ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第23回 お金で絶対買えないもの

2010.06.22更新

先日、神奈川県にある公立のS高校におじゃましてきた。なんでも建校以来、はじめての図書館をつかってのワークショップらしい。そんな記念すべき企画に呼んでいただいたのだからがんばらないわけにはいかない。しかも、高校生の読者さんと直接、触れ合う機会なんてそうそうあるもんじゃない。

一方で、「高校生に出版のおもしろさがちゃんと伝わるかしら」という多少の不安はあった。だが、今回のイベントを企画してくださったK先生に連れられ、図書館にはいり、生徒さんたちの顔をみたとたん、そんな心配は杞憂にすぎないことがわかった。

目がきらきら輝いている。
それは、これから起こるだろう出来事にたいして、全面的に開かれていることを物語っていた。もったいぶらずにいえば、「わくわく」してくれているのが、手にとるようにわかったのだ。
実際のワークショップでは、寺子屋ミシマ社でおこなっている「企画作り」を体感してもらうことから始めた。

「編集の仕事ってどんなものかわかります?」

首をふる高校生。

「いろいろとあるのですが、まずは企画をたてることから始まります。どの本をみてもそうですが、必ず本には「著者」と「タイトル」がありますよね。その組み合わせを考えるのが、編集の最初の仕事です」

なるほど、といわんばかりの顔つきでうなづく参加者。

「で、考えるわけですが、一人で考えてやることには限界があります。ぼくなんて、ぜんぜん思いつかないことだってしょっちゅうです」

くすくすっと笑ってくれる若人たち(やさしい)。

「重要なのは、むしろ協同作業です。いろんな人とかかわり、その人のなかに眠っているアイディアやら発想やらを引き出していくこと。一人で考えていたのでは気づかないようなすごいアイディアも、他者との対話を通してだと、簡単に見つかることがあります。二人一組で、相手から面白いテーマやこんな人に書いてほしいという著者名などを、互いに引き出してください」

少し戸惑いの表情を浮かべる高校生もいたが、「じゃあ、始めましょう!」とすぐさま実行を促す。すると、最初はどうなるだろ、と不安がっていた生徒さんたちも、いきいきとした様子で紙にアイディアを書き出していった。

そうして初めての企画会議を体験した高校生たちは、徐々に緊張もほぐれ、刻々と目の輝きをましていったように見えた。最後は、ミシマ社POPまでつくってもらい、あっという間に2時間が過ぎていった。

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「今日はいかがでした?」

個別にそう尋ねると、一様に「おもしろかった!」「楽しかった!」という答えがかえってきて、こちらもうれしくなった。
そして、ある一人の学生さんと話すことができて、心からここに来てよかったと思った。

「出版社って帰る時間は不規則なんですか?」
「そうですねぇ・・・わからないですね。けど単行本の場合は、徹夜の日が続いたりとか、そういうのは少ないと思います(慣れない20代はけっこうあるけどね)」
「へえー、そうなんですか? 私は出版社にずっと興味があって、けど親がどっちも公務員で5時に帰れる仕事じゃないとだめだっていうんです・・・」
「そうなんですか」
「私は本が好きなんで、出版の仕事をやりたかったんですが。親が進路を決めてしまって・・・」

そりゃ、かわいそうに。まだ進路を決めるには早いよ。
率直なところ、そう思った。
一方で、先生からは反対の話も聞いた。
「男子学生に多いんですが、すごく安定志向なんです。不景気だし、どうせこれからよくなるような時代でもないし、公務員になるのがいちばんいい。そんな声はけっこう多いです」

ぼくは、それを聞いてちょっと悲しくなった。
「好きなこと」に挑戦できない女子高生。
「将来に明るい展望」を抱けない男子高生。
そのどちらの背景にも、メディアが流す二極化した情報があるのではないか。 

