ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第3回 まずは100年つづける

2009.08.11更新

出版社をつくる!(3)―― できるだけ小さな規模で

出版社をつくるのは簡単です。
会社名を決める。印鑑をつくる。いくつかの書類を書く。それを役場に届ける。
これだけです。

これで晴れてあなたの会社は公のもの。
少しの労力と数万円。それさえあれば、出版社を存在させること自体、拍子抜けするくらい簡単です。資本金がなくても株式会社をつくれるようになってからは、お金の壁は無に等しくなりましたから。いっそう簡単。

結果、出版社がどんどん登場するようになりました。
なんて話はおろか、出版社をつくるチャンスだよ、という声すら聞きません。
「つくること」と「つづけること」は別なのですね。
つくるのは簡単。けれど、つづけていくのはそれほど容易ではない。
これは、出版社にかぎったことではないようです。

起業前いろいろ相談にのっていただいた人のひとりにクロスメディア・パブリッシングの小早川さんがいます。彼はたまたま僕と同じ歳で、僕より一年前に起業されていました。それで、出版社をどう運営していくか、など根掘り葉掘りうかがいました。小早川さんは言いにくいこともあったろうに、こちらが意に介さず訊くこともあって、惜しみなく教えてくれました。
その彼がふとしたときに言ったことが今も忘れられません。

「起業した会社の半分が一年もたない。3年もつのは10%程度」

そのようなことを、「起業前」に聞いたのです。
正直、びびりました。
まだ「わずか一日」も会社をもたせた経験がなかったのですから。まして、一年もつこと、3年もつこと、など雲をつかむような感覚でした。
もうひとつ小早川さんに言われて印象的だった言葉があります。

「会社ができたら、一日でも早く売上をつくること。一円でもいいから」

それを聞いて、そういうものなんだぁ、と思いました。のん気なものです。そういうものなんだぁ、とは他人事のようなコメントではないですか。
経営のことなどまるでわかっていなかったのです。
起業を決意してから起業するまでの数カ月は、そうなんだ、そんなやり方もあるのか、とヒアリング学習の日々でした。
とにもかくにも、小早川さんからは、経営についての「超」基本をふたつ学びました。

会社をつくるという行為は、売上がたってはじめて成り立つ(決して登記が完了した時点ではない)。
会社をつづけていくのは、そうとう難しいらしい。
このふたつをふまえ、決めた方針がこれです。
まずは100年つづけること。

そもそも出版社をつくる以上、100年はつづけなければだめだという思いは最初からありました。
というのも、本は、何十年後、何百年後に読んでも新鮮であるべき、だから。編集者になるずっと前から思っていることです。
本の本質は、古びないことにある。とすれば、それを発刊する出版社は、ずっとその本を発刊しつづけることに意義がある。
ずっとそう思っていたので、「たいていの会社は一年もたない」と聞いたとき、ちょびっと、びびってしまったのです。100年先を考えていた脳に、「一年」という数字が、妙にリアルな重量をともなって響いてきたのです。そんなに大変なのか、早くもわが思いは挫折か、と。

それならば、と決意を新たにしました。あらゆることを「まずは100年やるため」という視点から発想することに徹しようと。
数年もたせるためのやり方はとらない。まずは100年つづけるためにはどうすればいいか。
数年後は目標ではなく、あくまでも通過点。そう捉えることにしました。

2006年の100年後ですから、2106年。
そのとき、ミシマ社という出版社が世界中の人たちに認知していただき、出版社といえばミシマ社だよね、と言っていただけるようになっている。そうなるには、どうすればいいか?
その際最初に思いついたことの一つが、「できるだけ小さな規模」で運営していく、ということでした。

本は一冊一冊が勝負です。
出版社の大小とコンテンツの良し悪しは関係ない。これこそ、出版という仕事の面白いところです。大きい出版社から出る本が必ずしも面白いわけではなく、小さな出版社の本が質で劣るわけではない。

