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拾参 嘘にも色々ありまして

2015.08.16更新

嘘と笑い

 落語の世界には、噺をそれらしく構成するための大きな嘘から、客をくすぐるための小さな嘘まで、無数の嘘が散りばめられている。
 心理学者などは嘘を様々に分類するが、落語ファンにとっては、すべて笑いの対象でしかない。様々な嘘を楽しむために寄席に足を運ぶのだから、騙されたと怒る客もいなければ、欺かれたと悔しがる客も見当たらない。ましてや、偽られたと訴え出る客もいるわけがないのだから(むかし、立川談志さんが居眠り客を退場させて訴えられたことがあったが、これは話が別)。

 ただ、落語の場合は、研究上の分類とは別の視点から、噺の「作者」と、演じる「落語家」と、それを楽しむ「客」との関係のなかに、3種の類型がみえてくる。

①作者が作った嘘を、落語家も嘘と認識して演じ、客も嘘だとわかって受け止める型。
②作者が作った嘘を、落語家も客の一部も嘘だと気付いていない型。
③(本コラムはこの③を言いたくて書いているのですが)作者も落語家も客も嘘だと気
づいていない型。

 このうちの①は、客席の全員が嘘と解っているのだから、うまくいけば場内の爆笑を誘えるが、②では客席のあちこちに笑いが起きても、そこには温度差があり爆笑にはなりにくい。問題は③だ。「事実ではない」という意味では嘘なのだが、だれにも「騙す意図」がないのだから嘘ではないともいえる。この場合、仮に笑いが起きたとしても、嘘に起因する笑いではない。
 以下では、①と②の具体例を挙げた後に、皆さんも気付かれていない(はずの)③の嘘でない嘘を紹介したい。


『星野屋』の明らかな嘘

 落語の嘘は、だれにも嘘だと解る明らかな嘘が多いが、なかでも落語『星野屋』は、嘘尽くしの噺だ。客席の全員が、そこに飛び交う嘘の応酬を楽しむのだが、その粗筋は以下の通り(桂文楽版)。

 星野屋の旦那は、お花を囲っていたことが女房にみつかり、50両の手切れ金で別れることになる。お花が「別れるなら自死する」といい(これは嘘)、旦那は「では心中しよう」と応え(これも嘘)、二人は身投げの名所・吾妻橋へ行く。先に旦那が飛び込むが(旦那は泳ぎが得意で死ぬ気はないから嘘)、お花はそのまま帰宅してしまう。そこに、かつて旦那にお花を紹介した重吉が現れ、「夢枕の旦那が『お花を殺す』と言った」と告げる(もちろん嘘)。怖がったお花が吾妻橋の顛末を話すと、重吉は旦那の供養のために剃髪するしかないと勧める(旦那は生きているから嘘)。お花が髪を切ると(かもじ=付け毛を切っただけで剃髪は嘘)、そこに旦那が現れてお花に「縁切り」を告げる(これは本音)。お花は「かもじを切っただけ」だと明かし、重吉は「50両は偽金だった」と告げ(これも嘘)、お花から手切れ金を取り返した後に、実は「本物だ」と覆す。お花は悔しがるが、その母親が「3枚くすねといて良かった」というのがオチ(全額返さなかったから嘘)。

 みごとな嘘のオンパレードだ。皆さんも、この嘘の応酬を聴かれたら、日ごろは嘘にまみれた自身が少しはましに思えるかも。えっ、私? もちろん、朝・昼・晩に聴いています(これも嘘)。それはともかく、落語の場合、このように明らかに嘘とわかる嘘が定番だ。そうでないと楽しめない。『星野屋』ほどの嘘の応酬は珍しいが、だれにでも嘘とわかる嘘が客席に安心の笑いを生み出す。


『百年目』の疑わしい嘘

 ところが、落語『百年目』には、客の反応が二分される嘘がある。上方落語きっての大作なので梗概は省略し、親旦那が番頭に対して、「旦那」の語釈を説く場面だけ紹介する。

 天竺(インド)に赤栴檀(しゃくせんだん)という木があり、その根元には難莚草(なんえんそう)という雑草が生える。難莚草が邪魔だからとむしり取ってしまうと、赤栴檀は枯れてしまう。難莚草は生えては枯れ、枯れては生えて、赤栴檀の肥やしになっている。また、赤栴檀から下りる露は難莚草の肥やしになる。つまり、赤栴檀が栄えると難莚草も栄える。難莚草が栄えて枯れると赤栴檀はますます栄える。この赤栴檀の「だん」と、難莚草の「なん」をとって「だんな」という言葉が出来た。

 なかなか良く出来た話だ。もちろん出鱈目の語釈なのだが、もっともらしく聞こえる嘘なので、寄席ではこのくだりになると必ず何割かの客がウンウンと感心気に頷いている。この嘘の語釈は、「栴檀」の語源であるサンスクリット語のチャンダナ(candana=栴檀那)から思い付かれた嘘に違いない(この推測が嘘だったら、御免なさい)。
 いうまでもなく、正しい旦那の語源は、サンスクリット語のダーナ(dāna=旦那・檀那)で、仏教用語の「布施」や「施し恵む」意味を踏まえたものだ。そこから奉公人が雇用主を「旦那」と呼ぶように、「生活の面倒を居てくれる人」を指すようになった。だから、妻が夫を「旦那」と呼称するのは抵抗があるんダーナ。

