ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第16回 ワークショップ誌上レポート

2010.02.16更新

「ミシマ社の本作りを体感しよう!」

一冊の本には、それぞれ物語があります。
ミシマ社の本は、どのように生まれたのか?
そもそもなぜ小さいのに、「総合出版社」なのか?
出てくる企画はどうしてこんなに「ばらばら」なの?
実際に発刊した本のエピソード紹介とともに、
こうした疑問にお答えしていきます。
これまで「企業秘密」にしていた「企画・編集」の話を、
初めてちょこっと公開します!
(寺子屋ミシマ社スペシャル編・募集文面より)

2010年2月14日、寺子屋ミシマ社スペシャル編 を開催した。
今回はその模様をダイジェスト版でお伝えします。

「今日はこんなにお集まりいただきありがとうございます。
いやぁ、うれしいです。じつは、一人も集まらないんじゃないかという不安があったんです。いや、ほんとに。
これまで自由が丘の一軒家をつかって、「寺子屋ミシマ社」というのを何度かやってきたんですけど、今日はいつもと趣向を変えて、初めてミシマ社の「企画・編集」を語る、ということで。誰もそんなもん、興味ないんじゃないの、と不安だったんですね。

君の編集方針なんて聞いてもぼくの仕事には何にも関係ないよ。
そう言われたら、はい、その通りです、と答えるしかないですから。
ぜんぜん参加希望者が集まらないときは、仕方ないんで、『ミシマ社コント100連発』とか、企画変えするしかないという気持ちでした。けど、『コント』だともっとお客さん集まらないかも(苦笑)。それでも来てくださいました? え、無理・・・。そりゃそうですよね。企画変えしなくてよかったです(笑)」

「前置きはこれくらいにして、ミシマ社の本づくりについてお話していきます。
ところで、ミシマ社という出版社をご存じですか? おお、みなさん。ありがとうございます。とてもありがたいです。いえ、じつは、寺子屋ミシマ社に来られる方でも、ミシマ社を知らないという方もいらっしゃるんですよ。そうすると、いちおう出版社でして、というところから話さなければいけなくなり・・・。
今日は、その大前提のところは大丈夫そうですね。
ミシマ社は、出版社です。はい。これは大前提ということで。
ではどういう出版社かというと、みなさん、どういうイメージをおもちですか?
はい、なるほど、はい。
自由が丘のほがらかな出版社。そうです。そのとおりです。そこの壁に貼ってあるとおりです(笑)。ありがとうございます。
ほかにはどうでしょう?
原点回帰の出版社。
ありがとうございます。よくご存じで、うれしいです。
ほかには?
小さな総合出版社。
おお、お見事。もう何も話すことはございません。以上で今日のワークショップは終了です(笑)」

「実際のところ、こういう言葉にミシマ社の企画や本づくりも集約されているように思います。これまで3年と4カ月で19冊の本を出してきました。その中から、今日は、直近の三冊『<貧乏>のススメ』『超訳 古事記』『ボクは坊さん。』を具体例に、ぼくたちの編集の考え方を話していきたいと思います。

一見すると、この三冊、まったくのばらばら。貧乏に神様に坊さんですから。
いったいどういう出版社だ、どこに向かおうとしてたんだ、とつっこみもあろうことかと思います。
ですが、じつは、この三冊にはちゃんと共通しているものがあります。どういうつながりがあるのか。ちょっと考えていただけますか」

「わかりましたでしょうか。では、その仮説を頭の片隅において、聞いていただければうれしいです。
まずは『<貧乏>のススメ』から。著者は、言わずと知れた齋藤孝先生です。

超売れっ子の齋藤先生ですから、各出版社からいろんな企画の本を出していらっしゃいます。日本語の本から、三色ボールペン、会議、話し方、一分間で伝える技術といったものまで多岐にわたっています。齋藤先生のおもしろいのは、すごく根本的で本質的な思想やら哲学といったものの「核」を抽出して、それをかぎりなくシンプルなメソッドとして提示しているところです。

出てきたアイディアは、三色ボールペンであったり、マッピング・コミュニケーションであったりと、小学生でも使えるほど、どシンプルなものですが、その原点をたどれば、ものすごく深いところにまで根をはった考えだったりします。そのあたりが多くのビジネス書ライターと決定的にちがうところですね。

この『<貧乏>のススメ』は、じゃあ、齋藤先生の根っこの部分をもっとフィーチャーして本にしたら面白いんじゃないか、そう思って企画したものです。もちろん時代状況的にも、必要が高まっていると感じていました。とにかく、齋藤先生の原点は、貧乏時代にある。そこの言葉がいちばん響くはずだ。そういう確信をもって発刊したのですが、齋藤先生の原点は本当に貧乏時代にあるのかどうか、実際のところはわかりません(笑)。あくまでもぼくの仮説です。「あとがき」で、「一緒に江古田の公民館で卓球に興じた仲でもあり、貧乏をともに楽しんだことをなつかしく思った。」と書いてくださっているので、まちがいないと思ってはいますが。

この本で先生は、「貧乏時代の体験や思いというのは、マグマのようなものだ。化石燃料にしていつでも燃やせるようにしておこう!」とおっしゃっています。そういう意味では、いま、ミシマ社はマグマそのものです。いったん化石燃料にして燃やすという段取りをふむまでもなく、マグマ直送、とりたて熱々です。本にお触れになる前には、くれぐれもやけどにご用心を」

「次に『超訳 古事記』ですが、これはもう言うまでもありません。齋藤先生の本が、ご自身の原点に回帰した本であれば、『超訳 古事記』は、この世の始まり、にまで回帰した本です。鎌田先生、すさまじいスケールです。

