ミシマ社の話

理想と現実、理論と実践、表と裏、S(出版社)とM(ミシマ社)......。「出版社をつくる!」、「ミシマ社のばあい」という二つの視点から、100年後のミシマ社メンバーに向けて、「ミシマ社が目指すもの」を語る。

第32回 何かを捨てて、行動するとき

2011.04.05更新

「いま自分にできることは何か?」
 
おそらくこの問いは、この1カ月間、日本でもっとも多く自問されたものではないだろうか。
ある人は義援金を。ある人は実際に被災地へボランティアとして赴き。ある人は正しい情報を発信することに努め。そしてある人はひたすら祈り――。
自問の結果、実に多くの形で、「自分にできること」がなされてきた。もちろんひとりの人が複数の活動を実行しているケースも少なくないだろう。
だが、どれだけ「自分にできること」をやっても、ぽっかりと空いた大きな穴が埋まることはない。それほどに、今回起きたことは言語を絶するレベルにある。当事者の方々はもちろん、そうでない人たちも、けっして埋まることのない空虚感をおぼえているにちがいない。
 
ぼくたちは、この間、動きつづけた。
動いて動いて動きつづけて、それでもなお、悲しみが自分のなかに満ち満ちている。同時に、自分を糾明する声なき声におびやかされつづけている。
本当にそれでいいのか。
地震以降、そうした声から解放された瞬間は一分たりともない。
 
それでいいのか。
の「それ」は、人命救助に行けていないことに由来する。
常日頃、行動優先、と言いながら、いざ大災害がおきたとき、現地に赴き、身を挺した活動ができていない自分自身に対して、忸怩たる思いがぬぐえないのだ。
もちろん。
よくわかっている。頭では、それがいかに不可能であることかはわかっている。
レスキュー隊員の経験もない。医療行為はおろかそうした知識も皆無、看護、介護もできず。
そんな自分が被災地に行っても、足手まといになるに決まっている。
それに・・・。
どうしても今のぼくには、血の通ったリアルな顔を、何人、何十人、もしかすると百人を超える単位で、思い浮かべずにはいられない。
つまり、ミシマ社を支えてくれている社員、仲間、関係者の方々・・・こうした方々の顔を思い浮かべると、わが身のあり方に対してブレーキがかかる。
必然、冒頭の問いにも軌道修正が起こる。

「現地に行って役立たない自分が、本当に最優先させるべきことはなにか?」

なにか? 

それがわかれば、こんなに苦しんだりはしない。
わからないからこそ、もがいているのだ。
周りの人たちのことや会社のことを最優先に考える。
これは、ひとつの判断として、間違っていることではないだろう。もしかすると、もっとも正しい判断だ、という人もいるかもしれない。
だけど、これはmust(当然のこと)であって、それ自体は「点」でしかない。
つまり、「線」の動きにはなっていない気がしてならなかった。
この「点」と、被災地の現場という現在進行形の「点」を結ぶ回路がどこにあるか。
それがわからない。
そのため、無暗やたらに、もがき苦しんできた。

そうして震災から3週間がたとうとしていた、3月31日の夜。
ふと、あることに気がついた。
気づいてみると、なんのことはない、どうして今まで意識できなかったのかと、思わずため息がもれるほどだった。
 
「自分にできること」の問いをたてた瞬間、軽い呪縛にかかっていたのだろう。
でないと、自分の頭やら感覚を根本的に疑わざるをえなくなる(もっとも、そうするほうがいいとも思っているのだけれど)。
つまりはこういうことだ。
「自分にできること」という表現を使った時点で、「積極的行動」でなければならないという思い込みが自動的に含まれていたのだ。
誰かのために直截的に何かをする。そのような、「積極的行動」でなければならないという思い込みが。
 
その夜ぼくが気づいたことは、「自分のなかの大切なものをひとつ捨てる、そこから始めよう」というシンプルなものだった。
「捨てる」という行為自体は、必ずしも積極的な行動ではないかもしれない。
むしろ、何も生まないじゃない、という批判がたつことも考えうる。
けれど、まずは「捨てる」こと。捨てなければそもそも行動も生まれないのだ。
両手いっぱい、それでも足りず、背中にも大きな荷物をしょったままでは、どれだけ健脚の持ち主でであっても行動は重くなるだろう。

