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弐拾玖 誰が聴いたかで定まる

2018.01.19更新

 先日の「天声人語」(朝日新聞2018年1日6日付)に「言葉の真価は、誰が言ったかではなく、誰が聴いたかで定まる。」とありました。そうなんです、私にも経験があります。就職して間無しのころの高校の同窓会で、次のような思い出話をしたのです。担任の先生も同席されていました。

 僕が研究者の道に進んだのは、卒業式に先生が私たちに贈られた言葉で決まったようなものです。先生は「君たちには一番好きなことを趣味にして、二番目に好きなことを仕事にしてほしい。一番好きなことを仕事にすると、辛くなって嫌いになるかも知れないから」と仰いました。ねっ、みんな覚えてるよね。

 すると、同級生の全員が「知らん!」「覚えてない!」の大合唱。私はこの先生の言葉によって、一番好きな小説を書くのではなく、二番目に好きな日本史を研究する世界に飛び込んだというのに・・・、誰も知らないなんて。そこに、当の先生から止めの一言「そんなこと、言ったかな〜?」。
 そうなんです。話し手が忘れているのに、その言葉を強く受け止めた聴き手がいる。そして、他の聞き手は聞いたことさえ忘れている。というわけで、今回は「誰が言ったかではなく、誰が聴いたか」の落語に学びます。


上方落語『鼓ヶ滝』

 上方落語『鼓ヶ滝』(『西行』あるいは『西行鼓ヶ滝』ともいう)は、平安末・鎌倉初期の歌人として有名な西行法師(1118〜1190)が主人公です。

 摂津の鼓ヶ滝を訪れた西行は、その風景を「伝え聞く 鼓ヶ滝に 来て見れば 沢辺に咲きし たんぽぽの花」と詠む。その夜、泊めてもらった家でこの歌を披露すると、家の爺が〈伝え聞く〉より〈音に聞く〉のほうがいい、婆も〈来てみれば〉より〈打ち見れば〉のほうがいい、その娘までもが〈沢辺〉より〈川辺〉のほうがいいいと言う。西行は、この指摘を受けて「音に聞く 鼓ヶ滝を うち見れば 川辺に咲きし たんぽぽの花」に改めた。


 なかなか含蓄に富む噺でしょう。「音」「打ち」は「鼓」の縁語であり、「川」も「皮」を経て「鼓」に照応するとともに、その地名「川辺」にも響きます。和歌に全く素養がない私でも、このほうが良いと解ります。ましてや、西行ほどの歌人ですから、たとえ無名の田舎人の手直しであっても、その意図するところを謙虚に受け入れたのです。さすが西行、「誰が言ったかではなく、誰が聴いたか」が大切なことを教えてくれています。

 それなのに、それなのに、落語はこのあとに爺・婆・孫娘が、実は和歌三神(住吉明神・人丸明神・玉津島明神)の化身だったことを明かすのです。それって必要ですか? 無名の素人に手直しされたのでは、歌聖・西行の名折れだとでもいうのでしょうか。私には、蛇足にしか思えないのです。


柳田國男「蒲公英」と能『鼓滝』

 ところで近年は、この娘が手直しする箇所を「川辺に咲くや 白百合の花」とする落語家さんもいます。滝の川辺に咲くのは、鮮やかな黄色の「たんぽぽの花」よりも、滝しぶきに呼応するような白い「白百合の花」のほうが似つかわしいとの判断でしょうか。和歌に全く素養がない私も、そのほうが良いと思いました。
 しかし、この手直しは余計な御節介のようです。柳田國男の「蒲公英(たんぽぽ)」(『野草雑記・野鳥雑記』)に、次のような西行の類話が紹介されています。

