ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第15回 まっとうなこと

2010.02.02更新

「まっとうなことをまっとうに通じる会社にしたい」

2006年の秋、ミシマ社を設立する前後のことだ。山田ズーニーさんから連絡をいただき、『大人の進路教室。』というポッドキャスト向けラジオの第一回ゲストに招かれた。

ズーニーさんも、ぼくも「初」の場。とりわけ、ぼくは会社が動きだす前の段階ということで不安しかない状態だったし、そもそも「語ること」など何もなかった。それはそうだ。文字通り、「まったく」何もしていないのだから。そんなぼくがリスナーの方に語ることなどあるわけがない。行動が伴わない言葉なんて、まさに「口だけ野郎」の専売特許。ぼくがもっとも嫌うタイプだし、自分がそうなることに抵抗感があった。

ズーニーさんにその思いをお伝えしたところ、「それでいいんです。何かを成し遂げた人の言葉ではなく、日々もがきつづけている人の等身大の言葉が聞きたい」という応えがかえってきた。

それなら、ということで出演させていただいたわけだが、二人とも、とにかくかたい。ぼくは初ラジオと初経営という二重の「初」に緊張しまくりだし、ズーニーさんも初収録にプレッシャーを感じていらっしゃったようだ。

本番前、いよいよブースに入ると、二人とも急に無言になったりもした。それでも収録が始まると、喉から心臓が飛び出そうなのを抑え、ズーニーさんに導かれるまま訥々と話した。
そうして一時間ばかり話したときに出てきた言葉のひとつが、冒頭のものである。

「まっとうなことをまっとうに通じる会社にしたい」

本人としては、絞りだすようにして出てきたさまざまな言葉のひとつにすぎないのだが、番組になる直前に送ってもらった確認用CDで聴いたとき、この一言がフィーチャーされていた。

そのとき初めて、そうか、ここを気にいってくださったんだ、ということがわかった。番組配信後、多くの方々から励ましのメールを頂戴したが、相当数の方がこの部分を聞いて「まっとうな会社をつくってください」「そういう会社で働きたいとわたしも思っていました」といったリアクションをくださった。

実際、その後、ミシマ社の営業チームとしてメンバーに加わることになるワタナベやクボタも、この言葉が響いたと言っていた。

先日、営業事務募集の採用活動をおこなったが、ご応募くださった方々のなかにも、この部分に呼応していただいた方もいた。
とてもありがたいことだ。
そう思う一方で、違和感のようなものがときどきチクリチクリと内から皮膚をつついてくる。

どうしてこういう違和感が生じるのか。と問えば、ぼくの言葉足らずにすべての原因がある。

大切なことをいろいろ、番組では十分に語っていないのだ(記憶にたよって書いているので実際のところはわからないのだけど。というのも、あまりに恥ずかしかったので、確認用音源を聴いて以来、聞き返したことがない・・・)。

だが、このままでは少し無責任ではないかと思った。
今回の採用活動を機に、あらためてこの言葉の重みをひしひしと感じた。人数の多寡にかかわらず、一人でも自分の言葉によって、就職というとてつもなく大きな決断をするにあたって影響を受けている人がいる。とすれば、番組内での発言と、この言葉にこめた自分自身の中の感覚との間に、溝があってはいけない。

実際には、言葉と僕自身の中の感覚には溝がないのだが、伝わったものと発したものの間に溝ができているからこそ、ぼくはなんとなく違和感を覚えているのだろう。
その違和感を埋めなければいけない。

番組内で語れなかったひとつに、「まっとうなこと」は複数あるということがある。
これこそがまっとうである。
そんなことは誰であっても言えないはずだ。
そのことを内田樹先生は『街場の中国論』でこんなふうに書いておられる。

中国のことを考えるときは、彼我の抱え込んでいるリスクのスケールの差を勘定に入れる必要がある。・・・十三億人を統治するために必要なマヌーヴァー(政略)は、たとえばデンマークの首相が五百万のデンマーク国民を統治するときに駆使するマヌーヴァーよりも、はるかに狡猾で非情なものにならざるをえない。

