ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第27回 本の声に耳をすます

2010.10.07更新

2010年10月をもちまして、ミシマ社は創業まる4年を迎えました。
無事、こうして4歳児となりましたのも、日ごろからの皆様の支えとお力添えがあるからこそです。あまりに感謝の念にたえなく、どう御礼を申してよいか、言葉が見当たりません。ただ――。
ほんとうにありがとうございます。
そして、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。


いよいよ5年目です。
うかうかしてられない。
そんな思いの一方で、こんな内なる声が響きます。
焦っちゃだめ。

そうです、そうでした。
「大きくなって小さくなる」
ちょうど1年ほど前の09年11月にブログにも書いたことでした。


「いまは小さくするときだ」

 大きくなって小さくなる。

 いまミシマ社は「小さくなる」ことを指向する時期なのではないだろうか。

 大きくなる。
 小さくなる。
 その、どちらか一方であってはいけないと思う。
 どっちかに傾こうとするとき、立ち止まらなくてはいけない。
 そして揺れ動くことだ。
 そういう存在の不確かさだけが、存在を担保するのだと思う。
 それは、会社も個人も同じだろう。

「ミシマ社のブログ」2009年11月22日より


焦らず腐らず泥くさく。5年目のスピリットは、これでいきたいと思います。
そしてもうひとつ。
5年目の抱負を述べますと、出版社として、より「本の声に耳をすます」ということを徹したいです。
本の声に耳をすます、とは、「原点回帰の出版社」でありつづける、ということと同義でもあると思います。
つまり、一冊のもっている力をもっともっとひきだし、読者の方にしっかりと伝える。
たとえば、ぼくがメインでやっている編集という仕事でいえば、さまざまなレベルで見えない声を感じとるということです(もちろん、編集者だけでなく、出版社で仕事をするすべての人に必要なことです)。

書き手である著者、そして原稿、さらには完成する本、それぞれのなかに「声」が宿っています。その声というのは、「活字」として認識できるものだけではありません。見えない声も含まれます。そうした声に耳をすますと、驚くほど豊かな世界が広がっているのに気がつきます。
集中して、愛をもって、しずかに耳をすませばその声は必ず聴こえてくる。
けれど、焦ったり、意識がちがうほうへ向くとその声はとたんに遠ざかる。
本の声は、こちらの気持ちひとつで聴こえたり聴こえなかったり。

不思議なものです。
だから、今年のミシマ社は、焦らずじっくりと本の声に耳をすませたいと思います。

個人レベルに話を落とし込むと、そのためにも、ミシマ社メンバー一人ひとりが、ひとつのことを継続してできるようになりたい。そして、それをきわめていきたいと考えています。
編集、営業、仕掛け屋、どの仕事においても、その一点をきわめる。そこをクリアしないかぎり、本の声を聴くことはできないと思います。
かりに聴こえたと思っても、それは自分流の聴き方、より深くに宿るほんとうの声までは届いていないのではないでしょうか。あるいは、ある本の声は聴こえても、ちがう本の声は聴こえない。そういう事態に陥ると思います。

本の声はひとつのことを深めた人だけに聴こえるもの。

だから、ぼく自身、編集という仕事をこの1年、もっともっともっと、深めたい。
そうしてこれまで聴こえないでいた声に耳を傾け、その声を形にしていきたい。
これが、心の底からの叫びです。

行き着く先はどこかというと、編集、営業、仕掛け屋という領域を縦横無尽にかけめぐる「出版人」になることです。おそらく、出版社の未来はここにあるのだとも感じています。
こういうと、先ほど言った「(編集、営業、仕掛け屋)いずれかの仕事をきわめる」ということと矛盾するではないかという指摘があるかもしれません。
ですが、これはまったく矛盾しない。
むしろ、一点をきわめるからこそ「未来の出版人」になりうる。
このようにさえ言えるのではないでしょうか。
裏をかえせば、一点突破なくして未来の出版人にはなりえない。

スポーツはいつだって現実の仕事の光景よりも先行する。ぼくは常々こう思っています。

「守備のできない点取り屋は試合に出られない」――サッカー
「走れないホームランバッターはレギュラーから外れる」――野球

ありとあらゆる競技において、スペシャリスト化が進む一方で、求められるトータルの基礎力(運動量、コミュニケーション力などなど)はどんどんと高まっているように思えます。
同じように、ぼくたちの仕事も(社会か時代かはわかりませんが)求められるものは形を変えていっています。

たとえば、編集者であれば本だけつくっていればいい、という状況はなくなるでしょう。営業であれば、本屋さんに行って注文をとる、といった行為が営業の仕事に占める割合はおどろくほど低くなるはずです(そのときに、じゃあ、何をするのだろうと考えても、もしかするととき既に遅し、かもしれません。すくなくとも、一線で活躍しようと志向するかぎりは)。

編集者でいうと、本をつくり、その本をいかに読者の方に届けるか、までをデザインし、それを形にし、あらゆるものを動かしていく。そこまでできないと、編集者と名乗ることはできなくなるのではないでしょうか。いい本をつくる、しっかりとした本づくりができる、そうした基礎を身につけるのは編集者として当然のこと(これが先ほどから行っている一点突破ということです)。しかし、それができるだけでは、編集者として、依然何かが欠けた状態のまま。
営業も同じです。
本を本屋さんに置いてもらう。その行為は当たり前。そこに置かれた本をいかに動かすか。そこまでできないと営業の仕事をやっているとはいえなくなるでしょう。
そうなってくると、「分業」という考え自体が成り立たなくなります。

ですから、編集、営業、制作、広報といった部署の壁はどんどんくずれていくと思われます。というより、そこの垣根をくずし、より出版の原点に近い形をとることが、未来の出版という地平へソフトランディングすることになるのではないでしょうか(「形式」の話ではなく、ベースにあるのは、もちろん「愛」です)。

なんの根拠もありません。ただの直感です。が、ミシマ社はこれまで4年かけて、その方向へと向かってきました。そしてこれからも、ゆっくりと焦らずに、その方向へといっそう向かって行きたいと思います。
そうして、ずっと読み継いでいただける本づくり、そして本をお届けする仕事を、全身全霊でおこなっていきます。
本の声に耳をすますことを忘れずに。

1年後、ぼくたちはどんな声を聴いているのだろう?
どれだけの声を聴こえるようになっているだろう?

すべては、この一瞬、一瞬の積み重ねです。
 



5年目もまた、本屋さんで、「一冊」を通してお会いできるのを心から楽しみにしております。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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