本屋さんのもと、すべての本は平等である。
平等である以上、熱量の高いものから順に読者さんは手にとるはず。
この特質を最大限に生かさない手はない。
つまり、出版社にとっての目標を「規模」におくのではなく、「一冊一冊」におく。
その一冊にどれだけの熱量をこめ、どれだけの愛情を注げるか。
一冊にこめる熱量を拡散させないで、凝縮させる。そのためには、できるだけ小さな規模のほうがやりやすい。そう考えたのです。

まずは100年つづけるために、目の前の一冊にすべてを賭ける。
一冊入魂の精神は100年先を考えたときの必然でした。
(と書いたところで、前回の予告「一攫千金を狙わない」について一言も触れていないことに気づきました)

ミシマ社のばあい(3)―― オフィスを持つということ

ミシマ社の電話回線はミシマ社のものではない。
これは本当のことだ。

ミシマ社を創業する前、とにかく出費を少しでも押さえたかった。
なにせ現金はかぎられているのだ。「絶対に」必要なものだけに使い、「絶対に」とは言えないものはできるだけ違うやり方で乗り越えよう。お金がなければ工夫しろ、だ。
とりあえず、会社をつくるにあたり必要なものは何だろうか?
思いつくまま、リストアップした。

「法人登記の初期費用・手数料、電話回線、電話機、ファックス、コピー機、プリンタ、ネットのインフラ、机、椅子、ノート・・・オフィス」

オフィス?
ひとりで始めるなら、まずは自宅でやればいいじゃないか。そう思う方も多いだろう。
けれど、僕のなかでは「出版社をつくる=場をつくる」ととらえていた。場をつくるということは、人が集まるということだ。たとえどんなに小さなスペースであっても、人に来てもらえる場を持たなければいけない。
なぜなら、僕はフリーになるわけではなく、出版社をつくるのだから。出版社である以上、多くの方々に集まってもらわなければいけない。

書き手の方、印刷所の方、デザイナーさん、アルバイトさん、学生さん、ふとたずねて来た人、よくわからない人・・・。
老いも若きも男も女も、いつもごちゃごちゃ。
そういうカオス的空間こそ、出版社の「原風景」ではないだろうか。
なんとなくだが、そう感じていた。
「ごちゃごちゃ」から、真に「面白い」本が生まれるのだ、とも。

おいしい鍋は具沢山。それと同じことだ。整理整頓が行き届きすぎた料理には勢いがない。だけど、人が「うまい!」とうなるとき、そこには作り手や周辺の人たちの勢いがある。
大衆料理はすべてそういうものだろう。
高級料理(専門書)ではなく、大衆料理(一般書・読み物)で勝負する。その意思がある以上、「ごちゃごちゃ」を生み出す場は必然的にセットだと思っていた。
だから、オフィスは「絶対に」外せない。

「なぜ自由が丘なのですか?」

会社を始めたあと幾度となく尋ねられた質問だ。
2006年10月に法人登記したミシマ社は、自由が丘のマンションの一室で産声をあげた。
たしかに、東京の出版社は、神保町を中心に、表参道や新宿、池袋といった山手線内に多い。それは印刷所やら取次店やら関係会社、取引会社が周りにあって、便利だからだろう。デザイナーさんとの打ち合わせひとつとっても、近場同士だと都合がいい。自由が丘からわざわざ行くことを考えると、移動時間だけで30分から一時間は短縮できる。
それでも・・・。
自由が丘がよかった。
正確にいえば、自由が丘にしてよかった。

実のところ、自由が丘に決めた理由は、ほんのたまたまだ。参考までに山手線内の物件もいくつか見た。表参道、原宿、それにまったく気が向かなかったけれど銀座も見た。だけど、値段が高いクセに、ぜんぜんよくなかった。

