凍った脳みそ

第11回 プレーンなプリアンプ

2017.02.16更新

 スタジオの機材を整えているうちに、友人のシンガー・ソング・ライターから「新しいアルバムを作るので協力して欲しい」という連絡が来た。

 どういうことだろうかとコールド・ブレイン・スタジオでお茶を啜りながら詳細を聞けば、前の年に作ったアルバムが素晴らしい出来なのだけれども、これを更に多くの人の手に届けるには更なる情報発信が必要で、そう考えると追い討ちをかけるように新しい作品をリリースして注目されたい、けれども、前作は傑作たるべく相応な制作費を注ぎ込んでいるので、はっきり言えば金銭的に余裕がない、余裕はないがもちろん良いものを作らないと意味がない、そうした制作費の事情とクオリティを鑑みるに、ここはひとつコールド・ブレイン・スタジオで録音をさせてもらえないか、という話だった。

 断る理由はなかった。場所を借りるだけでいいという提案もあったけれど、俺をエンジニアとして雇えばタダ同然なので、録音も含めてふたりで作業しようということで話がまとまった。

 こういうことを書くと、またまた善人ぶりやがってという揶揄を汁の吸い出された椰子の実のなかにタプタプと詰め込んで、俺の精神の砂浜に漂着させて懲らしめたいと思うひとがいるかもしれない。確かに揶揄の「揶」と椰子の「椰」はつくりの部分に共通点が見られるけれども、そういった感情は大らかな南の海に向かって押し戻していただきたい。誰かに良い顔をしたい、あるいは徳ポイントを貯めたい、といった邪な欲望で彼の仕事を引き受けたのではない。俺は純粋に彼の大ファンであり、前から一緒に仕事をしてみたいと思っていたのだ。

 打ち合わせの予定ではあったけれども、彼がギターを持って来ているということで、早速、何曲かテストで録音してみることになった。ブースのないスタジオの中央に演奏するスペースを作り、ボーカルマイクとギター用に二本のマイクを立て、何曲か演奏してもらった。スタジオ内に彼の美しいファルセット(裏声)が響きわたり、なんとも言えない贅沢な振動に包まれて、録音のことなど忘れてずっと浸っていたい、あるいはこの美しい倍音を羽毛の代わりに詰めた布団でおもいっきり昼寝をしたい、と俺は思った。

 ところが、彼の美声に蕩け続けているわけにもいかなかった。率直に言って、現状のスペックでは彼の弾き語りを録音するための機材がいくつか足りないことが分かったからだ。

 ということはどういうことか、それはまたしても福沢先生がペンは剣よりも大事だが銭も大事である、みたいな顔をしながら俺の財布から消えてゆくということだった。新しい機材の購入に失敗すれば、散財の悔しさから大脳新皮質などが氷結して、落ち窪んだ精神のまま日中から缶酎ハイなどを飲んで自堕落な生活に沈没してしまう危険性を孕んでいた。

 一方で、正しく機材をアップデートするチャンスでもあった。彼の美しい歌声と演奏を録音するための機材は、俺のソロアルバム制作でも活躍するに決まっていた。

 まず、必要だったのはプリアンプというマイクとレコーダーの間に設置する前置増幅器だった。この機材によって、マイクで拾った音が増幅されて、録音するにふさわしい音量になるのだ。

 プリアンプは様々な製造会社によって、様々な機能を備えたモデルが多数発売されていて、当然ながらそれぞれキャラクターが違う。このキャラクターの違いが音楽制作にはとても役立つのだけれど、強い個性というのは時に厄介でもあり、特に俺が所有しているヴィンテージのプリアンプは通すだけでそれっぽい音になってしまい、それっぽくない音にしたいという気分を受け付けてはくれない。実際、俺のような野太い声を張り上げる歌唱法や、エレキギターやエレキベースなどの録音の際には太くパンチのある音づくりに役立ってくれるけれど、彼の繊細な歌声のダイナミクスを収めるにはキャラクターが強かった。

