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弐拾弐 寿司というものは結構なもんでっせ

2016.12.16更新

 私は無類の寿司好きだ。大阪の箱寿司(押寿司)も、江戸前のにぎり鮨も大好きだ。1週間に10日は食べている(ような気がする)。だから、落語に寿司が出てくると嬉しくなる。特に、落語『こぶ弁慶』の、次のセリフには思わずウンウンと頷いてしまう。

 ああ、寿司ぐらいええもんはこの世にない。これだけ大勢集まってましても、寿司が嫌いちゅう人はいてまへんやろ。えろう好きやない人はあるやろけど、寿司は嫌いで食べへんという人は、ちょっとないはずやねん。酒飲んだあと、飯は食えん人でも寿司ならつまめますわ。どうかすると寿司を肴に飲む人かてあるんや。寿司というものは結構なもんでっせ。

 フライドポテトを嫌いな子どもがいないように、お寿司を嫌いだという大人に会ったことがない。もしも、そんな大人がいてたら・・・別にええけど・・・。


落語『足上がり』―土産の寿司折―

 落語には、土産の寿司折がよく出てくる。落語『足上がり』では、夜遅く帰ってきた番頭が「遅そうまですまなんだ。土産というほどのこってもないけどなあ、これは寿司、こっちゃ饅頭や。みんなで分けて食べてんか。」と、丁稚たちに折箱を手渡す。まだ幼い丁稚たちに、甘辛二種の土産は気が効いている。
 このほかにも、落語『道具屋』に「土産に寿司でも買うて帰ったろかな」、『土橋萬歳』に「お前の好きな笹巻きの寿司、ぎょうさん買うて帰ってきたるがな」というセリフがある。寿司折は土産の定番だった。
 これらの寿司折の中味は、もちろん「箱寿司」だった。戦後には「にぎり鮨」が主流になるが、それでも酔っ払ったサラリーマンぶら下げて帰るのは寿司折だった。現在のような安い寿司が広まっていなかったから、自分だけが散財してきた罪滅ぼしとして、寿司は格好の土産だったのだろう。夕食を済ませた母子にとっても「寿司は別腹」、嬉しい土産だったに違いない。

 そのせいか、折箱といえば寿司を思い出させる文化がかつてはあった。
 落語『風の神送り』では、「北の立峰から出てた芸妓はん」(立峰は北新地の置屋の名)が、今はお妾はんになって町内に住んでいる(大阪では「おめかけさん」ではなく「おてかけはん」)。この芸妓はんの身請けに千両箱の大金が費やされたことを噂するのに、「なんじゃかんじゃで、一箱かかっているという代物(しろもの)やで」「一箱・・・・・・すしか」「あほ、すしが一箱と違うわいな」という具合だ。
 一箱と聞けば、饅頭などの折箱ではなく、寿司のそれを思うほどに、土産の寿司折が一般的だったのだ。回転寿司店が普及するまでは、店で寿司を食べることはステータスであり、多くの庶民は土産の寿司折を期待するしかなかった。いつかはお寿司を食べられるようになりたいと願っていた小僧の仙吉がいとおしい(志賀直哉『小僧の神様』)。


落語『兵庫船』―寿司詰め状態―

 寿司といえば、「寿司詰め(鮨詰め)」の語源が気になって仕方がない。
 電車などの満員状態をいうときなどに使用されるが、辞書を引くと「にぎり鮨を折箱に詰めるように」と解説されていることが多い。これはチョットおかしい。小判形のにぎり鮨では、折箱のアチコチに隙間ができるではないか。そうか、千両箱に小判がぎっしり詰まっている状態なら「寿司詰め」でもいいか。いやいや、千両箱専用の言葉ではないのだから、やはりおかしい。
 落語『兵庫船』の、船中の客たちが席を譲り合うシーンにも「寿司を詰めた」と出てくる。

 前の人の伸ばしている足の間へな、自分の足を一本割って入れまんねん。こう互い違いにこう、入れ子にして座ったら、そう寿司を詰めたようにぴしっと。・・・・・・そう、そう、そういう具合・・・・・・そういう具合にな、ぴしっと座れまっしゃろ。

 この『兵庫船』は、上方落語の『西の旅』の一部だから(江戸では『桑名船』)、「寿司を詰めたようにぴしっと」は、箱寿司をイメージしている。箱寿司をつくるときに、押し箱のなかに酢飯を押し込んだ状態か、もしくは、出来上がった押寿司(箱寿司)を折詰した状態をいうのだ。後者の場合でも矩形(長方形)の箱寿司なら隙間なく詰めることができる。もう一度言うが、小判形のにぎり鮨では「ぴしっと」は詰まらない。
 辞書の執筆者は「寿司詰め(鮨詰め)」と聞いて、にぎり鮨しか思い浮かばない東京人だったに違いない。もしも、大阪人だとしたら・・・別にええけど・・・。


落語『禍は下』―バッテラは小船か―

 語源が気になると言えば、「バッテラ寿司」についても寄り道したい。
 鯖の箱寿司である「バッテラ」の語源については、ボート(小舟)を表すポルトガル語だというのが定説になっている。これに異論はないが、果たして、皆さんご存知の長方形の「バッテラ」から、ボートが思い浮かべぶだろうか。
 バッテラは、大阪・順慶町井戸の辻にあった「寿司常」(のちに北区天神橋二丁目に移転)の創業者・中恒吉さんが、明治24年に考案したものだ。当時、大阪湾で大量に獲れて安価だったコノシロを活用したもので、頭を落とした半身に合わせた押し型は、尾の方が細くすぼんでボートの舳先状になっていたのだ。これは、確かにボートを思わせる。
 その現物を食したければ「元祖バッテラ 寿司常」に行ってほしい。現在は大阪天満宮の北側、天満天神繁昌亭のすぐ前にある。長く店を閉めていたが、本年7月に4代目石川里留さんによって再開された。


「寿司常」のバッテラ押し型

 バッテラは落語にも登場する。『禍は下』では、丁稚の定吉が「ひょっと見たらバッテラがあったさかい、それを切ってくれと言うて、ほいでついでに茶碗蒸しも頼んでまいりました。」と言う。ということは、この噺は、明治末年以降が舞台だということになる。
 定吉は、バッテラと茶碗蒸しを合わせて頼んでいるが、この二つは相性が良いようだ。他にも落語『土橋萬歳』で、定吉が「へえー、ほんまに茶碗蒸しとお寿司いうてくれはりまんのん」とセットの注文を期待している(「定吉」は上方落語の丁稚の定番の名だから、この二人は同一人物ではないですよ)。
 そういえば、現在でも茶碗蒸しをメニューに載せている寿司店は多い。定吉の個人的な好みというわけではなさそうだ。私もお酒で寿司をつまみ、終わりころには茶碗蒸しを注文する。茶碗蒸しにはギンナンが不可欠の具だ。ギンナンを含んで、食事を終えるのだから。もしも、ギンナンが入ってなかったら・・・別にええけど・・・。

※落語の引用は、『米朝落語全集 増補改訂版』(創元社)によりました。


《締めの謎掛け》
「壊れた箱寿司の押し型」とかけて、「王(玉)だけの詰め将棋」と解く。
その心は・・・、「こら、詰まらん」チャン、チャン。

※ごめんなさい。解らない方は、落語『二人ぐせ』をお聴きください。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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