ミルコの六本木日記

第42回 ゲンの、役に立ちたい

2013.01.11更新

小学生の頃、すぐ近所に仲良しの姉妹が住んでいた。
私よりひとつ年上の早苗ちゃんと、ひとつ下の陽子ちゃんだ。
ふたりの家に、よく泊りにいった。
仲がよかったのはもちろんなのだが、私は彼女たちの家ですることがあった。
「はだしのゲン」を読むことだ。
広島から引っ越して来た彼女らの家には、ゲンが全巻、そろっていた。
十歳で読んだゲンは衝撃だった。
日本にはたいへんなことが起こっていた。
ゲンの生々しい劇画に引き込まれるとともに、どうやらこのなかの悲劇は現在も続いていることを、彼女たち一家は教えてくれた。
「けっして、二度と、戦争を起こしてはいけない」
戦争と原爆への意識は、ヒロシマを知る早苗ちゃん陽子ちゃん家族との交流がなければ、
私のなかにつよくは芽生えなかったと思う。

それから大人になるまで、ゲンを読み返すことはなかったのだが、幻冬舎が始まったころ、CHAGE&ASKAさんの仕事で沖縄へ出張したさい、私はゲンと再会する。
ライブ取材をした翌日は週末でフリーになった。
一緒に出張した幻冬舎の先輩の小玉さんが、
「おれは東京に戻るけど、ミルコは戦争関連の場所を廻るように。タクシー借りれば一日でもけっこう廻れるから。きみはジャーナリストになるんだろう?」
と言った。
私がジャーナリストになりたいと小玉さんに言ったことなどないのに彼はそう言い、私はひとり沖縄に残された。
先輩の指示どおり原爆資料館などをめぐり、そこでゲンを見つけ、全巻購入した。
そうして私のなかに再びゲンブームがおとずれた。
あの頃は子どもだったけど、いまは大人で、しかも私は編集者だ。
ゲンの、役に立ちたい。
そう思って私は中沢啓治さんの新作も読み、会える機会を伺っていた。

さらに数年が経ち、ついにチャンスが到来した。
テレビ朝日の「スクランブル」で山本晋也さん(カントク) が「人間一滴」のコーナーでインタビューしていたのを見た。
見た直後に私はあつい感想をカントクとディレクターの渡邉崇君に伝え、自分も中沢さんに会いたいと相談した。
カントクは、オンエアでは時間が限られているから伝えきれなかった内容がまだまだあるし、自分も続きを中沢さんと話せるといいなと思っていたので一緒に会おう、と言ってくださった。
渡邉君も快く即、行動してくれた。
私たちはそれからすぐに広島へ、中沢さんをたずねた。
逞しく、明るく、凄みのある方だった。
焦土を生き抜いたゲンと、眼前の中沢さんはまぎれもなく同一人物だ。
目をかなり悪くされており、「もう漫画は描けない」とおっしゃった。
私は中沢さんのいまのメッセージを世に広めたい旨を伝えた。
彼の目は見えづらいとは思えぬほど、するどい光を放っていた。

2012年の年末に、中沢啓治さんの訃報をきいた。
カントクにインタビュアになっていただき、中沢さんに伺った取材半ばのお話は、いまも私の手元にある。
私自身の退社とがんで、仕事をまっとうすることができなかったのだ。
もうこの世に、中沢さんはいない。
けれども、私がほんとうの意味で中沢さんのメッセージを伝えることができるのは、これからなのかもしれない。
世界平和を考えることは、自分自身が健やかに生きることなのだと、私は半世紀近く生きてようやく学んだ。
がんで、とことん懲りた。とことん懲りなければ、私がそれを知ることはなかったのである。


〜お知らせ〜

1/10発売の「PHPスペシャル」にてインタビューを受けました。
(作家の大野更紗さんがインタビュー、そして書いてくださいました)

谷村志穂さんの文庫「おぼろ月」(祥伝社文庫)に解説を書きました。

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山口ミルコ(やまぐち・みるこ)

プロデューサー、編集者として出版社で20年、現在はフリーで芸能、文芸のさまざまな企画にかかわっている。趣味は楽器演奏。「ジャズジャパン」、フリーペーパー「BIGBAND!」、富士通テンの音楽情報サイトKOBE jazz jp などにエッセイを書いている。
著書に『毛のない生活』(ミシマ社)がある。

http://kobejazz.jp/

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