 もう少しプレーンなプリアンプが欲しいと俺は思った。

 オムレツでもないのにプレーンとはどういうことだ、と悩んでしまうひとが少なからずいるだろう。そういう場合は捻らずに、そのままオムレツのことだと思って考えてもらうのが分かりやすいと思う。単刀直入に言えば、変に味付けがされない、ということだ。

 例えば、シンプルに塩で食べたい、あるいは醤油、ベタにケチャップ、なかにはデミグラスソースでないと食べたくないという我儘なひと、熱々の四川風麻婆豆腐をかけて食べたいという奇矯な御仁、様々な好みがこの世には存在する。ところが、皆でとある洋食店へランチに出かけると、そこには生来の頑固さを地面が永久凍土になるまで踏みしめて、それを一度グズグズに解凍してからヒト形に造形し、再び凍らせて魂を吹き込んだような爺さんがキッチンでこちらに背を向けている。気立ての良い婆さん、もしくは娘さんが水とおしぼりを持って愛想よくテーブルにやってくるが、不思議とメニューがない。なんでも、この店のランチはオムレツ定食のみで、サラダ付きのAセット、サラダとドリンクのついたBセットしかないと言う。まあ、仕方がないので、それぞれに好きなセットを頼むだろう。頑固そうな爺は注文を受けると、黙々とオムレツを作り始める。温めたフライパンにバターを引いて、あらかじめ攪拌された卵を流し混んでゆく。慣れた手つきは見ているだけで目が美味しいと錯覚する。フライパンからはバターの香りが上がって、卵に火が通るときの甘い匂いが店に立ち込める。思わず、唾液が舌の裏側に溢れ出た。この店は当たりだなと誰しもが思う。爺は手際よく、ひとつずつ白く平らな洋皿の中央にできたてのオムレツを乗せて行く。婆、もしくは娘が副菜などを皿の端に盛る。そして、最後に爺はフライパンの脇にある業務用の缶にワシっとお玉を突き込んで、赤いソースをオムレツにかけてゆくのだった。缶には大きな文字で「XXXXXXケチャップ(業務用)」と書かれていた。オムレツはもちろんケチャップの味だった。

 例えが長すぎて、書いている本人も何のことなのか段々わからなくなってきてしまったけれど、要するに、このなんでもケチャップをかけてしまう頑固老人のような頑なさが、俺の持っているヴィンテージの機材にはあるということだ。味付けは自分で調整したい、みたいな願望をこちらが持っている場合には、そうした頑固さのない機材や、素材をそのまま癖付けずに増幅してくれるプリアンプのほうが使い勝手が良いのだ。

 よし、ここはひとつ、専門機材を扱うサイトのページを開いて、「プレーンな音」というキーワードを打ち込み、それらしい機材を検索してポチっと注文しよう。というわけにはいかない。なぜか。前回も書いたことだけれども、録音用の機材は高価だからだ。アスクルやアマゾンで文房具を買うような気軽さとは違う。そんなことは余程のお金持ちでないと不可能なのだ。

 こういう場合は専門家を頼るに限る。

 俺は、長らく自分のバンドの録音に携わってくれているエンジニアに相談して、「AVALON DESIGN」のプリアンプを購入することにした。音の質感を調整するコンプレッサーやイコライザーという機能のついた優れものだった。俺のようなミュージシャンは、ギターやギターアンプに比べて録音機材への知識が薄い。どのマイクとプリアンプを組み合わせて、どんな音作りをするのかということが、ギターとギターアンプの場合のようにはいかない。そういう意味でも、失敗の少ない、使い勝手の良い機材であるとのことだった。注文後に少しの諭吉ロスに陥ったが、なかなか良い買い物だったように思う。

 次いで、マイクも足りないということに気がついたが、オムレツの一件で文字数が足りなくなったので、詳細は次回。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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