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第11回 大阪都構想と「西成」の「あかん話」

2015.05.26更新

 橋下徹市長の政治生命を賭けたいわゆる「大阪都構想」は、住民投票で「ノー」の結果となった。

 『街場の大阪論』の著書のあるK氏は、毎日新聞の東京版特集ワイドで「大阪に二者択一を迫ったのは共同体の破壊に等しく、罪深いですよ」などと殊勝なコメントを寄せていた。
 否決後も「南北格差」といった的外れな指摘や「生活保護者や高齢者が反対に回った」「負けたのは若者だ」とかのひどい分析が飛び交ってなさけないかぎりだ。

 都構想〜市民投票一連の動きや出来事は、デマや嘘や中傷や悪口...と、奴壺極まりないことが多すぎて、ほとほと疲れたK氏は「あーあ、あかん話ばっかしやなあ」とため息ばかりついていた。

 そのなかで最低の「あかん話」は、「大阪維新の会」名で配られた西成ビラ事件だ。

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 都構想で住所から『西成』をなくせます。
 「西成」のマイナスイメージを消して、住みよい便利な街として人を呼び込む
→お店、学校、町会が元気になります
 若い人が出ていってしまう西成区
→毎年人口が減っている あと20年したら子どものいない過疎地(?)に
「中央区岸里」などの地名になって、イメージチェンジを!
都構想ならできます!
「賛成」をお願いします。

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 というビラが配布されたのだ。

 「西成」という大阪市中南部の街を語る際の常套句は「あいりん地区」「ドヤ街」「日雇い労務者」あるいは「全世帯の4分の1が生活保護」といったもので、たしかにネガティブなイメージ満載のエリアだが、「西成という名前が大阪都構想実現によってなくせます」というのは、住民を舐めまくった発言だ。

 このビラで思い出すのが、1996年の「別冊フレンド差別事件」だ。
 この少女向け漫画誌の中の連載『勉強しまっせ』で、「兄貴おるけど、高校中退して家出してからずっと西成住んでるし」というセリフの「西成」に注釈をつけ、「大阪の地名。気の弱い人は近づかない方が無難なトコロ」と掲載した。
 これを見た西成の女子中学生が許せないと怒り、西成区民が版元の講談社に抗議し人権問題になった。講談社は漫画誌の回収と連載打ち切り提示し、謝罪文を書いた。

 K氏には西成在住あるいは西成出身の先輩や親友が多いし、釜ヶ崎の三角公園のそばの[なべや]の鶏の水炊きは(「ポン酢が絶品」とK氏は言う)よく食べに行くし、西成警察の並びにある立ち呑み[難波屋]のライブもしょっちゅう行っている。

 そんなK氏が「なにい、都構想で住所から西成という名前が消せます、てか。これは西成区民怒るし、逆にあかんわ。しかしなんちゅうこと言うねん、維新の党はアホか」と憤るのも無理はない。また「『中央区岸里』て『岸里』を持ってくるところもセコいというか、なんかひっかかるなあ」というディテールについてもさすがに指摘が細かい。

 投票の結果、大阪市解体反対が過半数を超えた南部、「西成」「天王寺」「阿倍野」「住吉」「生野」「大正」「住之江」「平野」、また西成区内にしても岸里と萩ノ茶屋があるように、大阪という大都会は「ローカル」が重層的に重なりあっていて、街も人もバラバラさにおいて普遍的なのだ。
 だから「旧いローカルが在る」地域の住民にしたら、「中央区」「東区」「南区」「湾岸区」など無味乾燥(名前も)にひとまとめにされることに「アホか」となる。これが本来の「保守」ではないのかとK氏は思っている。
 「西成やら阿倍野や住吉の人らのどこの誰が梅田やグランフロント大阪やらにあこがれて、行きたい思たりするんや」とK氏は言うのだ。

 橋下徹やホリエモンとかの新自由主義の感性でいると、そこのところがまったくわからないのかもしれない。橋下市長率いる維新の会は、堺市長選のときにも「大阪市民になりましょう」とやって墓穴を掘っている。

 さてそういうK氏であり、K氏は大阪の街や店や食べ物のことなどを書いたり編集したりする仕事をやっているが、三角公園のそばにある[なべや]については、情報誌やグルメ誌などに記事を掲載してこなかった。

