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弐拾漆 落語の「いろはカルタ」

2017.10.14更新

三都の「いろはカルタ」

 上方落語に出てくる古語を調べるには、牧村史陽の『大阪ことば事典』(1979年、講談社)は必須の事典ですが、その巻末の付録「いろはたとえ」も貴重な文献です。
 「いろはたとえ(伊呂波喩)」とは、「色は匂へど散りぬるを・・・」の四十七文字の一字ずつを頭に配した教訓歌のことで、それを字札と絵札の遊具カードにしたのが「いろはカルタ」です。幕末・明治期の庶民層にとって「いろはカルタ」は正月定番の遊びでしたから、そこに記された諺や格言は、子どものしつけや教育にも一役買っていました。結果、庶民生活の普遍的な教養となり、古典落語にも「いろはカルタ」の諺・格言が数多く引用されます。が、落語の引用例をみる前に、「いろはカルタ」についてもう少し。

 「いろはカルタ」は、化政期(1804~1830)の上方に始まり、江戸に伝わると江戸風に改変され、さらに全国に広まって各地のオリジナルカルタが生れました。三都の最初の「い」項を比較すると次のようです。

  大坂「一を聞いて十を知る」
  京都「一寸先は闇」
  江戸「犬も歩けば棒に当たる」


 これらは、現代でも聞く機会が皆無ではありません。もちろん、このほかにも「花より団子」「仏の顔も三度」「猫に小判」「餅は餅屋」など、現代に生きているフレーズも少なくありません。しかし、あまりにも当たり前に使われているために、その典拠を気にすることはないようです。「油断大敵」「無芸大食」に至っては、「いろはカルタ」が典拠と聞いてもピンとこないかも知れません。

 そういえば20年ほどむかし、TVドラマにもなった人気漫画『花より男子』は「だんし」ではなく「だんご」と読ませていましたが、若いファンのどれだけが「花より団子」のもじりだと気づいていたのでしょう。
 現代に生きているフレーズとしては、「綸言汗の如し」を忘れてはなりません。なぜなら、総理大臣が前言を翻したときに批判するマスコミの常套句だからです。綸言(天子の言葉)は、汗を体内に戻せないように、取り消すことはできないという意味です。「綸言」は『礼記』、「汗の如し」は『漢書』を典拠としますが、わが国では室町時代の国語辞典『下学集』に「綸言汗の如し、出て再び返らず」と載っています。しかし、現在に受け継がれているのは、それらの文献によるのではなく、「「いろはカルタ」」のお蔭なのです。


踊り忘れず、糠に首

 では、落語にみえる「いろはカルタ」を紹介しましょう。まずは、落語『阿弥陀池』の次の会話から。

 「盗人が米屋の親爺の首を斬って、糠の桶に放り込んで逃げた。こんな話聞いたか」
 「いや、聞かん」
 「聞かんはずや。糠に首や」


 ここで爆笑が起きるのは、「いろはカルタ」の「ぬ」項「糠に釘」が周知されていたからです。蛇足ですが、糠に釘を打っても効かないことから、何の手ごたえもない意味です。ここだけで十分に笑えるのですが、耳聡い客なら、「聞かんはずや」についても「(糠に釘を打っても)効かんはずや」にかけていることに気づきほくそ笑むことでしょう。

 落語『口合小町』では、佐助が帰宅すると、嬶が口合(=地口)尽くしで迎えます。その会話の一部を引いておきます。

 佐助「伯母貴(おばき)のところへ行ってた」
 嬶 「オバキ百まで、わしゃ九十九まで」
 佐助「ちょっと相談があってな」
 嬶 「そだんに戯れ、獅子の曲」
 佐助「おい嬶、気を静めぇ」
 嬶 「しずめ百まで、踊り忘れず」


 お解りでしょうか。帰宅した佐助が「伯母貴」のところへ行っていた」と言い訳すると、嬶は「お前百まで、わしゃ九十九まで(ともに白髪の生えるまで)」の口合で応え、佐助が「相談に行って来たんだ」と付け加えても、「牡丹に戯れ、獅子の曲」で返す。これは歌舞伎舞踊『鏡獅子』のなかで、獅子の精が牡丹の花に戯れ狂うシーンを踏まえています。そして、佐助が気を静めるように言えば、「雀百まで、踊り忘れぬ」のもじりで返したのです(「しずめ」は「賤女=いやしい女」)。この「雀百まで・・・」も、実は「いろはカルタ」なのです。


月夜に釜抜く

 このように、「いろはカルタ」はたびたび落語に引用されますが、落語『月並丁稚』では、「つ」項の「月夜に釜を抜かれる」が重要なモチーフになっています。まずは『月並丁稚』の粗筋を。

