ミシマ社の話

第43回 「あいだ世代」のメディア論

2012.09.24更新

私は1975年生まれで、いま37歳です。
ちょうど「あいだ」世代にあたります。
いきなり、「ちょうど」なんて言い方をしましたが、けっして一般的な通称なわけではないのであしからず。わたしが勝手に言ってるだけです(しかも、つい数秒前、書いている最中に思いつきました)。
要はこういうことです。

バブル世代でもなく、ゆとり世代でもなく、その中間に位置するから「あいだ」世代。
「バブル・猛烈・ハイテク」な40歳代と、「低成長・ゆとり・ネット」が当たり前の20代半ば前後世代の「あいだ」、というわけです。
たしかに、同世代の人たちの声を聞くと、上を見ても、下を見ても、なんだかしっくりこないと思っている方が多いようです。「働くこと」への向き合い方が異なるというか。

たとえば、先日「週刊ポスト」でとても面白い対談記事がありました。
『困ってるひと』の大野更紗さんと『毛のない生活』の山口ミルコさんとの対談なのですが、大野さんは現在28歳、ミルコさんはちょうど私の10歳上なので(たぶん)47歳。
で、私がちょうどお二人の「あいだ」の年月を生きていることになります。
3ページに及ぶお二人の対談記事を読んでいたら、急に自社の名前が出てきてびっくりしました(笑)。

大野私は『毛のない生活』の版元であるミシマ社が、なぜ出版界の、特にバブルを経験した世代にこんなにも愛されているんだろうって、以前から不思議でならなかったんですね。山口さん自身、会社の規模も知名度も関係なくイイ本を丁寧に作り続けていければいいという、同社のロハス的でNPO的というか、持続可能系なあり方に感激されていますが、私の世代にはむしろその方が、以前の山口さんの働き方より普通に映る。
山口そうか、大野さん世代にはそっちが普通なのね。
大野はい。そうしたミシマ社的営みに皆さんが惹かれるには何か理由があるんだろうと思っていたんですが、要するに普通に働いて"普通に生きて行くこと"が、実は今までの日本社会では非常に難しかった。(略)(「週刊ポスト」2012. 9. 10号)

大野さんの分析はとてもユニークで、自分のなかの違和感をいっきに氷解してくれました。というのも、たしかにミルコさん世代の方々で、ミシマ社に共感を寄せてくださっている方々には、ある共通した「空気感」があります。それを見事に指摘くださったのです。つまり、バブルを経た人だけが醸し出す「反バブル的」空気感(反バ感)。これは、バブルを体感していない私たちには、けっして出せない空気です。なぜなら、最初からそういうのは「ちょっとヤだ」と思っているため、そもそも反発しなくとも、そっちに行かない。ですから、「反バ感」を出そうとしても出しようもないのです。そのことを大野さんは、あえて対極的価値として、ロハス的、NPO的と表現されたのだと思います。

で、ポイントはここからです。
この対談には載っておりませんが、大野さん世代の方々がミシマ社に共感くださるときは、実は、ミルコさん的共感とずいぶんと違うのです。私は、大野さん以下の年齢の方々と接するとき、そのことをひしひしと感じずにはいられません。
おそらく、大野さん以下世代の方がミシマ社に共感を寄せるひとつは、バブル的なガツガツさとは一線を画した世界で、日々を熱く送っていること、にあるのだと思います。
ほっこり、熱く――。

そういえば、私のブログにも「熱きほっこり魂ブログ」と創業期から掲げておりました(こういう言葉の選び方は、ほんと無意識なんですが)。
今思うと、「あいだ世代」にとっての「ふつう」のやり方をやろうとし続けているのかもしれません。

