ローカルメディアのはなし。

第10回 雑誌Re:Sのこと。その6「Re:Sでやれたこと」

2017.03.08更新

 前回の急展開具合、読み返したらなかなかでしたね。みなさん、ついてきてくれてますでしょうか? ちょっと心配になってきたので、雑誌『Re:S』のことはひとまず今回で最後にしますね。

 ということで、既存の雑誌のように広告代理店にお世話になりながらさまざまな企業から広告を出稿いただき、その収入をベースに雑誌運営するという仕組みのなかでは、自分なりの編集を突き詰めることができないと感じていた僕は、ついに代理店に代わる存在として銀行にいてもらうという、とんでもない座組を思いついてしまった。というのが前回のお話。

 想像以上にニュートラルな銀行という存在のおかげで、僕はまるで水を得た魚というのか、翼の生えた栗鼠とでもいうのか、これまで書いてきたように、さまざまなチャレンジをすることができました。既存の雑誌づくりの方法論を一旦ゼロにして、無邪気にメディアづくりをすることができる喜びは計り知れないもので、あらためてその自由さこそがローカルでメディア制作することの醍醐味のような気がします。


 しかしながら、代理店に代わって銀行がいてくれることの意味は、編集の自由さの確保というより、雑誌運営のあらたな仕組みづくりにありました。
 そもそも僕が広告代理店のいない座組で雑誌を作りたいと思ったのは、単純に広告を入れたくなかったからではありません。広告があるのはシンプルに嬉しいことだし、経営的にも助かります。だけどこれまで書いてきたように、なんとかして広告に頼らない雑誌運営を提案できないか? と思っていた僕が当時描いたのは、メーカーとのものづくりをベースにした雑誌づくりでした。

 簡単に言うと、Re:Sとしてメーカーとともに、まさにRe:Standardな商品を作り、そのロイヤリティをもって雑誌を運営していくというやり方です。そのために、数多くのものづくり企業とつながりのある銀行の存在がとても大切だったのです。
 実際、取材中の出会いからあらたなものづくりのアイデアが浮かんだとき「じゃあこんな企業がおられますよ」とりそな銀行さんはいくつもの企業を紹介してくれました。もちろんそのことが100パーセントカタチとなり、うまくいったわけではないのですが、そういう意図をもった座組で雑誌を作ってみるということに、僕はとても大きな意味を感じていました。


 そこで僕がやってみたのは、広告を入れる代わりに「りすからの提案」というページを作ることでした。特集取材を経た後の、実感がともなった気持ちやアイデアをりすからの提案書として、毎号、企業や人に直接名指しでメッセージするこのコーナーは、とてもささやかなものでしたが、『Re:S』という雑誌の気概を伝える大切な1ページでした。

 たとえば、『Re:S』2号目特集『フィルムカメラでのこしていく』における「りすからの提案」では、富士フイルムさんに名指しで一緒にものづくり提案をしたところ、関連会社含めてなんと5人もの方から連絡をいただきました。
 その結果、僕たちが取材中に使っていた『NATURA』というフィルムカメラの、速写ケースを開発することとなり、またそれが入ったスペシャルパッケージ商品の製作まで決定しました。富士フイルムさんの計らいで、10パーセントのロイヤリティ契約を結んでいただき、ひとつ4万円もするこの商品が売れるたびに4千円がRe:Sに入ってくるという仕組みを作ることができました。
 ありがたいことに生産したものはすべて完売。その後もあらたにチェキの新パッケージ商品を作ってみたりと、Re:Sにとって富士フイルムという企業は、切っても切れない存在となりました。


 ここで大切なのは、別にRe:Sは富士フイルムとのものづくり、ましてや広告出稿を想像してフィルムカメラ特集を組んだのではないということです。あくまでも純粋な思いから生まれた特集のその先に、自然な連携が生まれたという、とても幸福な話で、このことは僕のなかでとても大きな自信につながりました。

 こんなことが実現できたのは、いいもわるいもRe:Sという雑誌の可能性が未知数だったからで、そこには、何度も言うようにニュートラルな仲介役としての銀行の存在が大きかったわけです。また、「Re:S=Re:Standardあたらしいふつうを提案する」なる、このハッキリしないコンセプトとタイトルは、いくらこれでは売れないと言われようとも、ある意味での中庸を保つために譲れないものだったのです。


 雑誌Re:Sを通して10年前に挑戦させてもらった数々が、いまも僕をローカルにとどまらせています。そしてそれは僕にとって、決してネガティブな選択ではありません。地方在住の一人の編集者が出版業界や雑誌業界、果ては世の中に対して感じる小さな違和感を、ひとつひとつクリアにしていくには、地方はとてもよい環境です。2006年から2009年まで、たった3年間ですが、Re:Sというメディアを作ることに全力を尽くした僕は、そこからさらに3年が経った2012年。あらためてRe:Sでやれなかったことをやりきりたいと思いました。

 そのためのフィールドはもはや大阪ではありませんでした。もっともっと田舎がいい。そんな僕の視線の先にあったのは、少子高齢人口減少ナンバーワンの秋田県でした。

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藤本智士(ふじもと・さとし)

1974年兵庫県生まれ。編集者。有限会社りす代表。雑誌『Re:S』編集長を経て、秋田県発行フリーマガジン『のんびり』、webマガジン『なんも大学』の編集長に。編集・原稿執筆した『ニッポンの嵐』ほか、手がけた書籍多数。自著に『ほんとうのニッポンに出会う旅』(リトルモア)。編著として『池田修三木版画集 センチメンタルの青い旗』(ナナロク社)、近著にイラストレーターの福田利之氏との共著『いまからノート』(青幻舎)など。

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