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拾陸 落語家の呼び名と武家の諱(いみな)

2016.01.08更新

落語家の亭号

 落語家の芸名には、上方の「笑福亭」「桂」「林家」や、東京の「三笑亭」「三遊亭」「古今亭」のような亭号がつく。私たちの姓に該当するように思うが、亭号は所属の一門を表すものであって呼称にはなりにくい。桂米朝一門会の楽屋で「桂さーん」と呼びかけたら、全員が一斉に振り向き、チョット怖かったという話しを聞いたことがある。
 落語家への呼びかけとしては、例えば桂春團治(以下、敬称略)なら、一般には「春團治師匠」か、たんに「師匠」だが、代数で呼ぶこともある。春團治なら「三代目」、笑福亭松鶴なら「六代目」という具合だ。
 この代数による尊称は、東京で桂文楽を「黒門町」、古今亭志ん生を「日暮里」と呼ぶ所名に通じる。大師匠に対して所名や代数で呼ぶのは、落語界に限ったことではない。我が国では言葉には霊力が宿ると信じる言霊信仰があるため、相手をその名で呼びかけることは避けなければいけなかったのだ。所名や代数による呼びかけはその名残りだといえる。

 歴史的人物の所名としては、源頼朝の「鎌倉殿」や平清盛の「六波羅殿」などがある。豊臣秀吉の側室となった茶々の呼称「淀の方」も、一時期、淀城(京都市伏見区)に住まいしたことによる所名だ。平安時代には、藤原氏のうち平安京の九条に住んだ「九条家」、三条に住んだ「三条家」のように、所名が苗字(名字)になった例もある。
 代数名の例としては、歌舞伎の「九代目」や「六代目」が有名だ。歌舞伎の各家には代々の名が継がれているはずなのに、「九代目」といえば市川団十郎を、「六代目」といえば尾上菊五郎を指す。なんだかプロ野球の永久欠番のような、「背番号3」といえば長嶋茂雄だというような感じだ。

 代数による呼称といえば(少し横道に逸れますが)、先日ある落語会の打上げで文楽の吉田玉男ご夫妻と御一緒になったとき、その席で奥さまが玉男師匠のことを「二代目が・・・」とお話しされていた。それがカッコよくオシャレだったので、さっそく妻にそのことを話した。すると、気働きのする妻はその日から私のことを「初代」と呼んでくれている。それ以来、私もサインを求められたら「初代 高島幸次」と書くのだが、なぜか評判はよくない。


『荒大名の茶の湯』

 落語には、意外に歴史上の人物は登場しないものだが、『荒大名の茶の湯』には珍しく戦国武将が目白押しに登場する。豊臣秀吉の子飼いだった七名の猛将が、家康の家臣・本多正信からお茶席に招かれる噺だ。七猛将とは、加藤清正・福島正則・池田輝政・浅野幸長・黒田長政・加藤嘉明・細川忠興をいう。この七名がハチャメチャなお茶の作法を繰り広げるのだがその様子はさておき、彼らが互いになんと呼び合うのかに注意したい。

 例えば、福島正則が「おいッ、細川」と言えば、細川忠興は「何じゃ、福島」と答える。忠興が「おい、清正」といえば、加藤清正は「何じゃ、細川」と答える。一方、七猛将が正信に呼びかけるときは「佐渡」という。この「細川」「福島」は苗字(名字)で、「清正」は諱(いみな=忌み名)だ。「佐渡」は、正信の官職「佐渡守」のこと。
 当時の武士は、本姓と苗字、通称、諱、号などのほかに、官位(官職と位階)を持っているから厄介だ。細川忠興を例にみると、「細川」は苗字、「忠興」は諱で、通称は「与一郎」。細川家は足利氏の支流だから氏(本姓)は「源氏」で、姓(かばね)は「朝臣」だ。正式に苗字・通称・氏・姓・諱を名乗るなら、「細川与一郎源朝臣忠興」となる。これに官位(官職と位階)の「従五位下・越中守」を加えるのだからヤヤコシイ。

 そういえば(また少し横道に逸れますが)、NHKテレビの人形劇『ひょっこりひょうたん島』では、大統領のドン・ガバチョは、いざというときには威厳を持って「摂政関白太政大臣藤原朝臣ドン・ガバチョ・ゴム長」と名乗るのが常だった。「摂政」「関白」「太政大臣」は官職、「藤原」は氏、「朝臣」は姓(かばね)だが、「ドン」は「ドン・キホーテ」と同じく「卿」のような尊称だから、ここの名乗りには不似合いだけれど。「ガバチョ」は通称で、「ゴム長」は諱(いみな)だ。
 大切なのは、この劇中では決してガバチョのことを、諱の「ゴム長」では呼ばなかったことだ。官職や通称とは異なり、諱には特に精霊が強く宿るから、よほどのことがなければ他人が諱を口にすることはないのだ。さすが、井上ひさし原作だけのことはある。人形劇だからと馬鹿にしてはいけない。それなのに同局の大河ドラマでは「清盛殿」と諱で呼びかけて、視聴者から批判が寄せられたらしい(私は大河ドラマを見ない主義だから又聞きだけど)。

