ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、小さな出版社の現在進行形を描く。

第2回 出版社は個人業

2009.07.22更新

出版社をつくる!(2)―― ふつうに働いていれば


出版不況なんてない。
どうして僕はそんなふうに思っているのでしょう? しかも確信をもって。
じつはその理由は簡単です。

僕が本作りを始めた10年間、毎年、自身のパフォーマンスが上がっている。
だから、というわけです。
こんなふうに書くと「なんて傲慢な!」と思われるかもしれません(そう思われたならお詫びしたいです)。

事実は、もっとへなちょこ。赤ん坊が小学生になりました、という程度の話です。
ほっておいても成長する時期だった、ということです。
編集経験ゼロの人間が、それなりにがんばって仕事をすれば、自然と結果もあがるもの。
毎年毎年、亀の歩みにも満たない速度であっても、確実に成長はしていっている。

その時期がたまたま世間で「本が売れない」「出版不況だ」などと言われていた時期と一致した。
そういうことです。
そして、そういうことをもって、出版不況なんて感じたことがない、と僕は言っているわけです。

うん?
なんだかへんですね。
「それと、出版不況なんてない、というあんたの主張は無関係だろ」
そんなツッコミが今にも聞こえてきそうです。
つまり、右肩上がりで来られたのは、「赤ん坊」の状態から始まっているからだろう、と。
「あんたが、『大人』になればその成長は止まる。そうすれば、構造的な不況という大きな流れに巻き込まれざるをえない」
なぜなら、出版界全体の「売上」という数字はずっと微減しているのだから......。
成長の余地のない大人になれば、成熟期に入れば、この大きな流れからあんたも逃れられまい。
そういう指摘です。

たしかに......。 
思わず、そうですね、と言いかけそうになります。
が、ここで、いやいやと首を振らねばなりません。
断じてそんなことはないのです。
一見、理にかなっているようでいて、実際はちがう。
いま世間的に「出版不況」といわれるとき、次のようなことが原因に挙げられます。
「パソコン・ケータイに読者が移行した」
「読者の活字離れが進んだ」
「出版点数が10年前の倍に増加し、物流がパンクした」、などなど。
たしかにどれも一理あります。
ですが、どれも大前提のところで大きな落とし穴にはまっています。
その落とし穴というのは、「出版不況という大きな現象が最初から存在する」かのようにとられているところにあります。
けれど、それはちがう。

出版不況が、先にあるわけではないのです。
あくまでも「出版業」を支えるのは、個人、個人のパフォーマンスや技術の集積です。それが大前提です。なのに、出版不況は、「個人のパフォーマンスや技術レベルが落ちたからだ」ということはあまり耳にしません。
この「事実」を直視せずして、「本は売れない」と言っているとすれば、それはやはり大きな落とし穴に陥っているといわざるをえません。
不況が先にあるわけではないのです。

一人ひとりの技術の低下、パフォーマンスの低下の結果が「かたまり」となったとき、今のような状態になった。
そう捉えるのが自然の理に適っているように思います。
だから、僕は今の出版界の状況をこのように解釈しています。

出版不況があるのではない、個人不況があるのだ。

出版という産業がよくないわけじゃない。
そこで働く個人の技術が、出版界全体が無条件にいいときには隠れて見えなかったけど、実体としては下がっている。
すくなくとも、新しく出版社を始めるにあたり、この事実を直視することから始めよう。
裏をかえせば、個人不況であれば、個人の努力次第で、どんどんよくなっていく可能性を秘めているということなのだから。
そう考えるようにしました。

これから大変なこともあるかもしれない。業績が落ちることもないとは言い切れない。
ただ、どういうことがおきても、全ては自分の責任だ。
本来、経験知を積めば積むほど上達していくのがこの仕事なのだ。それを結果につなげていないとすれば、それは、経験を「知」にできていないからだ。
そして、経験を「知」にできないというのは、ひとえに、自分が「ふつう」に働くことを怠っているからだ。

日々謙虚に、ふつうに働く。
それができればそう困ることはないだろう(小さな単位でやっていくかぎりにおいては)。
とにかく、社会とか産業とか、そういう大きなもののせいにしたり、会社とか他者だとか自分以外の誰かのせいにするのは、よそう。
そう決めました。
他者責任の思考をつづけるかぎり、何も生まれませんからね。
何かを生むことを生業としている僕らが、「生まない」行為に精を出すことほど、非生産的なことはありません。

出版社をつくる! 
それはひとえに、非生産的行為を最小限にとどめ、生産的な行為にエネルギーと時間を注ぐということ。僕はそんなふうに思っています。
では、これを実行しつづけるには何が必要か。

