タイトル、まだ決まってません。

第5回 「消費者」に老いも若者もない。

2013.10.15更新

 ニートや非正規雇用者が多く、世代間格差は広がり高齢化社会においての若年層世代の負担は重くなる。そんな「割を食った」若者たちなのに、「国民生活に関する世論調査」によれば、20代の70%が現在の生活に「満足している」。
 「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」
 古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』の有名なフレーズである

「たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を三時間、家ではYouTubeを見ながら Skypeで友達とおしゃべり。家具はニトリとIKEA。夜は友達の家に集まって鍋。お金をあんまりかけなくても、そこそこ楽しい日常を送ることができる」

 古市憲寿は85年生まれの20代の社会学者だ。
 対してK氏は50代。
 ユニクロやZARAは着ない。みんな同じでダサいと思っているからだ。
 カネがないなら(ほんとは服にカネを遣いたくないのだろう。若いくせに服にセコい若者だ)元町高架下の古着屋に行けば、ラコステからナイキまでポロシャツがユニクロと同じ千円で十分買える。
 先日は岸和田の古着屋で、ドゥニームのデッドストックのピケ地ホワイトジーンズを1,500円で見つけてきた。

 マクドナルドでランチとコーヒーなら、マルちゃん正麺塩味に豚肉の野菜炒めか、なければ生卵と大量のネギの方が絶対うまい。
 マクドのコーヒーよりも、家で淹れた番茶のほうがうまい。
 そういう意味からいうと、50代のわれわれだって同様に幸せなはずなのだ。

 K氏の周りには、会社を突然やめて仕方がなく派遣でガードマンをしたり、高校を中退していて以来ずっとビルの解体作業や道路のアスファルトひきをしてるツレがいるし、嫁はんが昼は鳥貴族へ串さしに夜はスナックで働いて...という生活送ってる40〜50代がいる。それこそ掃いて捨てるほどいる。
 かれらは、ユニクロも着るがテレビに出ている古市よりも「しゅーとした」ナリをしているし、マルちゃん正麺のようにマクドナルドよりもマシなもんを食うてる。けど家に行ったらニトリだらけやどな、などとK氏は思うのだった。

 いやちょっと待て。
 カネのことをいうなら、K氏とさきほどのその周りのツレたちが20代の頃は、西海岸の風が吹き荒れていた頃で、すべてにおいて、テキリージー(Take it easy)。
 ジーパンにTシャツOK。「H&Mで流行を押さえた」なんて、ややこしいブランドの話をしなくても、十分かっこよかったし、スキーやテニスと違って、それこそ狂ったようにやっていたサーフィンや麻雀はカネがかからない。
 六甲のおいしい水やお〜いお茶とかを買わなくてもオッケー、第一ペットボトルというのはなかった。
 何か問題でも(昔も若者は一緒じゃ)。
 などと考えるのである。
 
 この春にK氏に、某週刊B誌編集部のA編集者から「古市氏のことを書かかないか」というオッファーが来たことがある。

 古市氏は「新進気鋭」の「社会学者」として、現代の若者の理解者としての立ち位置でたびたびメディアに登場しますが、
「若者に夢をあきらめさせろ」
「オスプレイって、かっこ悪いですよね」
「ダイオウイカを撮影して何の役に立つのか」
などのようなシニカルな(拗ねた)発言が目立つ人物で、発言の背景にある学問のベースは大変薄弱と言われています。
 週刊B誌は、古市氏のような思想の持ち主がもてはやされることに一種の違和感を覚えており、今回、取り上げることになった次第です。(個人的には内田樹先生が言うところの「数値化できないものをゼロ査定してしまう」類の人間だと感じています。)

つきましては、古市氏という人物について、街場の大人、先輩としてのKさんならではの視点、切り口でお叱りをいただけないか、というのが今回の趣旨でございます。

 そういうことだったが、少々ヘタレのK氏はそれを果たせないでいた。
 K氏の周りの貧困から書き始めて行って、「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」に、「それで若者は幸せかもしれんけど、オレの周りはどやねん」と書く進むにつれ、小心者のK氏はどんどん孤独になってくる。やっぱり書けなかったのである。