 先の『荒大名の茶の湯』の会話でいうと、「おいッ、細川」「何じゃ、福島」「おい、清正」「何じゃ、細川」は、あり得ない会話ということになる。ただ、七猛将が本多佐渡守正信に「佐渡」と呼びかけるのはありだ。だが、「おいッ、細川」はおかしい。正すなら、「おいッ、与一郎」か、「おいッ、越中」か、「おいッ、丹後少将」だろうか。しかし、これでは落語も理解しにくいか。なるほど、大河ドラマで「清盛殿」のような諱呼びをするのは、テレビドラマの宿命なのかもしれない。


落語家の通字

 落語家の呼び名に話を戻す。亭号に続く松鶴、米朝、春團治、文枝などの名は諱ではなく、芸名でしかない。だから「松鶴師匠」と呼んでも失礼には当たらない。
 ところが、一般には未だに諱を避ける感覚が残っているらしい。私たちは、日常的に「高島さん」というように姓で呼び合うが、名で呼ばれることはあまりない。ましてや、美しい女性から「幸次さん」と呼ばれると、それだけでドギマギしてしまう。このドギマギは、決して私の助兵衛根性に根差すのではなく、歴史的な意識の名残りだったのだ(ウン、きっとそうに違いない)。

 歴史的な諱には、「偏諱(へんき)」という習慣があった。偏諱とは、上位者が自身の諱の一字を下位者に与えることをいい、その一字は通字という。
 具体例としては、室町将軍家となる足利氏は、代々「氏」を通字としていたが、尊氏が初代将軍になって以降は、2代義詮-3代義満-4代義持-5義量-6代義宣(義教)-7代義勝-8代義成(義政)-9代義尚-10代義尹(義稙)-11代義澄(義高)-12代義晴-13代義輝(義藤)-14代義栄-15代義昭、というように「義」を通字とした。「義」は、「頼」「朝」とともに清和源氏嫡流の通字だからである。
 ちなみに、尊氏はもとは「高氏」と書いたが、後醍醐天皇の諱「尊治」から「尊」の一字を賜って改名したのは有名な話だ。この場合、「尊」も「氏」も偏諱なのだが、さすがに尊氏が「尊」を子孫に与えることはなかった。

 すでにお気づきのように、落語家の芸名も偏諱が行われている。師匠は弟子に自身の名の一文字を与えることが多いのだ。しかし、足利氏と違って、落語家の通字は、弟子から孫弟子・曾孫弟子へと代々に受け継がれていくのではなく、直弟子止まりが多いようだ。例えば、桂春團治の場合、福團治、春之輔などのように「春」と「團治」が通字として受け継がれているが(福團治は、春團治の前名でもある)、福団治の弟子は「福」を、春之輔の弟子は「輔」を通字にするという具合だ。そのことは、笑福亭松鶴-鶴瓶-笑瓶-笑助の流れを見れば解りやすい。そのため、名前を見ただけで誰の弟子か見当が付くのだが、襲名や改名が行われると判りにくくなる。たとえば、桂三枝の弟子は全員に「三」が付いていたが、三枝が六代文枝を襲名してからは、その前名が「三枝」だと知らなければ師弟関係は推測しにくい(文枝襲名後の弟子には「文」が付けられているが)。

 落語家の偏諱は直弟子止まりが原則だとすれば、例えば江戸後期の桂文治の「文」が未だに続いているのはなぜか? それは落語家には襲名があるからだ。歴代の将軍が、初代の諱を襲名することはない。しかし、落語界では適宜に襲名を繰り返すことによって通字を守って来たのだ。何としたたかな文化なんだろう。

 最後に、現代社会における「社長」とか「先生」とかの呼びかけについても触れておかねばならない。社員が社長に向かって「佐藤さん」や「誠さん」と呼ぶのは失礼で、「社長」ならいいというのは、実は諱を避ける文化の延長線上にある。そういえば、むかしみていたアメリカのホームドラマで、学校の生徒が先生に「ジェフ」と呼びかけていたのには驚いた。我が国ではありえない。私だって、学生から「高島さん」と呼ばれると落ち着かない。私自身「高島先生」や「先生」と呼ばれることに慣れ切ってしまったからでもあるが、その裏では諱を避ける文化を引きずっているのである。

 そういえば、思い出した。むかし研究室を訪ねてきた学生が、私に「店長!」と呼びかけたことがある。さすがに私が指摘する前に、慌てて「先生!」と呼び直した。私は「君、アルバイトのしすぎかな」と笑っただけで叱りはしなかった。もしこのとき「店長!」ではなく、「○○先生!」と私の大嫌いなアイツの名と間違って呼ばれたなら、その時は絶対に許さなかっただろう。しかし「店長」と「先生」なら、諱を避ける文化を踏まえたうえでの些細な間違いだから許してあげた。


《締めの謎掛け》
「襲名を控えた落語家」とかけて、「残業続きの会社員」と解く。その心は...、「どちらもヒロウ(披露、疲労)が気にかかります。 チャン、チャン。

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高島幸次たかしま・こうじ

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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