっそのこと死んでしまいたい、とは思わないけれど、いやむしろ今生にできるだけ長く留まっていたいと願うけれども、それはいいとして早くホテルに帰りたいと思った。

 ところが、タクシーがまったく捕まらなかった。

 仕方がないので、スタッフたちとホテルまでの数ブロックを歩いて帰ることにした。歩いている間に、雪はあと少しでホワイトアウトするのではないかという勢いに変わった。とっさに南こうせつの顔が思い浮かんだが、寒さと降雪のせいだったと思う。

 翌日はアルバムのミックスをお願いしたジョン・マッケンタイアと作業をするべく、彼のプライベートスタジオである『soma』へ行った。

 スタジオは東京で言うと下北沢、大阪でいうとミナミと称される地域のどこか、ソウルでいうと弘大(ホンデ)のような、文化的な施設があるような街の一角にあった。

『soma』はミックスなどを行う部屋とは別に、グランドピアノが置けるくらいの録音ブースと、事務などを行うガレージのようなスペースがあった。うらぶれた商店街の一角の弁当屋の地下階にある我がコールドブレインスタジオの三倍から四倍の広さのスタジオが街中にあるのだから、家賃だけでも大した額になるはずだ。

 近年、世界中でこのような大きなスタジオが閉鎖される傾向にある。デスクトップパソコンで音楽が作れるようになり、ミュージシャンたちの楽曲制作の方法が変わったこともひとつの要因だ。レコード会社が制作費を削減せざるを得ない経済的な事情なども絡んでいる。

 そうした時代において、このように立派なスタジオを維持管理していることは素晴らしい、という旨をジョン・マッケンタイアに伝えると、「もうちょっとしたら移転するもんで」とのことだった。彼も時代の流れには逆らえず、もう少し小さなスタジオに移って制作環境を変えるらしい。

 それはさぞかし悲しいことだろう、そんなことも知らずに無神経なことを言ってしまったと後悔した。ところが、彼からはネガティブな雰囲気はあまり感じられず、「アナログ機材も最近ではコンピューターがシミュレートしてくれるし、性能もデラ良いもんで十分だがねぇ、それよりも、どうしてこんなに寒い時期にシカゴに来ただか、信じられんよ、今度は夏に来て湖のほとりでビールでも飲んだらええよ」と俺に言うのであった。

 今度は別の角度から後悔の念が押し寄せてきた。本物のシカゴっ子からしても、冬は寒くて厳しいし、この寒波は異常なのだろう。それなのに、わざわざ日本からノコノコと氷漬けになるべくシカゴまでやってきた男の曲など真面目にミックスなどできるか、と彼が考えても不思議ではない。

 けれども、そんな俺の心配を他所にジョンは初めから終わりまでジェントルで、細かいこちらの要望に応えながら、丁寧に楽曲のミックスを行ってくれたのだった。結果、素晴らしい音源が完成した。

 とても気分が良かった。

 なんだかメモリアルなことがしたい。空港に到着して以来気になっているシカゴ特有の分厚いピザ、名古屋で言うところの味噌カツ、みたいな癖のスゴイご当地グルメを楽しみたい、という明朗快活さが全身にみなぎったけれども、そこそこに疲れていたので、ホテルの食堂で適当に食事を済ませて、この日は休んだ。我ながら建設的な判断だった。

 ところが、深夜に目が覚めてからが地獄だった。
 猛烈に節々が痛い。力も入らない。寒気もする。
 どうやら風邪をひいてしまったようだった。

 思えば、ジョンも鼻水をジッコジッコすすったり、スタジオの隅で咳き込んだりしていた。ウィルスの潜伏期間を考えると彼を疑うわけにはいかないけれど、シカゴのどこかでウィルスをゲットしたのは明らかだった。

 そのまま、日中の予定をキャンセルしてホテルで丸一日寝込んだ。

 翌々日も体調はすぐれなかったけれど、現地のカメラマンとの撮影の予定が組まれていた。なんとか気力を振り絞って、半分の時間に短縮してもらった撮影を極寒のシカゴ市街で敢行し、ホテルに戻ってひたすら寝た。

 ホテルの客室係たちがとても優しくて感動した。

 そして、ふらふらのまま最終日を迎え、ふらふらのまま飛行機に乗って、ふらふらのまま帰国した。飛行機に乗っている間は映画を観る気にもなれず、とにかく寝ていた。その間中、鼻腔では何かが激しく燃えているのではないかという痛みが続いた。

 今度は夏に行きたい、と心の底から思った。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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