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拾伍 金・銀・銭はややこしい

2015.11.28更新

三貨の基本

 ざっくり言うと、「古典落語」とは江戸後期から明治期にかけての(一説には戦前までの)新作落語をいう。そのため、古く懐かしい生活空間に、私たちには馴染みの薄い言葉が飛び交い、失われた習慣によって物語が成り立っている。それでも、うまく作られた噺は少々解らない言葉や習慣があっても、そこは気にせず楽しめばいい。それでも十分に楽しめる噺が古典として今に伝わっているのだから。

 例えば、江戸時代の通貨は、金・銀・銭の三貨が、それぞれに異なった単位によって併行流通していたのだから、実に解りにくい。しかし、落語の場合は噺家さんがそのあたりを上手にフォローしてくれる(はずだ)から、通貨の多寡はなんとなく理解した気になって、噺を楽しめばいいのだ。

 だがしかし、そうはいっても三貨についての基礎知識があったほうが、もっと深く楽しめると思いませんか(このあたりの誘導尋問は、蘊蓄を語りたい研究者のサガだと見逃してください。後半でちゃんと落語の話になりますので)。そこで、高校の教科書みたいで申し訳ないのですが、少しだけ三貨の基本を聞いてくださいな。まずは三貨の単位から。

 「金」の単位は「両・分・朱」だ。4進法で、1両=4分=16朱となる。時代劇で越後屋が悪代官へ渡す賄賂の「包金」は通常25両だ(稀に50両)。金が4進法だと知っていると納得しやすい。
 「銀」の単位は「貫・匁・分」だ。1貫=1000匁、1匁=10分というように十進法と千進法が混在する。注意が必要なのは、匁の1の位が0の場合は、「匁」ではなく「目」になること。つまり9匁・10目・11匁という具合だ。文楽の床本に「二百匁などは誰ぞ落としそうなものじゃ」(『女殺油地獄』)と「匁」と書いてあっても、太夫さんは、ちゃんと「200め」と語りはる。さすが口承芸能だ。
 「銭」の単位は「文」で、銭1000文=1貫文、銀でも銭でも「貫」は千の意味になる。穴空きの銭1000枚を紐で貫いたことに由来する。面白いのは、銭を紐に通して綴じた「緡銭(びんせん)」では、96枚で100文に通用したことだ。この「九六銭」の考え方は、中国から伝わった習慣らしいが、私も近所のうどん屋で5円玉96枚の「緡銭」を出して「500円です」と言ったことがある。まるで詐欺師のように扱われたが、あんな教養のない無礼な店には二度と行かない。

 次に金・銀・銭の交換比率だが、これが厄介なことに時代によって変動する。例えば1700年の公定相場では《金1両=銀60匁=銭4000文》だったのが、古典落語に描かれる江戸後期の1842年では《金1両=銀60匁=銭6500文》となる。銭の比率が大きく動いている。
 江戸の「金遣い」、上方の「銀遣い」というように、江戸では主に金、京・大坂では主に銀が遣われたが、地域限定通貨ではないので、三貨は併行流通していた。その時々の交換比率が変動するのを踏まえて「両・分・朱」「貫・匁・分」「貫・文」を両替するのは至難の業だ。計算の苦手な私は、江戸時代にタイムスリップしても、両替商にはならないことに決めている。


落語にみる金・銀・銭

 さて、ここから落語に出てくる三貨の話。
 落語『風の神送り』は、病気や災害をもたらす悪神を追い祓う「神送り」の習慣がモチーフの噺だ。若いもんが「神送り」の寄付を求めて町内を廻る。①最初に訪ねた黒田屋では「些少ながら」と「天保3枚」を寄付してくれた。②その隣家では黒田屋が5枚と聞いて、「天保3枚」を出してくれた。他家とのバランスを気にするのは今も昔も変わらない。③次のタケノコ医者は「波銭3枚」だった。ヤブ医者にもなれないタケノコ医者だから「波銭3枚」の高が知れる。④次はお手掛けはんの家。江戸の「お目掛け(お妾)」は、大坂では「お手掛け」だ。彼女は「金一分」を出してくれた。⑤最後の、ケチで有名な十一屋では「べた二文」しか出さない。

 ①と②の「天保」とは「天保銭」「天保通宝」のこと。裏に「当百」と刻されるように額面は100文だが、実際は銭80文にしか通用しなかった。黒田屋は5枚だったから銭400文になる。③「波銭」は、裏に波形文様のある4文銭をいう。それが3枚だから銭12文だ。黒田屋の3%にすぎない。タケノコ医者らしい低額だ。黒田屋の「些少ながら」は謙遜の台詞だったのだ。④のお手掛けはんは、元芸妓で身請けの披露に千両もかかったというほどの美人だから、旦那はんも大金持ちにちがいない。「金一分」は4分の1両、換算すれば銭1625文になる。タケノコ医者の100倍以上だ。さすが、お手掛けはんは、たんまりお手当をもらってはったんや。⑤十一屋の「べた」とは、表面の文字が磨滅し、受け取りを拒否されかねない「鐚銭(びたせん)」をいう。「べた2枚」しか出さなかった十一屋はケチの極みだ。このように「天保」「波銭」「金」「べた」の使い分けで、登場人物の個性や経済力を匂わせるのだから、落語はくせものだ。


現代なら何円にあたる?

