凍った脳みそ

第24回 俺だけのミキちゃん

2018.02.14更新

 俺とエンジニアK。二匹のマグロ男たちは半開きの口のまま、ダラダラと涎を垂らして当て所なく楽器屋街を巡り、山手線を内回りと外回りにそれぞれ28周した。そして、Suicaが割れるまで総武線に乗った。

 それでも目当てのミキシング・コンソールは見つからず、終には精も根も尽き果てて鬼のような形相になり、コンソールはいねがー、コンソールはいねがー、と異形のコンソール探しの鬼神、コンソールなまはげと化して店頭に押しかけ、関係者に恐れられた。

 携帯電話が普及していなかった二十年前ならいざ知らず、現在では様々なソーシャル・ネットワーキング・サービスを使って連絡を取り合うことができる。一億総文春砲、異端者を即座に発見して密告する相互監視システムが社会的に完成しているのだ。

 そうした時代にあって、コンソールなまはげたちがゲリラ的に楽器店を急襲し、掘り出し物的なコンソールを発見するのは難しい。店員たちは楽器店の経営に悪影響がないよう、インターネットを駆使してコンソールなまはげの居所を察知し、到着する前に店を閉めた。

 俺たちはマグロ顔のまま、閉じられたシャッターの前で途方に暮れた。途方に暮れながらも、止まると死んでしまうので都心を泳ぎ続けた。悲しい日々だった。終わりなき遠洋漁業だった。あるいは、釣り針を忘れた延縄漁だと形容する者もあっただろう。

 みるみる痩せ細った。身体だけでなく精神も痩せ細り、荒廃した。真冬のオホーツク海で流氷漬けにでもなったような気分だった。もう出荷されて酢飯と一緒に握られてもいい、そんな無気力マグロだった。

 などという文章を鵜呑みにしてはいけない。

 なぜか。

 出鱈目だからだ。

 深い海でほとんど運動せず、ブヨブヨの水ぶくれのような鱈顔で発した戯言だからだ。

 マグロ男たちは確かに、マグロほどのサイズの脳しか持っていなかったけれど、タイヤを付けたら自走するのではないかというほど高価なミキシング・コンソールが、そこらの楽器店に置かれていないことを知っていた。

 では、マグロ男たちは何をしたのか。輸入代理店にアポイントを取ったのだった。ほとんどのミキシング・コンソールは外国製で、輸入と販売、アフターサービスなどを引き受ける代理店が存在するのだ。

 ミキシング・コンソールとはなんぞや、と脳が凍りついている人もいるかもしれないので、ここで簡単に説明しようと思う。

 ミキシング・コンソールは複数の音声信号を同時に取り扱うことができる、やり手の音ブローカーだと考えてほしい。ミキちゃんと呼んで擬人化すると飲み込みやすいので、ここからはミキちゃんについて書き進める。

 俺たちが探しているミキちゃんは凄腕のブローカーで、例えば、音の取引用に16の部屋を自社物件として持っている。そして、各部屋にプリちゃん(第12回参照)を従えている。プリちゃんにはマイクという彼氏がいて、こいつらが音を集めてくる。プリちゃんはマイクに音の大きさを指定したり、エネルギーを供給したりして、とにかくマイクを使って様々な音を集める。マイクなしで楽器から直接回収することもある。そして、プリちゃんは各部屋で集めた音をミキちゃんに渡すしきたりになっている。

 ミキちゃんは、16の部屋で集められた音たちを場合によっては電気的に加工し、まとめ上げてスピーカーや録音機器に送ったり、いくつかのグループに分けたり、バラバラのまま演奏者に送ったりと、ブローカーとして様々な音のやり取りを仲介する。ミキちゃんなしでは、それぞれの音のバランスが整わない。楽曲制作時の頭脳と呼ぶべき、とても重要な役割を担っている。

 はっきり言えば、仲介役としてのミキちゃん機能は「プロ技くん」にも備えられている。それならどうして改めてミキちゃんを買うのか、バカなのか、と詰問したい人がいるかもしれない。けれども、アニメのキャラクターとキッスはできない、みたいな問題を我々は常に抱えているのだ。