 中世盛んに流行した歌問答の昔話にも、西行とか宗祇とかいう旅の歌人が、摂津の鼓の滝に来て一首の歌を詠んだ話がある。
 津の国の 鼓の滝を 来て見れば 川べに咲けり たんぽぽの花
 そうすると傍に草刈りの童子がいて、第三の句を「うち見れば」と改めてくれた。宗匠自慢の鼻はたちまち折れ、その童子の何とか明神の化現なることを知ったという類の物語、これを詳しく説明することは退屈だが、とにかくこの話の出来た頃までは、人がタンポポの本は鼓の名であることを知っていた。後年この楽器の流行がすたれて、小児は名の起りをもう忘れてしまったのである。


 「西行とか宗祇とかいう旅の歌人」と曖昧な表現は、時代を重視する歴史学の立場からは落ち着かない物言いですが、柳田のような生活を重視する民俗学としてはありなのでしょう。それはともかく「この話の出来た頃までは、人がタンポポの本は鼓の名であることを知っていた」というのは重要な指摘です。タンポポは旧名を「鼓草」といい、江戸時代の子どもたちは、鼓草の茎を反り返して鼓に見立て、それを「タン・ポポ」(擬音)といいながら打って遊んでいました。そこから「鼓草」を「たんぽぽ」と呼ぶようになったのです。
 ですから、西行が最初に詠んだ歌のうち、結句の「たんぽぽの花」だけが、実は「鼓」の縁語だったのです。それなのに「白百合の花」に変えてしまっては、西行法師に申し訳が立ちませぬ。

 それとともに気になるのは、柳田の採話でも童子は「明神の化現」だと明かされることです。落語『鼓ヶ滝』に通じる、この「実は神様」パターンは、はやく15世紀の能『鼓滝』にも見られます。その梗概は次のようなものです。

 帝の臣下一行が帰洛の途次に、山賎(やまがつ=山の民)の翁に出会い、鼓の滝へ案内される。翁は「津の国の 鼓の滝を うちみれば ただ山川の なるにぞありける」と詠む。その夜、翁は「滝祭の神」となって現われ舞楽を奏す。


 能『鼓滝』は、落語『鼓ヶ滝』の源流に位置するようです。「実は神様」だったというのは能の定型ですが、落語ではそこは受け継がなくても良かったのにというのが私の実感です。
 ちなみに、能『鼓滝』で詠まれる「津の国の・・・」の元歌は、現在の熊本市にある鼓滝を呼んだ「音に聞く 鼓の滝を 打ち見れば ただ山河の 鳴るにぞ有りける」(『拾遺和歌集』)ですから、落語『鼓ヶ滝』の水源は、能『鼓滝』を経由して、平安時代の和歌にまで遡るのです。

 話が少し逸れましたので、本流に戻します。要するに、落語『鼓ヶ滝』の西行は名もない老夫婦と孫娘の推敲から学ぶ力を持っていたことに留意したいのです。「実は和歌三神」が言ったからではなく、西行が聴いたことが大切なのです。


上方落語『餅屋問答』

 その意味では、「実は神様」の種明かしにならない落語『蒟蒻問答』のほうが、上等な落語のように思います(落語に上等・下等はないですけどね)。
 『蒟蒻問答』は、幕末の2代目・林家正蔵の創作です。正蔵は、もとは曹洞宗の僧だったことから、『蒟蒻問答』も禅問答がプロットになっています。その原話では、主人公は上州安中(群馬県安中市)の蒟蒻屋・六兵衛で、「丸い蒟蒻」に主眼が置かれています。なぜ蒟蒻なのかといえば、江戸時代から上州の名産だったからです(現在でも、都道府県別の蒟蒻芋生産量は、群馬県のシェアが90%越えで断トツです)。
 のち上方に移されて『餅屋問答』になります。当時の上方ではまだ蒟蒻への馴染みが薄く、そのうえ四角い蒟蒻が一般的だったため、「丸餅」に変えられ、主人公も餅屋になったのです。それなら、一層のこと、江戸に『餅屋問答』を逆輸入したらいいのにと思いますが、江戸は「角餅」だから無理ですね。それはさておき、『餅屋問答』の梗概を。

