ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第4回 ギラギラしなくていいじゃない(1)

2009.08.28更新

出版社をつくる!(4)―― 一攫千金を狙わない

しょっぱい話です。

格差社会、貧困問題が叫ばれる今の世の中、多くの人々が期待しているのは、「一発逆転」。
ある日を境にミリオネア。
アイディア一つで大富豪。
そういう「夢」があれば、人は、今の貧しき状況にも耐えうる。けれど、「一発逆転なんてないんだ!」と頭ごなしに言われると、夢ははかなき失意へと転化する。そして二度と這い上がれぬ絶望感が、魂をも蝕む。
だから、少なくともメディアは、人々を絶望の淵に追いやるような報道は慎むべき。そう思っています。
ところが、そう言っている本人が、一方で「一攫千金を狙わない」と言うわけです。
何をしょっぱいことを・・・・・・。
起業するからには、出版社をつくるからには、大ベストセラーを出して、一攫千金、一発逆転、新たなモデルになりなさいよ!
そんなお叱りが聞こえてきそうです。

ほんと申し訳ない。

メディアの端くれにいる者として、私とて、「おらおら、これが新時代の出版や! 格差社会なんてぶっ飛ばしてやる。出版不況? ふっ(鼻で笑って)、そんなもん屁や」、意気軒昂ほえたいものです。
ですが、僕の中の実感では、どうしても、「一攫千金を狙わない」というところから抜け出ません。

起業直前、ある出版社の社長さんに言われたことがあります。
「君も一攫千金狙ってるんだろ。出版社をやるからには」
そう言ってほくそ笑む社長さん。
絶句する私。
いえ・・・・・・そういうんじゃないんです。
口から出掛かった言葉をかろうじて押し止め、こう思いました。
そっか、何十年か前に出版社をやろうという人たちはこんなふうにギラギラしてたんだ。
正直なところ、その感覚のあまりの違いに、隔世の感を覚えました。

もっとも、私にもギラギラしていた時期があります。出版のことなど露ほどにも理解していなかった新人の頃です。その頃の私は、「出す本、出す本、ベストセラー」を夢みていました。そして、実際、企画を考えながら、「ああ、なんて面白そうな本なんだ。この一冊で世の中が変わるよ」、と自画自賛の日々を送ったものです。
が。
結果は、出す本、出す本、泣かず飛ばず・・・・・・とまでは行かずとも、まあ、それなりでした。セールス的には、そこそこ売れるものもあれば、イマイチというのもたくさんありました。
そうして何冊も編集していくうちに、「あ、本ってそもそも何十万人に読まれる類のメディアじゃないんだ」ということに気づいたのです。
少なくとも、何十万部を初期目標として企画するものではない。
(ですから、出版が職業分類として「マスメディア」に入っていること自体おかしいと思っています。「マスになることもあるメディア」が正確かと)

何十万部という数は、野球でいえばホームランです。一振りで試合をひっくり返す魅力と、ファンをベロンベロンに酔わす豪快さがそこにはあります。
ホームランこそベースボール。そういう意見もあるでしょう。
たしかに私もホームランバッターは大好きです。

97年夏、大学生だった私はシアトル近くの町に一カ月ほどいたことがありました。当時、全米中がある二人のホームラン競争に夢中になっていました。
マーク・マグワイア(Mark McGwire)とケン・グリフィーJr.(Ken Griffey Jr.)
「グリフィー52号」
「マグワイア53,54号連発!」
そうしたニュースが日々飛び交っていました。
「この二人は一体、何本までホームランを伸ばすんだい」
ホームステイ先の家族ともそんな話を日々繰り返しました。もちろん、地元シアトル・マリナーズのスター、「Jr(ジュニア)」の新記録を期待しつつ。
私も、3度キングドーム(今のイチロー選手の本拠地・セーフコ・フィールドは98年に完成し、翌年から使われています)に通ったのですが、気づけばすっかり「ジュニア」の虜になっていました。
「ジューニアー」
何度も何度も声をからして叫んだものです。ロッキーが「エードリアーン」と叫ぶ、あのリズムで。
あの頃私は間違いなく、「ホームラン病」に犯されていました。
ホームランこそがベースボールである。そういう病に。

最終的には、マグワイア58本、グリフィー56本。
ともに驚異的な数字を残して97年シーズンを終えました。
翌年も、マグワイア、サミー・ソーサに主役換えして、ホームラン病は全米、全世界へと感染地域を拡大していきました。
そして二人は、マグワイア70本、ソーサ66本という前代未聞の数字をたたき出します。

