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拾壱 変幻自在の尿瓶(上)

2015.07.08更新

笑いのスタンス

 落語の笑いは上下左右に幅広く奥深い。喜六がしでかす「そんなアホな」という失敗に優越感をくすぐられたり、清八がやらかす「さもありなん」というウッカリミスに共感したり、さまざまなスタンスの笑いが準備されている。
 そして、そのうちのギャグ一つを聞いても、客の関心の在り処や、知識の多寡によって、笑いのスタンスは異なる。そのために、優れた落語には誰もが様々に笑えるように「重層的な笑い」が仕込まれている、このことについては、「伍 落語のなかの史実を詮索」に書いた。

 天満天神繁昌亭では、爆笑が巻き起こる空間のなかで、何が面白いのか判らないままに「ここは笑っておかねば」と見栄で笑っているお客さんもいる。心理学のジェームズ・ランゲ説によれば、私たちは「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」そうだから、この見栄客も「面白いから笑うのではなく、笑うから面白い」効果で、結局は面白くなるのだろう。

 ところで今回は、そのような聞き手側の条件ではなく、時代の変化により、共有する文化が異なることで、「そんなアホな」と「さもありなん」の座標軸が揺れ動くことを紹介しようとしている。テキストには『尿瓶の花活け』(江戸落語では『しびん』)を使用する。まずは、その梗概から。

 大坂・長町(浪速区日本橋)の古道具屋を訪れた鳥取藩士が、店内の尿瓶に目をとめて「珍しい花活けだ」と値を聞く。店主は「これは尿瓶で」と弁明しようとするが、武士は「しびん」を作者の名だと早とちりして買い求める。屋敷に帰った武士が花を活けて飾っていると、来客から本当のことを教えられ、怒った武士は・・・、という噺だ。
 「しびん」は国元への土産だというが、この武士は大坂に20日も逗留するというのだから、観光旅行ではなく蔵屋敷への出張中の武士なのだろう。当時の鳥取藩蔵屋敷は、現在の中之島のダイビル本館から関西電力本店あたりにあった。


 さて、武士が尿瓶を花活けだと思い込んだのは、「そんなアホな」か「さもありなん」か、が今回のテーマだ。これが意外に難しい。
 現代人なら、ガラス製(あるいはプラスチック製)の横長楕円型に取っ手のついた尿瓶と、それによく似たガラス製花活けを思い浮かべて、「さもありなん」と笑える。もし、ガラスの尿瓶に対して、円筒形の陶磁器の花瓶が思い浮かべば、「そんなアホな」になる。

 だがしかし、江戸時代人がガラス製の尿瓶をイメージすることはない。では、当時の落語ファンは、どのような尿瓶を思い浮かべて笑ったのだろうか。花活けについては、現代の一般的な陶磁器の原型は江戸時代に成立しているから、現代と知識のズレはあまりない。問題は尿瓶だ。
 江戸時代の尿瓶がどのような形状をしていたかを知らないと、鳥取藩士の勘違いを共有できず、当時の寄席の笑いに共振できない。江戸時代の尿瓶の形状など、世間的にはどうでもいいことかもしれないが、歴史学徒の末席にいる私としては捨ておけない大問題なのだ。C-bin or not C-bin, that is the question. という訳で、以下では、しばらく尿瓶談義が続きます。御用とお急ぎでない方は、ゆっくりとお付き合いください。


忘れられた尿瓶

 江戸時代の尿瓶については、江浦洋さんの「近世溲瓶小考」(『大阪文化財研究』35)や、小田木富慈美さんの、その名もズバリ「尿瓶の花生」(大阪市文化財情報『葦火』155号)という考古学の論考がある。どんな分野にも奇特な研究者がいるものだ。

 江浦さんによれば、江戸時代の地層から発掘された尿瓶は、その形態によりA類、B類、C類に分類できるという(写真参照)。A類は、縦型の瓶形で、その頭に宝珠形の取っ手がある。C類は、平瓶形で、その上部にブリッジ状の取っ手がある。B類はA類とC類の中間、C類の平瓶形の胴に、A類と同じ宝珠形の取っ手がある。

左から/A類尿瓶(大坂城跡出土)、B類尿瓶(茶屋町遺跡出土)、C類尿瓶(中之島蔵屋敷跡出土)



 小田木さんのご教示によれば、A類は大坂では16世紀末~17世紀初頭だけに見られ、B・C類が一定量出土するのは、つまり一般に尿瓶が普及するのは、18世紀後半以降になるそうだ。しかも、それは介護用というよりは、屋外のトイレを避けて室内で用をたすために普及したらしい。長屋のトイレが屋外の共同トイレだったことは、「弐 初めて聴いても面白い
」でも触れたことがある。大坂は借家率が高く住民の6割以上が長屋に住んだというから、大坂は「尿瓶率」全国第一位だった可能性が高い。たしかに、極寒の夜に、いったん家を出て長屋の端っこのトイレに突っ立ってジョンジョロリンはつらい。温かい寝床で用を済ませられるならそれに越したことはない。福澤諭吉は、『学問のすゝめ』に次のように書いている。

