凍った脳みそ

第20回 飲料水で尻を洗うのは善か? 

2017.10.19更新

 サンタクロースなどいない、という事実を受け入れたのはいつだったろうか。

 思い起こせば、「ふたりで仲良く使ってください」と日本語で書かれた手紙が、サンタからのプレゼントに添えられていたことが決定打だったように記憶している。どこかで見たというよりは、常日頃からよく見かける筆跡だった。

 煙突のない家にどうやって入ってくるのか、世界中の子供たちをどのような方法でカバーしているのか、という端的な問いは端に置くとして、様々なファンタジーを飛び越えて、「日本語の読み書きが妙にできる北欧の爺」という生々しい設定のまま現実に片足を突っ込むのは、いくらなんでも無理があると子供ながらに思った。

 けれども、そうした無理や矛盾や疑問をいちいち投げつけて行くと、サンタが誰かという問いはどうあれ、「この子は面倒臭い」と、両親なりサンタ本人なりが作った「プレゼントを与えるべき子供リスト」から俺の名前が削除されてしまう。それではまずいので、ファンタジーをなるべく延命させる必要がある、と考えるのは子供らしいことではないかもしれないが、世の中のほとんどの子供はそんな感じで、クリスマスプレゼントという利益を最優先して、騙されたふりをしているのかもしれない。とりあえず流そう、みたいな感じで。

 その後、俺が伝えたのか弟が言ったのかは覚えていないが、「王様は裸だ」的な指摘を経てサンタは来なくなり、十二月生まれの俺のクリスマスは誕生日と一体化した。残念な結果だった。

 できるなら、あの頃に戻って、サンタからのプレゼントを無批判に受け取り続けたい。

 と思うのは、欲しいものが尽きないからだった。

 例えば、コールド・ブレインの水回り。

 上階の弁当屋の店長いわく、「前の使用者がデタラメに自作して、そのままいなくなった」というキッチンとトイレは、特に使い勝手の悪さこそなかったけれど、店長の言葉が呪詛のようにまとわりついて、なんだか絶望的な欠陥があるのではないかという疑念が心のなかに静かに横たわって出て行かなかった。

 確かに、トイレは水洗式にも関わらず夏場になるとアンモニアのような匂いが内外に漂う。もしかしたらデタラメな素人工事によって排水が地下スペースにそのままぶち撒けられる仕組みになっていて、自然の摂理を利用して汚泥をゆっくり分解するような、原始的というよりは法的にも衛生的にも問題のある構造になっているのかもしれない。

 仕方がないので、水道屋に原因の究明を依頼したところ、建築物としての問題はないが、地下の物件なので、排水槽に貯めた汚水をポンプでくみ上げる仕組みになっていて、どこからか匂いが漏れている可能性があるとのことだった。

 排水槽の鉄蓋を留めているボルトを締め直してもらい、念のため排水槽と鉄蓋の間のゴムパッキンも交換してもらって、アンモニア臭問題は解決した。

 けれども、弁当屋の店長の言葉がボディブロウのように効いて、トイレまわりの何から何までもが趣味の木工、ともすれば盗品の寄せ集め、みたいな感じで作られているのではないかという妄想を俺は打ち消すことができなかった。

 せめて、便器だけでも新しいものに変えて気分を一新したい。ついでに温水洗浄便座を設置したい。そうした願望がむくむくと芽生え、凍りついた脳みそを突き破って鼻から発芽したのだった。

 ところが、便器と一体になった温水洗浄便座の値段を便器メイカーのウェブサイトで調べてみると、どれも非常に高価で、カスタムショップ製のギター、あるいはドイツ製の高級コンデンサマイクくらいの値段であることがわかった。

 いくらなんでも値段が高すぎる。

 このような高額な便器を購入してドヤ顔で設置した後、例えば、録音の最中に「マイクが一本足りないですね」的な状況に陥ったとしたらどうだろうか。

 アジカンのメガネの人は、プロデューサーやエンジニアとして仕事に関わっておきながら、機材ではなく便器に莫大な資金を投入している、というような噂が広まって仕事が著しく減少するかもしれない。

 また、噂話は誇張される性質があるので、最終的には尻に対して並々ならぬこだわりをもっている、尻まわりには金を惜しまず一万円札で尻を拭いている、眼鏡を外すと両目が尻に似ている、などというデマを流布され、若手バンドマンたちの嘲笑の的になってしまうかもしれない。

 それはマズいので、便器と一体型になっている製品は諦め、価格の安い温水洗浄便座を探そうと思った。

 善は急げと近所の家電量販店へ出掛け、便器コーナーを見学したところ、各家庭の便座を取り替える方法で設置する温水洗浄便座は、便器一体型に比べると破格の安さで、工賃を入れても安いマイク2本分くらいの値段だった。

 どれにしようかな。やっぱりこの、ムーブ、みたいなボタンのついているヤツにしようかしら。というようなことを店頭で考えているうちに、便器を欲しいという願望が発芽した鼻の穴とは反対の側の穴から何かが侵入し、脳内でみるみるうちに繁茂して行くことに気がついた。

 それは、水道水で尻を洗うのは果たして善なのだろうか、という問いだった。

 ツアーでいろいろな国へ行ったことがあるけれども、場所によっては、水道水はおろかシャワーの水さえも口に入れるべからず、と注意をされる国があった。

 井戸水にすら恵まれず、片道何十キロの道のりを少年少女たちが徒歩で水汲みに出かける、なんてことが日課になっているような地域を特集したテレビ番組を観たこともある。

 ところが、珈琲の回でも書いたけれど、日本のほとんどの地域は水に恵まれていて、インフラも充実している。自然と人間社会の恩恵を授かって、我々はたっぷりと湯を溜めた風呂に入ったり、流しそうめんをしたり、ガーデニングをしたりしている。挙げ句の果てには、飲料水で尻を洗っている。

 自分がサンタだったらどうだろうか。飲むことができる水で尻を洗うことを善だと考えるだろうか。空飛ぶトナカイとソリに乗り、遠く極東の島国にやって来て、寝静まった子供の枕元に置いてある小さな靴下に温水洗浄便座の先っちょをグリグリと無理やり押し込むだろうか。

 はっきりと、答えは否であろう。

 だから、善は急げ、などと思った俺は大馬鹿野郎なのであって、贅沢を通り越して悪事である可能性もある温水洗浄便座の設置については、ことの本質や後々に背負うことになるカルマに至るまで、よくよく熟考してから行動に移すべきだったのだ。

 気がつくと電気屋は荒廃していた。

 店員が掃除機のホースを振り回しながら客に殴りかかり、全自動洗濯機や冷蔵庫などの巨大家電のAIが暴走して、ガッパンガッパンと通行人を飲み込んでいた。壁に掛けられたいくつかの高級温水洗浄便座からは、キラキラと黄金に輝く丸ハゲの爺さんが顔を出し、干からびながら四方八方にビームを放射していた。

 そうした幻覚に抗いながら、自転車でコールド・ブレインに戻った。

 気がつくとスタジオの長椅子で寝ていた。

 俺は思い直して、温水洗浄便座の設置ではなく、ギターやボーカルの録音ブースを作ろうと決意したのだった。

 長椅子の脚の下には、寝ぼけたまま脱ぎ散らかした靴下が転がっていた。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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