同様に、10人の会社の経営者と、100人の会社の経営者と、1万人を抱える企業の経営者とでは、「マヌーヴァー」に相当するものは違ってくる。「マヌーヴァー」が違ってくるということは、そこに行き着く根拠となるべき「まっとうなこと」も違ってくるということだ。

10人の会社の経営者であれば、10人の考える「まっとうなこと」をふまえた「まっとうなこと」を根拠にするだろうし、100人の会社であれば100人のそれをふまえたものを拠り所にするだろう。1万人であれば1万人の・・・。

もっとも、理屈としてはそうなるのだが、実際的には1万人の会社でそうするのは不可能にちかい。立場も年齢も生い立ちも何もかも違う1万人が考えるバラバラの「まっとうなこと」をふまえることなど。1万人どころか、1000人、100人であっても実現はむずかしいだろう。
だから、ぼくが「まっとうなことをまっとうに通じる会社にしたい」といったとき、毎日顔をつきあわせて性格なんかも把握しつつ働くことのできる人数、つまり10人程度を前提としていた。

その人数であれば、ぼくの考える「まっとう」とあなたの考える「まっとう」、あの人の「まっとう」を抱え込んだまま、どれも否定することなく、「いい方向」を導きだせるのではないか。
そう考えたのである。
だからといって、けっして、あなたの考える「まっとう」がすべて実現しますよ、ということではない。

忘れてはいけないことがある。
ぼくのまっとうはあなたのまっとうとちがうのだ。

ときにその「まっとう」は、それぞれ矛盾したものだってある。
それでも、ぼくたちは日々仕事をしていき、少しでもいい方向に進んでいかなければいけない。
そういう日々のなかで、周りの声には耳を貸さず、「ぼくはこう思うんです」「ぼくのやり方はこうなんです」とその人だけの「まっとうさ」(それはときに、「わがまま」と呼ばれるもの)にこだわる人が出てきたときのことを想像してほしい。

いちいち仕事は止まってしまう。
周りも「無用」の気をつかうことになる・・・。
結果、一人の「わがまま」のために、全員が不幸になるという本末転倒な結果になってしまいかねない。
なぜなら、周りと孤立した位置で個人のまっとうさにこだわるという状態には、「他者」が存在していないから。そこでは、他者のまっとうさは否定されてしまっている。

唯一、このわがままが許されるとすれば、その条件は、その人が「マラドーナ」であることだ。味方にパスを出さず、チームの戦術も無視し、個人技に走る。それでもチームを勝利に導くことのできる、「神」のような存在。もちろん、そんな人など「ほぼ」存在しない。

まっとうなことを通じる会社――。
それは、自分の意見を押し通すことではなく、他者を否定することなく、いい意見を聞き入れ、それを最大限生かそうとする、その動きを全員がスムーズにとれる会社のこと。

だから、そういう会社にしていくためには、メンバーそれぞれにも、高いコミュニケーション力が求められる。一人の人間が「こういう会社にしたい」と言って実現できることではない。
だから、まっとうなことを通じる会社のメンバーに、最初に求められる能力はこれに尽きる。
人の話を聞き、尊重しつつ、一番いい意見を瞬時に判断し、理解する力。

一言でいうほどやさしいことではないし、ぼく自身をふくめ全員まだぜんぜんできていない。日々、切磋琢磨して身につけていかなればいけないものである。

ところで、「そもそも」のところで、こういう疑問をお持ちの方もいらっしゃると思う。

まっとう、まっとうっていうけれど、まっとうって何?

