ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第19回 革命よりも(Not Revolution, but・・・)

2010.04.06更新

数週間前のことだ。
たまたま訪れたレンタル屋でたまたま目にしたDVDを借りた。そしてその夜から自分の生活が激変した。
是枝裕和監督の『大丈夫であるように―Cocco 終らない旅―』。
一作のドキュメンタリー映画を通じて、歌手・Coccoに完全に打ちのめされた。
翌日から、全CD、ライブDVDを買い、Cocco三昧の日々をすごしている。じっさいこの瞬間も、Coccoがちゃっかり流れている。
この間ぼくが確信とともに発見したことといえば、「Coccoがいるから世界はなんとか動いている」というものだ。いささか飛躍があるように思われるだろうが、パチン! と音をたてて見えたのだからしかたがない。

連日つづくCocco生活のある日、大学時代の友人が鳥取に転勤するというので、「栄転祝い」(?)を開いた。男5人という、なんとも華のない集まりだったが、Tという男と5年ぶりの再会があったり、けっこう楽しい時間を送った。そもそも、ぜんぜんちがう仕事をしている人の話はそれだけで楽しいものだし。もっとも鳥取転勤話が「ほぼまったく」出なかったのは申し訳ないかぎりであったが。

Tがつとめる某繊維メーカーは、この不況下にあって「絶好調」を維持しているという。なんでも、中国での需要がすさまじい勢いで拡大しているらしい。
「何十年も前にイノベーションが生まれ、その技術が形を変え、今も何千人を養っているんや」
「ひとつのアイディアで世界は変わる」
Tは何度も繰り返しそういった。そして酔いにまかせて、ぼくたちが身をおく出版業界を痛烈に非難しはじめた。
「はっきりいうとやな、出版業界は古すぎる。いまや、グーテンベルク以来の革命といわれてる、電子ペーパーが出てきてるんやで。時代とともにライフスタイルも変わってんねん。読みたいときに読みたいやろ。夜中、読みたいと思ったらすぐに読み出せる。なんでそれができひんねん」
聴きながら、その通りだと思った。事実、「その通りや」とこたえた。酔っているとはいえ、「一読者の意見やで」とわざわざ断って話してくれた率直な発言が、単純にうれしくもあった。
ほんとうは出版界の片隅で小さな活動をしているにすぎない出版社の一編集者にすぎない身ながら、役回り上、この日は「出版」を代表して述べることになった。

「たしかにその通りなんだけど、いま出版社がやるべきことは、そっちじゃないんだ。電子ブックはどんどんやればいい。けど今ぼくたちが直面している問題は、紙か電子か、という『出口』のほうにはない。そうじゃなくて、『入口』がふさがりつつある、そのことが最大の問題なんだ」
酔っ払ったTは、「は?」とハテナマークを点した顔をしていたが、実際のところ、今ぼくたちが真摯に向き合わなければいけない現状は、こういう姿なのだと思う。

「ここに、大きな大きな古木がそびえています。
その木は『樹齢150年だよ』といわれることもあれば、いやいや、優に千年は超えるという人も。とにかく、とても古く、とても大きな木です。
この木は毎年毎年、大きな果実を生み出してきました。その果実をもとめ、たくさんの人やものが集まってきました。星の数ほどの有象無象が一本の木にぶらさがったり、木の下で雨をしのいできたのです。
この老木は奇跡的な働きをして、これまで長年多くの人たち(もちろん、この木で育ってきたぼくたちみんな)を支えてくれました。だけど、どんな大木であっても生きるものすべてに寿命があります。
いまや、根っこは弱り、幹は朽ちかけています。それは誰かのせいという次元の話ではなく、たんに寿命がきつつあるというだけのこと。
もう、大木にこれ以上の負担を与えないで、そっとしておくべきときです。
ぼくたちがやるべきは、その大木が生きながらえているうちに、小さな苗木を植えること。
けっして促成栽培することなく、地中深くにしっかりと根を張った木をそだてること。
その木はかつてのように大木にはならないかもしれません。
けれど、嵐の日も雪の日も、けっして倒れることのない木。
毎年毎年、豊かな実をもたらす木。
こうした小さくて、しなやかな木々が、あちこちで出てくるようになれば。
そしてその萌芽は今もう、実際に見られるはずです。
ぼくたちは、その芽を愛情たっぷりに育てていきたい。
百年は倒れないような根をはりつつ」

そういう姿を見据えつつ、これからの出版のことを語る必要があるとぼくは思う。
出口は多様であればあるほどいい。
本屋さんでも、ネット書店でも、電子ブックでも、いろんな形で「本」というものを享受できるのであれば、それでいい。あとは、それぞれの人の趣向やライフスタイルや気分にあわせて、一番フィットするものを選んでいけばいい。