 この親旦那の語釈を聴きながら、「へえー、旦那って、そういう意味だったんだ」と素直に感心する客もおれば、「なるほど、落語ってうまい嘘理屈をひねり出すもんだ」という客もいて、客席の反応は二分される。

 これに加えて、この語釈を踏まえた親旦那の教えにも反応は分かれる。「さずが親旦さんや、ええこと言いはる」という反応と、私のようにひねくれて「赤栴檀=主家が栄え続けるために、難莚草=奉公人は次々に滅んでいくというのは、あまりにも封建的すぎる」という反発だ。面白いのは、ひねくれものの私だって、桂米朝さんの『百年目』を聴いていたときは、前者の反応だったのだ。ところが、別の落語家さんで聴いたときに、後者の反発を覚えたのだ。米朝さんの場合は、この親旦那はそんな身勝手な人じゃないと思えるから不思議、芸の力とはそういうものなのだろう。では、誰の『百年目』を聴いたときに反発を感じたのかって? それはね・・・、そんなこと言えますかいな。


『狸賽』の嘘でない嘘 

 最後に、演じる落語家も嘘に気付かず、客席のほぼ全員も騙される噺として『狸賽』を採りあげる。繁昌亭でもよくかけられる、一般にもよく知られたネタだが、まずは粗筋を。

 ある夜、博打打ちの男のもとに、昼間に助けた子狸が恩返しに訪ねて来る。男は、狸をサイコロに化けさせて「ちょぼいち」博打に出かける。子狸は男に指示される通りの数字を出し、男は勝ち続ける。賭場の一同は不審に思い、男に「数字を口にするな」と釘を刺す。「5」と指示したい男は「5」といえない。しかたなく「真ん中に一つポ~ンとあって、ぐるりにポンポンポンポンと、梅鉢の紋みたいな、そう天神さんの紋、天神さんや」と指示したのだが、子狸には通じなかった。「ツボを開けると、狸が冠かぶって笏もって天神さんの恰好で立っていました」となる。

 男は「梅鉢→天神」と指示することで「5」を意味すると考えたのだが、さて、ここに隠されている嘘にお気づきになっただろうか。たしかに、各地の天満宮は梅鉢紋を神紋にしているから「梅鉢→天神」の連想に嘘はない。しかし、そこから「5」をイメージすることは正しいのか? 梅鉢紋の基本形は図1だ。梅の五弁の中心に雌蕊を配しているから、賽の目としては「6」になる。

 落語家によっては、この男の指示を「加賀様の紋だ、梅鉢だ、梅鉢は天神様」ということもあるが、加賀・前田家の家紋は図2の「加賀梅鉢」だから、図1に雄蕊が加わって、より「5」から遠ざかる。では、雌蕊も雄蕊も除けば図3のように「5」にはなるが、これは五つ紋といい、梅鉢紋ではない。それに賽の目とは並びが違う。賽の「5」は図4の通りだ。
男の指示を受けた子狸は、瞬時にこの嘘に気付いたから、「天神」に化けるしかなかった。それなのに、私たちは子狸の浅はかさだと笑うのだ。どちらが浅はかなのか。

 ここで念のために、この噺の原話である『軽口太平楽』のなかの小咄「たぬきの同類」を確認しておこう。狸が賽に化けて男の指示通りの目を出すというモチーフは『狸賽』に踏襲されているが、男と狸の関係も、オチも異なっている。

 狸が住み着いた貸家に男が越してくる。狸は様々に化けて脅かすが男は驚かない。反対に、男の頼みを聞いて賽に化けることになり、賭場では男の指示通りに目を出す。男が「5」を出させるために「梅の花」と指示すると、狸は「鶯一羽」に化けていた。

 なるほど、原話では「梅鉢→天神」ではなく「梅の花→鶯」の連想だったのだ。梅の花なら五弁の連想から図1ではなく図3を思い浮かべれば、梅鉢よりは「5」に近い(それでも賽の並びではないけれど)。ただ、オチが鶯というのは如何なものか。「ツボを開けると、狸が鶯の姿で囀っておりました」では、もぅ一つ面白くない。それはともかく、梅の花を梅鉢に変えたことで、「5」は錯覚でしかなくなり、嘘でない嘘が生れたのだった。

 冒頭の①②③の類型に話を戻す。これは落語における3類型なのだが、私たちの日常にもこの3類型の嘘が漂っていることに気づく。いつも思うのだが、落語は人生の縮図だ。お笑いの中に深さを感じるのはそのせいなのだろう。
 大切なのは、落語における嘘は、人生のそれとは違って、騙されるがままに流されるほうが面白いということだ。『狸賽』を聴くときも、本コラムのように梅鉢のデザインに拘泥するのではなく、ゆったりと騙されたほうがいい。それでこそ子狸も天神に化けた甲斐があるというものだ。


《締めの謎掛け》
「梅に鶯」とかけて、「梅鉢に5」と解く。その心は・・・、どちらも「ウソ(鷽・嘘)っぽい。」チャン、チャン。

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高島幸次たかしま・こうじ

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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