 日本人は寝屋の内に尿瓶を置きて、これに小便を貯え、あるいは便所より出でゝ手を洗うことなく、洋人は夜中といえども起きて便所に行き、 何等事故あるも(どんなことがあっても)必ず手を洗ふ(下略)



 諭吉は日本人の不潔さを指摘するのだが、それよりも「寝床の尿瓶」が日本の伝統文化だったことに注目したい。いまからでも遅くはない、「寝床の尿瓶」を復活しよう。そうすればトイレに立ったことで目が覚めて、朝まで眠れないなんてこともない。「NPO寝床の尿瓶文化を守る会」を立ち上あげよう。

 さて、ここからが本論。私は、あの武士が古道具屋でみつけたのは、A類の尿瓶だったと考えている。落語では、彼は尿瓶を知らなかった設定だが(作者の名前だと思い込むのだから)、もし仮に知っていたとしてもそれはC類かB類だったはずだ。そのためにA類尿瓶に目がとまり、花活けだと思い込んでしまったのだ。なかなか説得力のある仮説でしょう(落語のことだから、反証可能性は限りなく低いのですが)。

 『尿瓶の花活け』は18世紀後半以降の成立なので、その時代にはA類は「忘れられた尿瓶」になっていたことがポイントだ。武士が花活けと間違ったのも無理からぬこと。江戸時代の落語ファンは、鳥取藩士の無知を笑うのではなく、自身も骨董屋で見かけたことのあるA類尿瓶を思い浮かべて、「さもありなん」と微笑んだに違いないのだ。


三十石船・矢橋船の尿瓶

 では、鳥取藩士がA類ではなく、もしC類を見ていたら、噺の展開はどのように変わったのだろうか。もちろん、C類尿瓶を知っておれば、それ以上に話は展開しない。しかし、C類を知らなかったとしたら、そのときは「花活け」ではなく、きっと「急須だ!」と思ったに違いない。C類尿瓶は、注ぎ口が太すぎることを除けば「急須」そのものだ。事実『東海道中膝栗毛』にも、尿瓶と急須の勘違いが描かれている。

 京から大坂に下る三十石船は、夜に伏見を出て早朝に八軒家に着く。その船中で弥次さんは小便がしたくなり、同乗の御隠居に尿瓶を借りることになった。弥次さんは、暗がりのなか手探りで間違って急須を取り上げて用をたす。その後、その急須で御隠居や喜多さんが燗酒を飲み(以下、プチ・スカトロ世界なので省略)という具合だ。

 暗がりのなか、急須を尿瓶だと間違えてしまったのは、弥次さんがC類の尿瓶を知っていたからに違いない。先の小田木さんによると、『膝栗毛』の成立した19世紀初頭には、尿瓶は一般に普及していたが、急須はまだ珍しかったという。しかも、遺跡からの出土状況によって、土瓶や急須は関東よりも関西で早く普及したというから、なるほど、江戸から上方に上ってきた弥次・喜多は、C類尿瓶は馴染みだが、急須は知らなかったと考えられる。この辺りも、なかなか説得力のある推測でしょう(滑稽本のことだから、反証可能性は限りなく低いのですが)。

 三十石船といえば、落語の『三十石』にも尿瓶が出てくる。お婆さんは「年寄りが舟上でシシするのは危ないから」と砂を入れた「焙烙(ほうろく)」を尿瓶代わりに持参する。焙烙は豆などを炒る素焼きの土器だが、当時は女性用の尿瓶にも流用され、「焙烙を 溲瓶に使う 女中船」という川柳もあるくらいだ。船上の焙烙といえば用途は決まっているとばかりに「焙烙へ たれると船頭 こらえかね」という句まである。船頭はシシする若い女性の白い臀部に目を奪われて動揺したのだ。川に落ちないでよかった。

 先の『膝栗毛』では、弥次さんが誤って用を足した急須で燗酒を飲んだが、落語『矢橋船』では、琵琶湖の矢橋港(現、草津市)から大津港へ向かう矢橋船のなかで、燗徳利を忘れたために、承知の上で未使用の尿瓶を使って酒の燗をする。これもC類であったほうが、燗がしやすい。船旅には尿瓶は必需品だったようだ。

 ちなみに草津宿から瀬田の唐橋を渡って大津宿まで歩くと3里。草津宿から1里歩いて矢橋港で船に乗ると歩く距離が大幅に短縮できるが、反面、比良おろし(局地風)によって吹き戻されるか、転覆するかの危険があった。そこから「急がば廻れ」の諺ができたという。落語の祖とされる安楽庵策伝の『醒睡笑』にも「武士(もののふ)の 矢橋の船は 早くとも 急がば廻れ 瀬田の長橋」という宗長(1448~1532)の句を紹介している。
しかし、尿意をもよおしたときは遠廻りせず、トイレに直行するがいい。「共同便所より寝床の尿瓶」だ。


<つづきます>

※A類写真は公益財団法人大阪府文化財センターの、B類・C類写真は公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所の提供を受けました。御礼申し上げます。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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