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弐拾壱 空に憧れて 空をかけてゆく

2016.10.26更新

 いつの頃からだろうか、空を飛ばなくなったのは。
 中学生のころまでは、ひと月に一度くらいは飛んでいた。地上から3mほどの高さを、クロールでスイスイと遊泳できた。プールでは満足に泳げなかったくせに、空中ではなかなかのスイマーだった。
 クラスメートに聞けば、平泳ぎもおれば、クネクネ蛇行、右手を突き出すスーパーマンスタイルなど、それぞれの飛行法は違ったが、ほぼ全員が空を飛ぶ夢をみていた。それなのに高校に進学したころから、だれもが空を飛ぶ夢を見なくなってしまった。まるで義務教育とともに、この夢からも卒業したような感じだった。なにかのイニシエーションだったのだろうか。


落語『鷺とり』と民話「鷲のさらい子」

 しかし、落語の世界は空を飛ぶ夢から卒業できないらしく、空を飛ぶ噺が少なくない。それも落語だけに、奇想天外というか、馬鹿々々しい方法で飛ぶ。まずは、落語『鷺とり』の飛び方から。

 ある男が元手要らずの金儲けをしようと、北野の円頓寺(えんどんじ=大阪市北区)の池に鷺(サギ)を捕りに行く。夜更けの池で眠っている鷺を一羽ずつ捕えては帯の間に挟み込み、腰にはぐるりと鷺が吊るされる。やがて鷺たちが目を覚まし一斉に飛び立つと、男も天高く舞い上がり、気が付くと四天王寺の五重塔の宝輪につかまっていたとさ。

 馬鹿々々しい設定だと思ってはならない。所沢航空発祥記念館(埼玉県)には、入館者の体重から何個の風船で浮かび上がるかを計算できる装置があるくらいだ。直径約30㎝のヘリウム入りゴム風船に13gの浮力があるとして真面目に算出してくれる。『鷺とり』の男を馬鹿にしたのでは、同館学芸員の立つ瀬がない。落語家も、五重塔のてっぺんに飛び上がるには何羽の鷺が必要かを計算しなければリアルな落語は演じられない・・・、そんなことはないか。

 落語では鷺だが、民話には鷲(ワシ)が子どもをさらう話が数多い。例えば『日本霊異記』には、但馬の山里で幼女が鷲にさらわれた話が載っている。それから8年、その父親が丹波のある家に宿ると、同家の娘が近所の子どもたちから「鷲の噉残し(食い残し)」だといじめられていた。事情を聞くと、8年前に大鷲が雛の餌にするために樹上の巣に落とした娘だという。それで、父親は娘と判るのだ。
 東大寺初代別当の良弁も、幼いときに鷲にさらわれ、春日大社の前の杉木の上に捨てられていたと伝える(『沙石集』)。今も4代目の「良弁杉」が二月堂前に立ち、その由来は文楽や歌舞伎の『良弁杉由来』に脚色されている。

 このように「鷲のさらい子」譚は全国各地に伝えられている。落語『鷺とり』の原話は『鳩灌雑話』の「鷺」だとされるが、その先蹤に「鷲のさらい子」譚があったに違いない。


落語『愛宕山』と映画『メリー・ポピンズ』『となりのトトロ』

 落語『愛宕山』では、太鼓持の一八が、旦那のお供で愛宕山(京都市)に登る。「土器(かわらけ)投げ」の頂上で、旦那は土器の代わりに小判20枚を谷底に投げる。拾えば貰えると聞いた一八は、茶店の大きな傘を借りて深い谷底に飛び降りる。

 傘で飛ぶ発想は洋の東西を問わないようだ。傘の形が、風を蓄えてゆっくりと下降するパラシュートを思わせるからだろうか。
 映画『メリー・ポピンズ』でも、ジュリー・アンドリュース扮する魔法使いのベビーシッターが、右手にカバンを、左手に傘の柄を持って、空から緩やかに降りてくる。
 あまりにも自然に優雅に舞い降りるジュリー・アンドリュースに、高校生だった私は憧れた。さっそく、近くの公園の滑り台の上から、蝙蝠傘を持って飛び降りたが、傘は壊れ、足首を捻挫し、思い出したくもない。

 そういえば、映画『となりのトトロ』でも、サツキとメイをお腹にしがみつかせたトトロが飛んでいた。この上映時には、私はすでに成人していたので、数百㎏もありそうなトトロの巨体の割には傘が小さいことを見抜くだけの判断力が備わっていた。だから、公園の滑り台をみても、もう傘を壊すことはなかった。大人になるとはそういうことだ。それにしても、どれくらいの大きさの傘なら、トトロは無事に着地できるのか。所沢航空発祥記念館に問い合わせなければ。