 コンピューター画面のなかの仮想ミキちゃんではなく、実際にズシリとした身体を持って、俺たちのミキちゃんがそこに居れば、当然、ミキちゃんのいろいろなところを摘んだり、捻ったりして音を加工することができる。愛するあまり添い寝をしたり、酷い憎しみ果てにハンマーで打ち壊したりすることもできる。信号が入って出て行くところを直接的に目撃することはできないけれど、メーターが触れるので、音がそこにあることを感じられる。

 一方で仮想ミキちゃんは、二次元に留まって立体化することなく、従って摘んだり捻ったりもできず、スマホのアプリでガチャガチャをやり倒したときのような悲しみが時折湧き上がってくるのだ。あるけれども、ない。ないけれども、ある。そうした問いをあざ笑うかのように、仮想ミキちゃんは誰の画面でも平然と同じ顔をしている。どんなに恋い焦がれようとも触ることができない。

 俺だけのミキちゃん、私だけのミキ様。自分だけしか持っていない何かを望むことは、創作に関わるものとして正しい欲望なのではないかと思う。ユニークな機材にしか出せないユニークな音が存在する。そうした機材が担保する創造性もあるのだ。

 そうした理由から、俺とKは日本のスタジオにはあまり置いていないタイプのミキちゃんを探すことにしたのだった。

 とはいえ、予算の問題が二匹のマグロ男に立ちはだかるのだった。もはや泳ぎ続けることは不可能だった。みるみる顔が鱈化した。

 ビンテージの機材が欲しい。アメリカのナッシュビルあたりの音楽都市に出かけて、マイケル・ジャクソンのように好きな機材をバンバン買ってみたい。数千万円のミキシング・コンソールをスタジオの真ん中に設置したい。お菓子の家みたいな感じで、コンソールの家を建ててみたい。そうした夢を実現するためには数百万枚のアルバムを売り上げる必要があるだろう。

 アルバムがガバガバ売れる時代ではないし、もちろん、そんな大金は元から持っていない。

 ケチでもなく、無駄遣いでもない、微妙なラインを誠実に貫く買い物を俺たちは計画せねばならなかった。

 代理店を巡りながらKと相談して、購入するコンソールのメイカーを絞った。「二部」みたいな名前の伝説的な爺さんが作ったRN社、以前にロサンゼルスのスタジオで見かけたアメリカのA社、レニー・クラヴィッツが絡んでいるらしいというT社だった。価格ではT社が段違いに安く、R社とA社は本体に様々なパーツを組み合わせて購入する必要があり、全てを買い揃えると予算をオーバーすることがわかった。

 簡単に乗り換えられない機材なだけに迷った。頼りにしていたKは途中から自分が買う場合のシミュレーションを脳内で始めたらしく、始めたからには続けないと死ぬ性分が復活してマグロ顔に戻ったので放っておいた。

 それとは別に、Kには何らかの機材を試しに使ってみたいと思ったら実際に使ってみないと死んでしまうという性質もあったので、それが厄介だった。似た性能の別商品がいくつかあった場合、自分が使ったことのない機材を俺に薦めるという悪癖があったのだ。それもこれもKの向上心が勝手にやっていることなので、向上心を憎んで人を憎まず、ときどきムカつきもしたけれど、殴ったりはしなかった。

 自分で決めるしかなかった。

 これまでの失敗のすべてを思い出しながら、失敗してもいいから後悔しないようにしようと思った。平凡な決意だった。

 というわけで、俺はA社のミキシング・コンソールを代理店に注文したのだった。予算をはるかにオーバーしたけれど、清々しい気持ちだった。脳は凍るでもなく、溶けるでもなく、いい感じの、脳らしい柔らかさで脳だった。

 スタジオに長らく放置してあった鏡を覗き込むと、久しぶりに半魚ではない俺が立っていた。不意にカニかまぼこが食べたくなった。

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後藤正文(ごとう・まさふみ)

1976年静岡県生まれ。日本のロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATION のボーカル&ギターを担当し、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手がける。ソロでは「Gotch」名義で活動。また、新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。レーベル「only in dreams」主宰。

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