 理由は釜ヶ崎という場所についてであり、「なんでガイド本で知らん読者を仕向けて、牡蠣やとか肉やとかごっつぉを食べさせに、わざわざこんなとこまで来させなあかんのや」ということだ。
 「こんなとこまで」という理由ついては、Googleマップのストリートビューで見ると、この店がある釜ヶ崎という街がどういう街なのかがよくわかる。

 [なべや]は「一人鍋」の店であり、居酒屋としても大阪屈指の店なのは間違いない。
 大阪で「鍋」はすなわち「ごっつぉ」であり、「すき焼き630円」「鶏水炊き830円」とかで食べさせてくれるのがこの店だ。「1泊1200円」などと看板に出ている簡易宿泊所が林立するこの街では、間違いなく「ごっつぉを食いに行く」ところなのである。

 が、インターネットの時代になって、この[なべや]のことが「食べログ」でも個人のグルメHPサイトでもばんばん紹介されるようになった。コンテンツとしての内容は、安くてうまいメニューを淡々と写真に撮り、クールに「コストパフォーマンス抜群」などと書いたレビュー、はたまた西成ディープゾーン散策譚のようなレポート、「冬になるとすぐとなりの三角公園で、メシにありつけない人たちが炊き出しで、全然違う鍋を食べている」みたいなことを書いているブロガーもいる。

 実際に客もスーツ姿の東京弁4人組やOL混じりのグループ、ラケットケース付きのリュックサックを背負ったテニス帰りのおじさんグループも見かける。
 他所からの人にも入りやすくなったのは、ネットのおかげだと思うが、帰りに「タクシーを呼んでください」という客を見ると、未だにK氏は何ともいえない気分になる。

 ただこの店の「安くてうまい」にひかれて年に数回は行くセコいK氏(ブロガーとどこが違うねん)の場合、この店へはいつもどこの駅から行くかで悩んでしまうのだ。

 ある寒い冬の夜、K氏とツレの2人組は、この店に行って「牡蠣の土手鍋」を食べようと、高野線の駅しかない南海萩ノ茶屋駅で下りた。
 いきなりガード下で段ボールと化繊綿のコタツ布団みたいなのにくるまって横向きに寝ころんでる年寄りたちを見て、K氏は大変申し訳ないような気持ちになった。
 女性つまりおばあさんも一人いた。
 いたたまれなくなったK氏は、「電車賃だけ残してカネ渡して、帰ってお前とこで飲もか」などとツレと話すのだが、そんなことしても何の解決にならへんやんけ、と思うのだった。

 しかしK氏とツレの2人組は、結局いやもちろん[なべや]に行って、鮪のすき身とクジラベーコン、そして牡蠣の味噌鍋と鉄鍋のすき焼き、鶏の水炊きをビールや酒でたらふく食べるのだった。飲んで食うて二人で5千円、「ほな2千5百円通しな。安っすう〜」と言って、ゴキゲン状態で堺筋を動物園前まで歩いて帰った。
 というのは正確ではなく、西成警察署あたりまで来て「ミナミで飲もや」ということで、阪堺線のガードをくぐって堺筋まで出て、なんとタクシーを拾って道頓堀まで向かったのだ。

 [なべや]はK氏にとっては「よく行く店」だが、今も行くときに、この日の「正義」とは全然ほど遠い自分たちの行いを思い出し、ちょっとサンデル教授(ちょっと古いか)の授業を聴講しているような気分になりながら、地下鉄花園町から堺筋がドン突きになる天下茶屋ロータリー跡の方角へと向かい、[なべや]に到着するのであった。

 このコースで行くと、キッツい光景がだいぶ緩和されるのだ。不幸な人のさまを見て、もし立場が入れ替わって自分がそういう境遇に置かれることを想像するのはツラい。

 釜ヶ崎に来ると、「西成のアンコ(日雇い労務者)」や「あいりん地区路上生活者」がまる出しでバーンと露出していて、同様にそれにリンクしたこの[なべや]の一人鍋はじめ、「ソース2度づけお断り」とか「かすうどん」とかの大阪の食がポピュラーに流通している。
 ただそれはあくまでも実際の街場事情のひとつであって、インターネットを検索して「コストパフォーマンス抜群」と出かけていって消費する類の事物とは少し違う。

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江弘毅(こう・ひろき)

1958年、大阪・岸和田生まれの岸和田育ち。

『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)の創刊に携わり12年間編集長を務める。現在、編集集団「140B」取締役編集責任者、神戸女学院大学非常勤講師。

著書に『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記』(晶文社)、『ミーツへの道』(本の雑誌社)、『街場の大阪論』(新潮文庫)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社)など。

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