みんなのミシマガミュージック

第15回 ユーミンと「予感のサ行」

2014.09.10更新

 前回につづいて今月もユーミンの音楽を、すばらしい聞き手の力を借りて聴いてみたいと思います。

 歌を聴くときに、歌詞がいちばんに耳に入ってきてその物語やメッセージに反応するタイプと、歌詞の意味に耳がいかないタイプと、人は音楽の聴き方で大きくふたつに分かれるんじゃないかと常々考えています。
 僕は典型的な後者のタイプで、歌詞や声(ヴォーカル)を音としては聴いていても、歌われている内容は理解しないまま聴いていることがほとんどです。そのせいか何十回も聴いている大好きな歌でもさっぱり歌詞を覚えていません。ソラで覚えている歌もぜんぜんありません。極端なはなし、その歌が恋の喜びを歌ったものなのか、それとも親子の別離を悲しむ歌なのかすらわかってなかったりするので、あまりほめられたものではないのですが、どうやら僕は人の声も楽器のひとつとして聴いてるということなんでしょうね。
 そのぶん、歌のない器楽だけの音楽(インストゥルメンタル)やメロディーの存在感が薄い音楽も、歌詞とメロディのある「歌」と同じように楽しめるわけですが、逆に歌詞に感動することの多い人はクラシックやジャズのように楽器だけの音楽には親しみづらい傾向があるように見受けられるのですが、そんなことないでしょうか?

 さて、「声を楽器として聴く」と書きましたが、それって実際にはどういうふうに歌を聴いてるんでしょう?

『うたのしくみ』細馬宏通(ぴあ)

 言葉が意味を持たないただのサウンドとしてしか聞こえていないわけではさすがになくて、日本語なら日本語として聞こえてはいます。でも意味と一体になった言葉単体では聴いてないというか、言葉が節やリズムを持った声として発せられてこそ音楽になるわけですから......う〜ん、この話、どうもだんだんむにゃむにゃとくちごもってしまいがちなのですが、今年の春、歌詞と歌の関係についておそろしく鮮やかに分析している本を読みました。『今日の「あまちゃん」から』『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』などの著書がある研究者・細馬宏通さんの『うたのしくみ』です(ぴあ、 2014年発売)。

 その2曲目に取り上げられているのが他ならぬ荒井由実の「やさしさに包まれたなら」です(P20〜25、ちなみに1曲目はジョアン・ジルベルト)。1974年に発表した2枚目のアルバム『MISSLIM』に収録されているこの曲は、89年のジブリ映画『魔女の宅急便』でエンディング・テーマに使われたので、そちらで聞き覚えのある方も多いことでしょう。とくに冒頭部分の歌い方に神経を集中して聴いてください。

♪荒井由実「やさしさに包まれたなら」

 自分で詞と曲を書き自分で歌うシンガー・ソングライターたちは、作品を作る過程で「作られようとしている歌を何度も口ずさみ、改め、ことばをメロディとともに声によって確かめていく」はずだと、ご自身がシンガー・ソングライターでもある細馬さんは推測します。そして、「ことばの細部がどんな声になり、それが歌のしくみをどう形作っていくかを知るには、テキストになった歌詞だけではなく、歌そのものにたずねてみないとわからない」と、「歌っているユーミンの声をたずね」ていきます。

 細馬さんが着目するのは、歌詞冒頭の「ちいさい」をユーミンがどう歌っているか、です。ぼくらがふだん話すとき、「ちいさい」の「ち」と「い」はつながって、「『ちーさい』と書いたほうがよいくらい、一体化しています」。たとえば「小さい秋みつけた」を歌ってみてください。確かに「ちーさい」とつなげて歌いますよね。それに、メロディラインの上がり下がりはさほど大きくありません。

 ところが「やさしさに包まれたなら」での「『ちい』は、『ち』と『い』に分断され〜オクターヴでおおきく飛躍します」。しかも「ひらがなで書くと『ちー、いっさーい』と促音の『っ』をはさみたくなるほど、『い』は短く、頂上にタッチしたかと思うと即座に離れていきます」。ユーミンはこの「っ」の部分に「『さ』に先立つ『S』の音をさあっと忍ばせているのです」。このあとカ行の「K」やた行の「T」などと比べて、「sssssss」といくらでも長く引き延ばすことができるという「S」「SH」の特質を説明した細馬さんは、「『S』の音はそれ[3拍目の「さ」の音]よりずっと早く、短く切り上げられた『い』の直後の二拍半あたりから始まっています。わたしたちは切り詰められた『い』の声が反響するリバーブの中に、早くも次の『さ』を予告するSの音をきく。無意識のうちに、ああ、くるな、これは『ちいさい』ということばだ、と予感させられる」と言うのです。

 この「予感のサ行」は続く「かーみ『っさ』ーまがいて」や「ふー『っし』ぎに」でも表れ、「やー『っさ』『っし』い気持ちで」でとどめを刺します。

 それがこの歌のクライマックス、タイトルの「やさしさに包まれたなら」が歌われるときには一転します。「ほとんどサ行でできている『やさしさ』ということばを歌うとき、ユーミンの歌声は『予感のサ行』を使っていません。もう、SやSHは先走らない。〜『っ』で詰まることなく「やーさーしーさにー」と拍の頭で唱えられる」。
 つまり、「それまで何かの到来を告げる役目を担っていた声が、『やさしさ』ということばによって、到来するできごとそのものとなって成就する」というのです。

 引用が多くて読みづらかったかもしれませんが、ざっとまとめると細馬さんはこんなふうに歌詞(言葉)と声と歌(メロディー)の関係を読み解いています。空気の振動である声の音ひとつひとつの一瞬の変化に、ここまで微細に分け入っていく耳の良さ!

 歌詞を題材にした音楽評論はこれまでもあまた発表されていますが、その多くは歌詞が描く物語を読み解くものであったり、歌の背景にある世相や社会状況の変化、あるいは恋愛観などを分析していくものがほとんどです。細馬さんのように、音の響きそのものに耳をそばだてて、その歌が、その歌唱そのものに潜むドラマを解き明かしたものはちょっと読んだことがありません。

 僕は編集者という仕事柄、こんな批評の方法があったのか! と感服したのですが(この本はもちろん音楽評論を職業にしている人たちにも衝撃を与えました)、ミシマガジン読者の皆さんには、「こんな聴き方があったのか!」とびっくりしていただけたら嬉しいです。

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鈴木茂(すずき・しげる)

同姓同名の名ギタリストとはもちろん別人です。吉田拓郎とビートルズで音楽にめざめ、中学生のときボブ・ディラン&ザ・バンドのライヴLPを聴いて、生まれて初めて音楽を聴いて鳥肌が立つという体験をする。人生でいちばん大切なミュージシャンはジョン・レノン。いちばん大事な曲はソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」。とくに好きな楽器はギター(とくにエレクトリック)とドラムなどの太鼓類。高校から吹奏楽のパーカッションを始めたが、今はひたすら聴くだけ。1960年東京生まれ、吉祥寺在住。1984年、音楽之友社に入社。クラシック、ジャズ、ロック、ソウル、ボサノヴァ、アフリカ音楽、レゲエ、アイルランド音楽などなどの雑誌・ムック・書籍の編集に携わり、2006年に退社。同僚だった木村と共同で翌年に株式会社アルテスパブリッシングを創業し、現在に至る。

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