草座飛行と「ひこうき雲」

 落語では、鷺や傘の力を借りて飛んだが、信仰の世界では、草座(そうざ)に乗って飛ぶ。草座とは、僧侶の敷く座具の一種だ。アラビアンナイトの一話「空飛ぶじゅうたん」を思わせる。

 神護景雲2年(768)2月15日、善仲上人は「草座に乗り、高く飛びて西に去れり」、翌年7月15日には、弟の善算上人も「天に沖(ひひ)りて西に没せり」と記録されている(「拾遺往生伝」)。兄は草座に乗って天空に舞い上がって往生し、弟の「沖りて」は天高く昇ることをいうから、兄のあとを追ったのだ。

 空に昇って往生といえば、荒井由美の『ひこうき雲』が耳に響く。この歌詞は彼女が高校生のときに知った高校生の飛び降り心中をモチーフにしていると聞いた。近年、映画『風立ちぬ』の主題歌になっていた。

あの子は昇ってゆく
何もおそれない そして舞い上がる
空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

「あの子」は、病院の窓から身を投げたらしい。もしよければ、柴田淳の歌声で聞いてほしい。「あの子」が善仲・善算の生れ変わりに思えてくるから。


飛鉢伝説と南方熊楠

 修験道の祖とされる役行者(役小角)も、善仲と同じく草座で飛んだという。「役行者、みづからは草座に乗りて、母をば鉢にのせて、唐へわたりにけり」と伝えられるのだ(『三宝絵』)。役行者は草座に乗り、その母親は鉢に乗って、日本海を越えている。

 ここでは母親が鉢に乗るが、鉢が飛ぶ説話は数多い。信貴山の中興開山である命蓮が、長者のもとに托鉢用の鉢を飛ばすと、その鉢は米倉を乗せて飛び戻ってきたという(『信貴山縁起絵巻』)。この種の説話は「飛鉢(ひはつ)譚」や「飛鉢伝説」と呼ばれ、各地に散見されるが、南方熊楠は「飛鉢」の謎を次のように解く。

 予かつて淋しき熊野の山中で、薄暮近く鼯鼠(むささび)ごときものが、高い頂から斜めに下りまた上ること数回なるを見て、鼯鼠が下から上へ飛ぶは奇怪と、久しく守りておると、「やえん」という機械(からくり)で物を上下するのと分った。(「寂照飛鉢の話」)

「やえん」とは、現在では十津川村などで観光資源になっている人力ロープウェイのこと。熊楠は、里人が山中の修行者に米などを運ぶ「やえん」を見間違ったのだという。しかし、飛鉢伝説は必ずしも山頂と山里の間を飛ぶとは限らず、むしろ、山頂と航行する船の間を飛ぶことが多い。
 たとえば、山岳信仰の祖・泰澄の弟子の臥行者は、越知山(福井県)から日本海を航行する船に鉢を飛ばして布施を乞うたが拒否される。すると鉢は山に飛び戻り、船荷の米俵も山頂に飛んだという(『泰澄和尚伝記』)。他にも、比良山(滋賀県)の修行僧が、琵琶湖に浮かぶ船に鉢を飛ばしたり(『本朝神仙伝』)、法華山(兵庫県)の開基・法道仙人が播磨灘を行く船に飛鉢で供米を求めたり(『元亨釈書』)、挙げ出せばきりがない。これらの鉢には、「やえん」説は成り立たないようだ。


落語『天狗裁き』『天狗さし』

 それにしても、人間の空を飛びたい願望は強い。だからこそ、誰もが空を飛ぶ夢を見て、落語・説話や映画でも、空を飛ぶシーンを楽しむのだろう。そういえば、ギリシア神話にも、蝋で固めた翼で空を飛ぶイカロスが登場するし、神話を持たないアメリカでは、クリプトン星から来たスーパーマンを新しく生み出している。日本でも、鷺・鷲・傘・草座などの助けを借りなくても自在に空を飛べる天狗がいる。
 落語『天狗裁き』では、鞍馬山僧正ヶ谷の大天狗は喜八の身体を持ちあげて天高く舞い上がる。この天狗は町奉行よりも威厳を持ち、高貴な印象がある。
 しかし同じ落語でも、『天狗さし』の天狗は趣きが異なる。ひと儲けを考えた喜八は、天狗肉のすき焼きで儲けようとする。略して「天すき屋」。鞍馬に天狗を捕えに来た喜八は、間違って僧侶を捕まえてしまう。だから、実際には天狗は登場しないのだが、すき焼きの具にされそうになるくらいだから天狗も地に落ちたものだ。いやいや、落ちてはいけない。天狗は自在に飛行できなければ。


《締めの謎掛け》
「天すき屋に狙われた天狗」とかけて、「遠くに飛んで逃げなければ」と解く。
その心は・・・、「逃避行(遠飛行)するしかないでしょう」チャン、チャン。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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