ミシマ社の話

第39回 小商いは最先端?

2012.02.28更新

もうご存じですよね。
2012年、平成24年は何の年か?
平川克美さんが『小商いのすすめ』で「小商い復活の年」と述べているよう、本年は「小商い元年」です。

もとより時代がそっちに向かっているとは思いますが、一方で、意志をもって小商い元年としていかねば、とも思っています。

本書を発刊したミシマ社は、言うまでもなく、小商いの会社です。
5年間、一度の大ジャンプもなく、一貫して低空飛行を続けてまいりました。
その事実には、一点の曇りもありません。
同時に、そのことには何ひとつ威張る要素もありません。

ただ、誤解していただきたくないのですが、小商いの本質は、なにも低空飛行を続けることでも、儲からないことにあるわけでもありません。それらは、あくまで結果であり、小商いの目的ではないわけです。

つまりは、小商いの結果、「とても儲かっていた」なんてことがあってもいい。
気づけば小商いで大商い、ってわけです。
(幸か不幸かミシマ社の場合、創業5年内にそういう事態が訪れなかっただけのことです)

では、小商いの本質とはどういうところにあるのか?

平川さんの言葉を借りれば、「拡大よりは継続を、短期的な利益よりは現場のひとりひとりが労働の意味や喜びを噛み締めることのできる職場をつくること。それが生きる誇りに繫がること。ちいさな革命が労働の現場で日々起きているような会社」であり、そういう考えのもと商いをしつづけること。

当然ながら、会社にかぎらず、個人の生き方・働き方にも当てはまります。

もちろん、そのことは多いに理解しているつもりですが、いかんせん、実践がまだまだともなっていない。
とくに、昨年4月より開設した京都・城陽オフィスのほうは。

正直なところ、ミシマ社の仮営業所の役目しか果たせずにいました。裏を返せば、城陽でしかできない活動ではなく、自由が丘でできる仕事の範疇を越えられずにいました。
あくまでも自由が丘的小商いであり、城陽的小商いではなかったということです。
いってみれば、胴体と切り離された頭だけの状態、土を耕すことなく種だけその土地に落とした状態。

事実、昨年7月号の『ミーツリージョナル』という雑誌にこのような寄稿文を書きました。

「(略)
で、城陽だ。こここそ、「生活者代表」の町であり、出版メディアと縁遠かった場所でもある。つまりは、新しい出版に最適な土地。なぜなら、未来の出版に必要なものは、「これまでになかった新鮮な空気」であることは明らかなのだから。城陽という場にすでにある「豊かな空気」をたっぷり吸い込み、新たな出版活動の一歩を踏み出したい」

今から思えば、たぶんに観念的というほかありません。
ここで述べていることが間違っているから、ではなく。ただ、ここが生活者の町であり、この町に宿る「豊かな空気」がいかなるものか、それについては全然知らないで書いているなぁ、と思うのです。実際、ぼく自身、京都出身とはいえ、住んでいた場所は、京都市内の中京区と上京区だけ。城陽市に住んだこともなければ、その土地の文化や生活に、よそ者としてすら接していたことがなかったのですから。

その結果、城陽の豊かな空気を吸い込むことなく、自由が丘でもできるような動きを続けてしまっていたわけです。

地元に開かれてこそ、小商い。

そしてもちろん、場所への溶け込み方はさまざまであるはずです。
その「さまざま」のひとつとして、ミシマ社城陽オフィスにもっともふさわしいものとは?
そのように考え、考え、考え抜いた結果、ひとつの結論に達し、あるものが誕生した。
それが・・・・・・

「ミシマ社の本屋さん」!

・・・だったわけではありません。
もう、それは・・・。お恥ずかしい話ですが、『計画と無計画のあいだ』にも書きましたとおり、今回もまた、完全無比なる無計画の結果、つまりは行き当たりばったりの産物です。

2011年12月15日。
自由が丘を出発し、京都駅から近鉄京都線に乗り換え、「各駅」しか停まらない 久津川駅に着いたのは、午後1過ぎでした。

オフィスには、Oさんがフリーになって以来、単身で城陽オフィスを切り盛りしているクボタ君と、学生チームの関西仕掛け屋ジュニア(略して、関ジュニ)メンバー3人。
彼ら、彼女らとともに、「緊急ミーティング」が設けられたのでした。
議題は、「これから城陽オフィスをどうするか?」。

そう。
こういう漠然とした問いが立てられたとき、その組織はどういう状態にあるか?
お察しのとおり、そのチームは危機的、もしくは末期的であることが多いでしょう。例に漏れず、ぼくたちも、完全に行き詰まっていました。仮営業所として以上に機能しているわけでもない、お調子者のクボタ君もさすがにひとりっきりでかつての勢いがなくなっているようだし、それにノリで周りを引っぱるタイプのクボタがいなくなったことで自由が丘組までかつての勢いを出せずにいるし・・・とまさに八方塞がりの状況にありました。
事実だけを客観的に見れば、たしかにそうです。

