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拾捌 落語の死生観(上)

2016.05.17更新

「四苦八苦」の落語

 落語には「四苦八苦」をモチーフにしたものが多い。仏教のお説教の流れを組む落語が、仏教の教え「四苦八苦」を採り込んでいるのは当然だ、と言えなくもないが、本当のところは、他人が「四苦八苦」するのを面白がる人が多いからなのだろう。
 四苦八苦のうち「四苦」が「生老病死」を指すことは周知だが、「八苦」については意外に知られていない。八苦とは「生老病死」の四苦に、「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」の四苦を足したものをいう。決して、4苦+8苦=12苦でもなければ、4苦×8苦=32苦でもない。ましてや、4×9+8×9=108の結果「百八の煩悩」だというのは落語的強弁でしかない。
 ちなみに、「愛別離苦」は愛する人との別れ、「怨憎会苦」は憎らしい人に会うこと、「求不得苦」は求めるが得られないこと、「五蘊盛苦」は心身を自在に制御できないことをいう。

 さて、ここがキモなのだが、「四苦八苦」の「苦」はその字面通りの「苦しいこと」というよりは、むしろ「思い通りならないこと」の意味に近い。だからこそ、落語のモチーフになりやすいのだ。他人の「苦しいこと」は笑いにくいが、「思い通りならないこと」は様々な笑いのバージョンに加工されて、落語のネタになっている。「他人の不幸は蜜の味」に通じるのかもしれない。


落語『死神』と寿命の制御

 「思い通りにならないこと」の代表格は「死」、言い換えれば「寿命」だろう。落語『死神』も、自身の寿命を制御しようとした男の噺だ。

 ある貧しい男が死神から、「死神の姿が見える」ようになる呪文をかけられ、「枕元に死神が座っている病人は死ぬが、足元に座っていると助かる」と教えられる。男は医者になって富裕になるが、やがて患者の枕元に死神が座っていることが多くなり、もとの貧乏に戻ってしまう。

 そんなとき、金持ちを診察した男は、枕元の死神が居眠りしている間に、布団を回転させ足元に死神がいるようにして、多額の謝礼をもらう。その帰り、死神は男を洞窟に案内する。そこには、人間の寿命を示す大量の蝋燭が揺らめいている。男は今にも消えそうな自分の蝋燭をみつけ、他の蝋燭を継ぎ足そうとするが・・・。


 この噺は、明治期の三遊亭圓朝(1839~1900)がヨーロッパの説話を翻案したものだが、思い通りにならない寿命を思い通りにしたい欲望は、洋の東西を問わないようだ。この噺を聞きながらいつも思うのだが、私たちは何歳になったら、この男のように悪あがきしないで、自身の蝋燭が消えるのを静かに見守ることができるのだろう。
 日ごろから「長生きはしたくない」といっている私も、消えそうになっている自身の蝋燭を観れば、悪あがきするのだろうか。近々に洞窟に行く機会があったら、ご報告しますね。

 『死神』のオチは、男の手が震えてうまく蝋燭を継ぎ足せなかったり、自身のくしゃみで消してしまったり、死神に吹き消されたりと、演者によって様々にアレンジされているが、おしなべて男の蝋燭は消えてしまう(死んでしまう)。まれに、うまく継ぎ足せて生き延びるオチもあるが、これは後味が良くない。人間が寿命をコントロールすべきではないという通念に逆らっているからだろうか。
 寿命が思い通りにならないのは、あの兼好法師(1283?~1352?)も例外ではなかった。『徒然草』には「命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」とある。「長く生きると恥をかくことが多いから40歳までに死んだほうが見苦しくない」というのだが、実はこれを書いたときの兼好はすでに50歳近くで、そのあと古稀まで生きている。兼好はどれだけ恥をかきまくったのだろう。


落語『裏向丁稚』と「人間五十年」

 むかしは「人生50年」といったものだ。1941年発表の童謡『船頭さん』にも、「村の渡しの船頭さんは、今年60のお爺さん」の歌詞がある。60歳にもなれば、もう「お爺さん」だったのだ。
 落語『裏向丁稚』(江戸では『按摩小僧』)にも「人間わずか50年」というセリフがある。十一屋の隠居が64歳で亡くなったと聞いた74歳の老人が「えらい若死にじゃ」というと、別の男が「人間わずか50年。50であんたよろしぃのに、それに64やったら至当でやんがな。あんた74やったら、だいたい生き過ぎてはんねや、いつ死なはんねん?」と応えるのだ。

 いうまでもなく、この「人間わずか五十年」は、幸若舞『敦盛』の「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」による。織田信長が本能寺の最期に舞ったと伝えられる有名な詞章だ。焼け落ちる本能寺で舞う信長を誰が見たんや、と突っ込みたくなるが、信長の伝記『信長公記』の本能寺の場面をみても『敦盛』に触れるところはない。ただ、桶狭間の場面では、若き日の信長が出陣の朝に「敦盛の舞を遊ばし候」とあるので、そこから類推したシーンなのかもしれない。
 そして、この「人間五十年」を寿命だとする誤りを解いておきたい。仏教では人間の輪廻する世界を「天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界」の六道からなると説き、天上界は「無色界・色界・六欲界」からなり、六欲界はさらに六層に別れるという。
 この六欲界のうちの一層が「化天」で(『信長公記』では「下天」)、その一昼夜はとてつもなく長いという。だから人間界の50年なんて、化天(下天)の世界に比べたらほんの一瞬でしかないという意味だ。人間の寿命が50年ということではない。

 では、江戸時代の人々の寿命はどれくらいだったのだろうか。現代の国勢調査などがなかった江戸時代では史料上の制約が大きく、その研究は隔靴掻痒の感がある。それでも、1671年から1872年にわたって町村ごとに作成された「宗門人別改帳」には、毎年の町村民の年齢が記されている。残念なのは、毎年ごとの改定期の間に生まれて死亡した乳児については記載されないことだ。平均寿命を算出するのに不可欠な乳児の死亡率が不明なのだ。
 たとえば2014年なら、乳児死亡率は0.21%だったが、1960年には3.98%と高かった。4%近くの0歳児をカウントするのだから、同年の平均寿命は大幅に引き下げられる。江戸時代の乳児死亡率はさらに高かったから、平均寿命にはより大きな影響があったはずだ。

 そこで、鬼頭宏氏は「江戸時代人の寿命とライフサイクル」(『科学』2004年12月号、岩波書店)において、平均寿命(出生時の平均余命)ではなく、数え年2歳の平均余命を計算されている。それによると。男性は最長で45.6年、最短で34.6年、女性は最長で44.9年、最短で29.0年だという。

 男性の余命のほうが女性より長いのは意外だが、それ以上に、男女ともに平均余命が短いことに驚く。これに乳児の死亡数を勘案すると、平均寿命はこの数値より大幅に下がる。江戸時代は「人生50年」には程遠い時代だったのだ。ちなみに日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、なんと1947年、戦後のことだ。


(つづく)

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高島幸次たかしま・こうじ

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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