ミシマ社の話

第36回 それでも会社は回っている

2011.08.24更新

今回は予告どおり、現在執筆中の自著『計画と無計画のあいだ~「自由が丘のほがらかな出版社」の話』(河出書房新社から10月刊行予定)より、第1章を掲載します。
では、早速ですが、どうぞ~。

***

ミシマ社はれっきとした株式会社である。ちゃんと二〇〇六年十月に東京都目黒区に法人登記も済んでいる。いたってふつうの会社である。
だけど、周りからは、ふつうの会社とは思われていない。その証拠に、二〇一〇年五月に入社したホシノは、「ミシマ社に入る前はどうしてたの?」と訊かれるたびに、「前は普通の会社にいました」と答えている。おいおい・・・。毎回のことである。残念なことに、社員からもふつうの会社と思われていない会社、それがミシマ社である。
実際「大丈夫か?」と言われることが多い。ときどき取材を受けることがあるがそのインタビュアーからも、「いったい、どうやって会社として回っているんですか」と疑問を投げかけられる。「年間に出る新刊は六冊くらいでしょ。それで社員が六~八人。いやー、謎だ」。けっこう親しい編集者仲間からも、「(経営がどうなりたってるのか)ほんとわかんない」と言われることしばしば。
それもこれも、ミシマ社のことを心配してくださる余りであることを思えば、ほんとうにありがたいことである。
おかげさまで、というほかない。

とはいえ、心配される覚えはたしかにある。
こんな日常を送っていれば、そりゃあ・・・。


 自由が丘駅から徒歩約八分。静かな住宅街の一角に、築五十年の一軒家がある。全室畳のその家の二階には六畳一間が四部屋ある。
 その一室が打ち合わせ室になっている。大きなテーブルがひとつ、椅子が四つ。残念ながらどれも安物である。
 その空間に、女性が一人、その向かいに男が座っている。

 「あのぉ・・・」と女が言った。
 「なんでしょう?」向かいに座った男はやけに自信満々だ。
 「つかぬ事をお聞きしますが、御社は事業計画などないのでしょうか?」
 不安そうな視線を男に向ける女。男は先の態度と一変、急に目が泳ぎ出した。
 傍目からも明らかに動揺している。おそらく痛いところを点かれたのだろう。事実、そのとき、男の脳裏にはひとつのことが浮かんでいた。
 (事業計画ってなんだ?)
 「それに、キャッシュフロー表もつくってないのですか?」
 女は明らかに苛立ちを持ち始めている。語気が先ほどよりわずかだが、きつい。
 男の顔には困惑の色がさらに広がった。
 (つくってないのかって言われてもなぁ。エクセルも使えないのに・・・)
 口をもぐもぐとさせるだけの男に対し、女は苛立ちを強めたようだ。攻撃の手を加速させた。
「それに、それにですよ。これ、一体なんですか? バイトの学生さんにバイト代を払って、バイトさんから領収書をもらうのに、どうして宛名に学生の名前が書いてあるんですか! これじゃ、学生が自分で払って、自分でもらってることになるじゃないですか」
 「・・・す、すみません。何度も言ってんですけど」
 「こんなの、小学生だってできますよ!」女は怒気を含んだ視線を男にぶつけた。
 しかし男は「そうですよね」と言ってかすかに微笑んだ。
 「そ、そうですよねって・・・」
男の開き直ったかのような態度に女は不覚にも一瞬たじろいだ。が、そのたじろぎを自ら払拭するかのように反論した。「なら、そうしてくださいよ!」
 「もちろん、そうしたいのはやまやまなんですが。・・・うちのメンバーに、そういうことは無理なんです」

 お察しの通り、男はぼくのことだ。ちなみに「女」というのは、うちの税理士さん(実際にはとてもやさしいです)。
 創業間もない頃、こんなやり取りが頻繁に交わされていた。まったくかみ合わない会話である。もっとも、それも仕方のないことと自分でも思っている。
 なぜなら、ミシマ社の日常は、それどころではないのだから。たとえば、社員が三人になった当初(二〇〇七年六月)のある日なんかも・・・。


