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拾 落語の中の「役割語」

2015.06.09更新

 生後間もない赤ちゃんが泣いていると、母親は「あーぁ可哀そうに、お腹が空いたのね」とか、「オムツを替えてほしいのね」とか、「ちょっと寒いのかな」とか言いながら対応する。父親には「オギャー、オギャー」の騒音にしか聞こえないのに、なぜ解るのだ? 赤ちゃんが微妙に泣き別けているのか、それとも母親の判断力が優れているのか、いずれにしても父性は母性に敵わない。これは子育て時代の私の実感。

 それはさておき、ラジオやCDで音声だけの落語でも、複数の登場人物を聞き別けながら、なぜ解るのだ? と考えてしまう。落語家が上下(かみしも)を振って(顔を左右に向けて)、登場人物を演じ別けていると考えるのは間違いだ、と以前に書いたことがある(本コラム「壱 落語は究極の3D映像だ」)。たしかにビジュアルに頼らなくても落語は楽しめるのだから。
 では、どうして登場人物を聞き別けることが出来るのか? 声色(こわいろ)の使い分けや、間(ま)の取り方や、いろいろ考えられるが、なかでも「役割語」の効果が大きいように思う。

 「役割語」とは、日本語学者の金水敏先生が提唱されたもので、「特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉づかい」をいう。私が受け売りの解説をのたまうよりも、金水先生の『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003年)の巻頭に挙げられているテストを引用させていただこう。

問題 次のa~hとア~クを結びつけなさい。
  a そうよ、あたしが知ってるわ(  )         ア お武家様
  b そうじゃ、わしが知っておる(  )         イ (ニセ)中国人
  c そや、わてが知っとるでえ(  )          ウ 老博士
  d そうじゃ、拙者が存じておる(  )         エ 女の子
  e そうですわよ、わたくしが存じておりますわ(  )  オ 田舎者
  f そうあるよ、わたしが知ってるあるよ(  )     カ 男の子
  g そうだよ、ぼくが知ってるのさ(  )        キ お嬢様
  h んだ、おら知ってるだ(  )            ク 関西人

 このテストは何点を採れるかではなく、全員が正解するという予測のうえで、役割語をみごとに説明している。ただ、純粋関西人の私としては「そや、わてが知っとるでえ」なんて言葉づかいをしたことがないのに、と不満もある。しかし、さすが金水先生はそれもお見通しだ。「特定のキャラクター」を思い浮かべる言葉づかいなのに、実はそんな「特徴ある言葉づかい」をする人のいないのが役割語の特徴だという。現実に聞いたことがないのに、特定のキャラクターを思い浮かべると言うのだから不思議な話だ。
 たしかに役割語を聞けば、その話し手の性別や年齢を推測することなどは朝飯前で、ときには職業や教養の程度までも推測でき、さらにはその話し手のたたずまいや立ち居振る舞いまでもが浮かぶことがある。「あちきは籠のなかの鳥でありんすから」と聞けば、即座に中谷美紀が思い浮かぶのだから(判る人だけ判ってください)。

 金水先生は、役割語の重要な指標として、一人称代名詞を挙げられる。先の選択肢から一人称だけを抜き出して「a あたし」「b わし」「c わて」「d 拙者」「e わたくし」「f わたし」「g ぼく」「h おら」にテストを作り変えても、正答率は下がらないだろう。
 それにしても、日本語の一人称の豊富さには驚かされる。これ以外の一人称を考えても「おいら」「おれ」「あっし」「あたくし」「それがし」「てまえ」「わらわ」などキリがない。

 高津宮を舞台にした落語『崇徳院』の一人称をみてみよう。若旦那が恋煩いで寝込んでしまい、それを心配した親旦那が、出入りの熊五郎に相手の娘を探させる。探す手がかりは崇徳院(崇徳天皇)の「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」の歌しかない。そこで熊五郎は「瀬をはやみ」と叫びながら町中を探し廻るという噺だ。この三人の台詞をみると、親旦那は「わしが尋ねても言わん」というように「わし」、若旦那は「わたいがこんなこといぅたら笑うやろ」と「わたい」、熊五郎は「わてこれからお寺へ行て来まっさかい」と「わて」、噺家さんが演じ別けやすい一人称が選ばれている。

 落語の場合、基本的に会話で話を進めるのだから、このような「役割語」がなければ成り立たない芸といえる。そのため、一人称などはかなり意識的に工夫されている。となれば、噺家さんにとって『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』は必読書だ。上方落語協会で一括購入して、全員に配布してもいいくらいだ。
 こんな豊かな役割語を持つ言語は世界中探しても日本だけにちがいない。とくに一人称の豊富さに感心していると、金水先生から『吾輩は猫である』の英訳が面白いと教えていただいた。さっそく書店で探すと講談社英語文庫にあった。その書名は、なんと『I am a CAT』。なるほど英語の語彙では、「吾輩」も「私」「僕」「俺」も「わちき」も、みんな「I」なのだ。しかし、この書名では読む気もおこらないと思うのだが。泉下の漱石先生も「苦沙弥(くしゃみ)」していることだろう(判る人だけ判ってください)。
 そこで、私得意の例のネット翻訳で(本コラム「参 英語落語も面白い」参照)、試しに「拙者」を検索してみた。Excite翻訳では正しく"I"と訳されたが、Yahoo翻訳では"Poor person"だというから笑った。お武家様はみんな貧乏だったらしい。もっとひどいのはGoogle翻訳で、"Sessha"と出た。思わず「わて、怒るでえ」とパソコンに突っ込みをいれてしまった。

 話を戻す。ラジオやCDの音声だけで、登場人物を聞き別けられるのは、役割語のお蔭が大きいことは間違いない。だがしかし、ここからが大切なのだが、それならラジオやCDで充分、寄席に足を運ぶ必要はないと思われたらそれは困る。この連載の目的は、寄席に、特に繁昌亭に足を運んでいただき、ライブ落語の楽しさを伝えることにあるのだから。
 一度、寄席を覗いてみてください。そうすれば役割語だけではなく、噺家さんの独特の間や、寄席の空気が身体に浸み込みます。落語は頭で聞くものではなく、身体で聞くのです。場内に巻き起こる笑いの渦に身を委ねながら楽しむのがあなたの役割なのです。


《締めの謎掛け》
「崇徳院」とかけて「熊五郎の娘さがし」と解く。その心は・・・、どちらも「オンリョウ(怨霊・音量)」に気を遣います。チャン、チャン。(判る人だけ判ってください)

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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