だけど今、出口に贈るべきものを産む「木」そのものが弱っている。入口がふさがりつつある。
入口が完全にふさがってしまったら、二度と開けることができないかもしれない。
大木が倒れてからでは、新しい木を植え育てることは不可能かもしれない。
だから、まだ大木が維持されているうちに、新しい木を植え、強くしなやかな木を育てていかなければいけない。
革命では、木々が倒され、ぺんぺん草になることはあっても、けっして木は育たないのだ。
「一夜にして、すべてがドラスティックに変化した。出版が抱える問題も本づくりの手間も何もかもが、過去の心配事にすぎなくなった――」
そういう物語を信じたくなる気持ちもわからないでもない。
けれど、現実の世界では、じょじょに過去の遺産は失われ、蓄積されてきた技術や態度やら大切なものごとが消失しつつある。
忘れてはいけないのは、革命じゃ、根っこは根付きやしないってことだ。

じゃあ、硬いかたい地面をやわらかくし、根の入る隙間もない地中に根をはるにはどうすればいいのだろう?

答えは・・・愛情こめて耕す、それしかないのではないだろうか。
誰かが耕してくれていた肥沃な土壌が貧しくなったのであれば、一から、土壌づくりからやるしかない。
それはその土地で生きようとする人たちの日々の献身的な行為でしか実現しない。実を収穫するまえのとてもとても地味な行為だけど、だれかがやらなければ、未来のある日、「採るべき実はまったくありませんでした」、そう言っていることも十分にありうるのだから。

 〝生(い)け贄(にえ)〟という制度が、まだ残っていたらと想(おも)う。迷信やおとぎ話ではなく現実的かつ具体的効果をもたらす、確実に保証されたいんちきなしの〝術〟としてだ。
 (略)
 最初から基地がなければこんなことには・・・、なんてそんな〝たられば〟の話では前に進めない。
 私は、生け贄になりたい。
〝もしも願いが叶(かな)うなら〟なんて、〝たられば〟よりたちが悪いかな。
 たとえば私を白い布でぐるぐる巻きにして海に投げ入れるもいい。機関銃で撃ちまくって、家族が確認できないほどの肉片にするもいい。これが終わるなら、この問題がもう終わるなら、そのために〝生け贄〟が必要だとすれば、私は真っ先に手を挙げよう。
「こっこタイム。」(1)もしも願いが叶うなら 沖縄タイムス2010年1月5日より

Coccoは「生贄」になりたいと言う。
この意志。この意志だけが、自分が身をおく場所に対して、いま一番必要なものなんじゃないか。きっと沖縄だけでなく、出版だけでなく、あらゆる人たちの身をおく場所において。
「この産業もうあかんで」
「あの人たち、もう終わりや」
そう言う前に、自分自身が育った場所、感謝している場所(それが職業であれ、家族であれどこであれ)に自身の身をささげること。

もちろん、それは簡単なことではない。自分の身をひとつのこと、ひとつの場所にささげるなんて、一度も経験していない段階では、とてもおそろしいことに思えてくるだろう。
バンジージャンプを飛ぶ前に感じる恐怖、未知なる場所に旅する前に感じる不安と同じようなものだ。だけど、自身の身を投げこんで得た体験だけが、心からの「快感」をもたらしてくれる。それはレベルの差こそあれ、誰もが経験したことがあるだろう。もちろん、快感は一部分で、大半はしんどい時間かもしれないが。
けど、忘れてはならないことがある。ぼくたちが普段、不自由なく毎日を送っているという「そこそこの快適さ」の大部分は誰かの献身的な行為によって成り立っているのだ。世界がこうして日々なんとか動いているのは、あらゆる分野で、そのことに身をささげて働き、動き、考えている人たちがいるからだ。
その意味で、だれかの犠牲のうえに、ぼくたちは生きている。
見ないことにすることはできても、そこから逃れることはない。
生き甲斐がないとか、やる気がでないとか、社会がわるい、会社がわるいという前に、世界と自分がつながろうとする「意志」があるかどうかを自問しなければいけないだろう。
それがあれば、あとは、思いきって飛び込んでみるまでだ。
自分の目の前に横たわっている世界に自分の身をささげるだけだ。
そうすれば、世界が少しだけ自分のほうに、あるいは自分が少しだけ世界のほうに近づけるのではないか。

Coccoはそのことを、身をもって教えてくれている。
Coccoがいるから世界が動いている。彼女の歌うたいは、現代社会への「生贄」そのものなのだ。彼女の強烈な意志がおかしくなりそうな世界をなんとか食い止めているのだ。

出版においても、同じことがいえる。
一人の献身が、出版という木とぼくらが住む大地とをつなぐ結節点をつくりうるのだ。

革命よりも献身を(Not revolution, but devotion)。

強くしなやかな木を育てよう。硬い地面に根をはろう。強風にも負けない、干ばつにも負けない、真に強い木と根を今こそ・・・。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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