部屋に入る以前に、ダメなところはダメだとわかるものだ。マンションの入り口にたった時点で、ここはなし、と瞬間的に却下。そういうところは、たいてい気が淀んでいて、暗かった。
これから毎日通う場所なのだ。オフィスというのは。
だから、少しでも暗い感じがするところは絶対にダメ。毎日行くのが楽しみになるような空間でなければならぬ。そしてお客さんが、「二度」来たいと思う空間でなければならぬ。

自由が丘の物件は、エレベーター前の広間についた瞬間、いい、と思った。
一階にドーナツプラントが入っているマンションの一室。建物自体は1966年築でけっこう古い。けれど、内装はリノベーションされたところで、新築といっても差し支えなかった。

エレベーターで4階に上がり、白い壁と白いドアにはさまれた通路を突き当たった左側に、空室の403号室があった。ドアを開けると、全面ガラスの大窓が目に飛び込んできた。部屋全体に光が差し込んでくるようだった。天井が高いのも気にいった。訊けば、「以前、D生命のオフィスビルとして使われていた建物を、こうしてマンションにしたものなんです」とのことだった。オフィス仕様だけあって、天井が高いばかりか、使用電気量の上限も高く、もろもろが会社として使うのに適していた。

「これはいい。うん、これはいい!」
内覧の席で思わず声をあげてしまった。
30平米そこそこで狭くはあったが、なによりも、空間がかっこよかった。
それでいて、それまで見たどの物件よりも条件的にもよかった。
山の手線内からはずれ、少し狭いのさえガマンすれば、快適な空間はちゃんと見つかるものなんだ。
小さな発見に胸躍った。

箱は決まった。あとは、そこに容れるモノたちだ。
電気ポットやらパソコンは自前のもので当面なんとかなる。
けれど、机や椅子は手元にない。

机は買うほかないだろう。椅子も、毎日自分が座る用にひとつは買おう。とはいえ、何脚も買うのはどうだろうか・・・。そんなことを思いながら歩いていると、家具屋さんやディスカウントショップなんかがしょっちゅう目に入ってきた。そして値段をちら見しては、座り心地を確かめたりした。わかったことは、案外、椅子は安く売っているということだ。数千円出せば、十分使える椅子は手に入ることがわかった。
しかし、だ。安ければいいというものではない。

これから最低100年はやっていこうと立ち上げる会社だ。お客さんが来て、安っぽいと思われてはいけない。何事も最初が大事。「今」をけちって快適性に欠けるものを買うよりも、「先」をみすえて快適なものを買うほうがいい。

快適性は感度を高める。そして感度の高い場に面白い人が集まる。
これは編集者になってからずっと、自分が素敵だと思う人たちに会うたびに思っていたことでもある。素敵な人のオフィスに行くと、とにかく場そのものが気持ちいい。
だからトイレットペーパーひとつとっても、けちるべきではない(トイレの快適具合は、案外記憶に残るものだ)。
自分がオフィスを構えるときは、来る人来る人、「また来たい!」と口をそろえる場所にしたかった。
そう思うと、椅子もなかなかいいのがない。値段がそこそこで、かつ、快適な椅子というのは。

結局、椅子は一脚から始めることにした。しばらくして、もう一脚は友人がプレゼントしてくれた。
ちなみに、その友人は電話回線も譲ってくれた。それは今もミシマ社の電話番号として活躍してくれている。ファックス番号も別の知人が譲ってくれたものだ。
そう思うとミシマ社のほとんどが創業前から応援してくださった方々の物品であふれている。

万年筆、コーヒーメーカー、花、コップ、本、小物・・・有形無形のさまざま。原稿を書いてくださる書き手の方々のみならず、本当にいろんな方々が応援してくださった。
こうした多くの人たちの思いに応えるためにも、早く出版社としてスタートを切らなければならない。
早く、仕事がしたい!
けれど、肝心の仕事がなかった。オフィスはあれど、本屋さんへの納品方法が決まらないままだったのだ。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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