その鍵の一つは、「一攫千金を狙わない」。
ここに鍵がある気がしていました。


ミシマ社のばあい(2)―― 応援してくれる人がいて


出版社から独立する。
そういった場合、通常、3つのケースが考えられる。

一つ目は、フリーのライターや編集者として活動する道。
二つ目は、完全に職替えして、ちがう商売で生計を立てるというもの(これまでの経験を捨てるという覚悟のもとに)。
三つ目の選択肢が、出版社をつくる、だ。

僕は三つ目の選択肢をとることになんら迷いがなかった。ただし、その迷いのなさは、自分の心の問題として。現実的なところでは、さまざまな問題が山積していた。
そしていつの時代でも現実的な問題というものが、一番面倒くさくて、厄介なものだ。
物事をすすめるにあたって、厄介なものからとりかかる。これは鉄則だと思っている。

夏休みの宿題は初日にやれ。
これは僕が小学生のときに学んだ、数少ない「現実的」で「実用的」な学びのひとつだ。
会社をつくろうと決意した一カ月後には、とにかく、手持ちの資金、数百万で立ち上げることにした。
どれくらい資金がいるか、ではなく、この資金内でうまく行くように発想しよう。
こう考えたとたん、漠然と抱いていた「不安」も、いったん自分の中で「ない」ことになった。もっとも、その不安は折りをみて何度も頭をもたげるのだが。
ともあれ、資金のことに関しては、いったん、これで決まり。もうあと戻りはしない。
ここまで決めたあと、一番重要な「勝負」に向き合うことにした。

そう。
著者の方々への相談だ。
たとえどんなに資金があろうとも、たとえどれほど決意がかたくても、本を書いてくださる方がいなければ、出版社は成り立たない。
そもそも、自分が尊敬する方々、一緒にお仕事をしたいと思う方々の本をつくりたいからこそ、出版社を立ち上げるのだ。
ここで躓いてしまっては本末転倒。
まさに決死の思いだった。
当時お世話になっていた著者の方々に、お一人おひとりご説明して歩くことにした。
この決死の説明行脚を開始するにあたり、とにかくまっさきにご相談したいと思った方が何人かいた。

その一人が内田樹先生だった。
内田先生とは、それまで『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』という二冊で一緒にお仕事をさせていただいていた。その過程で、自分の人生に決定的な影響を及ぼす、多くのことを学ばせていただいていた。
心から尊敬する先生。
その方がどうおっしゃるかは、これから出版社をつくろうと思う僕にとって、文字通り「全て」といってよかった。

「やめときなさい」
そう言われたらどうしよう......。
このような不安も多少はあったと思う。だが、その時は自分を客観視する余裕など微塵もなく、ただただ、必死だった。
とてつもない緊張感をもって、「神戸へ出向いて説明したい」旨のメールを送信した。
「実は出版社をつくろうと思っております。折り入ってご説明にあがりたく、一度お時間をいただけないでしょうか」
そのような文面のメールをお送りした。すると、すぐに先生から返信が来た。
開封するのがおそろしかった。その瞬間、大学の合格発表を待つとき以上に緊張していたように思う。

メールをひらく。
そこには、さらりとこう書かれていた。
「それがいいと思います」

わが目を疑った。これほどすぐに「お許し」が出るとは想像すらしていなかったから。
そして、しばらくしてからだ。これがGOサインだという実感が自分の中で広がっていったのは。
ああ、よかった。先生もそうおっしゃってくださる。
やろう、出版社をやろう。
何としてもいい出版社をつくろう。

感謝の思いとともに、その決意はゆるぎないものとなって自分の中に埋め込まれた。
同時に、もう後戻りは一切できないところに来たという思いが全身をかけめぐった。
もう僕一人の行為じゃないのだ。
「応援するよ」と言ってくださる方がいて、初めて、事は動き出す。
動き出すまでは、しょせん、机上の空論にすぎない。
そういう意味で、著者の方々から「応援します」の一言をいただいたとき、初めて出版社として一歩を踏み出すことができた。

しかも、その「応援します」は、たんなる言葉上のものではない。
「原稿執筆」という身を削る行為とセットで「応援」してくださるわけだ。
「応援します」
たったこれだけの言葉が、絶大なる勇気と活力を人に与える。

そのとき僕は心底学んだ。
本当の応援というのは、実に難しいものなのだ、と。
翻って自分は誰かの応援をできているだろうか?
自分のことで精一杯すぎやしないか。
そう考えると情けなさで顔を覆いたくなる。
いつの日か無条件で誰かを応援できるようにならなければいけない。
これは3年経った今も課題として残っている。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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