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弐拾伍 よう知らんけど、よう解らん

2017.06.01更新

一、よう知らんモチーフとタイトル

ア、『火焔太鼓』の太鼓

 落語『初天神』に出てくる「イカ(イカノボシ)」は、現在では「タコ(タコアゲ)」に言い換えられていることは以前に紹介しました。意味不明になった言葉を、このように別の表現に言い換えることは、古典落語では(必要に迫られて)よく行われることです。
 しかし、意味不明の言葉が、その落語のモチーフであり、かつタイトルにもなっている場合は、別の言葉に置き換えることはなかなか難しい。たとえば、落語『火焔太鼓』に出てくる「火焔太鼓」がそうです。まずは、その粗筋を。

ある道具屋が、古汚い太鼓を仕入れる。その手入れをしていた丁稚が手を滑らせて太鼓が落ちてドンと鳴った。たまたま通行中の大名の耳に留まり、古道具屋は大名の屋敷に太鼓を持参することになる。大名は、これは高価な火焔太鼓だといい、三百両で買い取る。


 このあと、帰宅した道具屋とその妻の会話がオチになるのですが、それは後述します。いまは、この落語を楽しむには、「火炎太鼓」と聞いたお客が「よう知らんけど、かなり高価な太鼓らしいな」と思うことが不可欠なことに留意したいのです。
 ですから、「いか→たこ」のような言い換えは難しい。そこで、「火炎太鼓、そう、雅楽で使われる火焔模様の太鼓ですな」という注釈を加えて、噺を進めます。こんな説明では解るわけもないのですが、とりあえずは「よう知らんけど、かなり高価な太鼓らしいな」と思わせる効果はあります。

イ、『井戸の茶碗』の茶碗

 落語『井戸の茶碗』に出てくる「井戸茶碗」も「火炎太鼓」と同様に、落語のモチーフであり、タイトルにもなっています。
「井戸茶碗」は、李朝時代の朝鮮半島で焼造された高麗茶碗の一種で、かつては「一井戸・二楽・三唐津」というように、京都の楽焼、北九州の唐津焼とともに茶人に珍重されました。現在も「喜左衛門銘」の「井戸茶碗」は国宝になっています。

 そのため落語だけではなく、野村胡堂『銭形平次捕物控』にも「井戸の茶碗」(1954年)と題する一編があります。胡堂は、井戸茶碗について「五百両とか千両とかいう相場が付いて、大名の蔵か三井・鴻池といった大町人のところに納まるもの」と語ります。読者には、これだけで十分なんですね。「よう知らんけど、かなり高価な茶碗らしいな」と思えますから。

 学問的には、「井戸」の由来について、朝鮮半島の産地名だとか、朝鮮半島から持ち帰った人物名だとか、あるいは井戸のように深い茶碗だからというように諸説ありますが、そんなことは知らなくても、小説を読むのになんの不自由もない。
 一方の落語では、「井戸の茶碗と申しまして、大陸の土で焼かれた逸品でございます」とか「足利尊氏公、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公と、今まで四代の時代主の手をくぐって」きたというように、その銘品ぶりを説明します。これでも、十分に「よう知らんけど、かなり高価な茶碗らしいな」と思えます。


二、よう解らんオチ

ア、『火炎太鼓』のオチ

 解りにくい(解らない)言葉については、簡単な説明でお客が解った気になればいいという指摘をしました。しかし、オチの場合はそうはいかない。噺を落としたあとに、「いまのオチはですね・・・」と説明するほど野暮なことはないですから。かといって、オチが解らないままにしておくほど気持ちの悪いことはない。思案しながらの帰路で事故に遭う確率が高くなるような気もします。

 ここで、先に引用した『火炎太鼓』のオチを紹介しておきます。火炎太鼓で大儲けをした道具屋が帰宅してから妻と次の会話となって噺は落ちます。

道具屋「音がするものだから良かった。今度は半鐘を買ってくる」
その妻「半鐘はいけないよ。おまえさん、おじゃんにならぁ」


 如何ですか、解る人には解る「地口落ち(ダジャレで終わるオチ)」です。

 しかし、「半鐘」そのものを知らない世代も増えてきたようです。野暮を承知で説明すると、半鐘とは小型の釣鐘のことで、江戸時代には火災が鎮火したときには、半鐘を「じゃん、じゃん」と2回連打したのです(一説には、1回だけともいう)。そこで、半鐘の音「じゃん」と、ものごとが中途でだめになる意味の「おじゃん」とをかけている。

 ただしですね、この「おじゃん」の語源を、半鐘の「じゃん」だとするのは俗説です。「じゃん、じゃん」は無事に鎮火したという合図ですから、中途挫折を意味する「おじゃん」の語源とするには無理がある。正しくは自動詞の「じゃみる」が語源のようです。「相談の出来ぬように、ちゃちゃいれたら、じゃみそうな事」(浄瑠璃『京羽二重娘気質』)というように使われました。

 語源の詮索はさておき、現代人には理解しにくくなった(できなくなった)、この種のオチについては、そのままに放ってはおけない。かといって、説明する訳にもいかない。そこで、現在では「半鐘」と「おじゃん」ではなく、別のオチにアレンジされることが多いようです。そのうちの2例を挙げておきます。

 ①道具屋「もっと太鼓を買ってくる」
 その妻「欲ばると、バチが当たるよ」

 ②道具屋「音がするものだから良かった。今度は笛を買ってくる」
 その妻「笛はいけないよ。おまえさん、ピィピィ言わなあかんさかい」

 どちらも苦心の改作ですが、これなら解らないお客はいないでしょう。①は太鼓を打つバチと罰、②は笛音の擬音「ピィピィ」ですね、と説明するような野暮は無用です。


イ、『壺算』のオチ

 落語『壺算用』も、そのオチが現在では通用しなくなりました。粗筋と元々のオチを紹介しておきます。

 男が二荷入り水壺を買いに瀬戸物店へ行き、3円50銭の一荷入り水壺を3円に値引きさせて買い取る。一旦、帰るとみせて引き返し、「さっき一荷入りを買ったのは間違い。二荷入りが欲しい」という。店主は「二荷入りは一荷入りの倍の7円」というが、男は「3円の倍なら6円だ」と言いくるめ、「先に支払った3円と、この1荷入りの下取り価格の3円で、合せて6円」と主張し、二荷入りを持って帰ろうとする。納得できない店主は男を引きとめて、「これはどういう算用(計算)や」というと、男は「これが、ほんまのツボ算用や」という。

 オチの「ツボ算用」の「ツボ」は、「壺」と「坪」をかけています。「坪算用」は、大工が設計の際に坪数を計算間違いすることをいいました。そこから「勘違い」や「算用は合っているのに銭の足りない」ことを意味するのです。なかなか、よく出来たオチなのですが、「坪算用」はもはや死語といっていい。

 そこで、桂米朝師匠は、業を煮やした店主が「もう、あんた、この二荷入り持って帰りなはるか」と言うと、男は「それがこっちの思う壷や」と返すように改変されました。
 「坪算用」は死語でも、「思う壺」なら現在でも使われていますから、期待通りの笑いが巻き起こります。落語家さんの思う壺です。

 蛇足ですが、「思う壺」の「壺」は、水壺の「壺」ではなく、サイコロ博打に使う「壺皿」のことです。練達の壺振り師が、壺でサイコロを伏せて、狙い通りの賽の目を出せることを「思う壺」というのです。

 これ以上、オチの説明を続けていると、野暮の骨頂だと思われますので、これで擱筆、じゃん、じゃん。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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