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弐拾肆 重層的に仕込まれた笑い

2017.05.04更新

 古典落語の多くは幕末・明治期に成立したために、現代では理解しにくい(理解できない)プロットやディテールを多く含んでいます。そのため、口演にあたっては様々な対応が必要となります。具体的には、(ア)現代にも通じるように説明を加えるか、(イ)別の表現に言い換える。あるいは、(エ)プロットは変えずに、理解しにくいディテールだけを省くか、(オ)そのネタ自体を高座にかけない、などです。

一、『初天神』のイカとタコ

 落語『初天神』では、天神さんの縁日で寅ちゃんが「お父ったん、イカ買ぉて」とねだるシーンがあります。現在では、これが「凧(タコ)」だと解るお客さんはほとんどいないでしょう。そこで(ア)「このイカはいまでいうタコ、昔は凧揚げをイカノボシて言うてました」というように説明するか、(イ)最初から「イカ」とは言わず、「お父ったん、タコ買ぉて」と言い換えることもあります。

 滝沢馬琴(1767~1848)の『俳諧歳時記栞草』には「紙鳶(いかのぼり・たこ)」が立項され、次のように説明されています。

 其形の烏賊(イカ)に似たるよりの名なるべし、江戸の俗、章魚(タコ)と云うは烏賊に対しての名なり。


 もともとは、その形から烏賊と呼ばれていたものを、江戸では烏賊に対抗して章魚と呼ぶようになったというのです。
 たしかに、馬琴より100年以上遡った時代の服部嵐雪(1654~1707)は、まだ「いかのぼり」を詠み込んだ句を残しています。

 木の枝に しばしかかるや いかのぼり


 どうやら18世紀になってから、江戸方言のタコが定着し、現在ではそれが全国的な呼称になったようです。
 しかし、上方落語において、本家の「イカ」が通じないからと「タコ」に言い換えるのはイカがなものでしょう。できれば説明を加えてでも「イカ」を語り伝えて欲しいものです。


二、『野崎詣り』の深草と浅草

 現代では理解しにくい(理解できない)プロットやディテールについて、(ア)~(エ)の対応がなされると書きましたが、実はこれ以外に、「理解しにくい(理解できない)」ままに口演することもあります(無対応です)。

 その一例として、三代目・桂春團治師匠の『野崎詣り』から、喜六と清八のトンチンカンな会話を引いておきます。

喜六「江戸はドサクサ」
清八「違う違う、ドサクサやない」
喜六「江戸は深草」
清八「違う、江戸は浅草や」
喜六「深草やったら、ショウショウの違いや」


 この「ショウショウ」は、「少々」に深草少将の「少将」をかけています。江戸時代のお客さんなら誰もが、絶世の美女・小野小町と深草少将の「百夜通い」の伝説を知っていました。小町は求愛してきた少将に対し、「私の元に百夜通えばその愛を受け入れる」と応えため、少将は九十九夜通ったところで雪のため凍死し、想いを果たせなかったという伝説です。
 現在では知らないお客の方が多いように思いますが、それでも三代目は、(ア)説明を加えるでもなく、(イ)別の表現に言い換えるでもなく、淡々と演じて爆笑をとっていました。

 なぜなら、お客さんの多くは、「DOSAKUSA」「FUKAKUSA」「ASAKUSA」の音の重なりを面白く感じて笑ったのです。と同時に(ここからが私の言いたいことなのですが)、「浅草」と「深草」の地名の対比に気づいたお客さんの笑いも混じっていたように思います。
 「浅草」と「深草」の対比については、司馬遼太郎が推測しています。源頼朝が鶴岡八幡宮造営のために浅草から宮大工を召喚したことについて(『吾妻鏡』養和元年七月三・八日条)、司馬は次のような場面を想定しています(『街道をゆく42 三浦半島記』)。

 このあたり、まだ関東の文化は、心もとなかった。頼朝が構想するような巨大構造物をを建てる棟梁がいなかった。ところが、
「武州(武蔵)の浅草にいます」
と、いった者がいる。
 武蔵は、一様に草深かった。
 そういう状態を、普通名詞では深草という。
 その対語が、浅草かと思える。町屋があつまり、小規模ながら町であるというさまから、浅草が地名になったのではないか。浅草は、浅草寺の門前町なのである。


 このようなシンメトリカルな対称地名に気づくお客さんがいる限り、先に指摘した音の重なりに敏感なお客さんがいる限り、「理解しにくい(理解できない)」ままの口演もあっていいのでしょう。優れた落語にはこのような重層的な笑いが仕込まれているのです。


三、『阿弥陀池』のシンネコ

 落語の重層的な笑いといえば、『阿弥陀池』の「シンネコ」にも触れておきましょう。
 ある男が、殺人事件について話そうとして、犯人が匕首(あいくち=短刀)で被害者の心臓を突いたというべきところを、間違って「オッサンのシンネコをブスッと突いた」と言ってしまいます。
 ここで客席は爆笑に包まれるのですが、現代のお客さんたちは「シンゾウ(心臓)→シンゾウ(心象)→シンネコ(心猫)」の無理矢理な連想に反応しているのでしょう。

 しかし、幕末・明治期のお客たちは「シンネコ」と聞けば、まずは「シンミリネッコリ」を語源とする隠語「シンネコ(真猫)」を思い浮かべたはずです。牧村史陽『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)には「真猫」が立項され、次のように解説されています。
 男女が人目を避けてひそかに語り合うこと。多く待合の四畳半の座敷が選ばれたところから、待合遊びのことをシンネコアソビという。
 隠語とはいえ、江戸時代の人情本や洒落本には頻出する言葉ですから、一般に広く流布してました。幕末の大坂町人たちは、まず耳から入った「シンネコ」の音から「男女の睦み合い」を思い浮かべて含み笑いし、そのあとに「心虎」「心犬」「心豚」を経て「心象」にたどり着く落語的連想に笑いだすというわけです。

 しかし、「真猫」を知らなくても構いません。「心猫」だけでも十分に笑えます。先に指摘した落語の重層的な笑いがここにも仕込まれていたのです。優れた落語は曲者です。何をどのように笑うかは各人の自由です。そんなことは気にしないで楽しめばいい。落語とはそういうものです。解らない箇所があれば聞き流せばいい、それでも十分に楽しめる噺が選ばれて、今に伝えられているのですから。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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