 が、ここにきてまたぞろちょっと『絶望の国の〜』を読み返す機会があって、巻末の「謝辞」(「あとがき」のあとに「謝辞」がある。ここも「シニカルな(拗ねた)」態度だ)を読んで、あっそうか、ということに気づいたのである。

 「本を書くというのは、孤独な作業に見えて、多くの人との共同作業でもある」と始まり、
「駒場祭での小熊英二さん(四九歳、東京都)との対談」「指導教官の瀬地山角さん(四八歳、奈良県)」「本田由紀さん(四六歳、徳島県)「上野千鶴子さん(六三歳、富山県)」といった、名前が(年齢、出身地)入りで登場して、
「そして何よりも編集者の井上威朗さん(四〇歳、広島県)がいなければ、本書は成立しなかったと思う。井上さんという頼もしい相談相手がいたおかげで、この本は一人で書いている気がしなかった」
 と、文字通り謝辞を書いているのだ。

 古市氏の本を古市氏と「共同作業」で出したのは、その人ら、周りのおっさんおばはんなのだ。「フィールドワーク」や「話を聞いてもら」ったのは20代の仲間で、それ以外は見事にいない。
 考えてみるとK氏の周りのおっさんおばはんと同年代だ(六三歳の「おひとりさま」を除いて)。

 ユニクロとマクドナルド、ニトリ的に「環境設定」されていることについて、若者の一番の不幸を考えてみる。
 K氏近くに住む30代前半の夫婦は、5~6年勤めていた飲食店から独立し、小さなイタリアン・バルを開店してちょうど4年目だ。
「最近とくに(景気が)悪くなって、安さ勝負になってきた。もうギリギリです」と言う。

 彼の日常生活、つまり仕事以外の暮らしもまさにユニクロにIKEAの形であり(さすがに飲食店経営者、マクドはない)、確かにこれといって不満や渇望感はないなのだが、そういった若者の「全国~世界均一的」な消費スタイルと、彼がやっている店の接点はまったくない。

 そういう古市氏的な「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」の消費スタイルの中に、彼の店はどうしても外れてしまう、ということなのだ。
 飲食店のみならずファッションの店も同様らしい。

 考えてみればこれは理不尽だ。
 頑張って他店にはない店づくりや料理や酒を出そうとすればするほど、現実の「安くて楽しい若者スタンダード」とは乖離してくる。
 そのスタンダードなIKEA のテーブルや椅子、4ピース299円のIKEAのワイングラスで店をつくれば、「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」の彼らの空間と同じになるからだ。
 いつでも、どこでも、大ロットで画一的、そして安価である、といった巨大資本軸の趨勢と、一本ドッコでやっていくしかない店との戦い、これは相当に苦しくて、「なんだか多勢に無勢感がある」ということだ。

 若者の「そこそこ楽しい安価な日常」が、どんどんグローバル・スタンダードな様相になるのに対し、「自分でなんかやっていこう」の彼らのイタリアン・バルは、この大きな流れに抗うしかないように構造化されている。

 街が「のっぺりと画一化されていく」から、「あまり街に出なくなった」若者は、同じ若者の彼らのイタリアン・バルへは行かない。
 「なぜなら、日本の若者は幸せだからです」は消費者に限ってだけにいえることだ。そしてそこには本当は老いも若いもない。
 K氏は街場のその若者がやるイタリアン・バル行っては、「サイゼリアより高いやんけ」などと思うのである。

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江弘毅(こう・ひろき)

1958年、大阪・岸和田生まれの岸和田育ち。

『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)の創刊に携わり12年間編集長を務める。現在、編集集団「140B」取締役編集責任者、神戸女学院大学非常勤講師。

著書に『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記』(晶文社)、『ミーツへの道』(本の雑誌社)、『街場の大阪論』(新潮文庫)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社)など。

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