タイトル、まだ決まってません。

第8回 ユーミン考

2014.01.06更新

 K氏は年末の休み、12月29日にNHK「Songsスペシャル 松任谷由実〜生きる歓び 歌にこめて」の再放送をなんとなく見ていた。
 歌番組が好きなK氏はNHKのこのシリーズで、ちあきなおみ、高橋真梨子と立て続けに見ていた。

 ちあきなおみの『喝采』を作曲中の中村泰士が、作詞した吉田旺に「黒い縁取りがありました」のところを「ちょっとないんじゃないか」と言ったが、後日「そこがないと、この曲ではない」と答えた秘話が披露され、K氏はしびれた。
 高橋真梨子が女手一つで自分を育てた母親の不倫相手を「すごくエッチな人だった」とあけすけに語り、母がホステスとして働いていたスナックを訪ねるシーンで、その店のアールのついたものすごく長いカウンターに、K氏はすっごい昭和でかっこいいと思った。

 それに比べて、松任谷由実のはつまらなかった。
 パリに行って、ジャック・プレヴェールの孫と会ったり、プレヴェールの詩をカフェで朗読したり、ロサンジェルスで仙人みたいな髭のベーシストと新曲をレコーディングするシーンなど、K氏はがっかりした。
 高橋真梨子の回で、脳梗塞で倒れリハビリ中のペドロ梅村さんが、左手が不自由なのにコンガを叩くステージのシーンを思い比べて、

 ごっついしょうもないと思うのは、高橋真梨子の同番組をこれまた録画で見たからだ。『卒業写真』も『ひこうき雲』もカラオケで唄うことがあるが『五番街のマリー』とか『ごめんね・・・』とは唄の種類が違う。

 などとTwitterにつぶやいた。

 松任谷由実のその新しいアルバムは『ポップ・クラシコ』という名前で、そこに入る「シャンソン」という歌が紹介されて番組は終わるのだが、それを聴きながら「ユーミンの時代」はK氏にとって完全に終わってしまっていると思った。
 スタイリストやデザイナーなどとそのジャケットをつくるシーンも、80年〜90年代初め頃の広告代理店的なクリエイティビティの手触りがしていた。

 ちなみに高橋真梨子さんは、明後日の大晦日の紅白歌合戦で『for you...』を唄う。おまけに紅組のトリである。
 K氏は高橋さんが紅白で「あなたが欲しい あなたが欲しい」と熱唱するのを聞くのは、ちょいと恥ずかしい感じだが、この『for you...』や『ごめんね・・・』の「消えない過ちの 言い訳する前に」などに共通するそういった類いの歌詞は、北新地のカラオケのあるラウンジで自分で唄うのは恥ずかしいが、チーママに唄ってもらいたい最右翼かと思っている。 

 それらの歌とユーミンがよく唄ってきたヒットソング内容は、同じ男女間のややこしいことであるが、まったく手触りが違う。
 「ユーミン史上究極! 恋愛のテッパン45曲を収録したユーミンベストアルバム『日本の恋と、ユーミンと。』」が、2012年11月に出た40周年記念ベストアルバムCD3枚組の謳い文句だ。
 
 音楽好きでラテンバンドをやっているK氏は、ハードロックとJポップ以外、世界中の音楽は何でも聴く。自分が20代だった時代の音は、日本では山下達郎やよしだたくろう、西田佐知子や平山ミキ、河内音頭など浪曲や民謡までのアルバムを持っている。ハイファイセットもかろうじてある。けれどもユーミンは1枚もないのに気付いた。

 といっても荒井由実はきらいではない。天才だとも思っている。
 カラオケではたまに『卒業写真』や『あの日に帰りたい』も唄うし、バンドの持ち歌が『中央フリーウエイ』だったりする。

 何でだろう、と考えるに、K氏はふと『Meets』 の酒場特集で、ユーミンのことを書いたことがあるのを思い出した。
 朝日新聞社の『AERA』のインタビューを引用した、酒場特集の巻頭のリード文である。
 2003年5月号であることは確かだ。自宅にいたK氏はさっそく本棚を探す。あいにくその特集がなかったので、「誰かいるかな」と思って会社に電話をすると、あと2日でその年が終わるという29日の昼は誰もいなかった。

 K氏は迷惑を顧みずに会社のスタッフに電話をかけまくる。すると一人が大阪にいて「会社の近所にいますから、今から行ってPDFか何かで送りますよ」と行ってくれた。
 「すまんなあ」とK氏。

