ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第30回 ミシマ社式会社論

2011.02.01更新

2011年、一冊目の刊行物は『逆行』。
著者の尾原史和さんは1975年生まれ、つまりぼくと同じ年に生まれたわけだ(ただし、彼は3月生まれなので一学年上)。
まだ世間的にはむちゃくちゃ有名なわけではない、同年代の「すごい人」。そういう人の本を形にでき、個人的にも格別の喜びを感じている(1月28日、いよいよ発売となりました。皆様、どうぞよろしくお願いいたします)。

この本の一章を割いて尾原さんは、「会社論」を展開している。ということで、今回、このコーナーでも会社論に挑んでみようと思う。「尾原式会社論」ならぬ「ミシマ社式会社論」。しばしお付き合いのほどを。


「尾原式会社論」は、冒頭の「小見出し」からして強烈だ。

うちは独立してもらうための会社なんだ。長居しないでくれ。

どうです? 経営者の皆さん、こんなことスパッと言えますか? 
本当は辞められたら困る。けれどデザイナーとして生きようと思うなら、いつか独立するしかない。アシスタントでいるかぎり、いつまでたっても主体的にデザインをすることはできない。とすれば、アシスタントでいる間から独立を意識させるのが、親心というもの。尾原さんとて、自分のやり方を知っている人が近くにいてくれるほうがいい。本音はそうにもかかわらず。
わが身のかわいさより、仲間の将来。
尾原さんが運営するスープデザインは、デザイン事務所として最高の環境といえるだろう。

翻って、自分たちの出版業はどうか。
デザイン会社との最大の違いでいえば、チームプレイが大前提であるということがいえる。
つまり、ひとりではサッカーはできない。同様に、ひとりでは出版社の仕事はできない(できるのは、作家と一部のフリー編集者くらいではないだろうか)。

だから尾原さんのところのように、ぼくはトップではあっても、「絶対」ではない(『逆行』風にいえば、ゴッド・ファーザーではない。ゴッド・ファーザーと言い切れる尾原さんは、やっぱりかっこいい)。
ぼくの一挙手一投足に全神経を尖らせていては、サッカーはできない。
めざすべきはゴールを生むこと。

そのために、プレイング・マネジャーであるぼくの方針には敏感である必要はある。が、そちらに意識が向きすぎていてもいけない。サッカーで勝つには「一対一」という局面を乗り切るための強さ、判断力、クリエイティビティといった「個」の動きが前提となる。

とすれば、いかなる組織が理想といえるか。
いろんな意見があろうが、ミシマ社では創業当初より「ブラジルサッカー」を掲げている(なんと、社員が誰もいないときから)。
あまり説明も要らないとは思うが、簡単にいえば「自由なサッカー」ということだ。
それでいて最強。
これこそ、ぼくがめざす組織のあり方である。

ちょっと(というか、かなりかっこよく)いいかえれば、「高度なフリージャズ・スタイル」といえようか。
プレイヤー全員が、即興演奏で観客を魅了する。各自が好き放題に演奏しているようでいて、周りの音を聞き分け、核となる音を瞬時に見つけ、それにあわせ、ひとつのまとまりある曲に仕立てる。一見無秩序に見えて、その実、非常に高いレベルの調和を生み出せる。
こういう組織でありたい。
ぼくが想像する「自由な組織」とはそういうものである。

むろん、道は険しく長い。
いかに険しく長いかというと、その証拠は「前例なし」という一点に集約されよう。
そう、この「フリージャズ的ブラジルサッカー出版社をめざします」なんてことを掲げている出版社は、たぶんミシマ社をおいてないと思う(管見及ばず、あったらごめんなさい)。
まあ、ザッケローニ・ジャパンの奮迅を観て、「ブラジル」から「ジャパン」に鞍替えしてもいいんですけど。けど五年前からずっと「ブラジル」といっていることなので、いったん据え置き。

と余談はさておき。
「前例なし」とはどういうことか、といえば、必ずしも文字通りの意味ではない。
出版社という組織においては前例はなくとも、サッカー、野球、ジャズバンド、ロックバンド、はたまた武道の道場といったあらゆる場所に先達がいる。
そうした先達から直接的あるいは間接的に教わった知恵を最大限にいかすこと。それをプレイング・マネジャーとしてはもっとも心がけている。

ではそうした「自由で、かつ精度の高い仕事ができる組織」とはどうすれば可能か?
まずは、個の力を養うこと。
つまり、サッカーでいえば、一対一の局面を乗り切る、90分間もしくは延長ふくめ120分走ることのできる体力を養う、こうした個としての基礎力を身につけること。
これが右足によるファースト・ステップとなる。

しかし右足が地につく間際に、左足を動かし出していなければ、体は前には進まない。右足だけではスキップ程度の動きがあるだけだ(スキップはスキップで楽しいんですけどね)。
歩行とは、両足が交互にスムーズに回転することではじめて可能となるのだ。
ミシマ社でいえば、このとき「左足」とは「理念」や「志」や、少しくだけた言い方をすれば「チームプレイ」を意味する(ミシマ社における理念は、このコーナーでも何度か書いたので今回は割愛します)。

いいかえれば、チーム全体の流れをつくる動きとなる。
それが一個人のなかに生まれてこそ、はじめてチームは有機的に稼動しだす。
そうした両足得意のユーティリティ・プレイヤーがそろってこそ、「フリージャズ的ブラジルサッカー出版社」は可能となるのだ。
むろん、道のりは長い。
だが目指すだけの価値はある。

なぜなら、そっちにいけば、「すさまじく気持ちいい」世界が待っているからである。
一個人に還元した場合においても、そうした動きを身につけることが、働くということ、同時に本という世界に触れること、と直結していると思うからである。
たしか、何年か前に、ブログでこんなようなことを書いた。

「仕事で迷ったら、まずは自分のためだけに働けばいい。自分のためにがんばればいい。それは無駄には絶対にならない。そうしたがんばった先に、自分のためではなくがんばることの意義が見えてくるはず」

これを先ほどの例に置き換えれば、右足の動きにまずは徹すればいい。右足の技術を磨けばいい。このように個としての動きを高めることは、まずはとても重要なことである。
だが、そこだけに踏みとどまってしまっては「大きな」動きは生まれない。つまり両足を使ったプレイはできない。とすると、チームとしても、大きな動きが生まれないということになる。
そうなれば、ワールドカップ優勝はおろか、アジアカップですら優勝できないことになってしまう。
今回のザッケローニ・ジャパンを見ていてもわかるとおり、今、選手たちが見ている光景は、明らかに、大会前後ではまったく違う。
豊かなすばらしい眺望を得ているにちがいない。同時に、さらなる越えるべき頂を新たに目にしているはずである。
それを一個人だけでなく、チーム全体で見れているとすれば、ジャパン・チームはとてつもなく強いチームへと向かっているといえるだろう。

ミシマ社もかくありたい。

チーム全員がそれぞれの両足で山を乗り越えていきたい。そうして見たこともないような眺望を一緒に観ていきたい。
ぼくは心からそう願っている。
その先に、仕事を通してかかわるすべての方々と、こうした景色をもっともっと観ていきたい。ミシマ社のメンバー全員がそうした動きを生み出せる日を信じて。

そのため、ぼく個人は前線で体をはって日々、前進したい。
逆をいえば、前線で体をはることだけが、上記のような組織をめざす際、トップが果たすべき役割であると思っている。
突風歓迎、逆風歓迎。
ま、修行好きなもので。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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