 携帯電話が鳴った。営業のワタナベユウイチ(二人目のメンバー)が電話を出ると、仕掛け屋・キムラモモコ(三人目のメンバー)が息を弾ませているのが電話口からもわかった。
 「(ぜぃぜぃ・・・)渋谷の書店さんを回ってたんですけど」(キムラ)
 「おっ。ありがとうございます」(キムラ)
 「注文伝えますね。えーっと」
  なにやらもぞもぞと、鞄の中からメモを取り出そうとするキムラ。 
 じっと待つワタナベ。
 そのまま数秒が過ぎようとした、そのとき。
 「わっ、きゃあ!」
 「ど、どうしました? キムラさん。キムラさん!」携帯電話をもったまま、うろたえる渡辺。
 「どうしたの? 叫び声が聞こえたみたいだけど」とぼく。
 「わかりません。大丈夫かな・・・」
 「きゃあ!」
あきらかにただごとではない。ぼくとワタナベは同時に「もしや」とつぶやいた。
 「もしや、暴漢にでも襲われたのか」・・・。
 渡辺と二人、青ざめた顔をして心配していると、ふたたびキムラの声が聞こえてきた。いや、それはもはや声というよりかは叫び声であった。
 「きゃ~」
 「どうしたの?」と、にじり寄るぼく。
 「ハ、ハイヒールが・・・」
 「ハイヒールが突然地面に突き刺さって、脱げたんです。けど・・・」
 「けど・・・。なに?」
 「そしたらその靴を男の人がひろって、こっち見て笑ってるんです」
 「えええ~!」
 ただならぬ気配が電話をとおして伝わってきた。
 「にげて、にげて」とまくしたてるワタナベ。おそらく渡辺も自分を見失っている。
 だけど、たとえキムラがどれほどの野生児であっても靴を置いたまま裸足で渋谷の街を歩くわけにはいかない。結局のところ、おそるおそるその人に靴を履かせてもらったらしい。なぜ「履かせてもらう」ことになったかはわからない。その後、興奮レポートを聞いただけである。「はう~、逃げるようにして戻ってきました」
 (そ、それはよかったね・・・)
 
 このキムラ、なにもその日だけが特別なわけではない。
 実に、毎日がハプニング。なにごともない日など一日たりともないと言っていい。
 『謎の会社、世界を変える。』の発刊直前の「見本」を電車で読んでいると、学生さんに突然「その会社受けるんです」と声をかけられたり。これまた電車内で、ミシマ社ブックカバーをつけて本を読んでいたら、「そのカバーください」とおじいさんに言われ、「は、はい。どうぞ」と渡したり。筑波に営業に行った帰りの車中で、隣に座ってた女の人から「わたしとつきあわない?」と言われたり。大手町の書店さんに自宅から直行したものの、着くやいなや足首をひねり何もせぬまま帰ったり。・・・。
 嘘みたいだが、すべて本当。彼女が営業にいけば毎回何かが起こるのだ。 
本人曰く、「巻き込まれ体質の女」。しかし、ぼくはひそかに思っている。実際には、「巻き込まれたい体質の女」。不可抗力で巻き込まれてるのではなく、自ら巻き込まれていっている。
 当然、彼女に「計画的行動」を望むことなど愚の骨頂でしかない。 
 

そのキムラの「暴走ぶり」に比べると、彼女が入る前に入った、ミシマ社二人目のメンバーであるワタナベユウイチ(二〇〇七年三月入社)は「地味」だ。不器用な好青年であるのだが、あえていい意味でないふうにいえば、へんに「社会化」されていた。
いや、これはなにもワタナベ個人だけにあてはまることではない。五年以上、ある規模以上の会社で働いた男性にありがちなのだが、不自然に「硬く」なってしまっている。
実際のところはよくわからない。勝手な想像をさせてもらうと、「こういうこと」の結果なのではないだろうか、と思っている。
――「なんのため」かよくわらない仕事を来る日も来る日も「こなす」うちに、感覚が麻痺。(よくわからないが)「見せかけの売上」をつくるための書類をつくったり、上司であることだけを笠に着て、対話の余地をまったく残さないような人たちと毎日仕事をしたり。そういう日々を送るうちに、いつしか、身体のあちこちにコリがはびこる。そして、そのコリは思考の無駄を生み、行動に躊躇を生む。
たとえばかつて長嶋茂雄は「バッティングのコツ」を記者に訊かれたとき、「来た球を打つ」と答えた。実に核心をついた回答だ。そう、野球では、ピッチャーが投げた球を打者が打つ。実際それだけなのだ。だが、コリが多いとこのシンプルな動きすらできなくなる――。

(いやぁ、そうはいっても、来た球を打つだけなんて、実際の現場で行われていることはもっと深いというか、プロのレベルはそこだけじゃないというか、いや、もちろんそういう面はあるのはわかりますが、そこだけで終わりたくない、うん、そうなんです・・・わたしもプロである以上ですね、プライドもありまして・・・)

なーんてことをぶつくさつぶやいている間に、ボールはキャッチャーミットに吸い込まれる。バットを一度も振ることなく、三振、バッターアウト。無得点。チェンジ。ザッツ・ジ・エンド。
思考する場面でせず、思考より行動が最優先される場面で意味のない思考をする。
二十代後半くらいからそういう男性がけっこう多くなるように思うが、入社当初のワタナベも例外ではなかった。
ぼくやキムラとは、ある意味、対極にいる存在だ。
今だからいえるが、さすがにヤキモキすることも少なからず、二〇〇七年当時、ブログにミシマ社のやり方として「アクロバットなサッカー」を掲げた。これは、たぶんにワタナベへのメッセージでもあったように思う。