 丁稚の定吉は旦さんの使いで十一屋に行くが、「今月28日に月並みの釜をかける」という口上を失念してしまった。思い出すために、十一屋の番頭らに尻をつねってもらうが効果がない。たまたま訪ねてきた大工の棟梁が釘抜きで尻をひねると、思い浮かんだのはいいのだが、その口上は「今月28日に月夜に釜抜きます」という誤ったもの。十一屋の主人は「今月28日は闇も闇、まことの闇じゃ」と応え、定吉は「そんなら、うちの旦那の言うたのは鉄砲かしら」と返すのがオチ。

 如何でしょうか、現代人にはまず解らない。最初の「今月28日に月並みの釜をかける」は「いろはカルタ」ではなく、「今月の茶会は28日に催します」というごく普通の伝言です。「月並」は「月次」とも書いて「月ごと」や「月例」の意、「釜をかける」は「茶会を催す」ことです。
 しかし、寄席の全員が「茶会を催す」意だと理解できるわけではありません。なかには「かまをかける」を「鎌をかける」意にとった客もいたでしょう。「鎌」なら、相手の本音を吐かせるために巧みに誘いをかけることになります。
 落語には重層的な笑いが込められていることは何度も説いてきましたが、ここでも「茶会」が思い浮かばずに、「月並みな鎌をかける」のかと笑ってもいいのです。落語は、それを受け入れることのできる鷹揚な芸なのです。

 誤った口上が思い浮かんだ定吉は、「今月28日に月夜に釜抜きます」と伝えますが、それを聞いた十一旦屋の主人は、「いろはカルタ」の「月夜に釜を抜かれる」を連想しました。泥棒が盗みを働きにくい月の明るい夜に、油断して釜を盗まれることから、「全く安心しきって、気が緩んでいること」をいう格言です。
 しかし、それを「28日」といわれたので、主人は訳が解らなくなった。旧暦(太陰太陽暦)の時代には、月の明暗と日付はリンクしていましたから、月が明るいのは毎月15日の満月で、暗いのは毎月1日の新月でした。ですから、定吉の言う28日なら新月に近く、暗い夜に決まっている。十一屋主人の「今月28日は闇も闇、まことの闇じゃ」というのはそういうことです。「28日は闇夜」だといわれた定吉は、「いろはカルタ」の「や」項「闇夜に鉄砲」(闇に鉄砲とも)を思い出して、オチのセリフをいうのです。ちなみに「闇夜に鉄砲」は、暗闇で目当てもなく鉄砲を撃つことから、向う見ずなあてずっぽうの行動を言います。


瀧川政次郎先生の解釈

 以上のように、落語『月並丁稚』では、「月夜に釜を抜かれる」や「闇夜に鉄砲」を知らなくては、なんのことやら解らない落語になってしまいました。しかし、幕末・明治期のお客は、これまでに記した私のマズイ解説などには留まらない自由な楽しみ方をしていたようなのです。
 法制史家の瀧川政次郎先生(1897~1992)は、随筆「いろは歌留多」(『倩笑至味―色気と味覚―』1963年、青蛙房)において、次のように説いています。

 この「月夜」の月は、月経の月であって、月夜は月経中の女房と同衾して寝ている夜を意味する。又「釜ぬく」の釜は、男色用語の「おかま」の釜である。女房の月経中、前門が塞がっているので、後門を訪れたというのが、この俗諺の意味である。


 なんとも思い切った解釈ですが、これは瀧川先生のオリジナルではなく、すでに江戸時代の古川柳も次のように詠んでいるのです。

 月夜には 釜を抜く気に なる亭主
 折ふしは めかけ月夜に 釜抜かれ


 この二首は明らかに、瀧川先生と同じ解釈で詠まれています。しかし、子どもの遊ぶ「いろはカルタ」に男色用語が入るとは思えませんので、これは大人の遊び心的理解としておきましょう。

 最後に余談ですが、去る1985年に瀧川先生の勧奨によって「大阪天満宮史編纂会」が設けられ、その2年後に私もそのメンバーに加わりました。瀧川先生については法制史家としての業績のほかに、極東裁判で嶋田繁太郎(元海軍大臣)の弁護人だったことを知っていましたから、初対面のときは歴史上の人物に出会ったような不思議な気がしたものです。あるときの歓談中に、滝川先生の話題の方向が妙な方向に逸れ、この「釜ぬく」の理解を話されました。まだ若かった私は困惑したことを思えていますが、まさかそれから30余年後に、それを引用することになろうとは、「一寸先は闇」ですね。

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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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