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玖 落語・花街・遊女の手紙(下)

2015.05.12更新

『たちぎれ線香』―小糸の場合―

 上方落語の名作『たちぎれ線香』(『たちぎれ』ともいう)は、南地の芸妓・小糸の誠心を描く。小糸と相思相愛になった船場の御大家の若旦那は、番頭から100日間の蔵住まいを強いられ、小糸と会えなくなる。そんな事情を知らない小糸は手紙を書くが、若旦那には届けられず当然ながら返事は来ない。そこで毎日毎日、手紙を書き「初めが一本、次が二本、それから四本、八本と、倍増」するが、それでも返事はなく、とうとう80日目に手紙は途絶えた。

 ここで、遊女の手紙について考える。現在、書店に行けば「手紙の書き方」的なハウツー本が並んでいる。江戸時代にも同種の本が何種類も出版されており、なかには、遊女専門の手紙文例集も数種もあった。そのうちの『遊女案文』の冒頭には「遊女の文(ふみ)は日用の勤めにして、寒の師走も、日の六月も、鉄漿(かね)つけぬ夕はあれども、文書かぬ朝はなく」とある。一年中、鉄漿=お歯黒は付けない日はあっても、手紙を書かない日はないというのだ。遊女は毎朝、客への手紙を書くのも仕事だったのだ。そういえば、現代でもクラブの№1ホステスには筆まめが多いと聞いたことがある。出勤前に何枚もの手紙を投函するのだそうだ(聞いただけです。私はクラブで遊んだこともなければ、ホステスさんから手紙をもらったこともありませんからね)。

 『遊女案文』は、続いて宛先別に「始めて逢いたる客」や「馴染みに成りたる客」「二度の客」「なじみの客」「しばし来ぬ客」などに分けるとともに、差出人である遊女のランクによって「太夫」「天神」「白人」ごとの例文を示すのだから、かなり上級のハウツー本だ。
 しかも、各文例ごとの心得も記している。たとえば「公界の身なれば、どのように愛想がつきてあっても、やはり情の残るありさまに書くべし」と言う具合だ。愛想を尽かしていても、情愛のあるように書くのだから男はたまらない。そういえば、現代でもホステスさんからの情の籠った手紙を受け取ると、多くの男がクラブを訪ねると聞いたことがある(ホントに聞いただけです。最近は手紙がメールになったけど・・・)。

 毎日、何通もの手紙を書けば達筆にはなるだろうが、文例集を丸写しするばかりでは、いつまで経っても達意の文章は書けないような気がする。『遊女案文』が「手書きはあれども、文(ぶん)書きはなしと世にいうがごとく、相応に文を書きこなすものは希なり」というのはそういうことだ。自身の文章が書けない遊女は、太夫にはなれないだろう。もっとも、丸写しの手紙であっても、受け取る男は単純だから、それでも喜ぶに違いない。まさか他の客にも同じ丸写し文が出されているとは露も知らず、喜んで手帳に挟んだりする輩がいると聞いたことがある(ホントに、聞いただけなんだから・・・)。

 しかし、太夫にもなると、文字だけではなく文章もうまかった。新町の夕霧太夫は、錦絵集『古今名婦伝』にも採り上げられるほどの名妓だが、「書に妙を得たり」といわれるほどの能書家だった。いいようもないほどに綺麗な字を書いたというような意味だ。
 さらに「夕霧が文、九軒吉田屋にあり、且つ板行して好事家の玩びとなれり」とも伝えられる。九軒とは新町の別名、吉田屋は西鶴や近松の作品にもみえる有名な揚屋で、そこに夕霧の真筆が残されており、それを印刷したものは好事家たちに寵愛されているというのだ。印刷物でも寵愛するという、男とはそういうものらしい。

 江戸・吉原の高尾太夫は、江戸落語の『紺屋高尾』の主人公でもあり、上方落語の『高尾』では、幽霊となって現われる。実在の高尾については、その手紙が伝わっている。やはりほとんどが平仮名の書面だ。

うずみ火のしたにこがるおもひは、いづくのそこともわからねど、 たゞゆかしさと恋しさのふたつにこそ、かしこ


 漢字交じりに直すと「埋み火の下に焦る想いは、何処の其処とも判らねど、ただ懐しさと恋しさの二つにこそ。かしこ」となる。文末の「かしこ」は、現在でも使われる、女性用の手紙の結語だ。さて、高尾の意を汲んで訳すと次の感じになる。