「ミシマ社を形容すると・・・」(2007.4.19)

突然ですが、
最近、お会いする方々から言われたり、
私が言ったりした弊社を形容した言葉を並べてみます。

「毎日青春!」
「超攻撃的サッカー!」
「ノーモアバックパス」
(バックパスは、シュートにつながる攻撃のときだけ)
「アクロバチックなパス&シュート」
「数人なのにまるで11人でプレーしてるようだ」
「ピッチ上では先輩も後輩も関係ない」
「ライブ! ライブ! ライブ!」・・・。

なんだか、こわれた会社のようですね。
けど、実際こんな感じだと思います。
これを見てわかるように、仕事をサッカーにたとえることが多いですね。

あるジャーナリストが、
「サッカーでゴールを上げるのは、
白昼堂々、銀行強盗をするようなもの」と言ったそうです。

それくらい、ゴールをする(仕事で結果を出す、僕の場合でいえば、ベストセラーをつくる)のは難しいこと。
ふつうのことをやっていてはゴールは奪えないわけです。

そんな話をある人にしていたら、
とんでもない角度からボールが飛んできました。

「ゴールネットの後ろからドリブルしてきて、シュートを打ってもいいですか」

HOW WONDERFUL.(素敵~)

「ルールは自分たちでつくっていく」
これも、わが社の基本です。

最後に、もうひとつだけ、
最近言っていただいた素晴らしい言葉を紹介します。

「夢だけは、ある会社ですね」

はい。


お硬い組織からこんな「こわれた」会社に入ってきたわけだ。いきなり、「ゴールネット裏から走りこんでのシュート」を求められても、無理というものだろう(ちなみに、この発言をしたのは、入社直前のキムラである)。だが、自分も本当はそうありたい。今それができてないのは自分が一番知っている。たぶん、彼のなかで、そうした葛藤があったのではなかろうか。
だから、あの頃よく、ドヨーンとした顔をしていた。ある書店員さんからは、「営業なのに、ドヨーンと暗いってすごいですね!」とへんなお褒めの言葉をいただいたこともある。
そんなワタナベが、ちょうどキムラが正式に入社する直前の二〇〇七年五月ごろだ。ぼくと木村の前で、突如、ミシマ社ロゴに代わる「新キャラ」を披露した。
 

 「なーべ」

 いつしか人はそう呼ぶようになった。
 このキャラが誕生したとき、それは彼がひとつ壁を越えた瞬間でもあった。
 その後、メンバーの誕生日会や何周年パーティーといった催しのたびに、ワタナベは必ず、この「なーべ」を書くようになった。ミシマ社関係者の間ではひそかな人気キャラになっている。
そして、この「なーべ」の思わぬ反応に気をよくしたのか、その後ワタナベは、さまざまなネタを仕込むようになった。
 そのひとつが、宴会のお決まり道具「逆さめがね」だ。
 

 
 ちなみに、こうした「仕込みネタ」は「なーべ」ほどの受けはなかったように思う。
 それでも、個人を尊重して、ホームページの彼の写真にも、このめがねをつけたものを使った。鼻を豚にした営業二人の顔を載せた「地道日記」は、いまではミシマ社ホームページの欠かせないページとなっている。


 話を冒頭に戻そう。
何度説明しても、領収書の宛名を「ミシマ社」ではなく、「受け取り人である学生さんの名前」を書いてもらってくるのは、キムラである。
 まったく・・・。とたいていの経営者であれば文句のひとつも言うかもしれない。だが、ぼくにはそれができない。なぜなら、しょせん、同じ穴の狢なのだ。
 たとえばぼくは本当にエクセルが使えない。使えないために、毎月の交通費精算は、日々の交通費をエクセル表に入力したあと、電卓でその日々の交通費を足し算し、合計金額を出したあと、エクセルの「計」欄にその合計額を入力している(「まったくもって、エクセルは手間のかかる不便なソフトなり」とぼやきつつ)。

会社の代表はエクセルが使えず、社員は領収書の書き方もわからない。
結果、当然のごとく、事業計画など存在しない。さらに追い討ちをかけるように、営業はドヨーン顔。
 ダメな会社、時代遅れな連中、社会人失格・・・そんなレッテルも貼られることだろう。悔しいが、反論の余地はない。

 だが、私は声を大にして一つだけ言わせていただきたい。

 「それでもミシマ社は回っているのだ!」
 
まあ、威張って言えることではありませんが。
(『計画と無計画のあいだ~「自由が丘のほがらかな出版社」の話』河出書房新社から10月刊行予定の第1章より)

次回も本書の抜粋あるいは、現在進行中の「すごい話」をお届けします。ちなみに、なんと装丁はぼくがやることに。アシスタントに寄藤文平さんという、「ありえない」事態が発生しているのです。そんなこんなの顛末も書ければと思っています。無事、装丁ができていれば、の話ですが。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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