それに。

被災者の方々が失ったもの、捨てざるをえなかったものたちに比すれば、自分が捨てるものなんて、とるにたりない。
今さら何をこだわることがあるだろう。
本当にそれはこだわるべきものなのか? 
あの災害を経たあとでも、本当に――。
 
ぼくは、大切に大切にしてきたものを捨てることにした。
それは、個人的にとても大切なものだったから、具体的に何を指すかを今はまだ言うことはできない。ただ、間違いなく捨てた。
そして捨ててみれば、なんとわが身の軽いことか。
少し跳ねれば無重力空間にいるかのように高く弾け、少し駆け足すると新幹線よりも速く移動できる。
逆に、あらためて気づかされた。これまで、なんて重いものを背負い込もうとしていたのか、ということに。
それはあまりにも、独りよがりで無意味であったと今は思う。
身体が軽くなると、やるべきことがいっきに鮮明化しだした。
それと同時に、それまでの悩みやもがきが薄れ、迅速に行動することだけに自然と意識が集中し始めた。
 
では、その「やるべきこと」とは何か。
と問えば、ぼくたち出版社の場合、先日ブログにも書いたとおり、未来社会につながる出版メディアの確立であろうと思う。
それに注力するだけだ。
そして、その未来社会とは、「非効率を許容する会社や個人を前提とする社会」であったり、「大量消費、大量廃棄を前提としない社会」であったりするのだろうと感じている。
そうした方向へシフトチェンジするため、なんとしても、この急カーブを曲がりきらねばならない。

捨てたとたん、これまで見えなかったものが見え出した。
見えてくると、いま自分のいる位置が、急カーブの入口あたりであることがわかる。
そのまま直線を走ることができればよかったのだろうけど、このカーブを無視し、直線を進んだところで直に行き止まりにぶつかる。つまりこのまま、これまでの道を進んでも、結局カーブの地点まで引き返すか、大きく迂回する形で方向転換せざるをえない。
だが、その行き止まりにたどり着いてからでは、いろんなことが手遅れになる。
いま置かれている自分たちの国の状況は、非常事態であって、一瞬を尊ぶことなしには事は動かない。でなければ、無為に失うもの、失うことを徒に増やすだけだ。

だから今(本当に今!)、この急カーブを強烈な意志をもって曲がらなければいけない。
 
道はでこぼこだし、実際のところ、カーブの先は何も見えない。
果たして、そこに道はあるのか、と訊かれても、あるとは答えがたい。
おそらく、あってもでこぼこ道、道と道とが寸断されていたり、瓦礫の山もあるだろう。
ただ、そうだとしても、その道を行き、そこに道をつくるしかない。
それ以外に方法はないのだ。
大切なものをひとつ捨て、身を軽くしたのち、やるべきことが鮮明化したと言ったのは、こういうことだ。
復興作業には一刻の猶予もない。
 
「今、自分にできることは何か?」
という冒頭の問いに対して、ぼくはいま、こう即答したい。
捨てること。
自分の身から切り離し、そうして軽くなった自分の体を社会に捧げること。
財産などの実際のモノでもいいし、夢や憧れといった無形のモノでもいい。
たとえば夢であれば、いくつもあるうちの一番目だけを残し、あとをいったん自分から切り離す。
そうするだけで、この同時代を生きるひとりの人間として、やるべきことがクリアになるはずだ。
そうしてそれぞれが自分たちの持ち場で、未来につながる動きをトップスピードで、全力で、とる。

 自分たちにできること
 捨てること
 見えてくるのは瓦礫の道
 かきわけ 除去し 道をつくっていくだけ

未来社会を構築するために、この機会を失ってはいけないと思う。
それだけが、この不幸でしかない天災から私たちが学びうる、唯一の実践的教訓ではないだろうか。

被災者の方々に心からお見舞い申し上げるとともに、被災者の皆様の苦難を無駄にしないためにも、わが身を常に軽くして、未来への道づくりにまい進したいと思います。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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