しかし。
後年、マグワイアとソーサの肉体に疑惑がもちあがります。
ステロイド疑惑。あのホームラン争いを支えていたのは薬物だった・・・・・・。
世界中のベースボールファンは、「裏切られた」と思います。あれだけ熱狂していたのは何だったのか? オレたちの夢を返してくれ!
あるファンは怒り、あるファンは失望し、一部のファンはベースボールから離れていきました。

忘れてはならないのは、ホームラン病という熱狂の陰で、数々の名プレーが生まれていたという事実。
97年のシアトル・マリナーズには、ケン・グリフィーJr.、ランディー・ジョンソン、マリナーズ一筋のおっさん・エドガー・マルティネスに並び、もう一人、スーパースターがいました。

アレックス・ロドリゲス(Alex Rodriguez)ことAロッドです。
まだ22歳のAロッドは、いまからは想像つかないほど線が細く、けど全身バネといった弾力性に富んだ肉体の持ち主でした。
この年、Aロッドは、3割(打率)、29盗塁を達成します。翌年には、42本塁打、46盗塁。しかも遊撃手(ショート)。走攻守三拍子そろった選手として、マグワイアなどのパワーヒッターとは違う、新時代のスターとしてシアトルでも絶大な人気を集めていました。
私の目の前でも、盗塁を披露してくれました。クリーンヒットを放ったあと、まるでチーターのような俊敏さと低い姿勢で、二塁に向かって駆け出しました。阪神タイガースの赤星選手のような小柄な選手とちがい、その肉体には、二塁ベースという獲物に向かって飛び掛かる野獣のような迫力がありました。
ホームラン病に罹る前のAロッドの姿です。
究極まで鍛え上げられた、自然の肉体だけが生み出すことのできる、無駄のない美しい動き。
結局、心に残っているものは、あの頃のAロッドの姿であって、その後、ステロイドに手をだし、各球団を多額の年俸でわたり歩く、筋骨隆々のその姿ではありません。

ホームランこそベースボール。されどホームランはベースボールの全てにあらず。
思い出してください。
ホームランバッターを1番から9番まで並べたどこかの球団は、やはり、そのとき勝てる野球も、魅せる野球もできなかったですよね。野球は、ホームランバッターだけでは、「成り立たない」のです。
理想は、全員、三割バッターかつ、全員輝く個性をもった、「ドカベン」明訓高校のようなラインナップでしょう。意外性の岩鬼、小技の効くトノマ、選球眼のいい微笑、長距離砲・土井垣、天才・山田太郎、シュアなバッティングの里中・・・こうしたバリエーション豊かな選手を並べるチームが、強くて、ファンに愛されるチームになる。

出版とて同じこと。
ベストセラーこそ出版である。されどベストセラーは出版の全てにあらず。
ベストセラーを企画の基準に据えることは、ホームランバッターを1番から9番まで並べるのと同様、「いびつさ」と「危うさ」を生み出します。
本でいえば、赤字にならない程度に買ってもらえる、ということが打順を考える際(企画をつくる際)、実は、もっとも大切なことの一つになります。クリーンヒットでなくとも、フォアボールでもいいから出塁する。そういう出版活動をしなければ、当たればホームラン、けどたいていはファンを失望させる「大振り」ばかり、という結果になりかねません。

それに、ステロイド打ちまくって大振りするよりも、本来、ホームランはクリーンヒットの延長上にある、と思うのです。
かつてのジュニアやAロッドのホームランがそうであったように。

ベストセラーもスモールヒットの延長上に生まれるもの。これが基本だと思います。
いっとき流行った、広告バンバン打って、どんどん印刷して本屋さんに大量に送りつけ、力づくでベストセラー。
それって、ステロイドいっぱい打って、大振りして、ホームランを狙う「ホームラン病」ならぬ「ベストセラー病」では?

すくなくともミシマ社はそのやり方はとりたくない。
もっと、原初ベースボールが持っていた自然なスタイルでいきたいと考えたのでした。

「一打席、一打席を大切にする(一冊一冊、思いをこめてつくる)。クリーンヒットをめざして(一冊がちゃんと読者に届くことを信じて)。時にはセーフティバントを試みて全力疾走(しぶい企画でもあえて挑戦、赤字にならない程度にがんばって売る)、時にはフォアボールを選んでいく(あとはご想像にお任せします)。ヒットの延長上に、二塁打、三塁打があれば、言うことなし。だけどここ一番には勝負に出る。デッドボールも恐れず、踏み込んで強振する。へっぴり腰ではホームランはおろかヒットも生まれませんからね」

その精神は、「ギラギラ」よりも「泥臭く」。そう、あの甲子園球児のように。

なにせ、明日の試合は保証されていないのですから。


次回「ギラギラしなくていいじゃない(2)――ミシマ社のばあい(4)資金繰りは他人事?」をお届けします。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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