ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第20回 ミッセイさんに学ぶこと

2010.04.20更新

つい先ほど気づいたのだけれど、『ボクは坊さん。』の著者・白川ミッセイさんはぼくより年下だった。
だから?
と言われたら返答に困る。たしかにそれだけのことにすぎない。
ただ、ぼくはそのことにほんのちょっとびっくりしたのだ。
もちろん、年下であること自体は知っていた。なにせぼくが著者略歴を作成してミッセイさんに確認してもらったのだから。
それでも、あらためてびっくりしたのは、自分が編集した本の著者で初めての年下著者だったからだろう。その意味では、『坊さん。』は個人的にもエポックメイキングな一冊といえる。

どちらかといえば、修行癖のあるぼくは圧倒的存在感をもつ人たちと仕事をすることが多かった。20代前半から半ばにかけては、糸井重里さんや、齋藤孝先生、はたまたベンチャースピリット溢れる米倉誠一郎先生らとの本作りに、文字通り、燃えた。
20代の半ばから後半にかけては、内田樹先生から「勝った負けたと騒ぐじゃないよ」(@内田先生との最初の編集本『街場の現代思想』)という視点を注入された。

こうした著者の方々との本作りは、ぼくの中に鮮度そのままに保存されている。火種はいつもそこにあって、まさに「一息ふきかければいつでも取り出せる」(@『<貧乏>のススメ』)のだ。
会社をつくってからは、個人の学びよりも、毎日が高校野球の状態になってしまった。
そうなると個人の満足で走ってなんかいられない。

たとえ、個人としてホームランを打ったり、いいピッチングができたとしても、チームの勝利に結びつかなければ「明日」はない。実態としては、本当にそんな感じ。
けれど、ありがたいことに、著者の方々のパワーに導かれて、結果としても「明日」の地点にまで連れていってもらっている。

作品の中身的にも、同じことがいえる。編集者であるぼくはただただ、そうありたい世界へと連れていってもらっているだけだ。
ところが今回のミッセイさんは年下、しかも著者にとって初の本。さらにぼくにとっても年下著者との初の本作り。
これまでも初めて本を書く人の編集は何度かやってきたものの、今回は人生経験においてもリードするのが自分の役目・・・。
こいつは大変困った。

ここで話を180度、ないしは異軸へと展開したい。
会社をつくって三年目の夏のある日のこと――。

ぼくは、よれよれの白シャツをズボンに「イン」し、東横線にのって会社へ向かった。
シャツのよれよれ具合ときたら、汗一滴でさえ染みとおし、汗がそのままあふれ出てしまわんばかりに、薄くてぺらぺら。何年も着古し、もう汗を吸収しすぎてるのだ。しかも、そのシャツの表面には、エニグモの田中(禎人)さんと飲んだとき、田中さんに油性マジックで落書きされた「ミシマ社ロゴマーク」がくっきり。それだけではない。通常のミシマ社ロゴは円(まる)の中に「ミ シ マ」の三字だが、シャツにはハートが描かれている。その中心に、「ミ シ マ」のロゴマークが入っているのだ。

それを着て、その年の夏、何度も何度も東横線に乗った。ときどき、サングラスまでかけて乗った。
あきらかに異様な人だ。
なぜそんなことをしたのか、ぼくにもわからない。
そうしたかったわけではない。決して。ただ、そうせねば、という思いがあったんだと思う。
恥を忍び、白眼視に耐え、それでもぼくは会社に向かう・・・。孤独との戦い、あるいは日常へのささやかな反抗。もしかすると、そういうふうに「あいつは何かと戦っていた」と分析できなくもないかもしれない。

そんなある日――。
フランスにいる友人が、夏季休暇で日本に来たついでにミシマ社を訪問してくれた。
「フランスでは日本のカルチャーはすっげいリスペクトされてるよ」
「日本の本もすごい読まれている」端整な顔立ちをした彼は、僕たちの仕事を勇気づけ励ましてくれた。
「うん、がんばる」
励まされ、気分よくなったぼくはフランスのことをいろいろと聞いた。日本の会社とどんなところがちがうのか。休みの取り方はどう? 休日は何をしてる? などなど。
今では覚えていないことも多いが、ひとつだけ忘れられない会話がある。