貴方様を恋焦がれている私の想いは、初めてお逢いしたあの日から、埋み火のように消えることなく、いつまでもいつもでも燃え続けています。その想いはなにがどうだとは、うまくは説明できず、まどろこしい限りですが、ただただ貴方様が「懐しい」「恋しい」という深い想いだけが募るのでございます。かしこ


 ちょっと想い入れの過ぎる意訳になったが、『たちぎれ線香』に話を戻そう。小糸が若旦那に宛てた手紙が一日に何通も届く場面は、現代人には違和感があるかも知れない。しかし、江戸時代の芸妓や娼妓にとって手紙は必須のツールであり、そこに純愛が籠っているとなれば、仕方のないことと受け止めてやってほしい。小糸からの最後の手紙、つまり80日目のものは、漢字交じりに記すと以下の具合だ。

此の状をご覧に相成り候上は、即刻の御越しこれ無き節には、 今生にてはお目に懸かれまじく候。かしく


 病床に臥している小糸の絶筆である。文末の「かしく」は、先の「かしこ」の転じた結語。このとき小糸は死を覚悟していた。若旦那がこの手紙を見たのは、その死から20日も後のことだ。落語では、この手紙を読み上げた後に川柳が紹介される。

「釣り針の よぉなかしくで 客を釣り」てな川柳がございますが・・・。

図2「馴染みに成りたる客」への手紙の結語。
「目出たく かしく」と読む。


 小糸の手紙は、芸妓の職業的な手管によるものではないのだから、ここで遊女の手紙をちゃかすような川柳を紹介するのは腑に落ちないが、それはさておき、手紙の結語である「かしく」は釣り針のようだという。
 さて、「かしく」が釣り針と言われても、すぐに納得できる現代人はほとんどいないだろう。先に引用した『遊女案文』の「かしく」では、図2のように書いている。まさに釣り針なのだ。しかし、最近では、噺家も客も理解できないためか、この川柳を省くことが多いようだ。文化とは、そういうものなのかもしれない。


夕霧太夫とかしく

 「かしく」は、手紙の結語だが、江戸中期の北新地に「かしく」という遊女が実在した。結語の「かしく」は「慎しむ」の意味なのに、遊女の「かしく」は、酒を飲むと慎むどころか酒乱になったという。寛延二年(1749)、深酒をたしなめる兄を刺殺し、死罪になった。市中引き回しに際し、最後の望みとして油揚げを所望し、その油で髪を整えたと伝えられる。この事件は早速に浄瑠璃『八重霞浪花浜荻』の名で舞台化されている。
 ちなみに、翌年の迫善浄瑠璃「かしく一周忌 手向八重桜」では、かしくを身請けした侍の名を「以上」としているのが面白い。女の手紙の結語は「かしく」で、男の結語は「以上」だという洒落だが、まるで落語のようなネーミングだ。
 
 かしくの墓は法清寺(大阪市北区曽根崎一丁目)に現存して「かしく寺」とも呼ばれ、墓参すれば酒乱封じや断酒に霊験があると伝えられる。この法清寺に近い露天神社(お初天神)の一筋東に、そば屋の『瓢亭』がある。あの「夕霧太夫」にちなんだ「夕霧そば」が名物だ。柚子を練り込んだ「柚子伐り」をもじったネーミングだ。またなんと、同店には遊女「かしく」にちなんだ「かしくそば」もある。もちろん、そばの上には、油揚げ。
 たまに夫婦で曽根崎あたりを飲み歩くときは、最初に「かしく寺」で墓参し、数軒をはしごした後に「そば」で締める習慣になっている。墓参の言葉は、私の場合は「本日、深酒致し候とも、決して乱れざる様、心得るべく候。依って件の如し」。妻は「本日こそは、夫乱れざる様、堅く嗜め申すべく候。かしく」。

《締めの謎掛け》
「遊女の年季明け」とかけて「遊び人の入院」と解く。その心は・・・、どちらも「きしょうせいし(起請誓紙・起床制止)」が気になります。チャン、チャン。

 

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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