ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第11回 ボールの重み

2009.12.01更新

今日から12月。2009年最後の月のはじまりだ。
早いものであと数日で3年がたつ。そう、ミシマ社の本が初めて世に登場した瞬間から、ちょうど3年。

以前、ここにも書いたが、出版社は本を出して初めて出版社として認知される。
本というカタチになる前の段階というのは、宙に漂う一片の塵(ちり)のようなものにすぎない。登記上は存在しようが、口でどれほど唱えようが、そこには「ない」。おそらく、世の中のあらゆることがそうであるように。
しかし、手で触ることのできる「モノ」になった瞬間、状況は一変する。その一秒前までは「ない」ものが、「ある」ようになる。

そういう意味で、『本当は知らなかった日本のこと』(鳥越俊太郎、しりあがり寿著、発行:ミシマ社、発売:WAVE出版)が書店さんに並ぶと同時に、ミシマ社は、「ない」ものから「ある」ものへと変身した。

こう書くと、この化学変化は「もっとも」なように感じられるが、振り返って考えると、まるで奇跡のような出来事にしか思えない。
そもそも、発売元となってくれたWAVE出版さんの英断がなければ、この化学変化はけっして生じなかったのだ。

「ミシマ社の本を発売しよう。発行はミシマ社、発売はWAVE出版。ただし、自社商品と同じように営業しよう」

当時、こうまで、WAVE出版の社長さんが言ってくれた。

あのとき、僕としては、それ以外に道はなく、ただただ必死だった。その発言の難しさにまで思いを馳せる余裕はなかった。
だけど、今はよくわかる。
実際に、この数年で同じような話を僕自身が受けるようになったからだ。

「出版社をつくろうと思うんです。ミシマ社から発売していただけますか?」

こういう提案をときおり受けるが、今のところ、一社も実現していない。
実現していないのは、明確な理由があるわけではなく、たまたまとしか言いようがない。ただ一つだけ言えることは、自社と性格のちがうコンテンツの本を売るというのは、「想像以上に」難しいということだ。
というのも、一歩間違えば、自社のイメージまでも損ねてしまいかねないからだ。
まさに両刃の剣。
有効打と思っていたら傷ついていたのは自分だった。そういう危険をはらんでいる。

たとえば、「発行:へんてこ出版、発売:ミシマ社」という形で、本屋さんに『へんてこな本』という本をミシマ社が営業することになったとしよう。

この本、「へんてこ」なのは、タイトルだけではない。中身もへんてこ。つくりも、へんてこ。何もかもが、へんてこ。通常、本文の最終ページに入るべき奥付が、10ページにもわたって掲載されていたり。もう、想像を絶するへんてこぶり。

本音を言えば、こういう出版社が出てきたとき、「一緒にやりたい」と思ってしまいそうな自分がいる。が、ここではあくまで仮定の話。そして、その仮定の話のなかでは、書店さんからネガティブな声がすくなからず届いた。

「こんなの本じゃないですよ」
「へんてこにも、ほど、があるでしょ!」

もちろん、「おもしろいですね」と言ってくださる書店員さんもいる。けれど、総じて批判的。

他社の本を発売するというのは、こういう危険も同時に引き受けなければいけない。つまり、コンテンツの質であるとか、目に見えないこだわりの部分とか、自社の積み上げてきたことが、多少壊されることになるかもしれないという覚悟が必要なのだ。金銭的メリットが多少あったとしても、失うもののほうが大きい可能性がある(実際のところ、金銭的にも、ほとんどメリットはないのだが)。

3年前のあの時点で、WAVE出版さんは、そうした覚悟を引き受けてくださったわけだ。なんの実績もない、まだ「ない」出版社の最初の本を売るというリスクを一身に負って。

そうして、本が書店に並んだ瞬間、「ない」から「ある」へとパスが出された――。

発刊前のころ、僕は目の前のことでいっぱいいっぱいだった。なにせ、まだ「ない」存在だったのだから。

とはいえ、必死なあまり、すべてを自分でドリブル突破して、得点をあげるフォワードのような気分になっていた。だが、ほんとうのところは、僕の足元にはボールはすでになかったのだ。知人を介してWAVE出版さんを紹介され、営業を委託することを決めてからは、ボールはもうあちらに移っていた。そして、そのボールが「ある」ほうにパスが出されるか、「ない」ほうにパスが戻されるかの決定は、僕のあずかり知らぬところにあった。

当然のことながら、「ある」ほうに走りこんでいた僕の足元ではなく、「ない」ほうへとバックパスが出されていてもおかしくなかったのだ。もしかすると、バックパスするほうが、常識的な判断だと言う人もいるかもしれない。けれど、幸いなことに、「ある」ほうのゴール前に走りこんでいた僕のところに、ふたたびボールは戻ってきた。

そのボールは、「ない」世界にいたころに僕が蹴りだしたボールとすこし様子をかえていた。その表面には、いくつもの蹴り跡やらここに辿りつくまでの道でついた泥なんかがくっついていた。だけど、当時の僕はその跡に気がつかない。ボールが戻ってきた瞬間、ものすごい勢いでドリブルを始めていた。

今だからこそ、足元に転がるこのボールを見ると、表面がずいぶんと変色したものだと認識できる。3年前のある日までは真っ白だったその表面が。
そして、その変色のひとつひとつが、「なかった」ものかもしれないことも少しはわかる。

3年前の今日。
自社の本でもないミシマ社の本のために、何人もの営業の方が、「ミシマ社という出版社ができました。第一弾でます。よろしくお願いします」と書店さんに頭をさげてくださった。

そうしたひとつひとつの無償の行為が、この間、ボールの表面にしっかり刻み込まれてきた。蹴り跡やら泥やらとなって、「ない」ころのボールにはなかった重みを与えている。

最近、ときどき感じることがある。
かつて軽々と蹴っていたボールがやけに重い。
ドリブルするのもままならない。
だけど、その重みをしっかりと受け止めなければいけない。その上で、ボールにこちらの力を過不足なく伝えなければいけない。
そうすることだけが、「ない」から「ある」へパスをつないでくださった方々への意思を継ぐことになるのだ。
それができれば、バーのはるか上をボールが飛び越えてしまうなんてこともなくなるだろう。

重みをもったボールだけが、低い弾道となってゴールに迫っていけるのだ。
「生きたボール」だけが、ゴールネットを揺らすことができるのだ。

汚れたボールに命を与えつづけたい。
変色したひとつひとつに宿る重みをひしと受け止めながら。


次回は「動く鏡」をお伝えします。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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