ローカルメディアのはなし。

第6回 雑誌Re:Sのこと。その2「台割はいらない」

2017.02.08更新

 『Re:S(りす)』と既存の雑誌との違いで最も特徴的だったことのひとつに、Re:Sには「台割がない」ということが挙げられます。
 台割とは、いわば雑誌づくりの台本のようなもので、デザイナーさんやライターさんなど雑誌づくりに関わる人たちと、その内容や構成を事前に共有するための設計図です。それがRe:Sにはありませんでした。なぜそれがないのか? 答えは明確で、「作ってもそのとおりにならないから」です。

 既存の雑誌が脚本のしっかりしたドラマだとすれば、Re:Sはアドリブ重視のトーク番組のようなもの。特集テーマだけは決めつつも、事前に下調べをしてアポイントを取るとか、そういったことはせず、「こんな人がいたらいいなあ」「こんな店に出合いたいなあ」とイメージを膨らませていざ旅に出る。それがRe:S取材の基本でした。そしてRe:Sがそんな取材方法を取るのには当然のごとく理由がありました。今回はそのことについて書いてみようと思います。


 雑誌Re:Sをはじめたとき僕は、「著名であることが理由のディレクションだけはしないでおこう」と強く思っていました。書店やコンビニに並ぶ雑誌を見ていると、それぞれ別の雑誌であるにもかかわらず、まるでリレーのバトンを渡されているのかのごとく同じ人が登場することに、僕はなんだかとても違和感があったんです。
 いま俳優さんと言えばこの人! 映画監督と言えばこの人! 料理家さんならこの人! と、もちろん、いち読者として意味がわからないことはないのだけれど、編集者として見ると話は別です。僕にとっての編集者の仕事は、より著名な人をディレクションすることではなく、まだ世間のみなさんはご存知ないであろうスペシャルを、多くの人にお届けすることだと思っていたからです。

 いまとなっては、いろんなタイプの編集者さんがいて、それぞれの役割があることも理解していますし、僕とはまったく違うタイプの編集者の方を尊敬もしています。けれど、新しくひとつの雑誌を生み出そうとしていた当時の僕は、編集者の使命は「見知らぬ宝物に出会い伝えることにあるのだ」と信じて疑いませんでした。そしてこれは、自分が最初に見つけましたといった手柄話ではなく、ほかの誰でもない自分だからこそ気づけたり、そのタイミングだからこそ偶然出会えたりといったことの純粋な幸福で、それが編集者の根源的な悦びなんじゃないかと思っていました。

 たしかにそれは、まだまだ経験の少なかった僕の精一杯の言い訳だったような気がしなくもないのですが、そこから10年経ったいまでもやっぱり僕はそこを起点に編集の仕事を続けています。


 とにかくそんな未知の宝物に出会うための方法はただひとつ、旅に出ることでした。その結果、これまで行ったこともなかった見知らぬ土地で、奇跡のような出会いを繰り返し、そのたびに心から感動し、多くの気づきを得た僕は、その一部始終を誌面に載せてお届けしました。それがいわばRe:Sという雑誌の柱でした。
 そんなふうに一か八かの行き当たりばったり旅を続け、それでも毎回のように取材チーム全員が涙を流すほどの感動を味わって帰ってこられたのは、それがまったく予定調和なものでなかったからです。

 実際あるときは、「青森にこんな人がいるみたいだから会いに行ってみよう!」と言いながら、その途中の長野県で満足して帰ってきたり、またあるときは、北海道をほぼ1周しておきながら掲載はたったの5行くらいだったり、実際の取材現場は、決してこちらの思いどおりになんてならないのです。だからこそ僕たちはとても誠実な気持ちで台割を作らなかったのでした。


 しかし、雑誌づくりの基本とも言える台割すら作らないこのやり方は、東京の雑誌づくりのプロからすれば、まるで素人な仕事に映っていただろうと思います。実際、そのようなことを言われたりしながらも僕は、それならばそれで、プロの素人として文句が言えないところまでやりきってやろうと意気込みました。素人だからこそ突破できることがあるはずだと。

 大量生産大量消費な世の中で、何をやるにしても多くの人たちとコンセンサスをとらねばならない窮屈なこの環境は、メディアの現場においても同じです。しかし僕たちは明らかに自由でした。無闇に広告が入れば、それこそ事前に台割を作っていかなきゃならなくなると、代理店さんからの広告オファーを平気で断ってしまったり、企業さんとの直接やりとりを経た広告出稿ですら、その内容を見てお断りしてしまったりと、プロの素人としてそのチカラを発揮するための環境をキープすることに僕は必死でした。


 当時の僕が信じた素人力は、仕組みが完成されてしまっている都会では、発揮しづらいチカラだったとつくづく思います。僕は地方に居続けたからこそ、当時描いたビジョンを少しずつ現実のものにしていくことができたし、いまもなおこの幸福な仕事を続けることができているのだとつくづく思います。

 自分というかぎりなくローカルなフィルターを通して発言していくことの覚悟を決めたかつての僕は、もはや東京のような大都市に行く必要性がまったくありませんでした。むしろ、行かないほうがよかった。情報過多な都会で、おしゃれだとかかっこいいとか新しいとか速いとか、相対的な価値に惑わされることなく、ローカルな絶対価値を発信し続けることが何よりも大切だった僕は、実際にRe:Sの取材旅をしながら、いよいよ自分の目指す編集のフィールドは地方にあると確信していったのでした。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

藤本智士(ふじもと・さとし)

1974年兵庫県生まれ。編集者。有限会社りす代表。雑誌『Re:S』編集長を経て、秋田県発行フリーマガジン『のんびり』、webマガジン『なんも大学』の編集長に。編集・原稿執筆した『ニッポンの嵐』ほか、手がけた書籍多数。自著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。編著として『池田修三木版画集 センチメンタルの青い旗』(ナナロク社)、近著にイラストレーターの福田利之氏との共著『いまからノート』(青幻舎)など。

バックナンバー