 それはいきなり1行目からこんな感じで始まっている。

 朝日の『アエラ』に、ユーミンの15年ほど前のインタビューで「あなたの歌はこの先ずっと売れ続けるのでしょうか」というのがあった。
 それについて、「日本人がこのまま豊かで、都市銀行がつぶれたり、世界の先進国から転げ落ちたりしないなら、売れると思う」という談話があって、それを思い出して、この人の、自身も含めた時代感覚はずば抜けたものだと感心している。予言として額面通りにとらえるなら、リゾートなテーマパークとかクラブのシャンパンとか、なんちゃら・ウォーモみたいな存在感覚なんだろう。

 というのを冒頭から書いていて、酒場はそうではない、流行軸は歌のようにその時代を反映しているものの、「よく仕事をしたから」とか「会社でいやなことがあったから」とかの日々のあれこれの機微にしっかり寄り添ってくれる、「ずっと変わらぬ酒も今日の酒も連続している。バーでよろしくやろう」、といったリード文だった。

 彼女は「売れ続けている頃」、これっぽちも、銀行がつぶれ日本国民が貧困になってしまう、それで自分の歌が売れなくなるのだろう、と思わなかったのだ。そういう危機感をちょっとでも募らせながら、曲をつくり歌を唄っていたのではないんじゃないの、という皮肉な内容だ。

 親切にその誌面をPDFにしてメールしてくれたその部下は、「小田嶋さんも書いてはりましたね」と言って笑わせてくれる。K氏の貧弱な本棚には、酒井順子さんの新刊『ユーミンの罪』はないが、小田嶋さんの本ならある。
 その『ポエムに万歳!』のくだりはこんなのだ。

 ちょっと話はズレるかもしれないが、先日、広告業界で活躍している友人の岡康道と対談した折、日本の女性進出に一番貢献をしたのは、男女雇用機会均等法でも、中ピ連でも、田嶋陽子でもなくて、ユーミンだろう、という見解で一致した。ユーミン出現以前の歌の世界では、結局のところ、男にとって都合の良い女ばかりが描かれている。「捨てられても待っている」はもちろん、「忘れられても尽くす」ことを自らの幸せであると認識し、3年目の浮気には、かわいくすねてみせるのが精一杯、どうかすると「悪いことをしたらどうぞぶってね」ぐらいな媚びを売る始末だった。
 ところが、ユーミンにかかると『恋人がサンタクロース』である。それ以前に、クルマで迎えに行かないと、家から出てこない。もちろん、国産車はNG。おそらくアルファロメオ・スパイダーぐらいが想定されている。でないと、埠頭を渡る風の中で横顔がどうたら言う状況の説明がつかない。こうしてみると、歌の力はバカにならない。80年代からこっち、クリスマスにシティホテルをとって女性をエスコートせねばならないという義務が生じたのは、必ずしも女性月刊誌がキャンペーンを打ったからだけではない。背景にはいつもポエムがあった。

 ユーミンの歌について、ちょっと年下のK氏は「それ、なんか違うんちゃうか」とか「オシャレ命だけは、やっぱりあかんやろ」などと思いながらも40年聞いてきたのはそこのところだ。今もYouTubeにアップされているユーミン40周年記念アルバムの曲をヘッドホンで聴いている類いの、K氏が過ごしてきた40年間の「日本の消費的なるもの」のスカさなのだ。
 
 そしてそれらは『卒業写真』で唄われる「人ごみに流されて 変わっていくわたしを あなたはときどき 遠くでしかって」という歌詞であり、それによって鼻の奥がキナ臭くなる「恋愛のテッパン」と称して消費してきた、当のユーミン自体の歌なのかもしれない。
 今や20代の若者から50代のK氏までその「消費のテッパン」は、「ユニクロ冬の応援価格!」の4990円のウルトラライトダウンジャケットであり、1ヶ150円のローソンのげんこつメンチである。
 そして鼻の奥に感じるキナ臭さは、戦争のそれに変わってしまった。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

江弘毅(こう・ひろき)

1958年、大阪・岸和田生まれの岸和田育ち。

『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)の創刊に携わり12年間編集長を務める。現在、編集集団「140B」取締役編集責任者、神戸女学院大学非常勤講師。

著書に『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記』(晶文社)、『ミーツへの道』(本の雑誌社)、『街場の大阪論』(新潮文庫)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社)など。

バックナンバー