 このあたりで皆さんは、①~⑤の多寡はもういいから、それぞれ現代の何円にあたるかを知りたい、と思っているでしょう?(この誘導尋問は、研究者のサガではなく、皆さんへの親切心からですからね)。実は、私が担当している古文書講座でも、よく聞かれる質問なのですが、実に難しいのです。
 まずは、江戸時代の米1石(150㎏)を金1両として、現代の円に換算する。現代の米価は1㎏200円くらいの激安米から、1000円以上の高級なものまであるようだから、1㎏200円なら金1両は3万円、1000円なら15万円になり、あまりにも差がありすぎる。お手掛けはんの「金1分」で計算しても、7500円から3万7500円の幅が出てしまう。

 では品を変え、うどんの価格で計算してみよう。落語『時うどん』(江戸の『時そば』)では、1杯が銭16文だ。うちの近所のうどん屋、そう、あの教養のない、私が二度と行かないうどん屋では、素うどん(江戸では、かけうどん)が300円だから、金1両=銭6500文=12万1875円になる。

 次は落語『高津の富』の富くじの場合。ある男が大坂で宿をとるが、大金持ちだと嘘をついたために、宿主から一等「千両」の富くじを買うように頼まれ、なけなしの「額」で買う。「額」とは、「一分銀」のこと、長方形の周りに額のような縁取りがあることによる異称だ。
 昨今に販売されているジャンボ宝くじは1枚300円だから、銀1分=300円で換算すると、1両=18万円になる。つぎに一等賞金の千両で計算してみよう。昨年の「年末ジャンボ宝くじ」の一等は5憶円だったので、千両=5憶円で換算すると、1両=50万円になる。つまり、何の物価を基準に計算するかで、大きな差が生じるということだ。どの物価を基準にしても、江戸時代と現代における重要度が同じではないのだから、普遍的な換算は不可能なのだ。

 ここで、時代小説に寄り道してみよう。高田郁さんの『銀二貫』は、大坂の寒天問屋の主人・和助が、焼失した大阪天満宮の再建のために都合した銀2貫(=2000匁)が書名になっている。高田さんは『みをつくし料理帖(夏天の虹)』の末尾に、「銭1文=30円」という御自身の心積りを明記されている。当然、小説『銀二貫』の金銭感覚にも通じるはずなので、先に挙げた幕末の公定相場で計算すると、金1両=19万5000円となり、富くじでの換算に近い。ちなみに、銀二貫は650万円になるから、和助はなかなかの篤信者だったのだろう。

 このような三貨に加えて、日常の生活では長さ・容積・重さなどの度量衡も加わるから、それはもう大変。落語『井戸の茶碗』では、逼塞した浪人から紙くずを買い取る屑屋が「七匁ちょっとございますんで(中略)、八文で買わしていただきます」という。これを銀7匁と銭8文と聞いてしまっては訳が解らない。この匁は、実は銀の単位ではなく重さの単位なのだ。しかも、重さの匁は160匁=1斤という、160進法というからややこしい。長さの尺だって、6尺で1間だし、面積の坪も30坪で1畝になる。すなおに十進法で計算できるのは、容積の「石・斗・升・合・勺」くらいだ。

 それでも、いまだに古典落語が楽しまれているのは、ひとえに噺家さんの腕のお蔭だ(と言っておこう)。『風の神送り』で、お手掛けはんから寄付を受けたときの「一分もくれはった」の嬉しそうな台詞で、それが高額であることは理解できるのだ。『井戸の茶碗』の台詞なら「七匁ちょっとの重さがございますんで」というように、さりげなく補足の一言を添えてくれるのだ。
 ということは、うまい噺家さんで聴くのなら、本コラムに述べた貨幣についての基礎知識などはなくても、十分に楽しめるということだ。ただ、「べた」な、いや「へた」な噺家さんに出会ってしまったときは、「鐚銭」の知識などは少しは役立つかもしれない。


《締めの謎掛け》
「万引き」とかけて、「天保銭を盗まれた」と解く。その心は・・・、「ツウホウ(通報、通宝)が大事です。」 チャン、チャン。

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高島幸次たかしま・こうじ

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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