 餅屋に居候していた男が、餅屋の勧めで禅寺の偽住職に収まり、気楽に暮らす。そこに修行僧が訪れ、禅問答を乞う。困った男が餅屋に相談すると、餅屋は先代住職の衣を身に付けて住職に成り済ます。修行僧は住職に問答を挑むが、住職は聞えないふり。修行僧は、住職が「無言の行」をしているのだと勘違いして、無言の問答に切り替える。(ここからジェスチャーの問答です)修行僧が両手で小さな輪を作ると、住職は両腕で大きな輪を作る。修行僧が両手の指十本を突き出すと、住職は片手の指五本を突き出す。修行僧が指三本を突き出すと、住職は自身の目の下を指差す。


 ここで修行僧は自らの未熟を悟り、退散しようとします。寺の男がその訳を訊ねると、修行僧が言うには、小さな輪で「師の心中?」と問えば、大きな輪で「大海の如し」と答えられ、指十本で「十方世界は?」と問えば、指十本で「五戒にて保つ」と答えられ、指三本で「三尊の弥陀は?」と問えば、目の下を指さし「目の下にあり」と答えられました。愚僧ごときが、これほどの名僧に問答を挑んだことが恥ずかしい、と退散するのです。
 そこで、住職にジェスチャー問答の顛末を訊くと、「お前の店の鏡餅は小さいやろ?」とぬかしやがったから「これぐらい大きいわい!」てゆうたった。ほたら「十個で何ぼや?」て聞きよるから「五百や!」て答えたら、「三百に負けてくれへんか?」てほざきやがったから「あっかんべーっ!」してやってん、と説明するのです。
 実に、よく出来た噺です。特に、この住職が「実は釈迦如来の化身」とはせず、「実は餅屋」で終わっているのがいい。結果、自らの未熟さを悟った修行僧こそが、実は名僧だということになります。


三人行へば、必ず我が師あり

 ここで、孔子の言葉「三人行へば、必ず我が師有り」を思い出しました。3人で行動すれば、他の2人は必ず我が師となるという意味です。2人のうちに「善なる者」がいたら、その優れたところを学んで師とし、「善ならざる者」がいたら、その劣ったところを自らに照らして改めることで師としなさいという教えです。
 『鼓ヶ滝』の老夫婦と孫娘は「善なる者」ですが、『餅屋問答』の餅屋は「善ならざる者」でした。それなのに、修行僧は餅屋をも「善なる者」として学んだのです。学びの極致です。私には『餅屋問答』は、『論語』を越えているようにも思えます。

 最後に、冒頭に引いた天声人語の言葉を、落語ファン向けにアレンジしておきましょう。
「落語の真価は、誰が演じたかではなく、誰が聴いたかで定まる。」



イベントのお知らせ

大阪・隆祥館書店にて、「上方落語史観」140B 発刊記念イベント
髙島幸次先生によるト-クライブ が開催!

日にち:1月20日(土曜日)
時間 : 14:30開場/15:00開演
会場 : 隆祥館書店5階 多目的ホ-ル
参加費:3,000円 (内訳:参加費1,380円+『上方落語史観』1,620円 )
トークライブのみ:3,000円  当日の場合:参加費500円アップになります

ご参加お申し込み詳細は、隆祥館書店さんまで


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高島幸次(たかしま・こうじ)

1949年大阪生まれ。大阪大学招聘教授、大阪天満宮文化研究所研究員などを兼務。日本近世史を専攻し、地方誌史への執筆や、各種セミナーの企画なども多く行う。NPO法人「上方落語支援の会」理事や天満天神繁昌亭大賞選考委員として落語にも関わっている。

著書に、本コラムを書籍化した『上方落語史観』』(140B)のほか、『奇想天外だから史実ー天神伝承を読み解くー』(大阪大学出版会)、『大阪の神さん仏さん』(釈徹宗との共著、140B)などがある。

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