みんなのミシマガミュージック

第5回 ボサノヴァを創った男 ジョアン・ジルベルト

2013.08.28更新

 こんにちは、アルテスパブリッシングの鈴木です。
 「みんなのミシマガミュージック」、今月は赤道を越えて南に下り、ブラジルに飛ぶことにしました。主役はボサノヴァを創った男、ジョアン・ジルベルトです。2003年9月、ついに実現したジョアンの初めての日本公演は、腰は抜かすわ度肝は抜かれるわ、驚天動地のとてつもない体験として、強烈に記憶に残っています。

 ボサノヴァというと、軽快なリズムに乗ってソフトに歌う心地よい音楽を思い浮かべる方が多いとおもいます。ブラジルの伝統音楽か民俗音楽だと思ってらっしゃる方も少なくないかもしれません。

 ところがどっこい、これだけ世界中に広まっている音楽ジャンルにしては珍しいことに、ボサノヴァにはれっきとした創始者がいるんです。どうやって生まれたかについては諸説ありますが、作曲家/ピアニスト/シンガーのアントニオ・カルロス・ジョビン、作詞家(本業は外交官)のヴィニシウス・ジ・モライス、そしてギター弾きの青年ジョアン・ジルベルト、この3人が大きな役割を果たしたことはまちがいありません。ジョビン/ヴィニシウス作の「想いあふれて Chega de Saudade」を、1958年にジョアンが録音したことからボサノヴァの歴史は始まります。

 この3人のなかでも、ボサノヴァ独特のシンコペーションが効いたビートと、囁くような歌い方を確立させたジョアン・ジルベルトは、若い頃から人を驚かせる奇怪な言動が多く、謎めいた暮らしをしていたこともあって、伝説的な存在として知られています。そのあたりはブラジルのジャーナリスト、ルイ・カストロの名著『ボサノヴァの歴史』に詳しく描かれています。ジョアン本人は事実と違うことが書かれていると嫌っているようですが、無類に面白い本なのでご一読をお薦めします(ほかの二人は残念ながらすでに鬼籍に入ってしまいました)。

 そのジョアンが70歳を超えて初めて日本にやってくる、というにわかには信じがたい大事件が起こったのは、今からちょうど10年前でした。初日と3日目のチケットを手に入れ、半信半疑で待つこと数ヶ月。そして911日の夜、定刻から1時間10分経ったとき、5000人が固唾をのんで待ち構えていた東京国際フォーラムAホールのステージに、ギターを1本さげたジョアンがとうとう姿を現しました。

 それから2時間。ピシッとスーツに身を包んだ72歳のジョアンは、途中で水も飲まず(ステージ上に用意はされていたのですが、ついに手を付けませんでした)、休憩もはさまず、次から次へとギターを弾きながら歌い続けます。ジョアンの希望によりエアコンも非常灯も止まった蒸し暑い場内で、僕たちは一音たりとも聞き逃すまいと、囁くような声とギターの響きに一心に耳を傾けました。

 どの曲がどの日に演奏されたか、記憶が定かではありませんが、「フェリシダーヂ」「コルコヴァード」「ジザフィナード」「イパネマの娘」「波」「ブラジル」「三月の水」......耳になじんだ名曲の数々を、ギターと歌のリズムのずれが絶妙なジョアンならではの至芸で聴ける幸せ。

 その音の小ささにもかかわらず、彼方のステージに小さく見える「老人」が発する音楽からは、とてつもない熱量が伝わってきて、ぼくはずっと圧倒されっぱなしでした。ほとんど狂気すら感じさせる音楽への没入ぶりに、「この人は本物だ、本物の音楽家だ、並外れた天才だ」と興奮しっぱなしでもありました。ボサノヴァはヒーリング・ミュージックでもないし、イージーリスニングでもない、ブラジル音楽界に革命を起こした若者たちのムーヴメントだったんだ、と本で知ってはいたことを、ジョアンの静かな熱演から身をもって実感できたのでした。

ミシマガミュージック

 3日目の横浜公演では、ステージ上で20分間固まったまま動かなくなる、というハプニングがあったり(本当に死んじゃったんじゃないかと心配になりました。聴衆の拍手を聴いていた、泣いていた、眠っていた......真相は本人のみぞ知る、です)またしても伝説を作ったジョアンですが、ブラジルやヨーロッパの人たちが演奏中もワイワイがやがやと賑やかなのに比べて、最後の音が完全に消えるまで集中して聴き入り、長く熱い拍手を贈る日本の聴衆にいたく感激したようで、珍しくライヴ盤を作ってくれました。初来日公演2日目の演奏から16曲が『ジョアン・ジルベルト・イン・トーキョー』で聴くことができます。

 ジョアンのCDで絶対に聴いてほしいのは、1958年から61年までの初期の録音を収めた『ジョアン・ジルベルトの伝説』というベスト盤ですが、残念ながら現在は中古盤を探すしかありません。当時のオリジナル・アルバムもイギリスで再発売されていますが、本人が認めた正式なCDを日本での発売に向けて準備中のようですので、それを気長に待ってください。

 もちろん後年の作品も素晴らしいものばかりです。『三月の水』『海の奇蹟』『ジョアン』『声とギター』などなど、ジャケットで選ぶもよし、曲目で選ぶもよし。ここまでつい力を入れて書いてしまいましたが、これが生ける伝説か! などとかたく構えず、気楽に楽しんでいただけたら嬉しいです。

Youtubeではこれが東京公演の感じに近いでしょうか?

※アントニオ・カルロス・ジョビンとの共演した「ジザフィナード」なんていう昇天ものも!
https://www.youtube.com/watch?v=n81JA6xSbcs

※ブラジル音楽最大のスーパースター、カエターノ・ヴェローゾとのライヴもたっぷり観ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=LoqU5VRFxtc


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鈴木茂(すずき・しげる)

同姓同名の名ギタリストとはもちろん別人です。吉田拓郎とビートルズで音楽にめざめ、中学生のときボブ・ディラン&ザ・バンドのライヴLPを聴いて、生まれて初めて音楽を聴いて鳥肌が立つという体験をする。人生でいちばん大切なミュージシャンはジョン・レノン。いちばん大事な曲はソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」。とくに好きな楽器はギター(とくにエレクトリック)とドラムなどの太鼓類。高校から吹奏楽のパーカッションを始めたが、今はひたすら聴くだけ。1960年東京生まれ、吉祥寺在住。1984年、音楽之友社に入社。クラシック、ジャズ、ロック、ソウル、ボサノヴァ、アフリカ音楽、レゲエ、アイルランド音楽などなどの雑誌・ムック・書籍の編集に携わり、2006年に退社。同僚だった木村と共同で翌年に株式会社アルテスパブリッシングを創業し、現在に至る。

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