ところが。
兎角、私たち世代は、メディアでは不人気です。いや、正確にいうと、ネガティブな語られ方をしつづけるという意味で、大人気です。
今年の春ごろのことです。
「AERA」という雑誌の同世代の男性記者から、インタビューをしたいという依頼がありました。なんでも、「幸せな60代女、不幸せな30代男」と題した特集を組む、ついては、「30代現役ビジネスマン」としてのコメントが欲しい、とのことでした。
うーむ。
当初、私はお断りをしました。けっして適役ではないと考えたからです。というのも、自身を、編集者であってもビジネスマンとは思ったことがありません。また、不幸だとも思っていません。そのことをお伝えし、辞退を申し出ました。

が、記者は、「それでいいんです」と語気を強められた。そう言われると返す言葉もなく、「そ、そうですか。わかりました。ただし、記事に不適切な場合はご遠慮なく掲載しないでください」と念押ししたうえで、取材をお引き受けしたのでした。
で、後日、掲載誌を見てびっくり。 4ページにわたる特集の最後の締めに私の発言が掲載されていたのです。

「今の30代が『不幸』なのは、単にメディアに『不幸な世代』と定義づけられているからではないでしょうか。幸せになるためには『時代がこうさせた』という言葉を発しないことだと思います」
( '12. 6. 11「AERA」)

わが発言ながら、これは、本当に強く思うところです。
実体とは違う情報が「記号」となって一人歩きしている。
そんなふうに思うことが多々あります。
取材で強調して申したのは、「30代は別に不幸じゃありません」という点です。

「もし不幸だと思っているのだとすれば、それはメディアに振り回されてきたからではないでしょうか。
フリーター世代、ロスジェネとかメディアのつける「記号」に自分を縛ったり。
あるいは、「起業ブーム」の名のもと、「起業→上場」という定式に踊らされたり。
で、起業しない人たちは、会社で過剰に働かされ、上の世代に「搾取」される、と脅されたり。
いずれにせよ、このままじゃいけないよ! そういう声に振り回されてきた。
その声はメディアという拡声器を通し暴力的なまでに大声となって伝播した。だけど、実体は、それがすべてではない。むしろ、そういう声に踊らされる前の段階では、少数に過ぎなかったはず。
一度、メディアの声や情報洪水から耳を閉じ、ほんとうにやるべきことに耳を澄ます。
そうすれば、時代に関係なく、常に自分が主体となって、「おもしろい」ことに取り組みつづけることができる、のではないでしょうか。そしてきっと、すでにそうしている人は多いはずです」

そんなことを申しあげました。
ここでは、その発言の是非を掘り下げません。
ただ、長々とこの記事について触れたのは、ほかならない、自分の発言の裡に自己否定が含まれているからです。
メディアの流す記号化された世代論に違和感をもっていた私自身が、出版メディアという仕事をしている。「耳を閉ざす」べきと名指しした、そのメディアに属しているわけです。

この自己矛盾。

しかし、この自己に潜む矛盾に目を逸らすことなく、表面的な情報を引っ剥がし、その実体をちゃんと読み解いていけば、まったく違う世代論が導きだせるのではないか。
そうして、これまでの世代論をいったん終わりにできるのではないか。
また、その行為は、とりもなおさず、「出版メディアのこれから」を考えることにもつながってくるのではないか。
このように考えています。

すくなくとも、これから私たちが40代、50代になっていくわけで、「あいだ世代」の役割は大きいはずです。
言われてきたように、たんに「不幸」なままの世代でいるのか。その結果、不幸を立脚点にしたメディア運営によって、全体をもそちらに引きずりこむのか。
それとも、「あいだ世代」の違う側面、より本質的な面を見出しうるか。そして、それによって、メディアの違う役割、それもより根源的な役割を果たせるようになるか。

いま、まさに私たちは、その「あいだ」にいます。

これから何回かにわたって、「あいだ世代」(主に1975世代)とメディアのあり方について考えていこうと思います。
実体とかけ離れてしまった、自分自身が身を置く「世代」と「メディア」。
それらを本来あるべき場所にいったん戻すこと。

おそらくそこが、次の時代を私たちが担えるかどうかの、スタートになる気がしています。

(つづく)

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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