「好きなことを仕事にしなさい」
「日本経済はこれからもずっと先行き不透明だ」

どちらもメディアが植えつけた情報で、どちらも進路を考える若い人にとって、あまり有用でない類の情報だと思う。だから悲しくなったのだ。出版というメディアのはしくれにいる一人の人間として、そういう固定化した考えを植えつけるようなことはしてはいけないのに、と。
こういうまっすぐな思いで生きていこうとしている高校生たちに、生きていくパワーを与えられないで、何がメディアだよ。
ぼくは本気で悲しくなった。

だからこそ、来てよかったと心底思った。
なぜなら、もともと、ぼくたち出版というメディアの人間は、世間の多数派の声に対して直感的に違和感をもつ人たちのために存在しているのだ。

一歩間違えば「多数派」に押し潰されかねない、まっすぐな感性や思いを守り、育むための「何か」であること。

それが出版社の存在意義だろうとぼくは思う。
少なくともミシマ社は、そうありたいと思っているし、そういうミシマ社とライブで触れたことで、高校生たちのなかに、これからの将来に何らかの形で生きてくる、そんなエネルギーの種が植わったかもしれない。そうであったらいいなぁと、願うばかりだ。

実際のところ、ミシマ社なんて世間の価値基準からはけっして評価されないところに位置する。つまり、まったく多数派に属さない。
だって、ベストセラーも出していないし、お金も儲けていないし、地球にやさしいこともしていない・・・。

もちろん、すべての要素が大切だと思っているし、どれも否定するつもりはさらさらないが、どれかひとつの価値基準で会社が動くことのないようにだけは心がけている。たとえば、売れる本をつくることが絶対的価値であったり、お金を儲けることが絶対であったり、「環境にいい」が絶対的な判断基準であったり、何かの主義主張によりかかったり。

そういう一面的な価値でないところが、強いていえば、ミシマ社の個性というふうにもいえる。
つまりは、イデオロギーで動かないということです。
大切なのは、バランス。
だけど、こういう考えはとても弱い。
「結局、何を大切にしてるの?」「一言でいえば何が目的?」
そういう(すこし暴力的で)単純化された問いに対し、返す言葉をもちあわせていない。
つまりは、わかりにくいのだ。

おそらく、何かを単純化してわかりやすく伝えるほうが、多数派になりやすいし、マーケティング的にも理にかなっているのだろう。
ただし、それは他のメディアの仕事であって、出版というメディアであえて行う必要のないものだ(本の本質は、「伝わりやすさ」にではなく、「伝わりにくさ」にあると思うのだけど、その話はまたあらためて)。

まあ、そういうわけで、ミシマ社では、一元化した価値基準で動かないように気をつけている。「おもしろそう」「売れそう」「時代にあってそう」・・・いろんな要素のバランスをとりつつ動いている。
で、このようにバランスをとった活動をするには、何がもっとも必要なのだろう。
たとえば、お金というすごくわかりやすい、数値化したものなんかに流されないで、動くためには?

その方法を、ぼくのなかのもう一人のぼくに訊いてみます。
彼は、ぼくが会社を辞めて旅に出るときに、「そうしなさい」と指令を与え、会社をつくるときも「そうしなさい」とぼくに指示を出した、陰の司令塔でもあります。
名前は、・・・そうですね、ミシマクンとでもしておきましょう(先の高校生たちが、ロゴマークを見て、勝手にそう名づけていましたし)。
では、ミシマクン、よろしく!

ミシマクン 「では簡単に説明するよ。
世の中を面白くする構造についての講義・その1」

――あら、なんだか大仰なタイトルですね。

「つべこべいわない!」

――はい。

「では、いきなりですが、問題です。お金で絶対に買えないものはなんでしょうか?」

健康? 美容? 愛? 