そうである以上、会議も「ありがち」なものになることを避けられない。
どよーんとした空気。
誰も発言しようとしない沈黙の時間。
ただでさえ死んだような目を全員下に向けたまま。
・・・チッ。
思わず漏れ出た舌打ちの音に、周りはおろか当の本人も驚きの色を隠せない。
そんな組織の末期的光景が、ここにも・・・。

ミシマ社の城陽オフィスでも、同様の事態が起こりかねないはずだった。いや、起こってしかるべき条件は出揃っていた。
ところが。

「わたし、駄菓子屋さんみたいな場所にしたいわぁ〜」

関ジュニのひとり、ミッキーが口を開く。

「駄菓子屋?」とぼく。
「そう、近所の子どもやらが気軽に来れる」
「ほお〜」
「子どもの頃読んだ本って忘れないやないですか。けど、子どもやと、1500円の本はなかなか買えへんし、貸本屋したい」
「お?? おお〜〜、貸本屋かぁ」
「100円とかで」
「それいいなぁ」と関ジュニ・エリナ。
「めっちゃ、ええやないっすかー」とクボタ。

たぶん彼の場合、合いの手打ってるだけだろうが、ぼくも素直に「それはいい!」と声をあげた。

「やろう!」

そこからはトントン拍子。
わずか二時間あまりのミーティングで、貸本屋さんの運営方法(一冊100円で二週間貸出すること、貸出リストはこんなカードで、などなど)が決まった。

「じゃ、いつからやろう?」
「そうですねぇ」
「早いほうがいいよね。実際やってみて、修正していくほうがいいし」
「来月します?」
「そやね、来月やろう」
「初日、バーベキューでもしよっか」とぼくが言うと、「うわ、一月に! 寒っ。けどおもろい!」「やりましょう!」とジュニアも賛同してくれた。

こんなふうにして、「貸本屋」兼「本屋さん」という「ミシマ社の本屋さん」が生まれたわけです。

幸い、組織の末期的光景を一度も見ることなく、起死回生の一打となりました。
文字通り、地元に開かれたかたちでのミシマ社・城陽オフィス的小商いの始まりです。

振り返るに、行き詰まっていることを誰ひとりとして気づいていなかったのが、ブレイクスルーできた要因ではないかと思っています。
だとすると、つくづく実感せざるをえません。
無計画は偉大だ、と。

ふー。

話をふたたび「小商い」論へと戻そうと思います。
結論からいえばぼくは、この小商いこそ新たな時代を切り拓くために欠かせない概念ではないかと感じています。

平川さんが言うよう、有史以来、初めて人口減少を迎えている現代日本。
つまり、「これまで」の前提がなりたたない時代に突入したわけです。
人口は増えていく、経済も成長する、給料もあがっていく、いろんなことが進歩していく、そうした前提が、すべて。

だからといって、これからの時代をさして、下山や後退といった後ろ向きに表現することが必ずしも適切であるとは思いません。
むしろ、ぼくは逆ではないかと思っています。
これからが、ほんとうの進歩の時代。

先ほど、これまでの時代の前提として、「いろんなことが進歩していく」ことがあったと述べました。ただし、このときの進歩は、「外的環境」を進歩、進化させることをさしました。生活環境の充実、電子機器による利便性の拡充、移動の高速化、などです。
ですが、これからの進歩、進化は人間そのものに向かうのではないでしょうか。

これまで、社会全体として見た場合、「外」ばかり進展させることに躍起で、「人間」を進歩・改善していくことに熱心であったようには思いません。

もちろん、「人間」あるいは自分自身の進歩はどういうものか、ということが重要です。
たぶん、それについてはまだ考察が足りず、とても今、すぱっと言うことはできません。
それでも、こうだろうと直感で確信しているのは、「自分を離れる」状態だと思います。

たとえば、『薬指の標本』に出てくる歩道橋のしたで靴磨きをするおじいさん。

「おじいさんはまず刷毛で埃を払うと、腰にぶら下っていた布に透明なクリームをつけて磨き始めた。染みだらけの指は、無駄なくきびきびと動き、決して私の靴を乱暴に扱わなかった。(略)
「・・・それにしても、磨き心地が最高だね。こっちが誠意を見せたら、それにちゃんと答えてくれる靴だ」
「靴にも誠意なんてものがあるんですか」
「もちろんさ。誠意だって悪意だってある。お嬢さんは標本を作ってるんだから、分るだろ。そういう、物との交流ってやつがさ」」
(小川洋子『薬指の標本』新潮文庫)

ここにも小商いの哲学があるように思えます。
そして、こういう行為に、これからの進歩のヒントが含まれているような気がしてなりません。
サービスや消費という概念とは離れたもの。損得とはまったく違う次元にたつ人。

ここに行き着くために、まず第一歩として「小商い」があるような気がするのです。
それが正しいかどうかはわかりません。
そのことを知るためにも、小商いを地道に実践しながら探っていこうと思っています。
何事も、自分で実験。
まさに、これこそ、小商いの醍醐味でもありますからね。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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