念のため申しますと、『古事記』というのは、日本最古の本です。712年、稗田阿礼が語り、太安万侶が書きとめてできたもの。ですから、再来年が古事記誕生1300年になるわけですね。その古事記を現代に蘇らせようという壮大な試みをしたのが本書です。何も比喩で言っているわけではなく、文字通り「蘇らせよう」としたのです。

ではどのように蘇らせようとしたかと言いますと、鎌田先生が、現代の稗田阿礼、つまり「鎌田阿礼」となられました。サングラスをかけた鎌田阿礼が畳の上に仰向けに寝そべります。同時に、自然と部屋には暗がりが広がっていきます。しばしの沈黙。もちろん、手には参考書も何もありません。なんといっても古事記の語り部・鎌田阿礼ですから。全身に古事記が宿っているわけです。
静寂。やがて、鎌田阿礼が口を開きます。「しゅうう... ふぅう... しゅうう... ふぅう......」

二日間の語りを終え、鎌田阿礼は言いました。「何も用意せず、まっさらになれた。だから言葉が降りてきたんでしょう」
まさに神語りですよね。もともと神話は口承文化なわけですから、そういう意味でも、本書は、古代を現代に蘇らせる試みだったわけです。
こうしたことが可能なのも、ひとえに、鎌田先生が、全身古事記な人だからでしょう。それほど、鎌田先生にとって、古事記は自分の中心を形成する大きな存在なのです。
つまり、著者にとっての原点の中の原点を本にしてもらったというわけですね」

「最後に『ボクは坊さん。』です。この本は、24歳の青年がとつぜん、住職になって8年間、七転八倒する日々をつづった坊さんのリアルストーリーです。

もともと糸井重里さんのサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』で連載されていたものを本にまとめようというところから企画が始まったわけですが、ひとつひとつのエピソードはとても面白いのですが、本にして並べたとき、なんだか妙に落ち着きがわるかったんですね。
一篇読みきりで書かれたものが、たとえ一つ一つがよくても並べたときに線にならない。これは、けっこうよくあることです。ただ、このミッセイさんの本に関しては、それだけが理由ではないように感じました。

かるーいエッセイ集として発刊するというのもひとつの手。たしかに、そういうのが得意な出版社もあるだろうし、もしかすると他社であれば、そっちのほうを好むかもしれない。けれど、ぼくはミッセイさんは、もっと、なんというか、適切な言葉ではないかもしれないですが、「本格的」な本を書ける方だと思ってました。ですので、木魚で殴られるのも覚悟のうえで、頼んでみました。「真っ裸になって一から書き直してください」。いやぁ、ほんと恐れ多いことを言ったものです。ここで怒りだして、すべてご破算。そういうことだってありえました。けれど、ミッセイさん、全編書き直してくれたのです。すると、点がどんどんと線になっていき、さらにひとつひとつの「点」の輝きもずっと増していきました。

とにかく、デビュー作というのは、もうこれ以上書けないというところまで書ききることだと思っているので、それを実行して、すばらしい原稿をあげてくれたミッセイさんにはただただ頭が下がります。あとで、ミッセイさんはこんなふうに語ってくれました。

『文体も変え、ゼロから書き直してみて、いまの自分にはこっちのほうがしっくり来るというのがわかった。ほぼ日の文章は、24歳のときの自分にしっくりきていたもので、いまはかえって不自然になっていたかもしれない』

それを聞いて、なるほど、点が線にならないことだけでない違和感は、そういうことだったのかと思いました。
その歳にふさわしい文体というものがあるんだなぁとあらためて実感したわけです。
こういうふうにして、ミッセイさんのデビュー作は完成しました。最高の一冊です」

「というかんじで、3冊の本をご紹介しましたが、ミシマ社企画の共通点はおわかりになりましたか?

え、はいはい、なるほど。
藤川球児。その心は?
直球勝負。
はい、そうです。その通りです。ありがとうございます。
ほかにはいかがでしょう?

ミスター。
なるほど、記憶に残りつづけるという意味ですね。まさにミシマ社本づくりの骨格をなす志向です。
ほかにありますか?

え、ちょ、長州力!? はてその心は?
ど真ん中。
おお、もう言うことありませんね。
皆さん、おそらくミシマ社メンバーよりミシマ社のことをよくわかっていらっしゃる。
え、わかりやすい? あらそうですか。これまた失礼しましたっ」

「では最後にミシマ社を四字熟語で表現してみてくださいませ。
ちなみに、原点回帰、というのはなしですよ」

「おおーー、こうきましたか!
たしかに、それはいいですね。
○○○○の出版社
うーん、これいいっすねー。これ採用します。一週間後くらいから一週間、うちのホームページのトップに掲載しますね。「自由が丘のほがらかな出版社」の代わりに!
どうぞお楽しみにしてください。
いやぁ、あっという間の一時間でした。本日はどうもありがとうございました」

ぱちぱちぱちぱち。

以上、仮想レポートでした。


・・・そうなんです。すべて仮想ですみません。。
実際のところは、明日の本番を迎えなければ私にもわかりません。ぜんぜん違う内容になっていたりして。
(2010年2月13日、寺子屋ミシマ社スペシャル編の前日に記す)

注:結局、ワークショップでは、「ミシマ社を四字熟語で表現してください」といった問いかけは三島のほうからなく(単に忘れたのか、意識的にやめたのかは不明)、ホームページのスローガンが変更されることもなくなった。会のあと、「いつか、そういう試みをしたい」と語ったという説もあり。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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