「ほかにはどう」

くつろぎ、癒し、仕事、人間関係・・・いろんな答えが出てくるね。

「けれど、ある人にとって、どれもお金で買えるものでしかありません。『お金がすべて』と豪語して憚らない人は、愛だって何だってお金で買えると言い張るのですから。ほんとうに。
でも、そういう人でもお金で買えないものがある。
それは何かというと・・・
『内から溢れ出るエネルギー』。これにつきます」

――なるほど。

「そしてこれさえあれば、何事も恐れるに足らず。仮に仕事が行き詰るようなことがあっても、常に、うおおおおおおーっと内からエネルギーが溢れ出ているわけですから、困難を困難だと、もとより思うことがない。お金がなくとも、休みがなくとも、同じこと。自分のなかから溢れ出るエネルギーを循環させていくことのほうが、よほど重要で、『お金がない』も『休みがない』もひとつの現象にすぎず、エネルギーが出なくなることのほうがよほど火急の事態といえます。

では、エネルギーが出なくなる状態というのは、どういうときに起きるのでしょう?
それは、ぼくの経験則と直感にしたがえば、『欲望』によって動くときだと思います。
欲望が原点で動くことと、内から溢れ出るエネルギーに突き動かされて動くことは、似ているようで、まったく違う。むしろ、エネルギーのベクトルが逆。
欲望によって動くと、どうしても自分が消費され、疲弊してしまいます。
でしょ?」

――たしかに。

「だから、表面的には同じ結果にたどりついたとしても、たとえばお金を得る、数字を出す、何かを得る・・・どういう結果であっても、そのアプローチが、欲望によってか、内から出たエネルギーに突き動かされてたどり着いたのか、でまるで別モノなんです。そのことをよーく、おぼえておいてくださいね。じゃ!」
 
なんだかずいぶんと先走って語るだけ語って、帰っていきましたね。
けど、まあ、ぼくにとっては、彼が元気でいてくれるのはいいことです。
というのも、まさに彼のいう「内から溢れるエネルギー」の象徴みたいな存在なのです。

おもしろいか、どうか。
そこから得られる「純度100%の喜び」だけが、彼を突き動かしているわけです。だから、ぼくのなかでミシマクンが、あれこれと指示を出し、活躍してくれている状態というのは、いいエネルギーが循環しているときでもあるのです。

なんて話はさておき、お金だとか多数派に流されない、他者基準に惑わされないためには、自分のなかから溢れ出るエネルギーに突き動かされて動かないといけないということです。
そして、それを実現するのも、実は、やはり「一冊の本」のもつ力ではないかと思っています。
 
つまり、「一冊の本」というのは、書き手の並々ならぬエネルギーが凝結したものです。
いってみれば、エネルギーの塊。
映像のように一瞬で何かを伝えられるわけでもないのに、何万字、何十万字を費やして何かを書かずにはいられない、そういう溢れるエネルギーを詰め込んだもの。

そういう意味で、ロックのライブや演劇を生で観たときに感じる、きわめて身体的な運動体と近いはずです。
だから、すごい本を読むと、エネルギーが沸いてくる。思考が止まらなくなる。何かに向かって行動したくなる。
本というのは、そして出版社の活動というのは、そういうエネルギーを「いい」方向に循環させていく役割だと思うのです。
 
そう考えると、出版社の意義というのは、今後ますます大きくなってくると思われます。
社会が不安定になり、将来の見通しが見えにくくなり、一元化した情報が幅を利かす時代になればなるほど、「小さな声」を送り届ける出版メディアの存在が大切になる。
そこに込められた根源的なエネルギーをすくいとり、自分自身へのエネルギーへと転換させていく。
つまりは、お金で絶対に買えない大切なものを自分のものにしていく・・・。
 
なるほど! と、いま自分でも初めて気づいたのですが、本というのはそういう役割をもっていたんですね。道理で、手放せないわけです。

一冊の本は、「お金で絶対に買えないもの」をぼくたちに与えてくれる。
  
本のなかには、「内から溢れるエネルギー」をもった書き手やつくり手のエネルギーが込められていて、それを浴び続けていると、いつか自分のなかにも、エネルギーを溢れさせる回路ができてくるのでしょう。 そうして、世間や多数派に惑わされない、押しつぶされない活動ができるようになる。
なるほど。
本で得るものは、「知」だけじゃなかったのです!
わお。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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