この問いに関して、残念ながら即答できる答えを、もちあわせていない。
一般論として、「まっとうなことというのは」と語るには、いまの自分にはとても及ばない難題だ。
ただし、自社における「まっとうなこと」に関しては、すこしだけ考えうる余地がある。

時計の針を2006年に戻す。

この年、ぼくは苦しんでいた。
自分の考える「まっとうさ」が会社の「まっとうさ」と重ならない状態がつづいていた。
僕の考えるまっとうさは、「出版社として自立するために、ヒットを出せる会社にしていくこと」を基準にしていた。

会社は、おそらく、「これまでの会社の風土を守りつつ、現メンバーの力の底上げをはかること」を基準にしていた(と思う)。

一見、両者ともに似ているようだが、根本的なところで相容れない関係になっていた。
というのも、ぼくのほうはメンバー全員の力が最大限に発揮できる案を提出できないでいたし、会社はぼく個人の力の生かし方を見出せないでいたからだ。

つまり、「矛盾を抱え込んだまま、それを乗り越える形」が見つからないまま時だけが過ぎていった。
だけど、どうして、両者はここまで平行線をたどらざるをえなかったのか?

さらに時計の針を三年先まで戻す。
2003年夏。
ぼくは一社目の会社を辞め、二社目の会社に入るまで「フリー」の状態になった。ほんとうのことを言えば、「旅人」という名刺をつくって、旅人という肩書きはあったのだけれど。もちろん、収入面でいえば完全に無収入だし、それどころか、旅している間は旅の経費だけ出続けるという完全な赤字状態だった。

しかも、ぼくは社会人になってから父が病気になったため、両親を養わなければいけない立場にあった。
追い討ちをかけるように、旅の途上では財布を盗まれるし、経済的には、散々な時期だった。
だけど、そのとき見えたものがいっぱいある。

出版業界というのは、著者の方やデザイナーさんをふくめ、有名無名問わず、星の数ほどの「フリー」の方々の集合体である。
むしろ、「出版社」という組織のなかで、個人の活動(給与面においても、社会的な意味においても)が守られている状態のほうが珍しい。

とすれば、自分の感覚というものも、できるだけ「フリー」に近いところに置いておくほうがいい。組織の大小や社会的基盤といったところとは無縁のところで、一冊の本は生まれるものなのだから。

さいわい、そのときのぼくはそういう環境に身を置くのにまったく困らなかった。入った会社では最年少だったし、誰もぼくのやってきた仕事のことなど知らなかったし、おまけに財布まで盗まれていた。
ある意味、出版という仕事をするにあたって、これ以上の環境もないというくらいの恵まれた諸条件を備えていた。

だけど、それはちょっと恵まれすぎ、というものだったのだろう。
会社というのは不思議なもので、出版社であっても、そういう恵まれたほうに向かうよりも、豊かさを薄めた(としか思えない)不毛な場所にいきがちだ。もちろん、何を恵まれているとするか、という価値基準の違いといえばそれまでだけど。

とにかく、その結果として、当然のことながら、立ち位置のちがうぼくと会社とでは、お互いの「まっとうさ」が相容れないところに陥った。
残念なことに、「マラドーナ」ではないぼくは、他者のまっとうさを否定しつづけ、自分を押し通すパワーを持ち合わせていなかった。

このまま他者を否定しつづけるか、それとも、自分のまっとうさを棄てるか。
それは、イコール、編集者を続けるか、それとも違う職種の人間になるか、の選択でもあった。
ぼくがミシマ社をつくったのは、編集者でいつづけるための唯一の帰結であった。

こうした自社における「まっとうなこと」に関して、ぼくが常に自覚的であったわけではない。
そのことを思い出したのは、最相葉月さんが書かれた一文に出会ったからだ。
この二月に発刊する『未来への周遊券』(瀬名秀明さんとの往復書簡)の一通目で、最相さんはこう書いている。

明日さえわからないのに未来など考えられないとうそぶくのではなく、明日生きることをまず考える、その積み重ねが未来をつくると知った。未来は、私という個体の死をやすやすと超えていく。ならば、せめてこの世に生を受けた奇跡を大切にしたい。自分ができることをするだけだと思った。

「明日さえわからないのに未来など考えられないとうそぶくのではなく、明日生きることをまず考える」
一瞬にして心を射抜かれた。
そうだ、これだ、と大発見にたちあったような感動がこみあげてきた。

世の中に、いろんなまっとうさはあるだろうけど、ミシマ社の「まっとうさ」の拠り所は、「明日生きることをまず考える」、その感覚から遠くないところでありつづけたい。


次回の更新は、2月16日です。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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