「日本とフランスで何が一番ちがうと感じてる?」ぼくが、こう質問したときだ。
彼は間髪おかず答えをかえした。
「パブリックの考え方。これは全然ちがう。フランスだと、家から一歩外に出たら、パブリックな場所。だから、バスや電車のなかで、化粧する人もいないし、家にいるみたいな恰好をして乗る人はいない。日本に戻ってびっくり! パジャマみたいな恰好で電車乗っている人もいるし。よれよれのシャツ一枚とか。フランスでは絶対にありえない!」
「・・・・・・」
彼は、ぼくの通勤着をどこかで見たのだろうか。
ぼくは、よれよれの白Tシャツを着て、その日の朝も通勤していた。

さて。
そう、ミッセイさんだ。
年下著者であるミッセイさんをリードするという話である。
もう、言うまでもないと思う。
そんなこと、ぼくにできるはずがない。そもそも年下だろうが、年上だろうが、関係ない。
書き手としてはもちろん、人としても、ずいぶんと成熟していらっしゃる。
一見すればわかることだ。
ミッセイさんが高僧から授かった言葉のとおり、「慈悲と智慧」を湛えた顔をしておられる。
間違っても、東横線によれよれシャツ一枚を着てサングラスをつけて乗ったりしないだろう(いや、案外するかも)。

よく取材でミッセイさんはこんなことを言ってくださっている。
「自分の書く初めての本は、ミシマ社しかないと思ったんです。最初にミシマ社を知ったのは、『Re:s』を見て。そのとき、自分が考えていることを先にやっている人がいる。そう思いまして、三島さんに連絡したんです」

ミッセイさんがおっしゃる「自分が考えていることを先に」というのは、「それが本来もっている良さをシンプルに伝えていく」ということを指すのだろう。
ただ、そんなふうに言われるたびに、自分がリードせねばと思ったときの浅はかさとともに、なんだかとても恥ずかしい気持ちになる。
というのも、実際には、ミッセイさんのほうが「先に」考えていただろうから。しかも、ずっとずっと深いレベルで。

ただ、お寺だからやれることも、「坊さん」だからできることも、僕はまだまだあると思う。(『ボクは坊さん。』p270より)

この「お寺」を「出版社」に、「坊さん」を「本」や「編集者」に置き換えてみよう。すると、まさに今ぼくたちが日々直面している現実に対して、これ以上ない力強い励ましの言葉に変化する。
「出版社だからやれることも、本だからできることも、僕はまだまだあると思う」
ほんとうに。その通りだ。

これだけではない。
ミッセイさんの言葉は、驚くほど「出版」や「本」の世界に応用がきく。

僕は、宗教を「自分の中の物語を呼びさますもの」というふうに感じている。(p135)

この「宗教」を「本」に変えれば、まったく同じことがいえるだろう。
それもそのはず、ミッセイさんから直接聞いて感じたのだが、仏教が置かれている状況と本が置かれている状況は驚くほど似ているのだ。

「東北では名刹と言われるお寺もどんどん廃寺になっています。人口減、檀家さん、寄進の減少、後継者の断絶、世間からの不要論・・・こうしたことが重なって」

そういう状況下でミッセイさんは明るく笑顔で、仏教の未来を信じてこんなふうに語るわけだ。
「お寺だからやれることも、『坊さん』だからできることも、僕はまだまだあると思う」と。
そしてまた、ミッセイさんは、この思いを実践に移そうとする。今、「仏教を活かすことを考える場所」をつくろうとしている。「未完成で不細工であったとしても、素直にワクワクする気持ちを大事にして、『途中提出』してみようと思う」、そう言って。

きっと、ぼくらがミッセイさんの言葉と態度から学ばなければいけないことは多いと思う。

そういう意味で、ミッセイさんはすでに、ぼくたちが進むべき道を照射してくださっているのだ。
ああ、ありがたや・・・。
これからも、わたしたちを正しきほうへお導きくださいませ。
どうぞよろしくお願いします、ミッセイ和尚、ミッセイ先輩!
合掌。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

ミシマ社のblog
株式会社ミシマ社

バックナンバー