ミシマ社の話

第46回 アイデアの星

2013.02.18更新

そのボールはいつ投げられていたんだろう?
あるボールとあるボールが空中でぶつかる。
ぶつかり合ったボールは、軌道を変え、飛び散る。
(あっ!)
ぶつかったのを見て、はじめて知る。
宙に放たれていたボールが一つではなかったことに。
自分が投げたボールは、確実に一つある。
ついこの間、これだ、という実感とともに、投げはなったのだ。忘れるわけもない。
この一球に賭けた。
この一球が自分を違う地点へと導いてくれる。
根拠もない。
不安しかない。
そんな状態の中で放った一球だ。
じっと見守り、温めつづけるのは当然であろう。
だから、気づかなかった。
まさか、ちがう角度から球が飛んできていたなんて...。

衝突!

その瞬間、たしかに世界は少し変わった。
ぶつかりあったとき、もう一つの球からエネルギーを吸収したのだろうか。
見守りつづけていた球は、その飛行角度を上げ、以前より太い軌道を描くようになった。


アイディアというのは、こういうものかもしれない。と思った。
ひとつの着想を得る。
おやっ、と思う。
目の前に光が差し込んだ気になる。
その光のほうへ向かって、着想の卵を育てていこう。
つまり、アイディアのボールを光射す大空へと放り投げるのだ。
その軌道には、いくつもの障害があるにちがいない。
投げた角度が悪いと、とんでもなく巨大な岩の塊のようなものに、ぶつかり、球は一瞬にしてペチャンコになる。投げたとたん、つぶされることだってある。そうした障害を乗り越え、はね返し、順調にのびつづけた球だけが、大気圏を突破する。そして、そのまま飛行をつづけ、他の球とぶつかりながらも、そのたび力を増して、太い軌道を描くようになる。
飛んで、ぶつかって、飛んで、またぶつかって・・・。
そうして、飛びつづけた一球がやがて一点の星となる。


こんなことを思ったのも、今年の1月8日、突然あることを思いついたからだ。
想定外。
というか、自分のなかで禁じ手としていたことを・・・。

京都市内へオフィスを移す――。
自分で思いつきながら、ドキッとした。わが心の耳を疑った。
(いったい何を・・・)
だがそれはもう、「決定済」として、眼前に現れでたのだ。

では、なぜ禁じ手としていたのか?
話すととんでもなく長くなるので、ここでは要点だけにとどめたい。
京都育ちの僕にとって、京都市内に自社を構えることは無条件で「ありえない」ことだった。
ミック・ジャガーが演歌歌手に転身したり、「ワンピース」が友情よりも悪を大切にしたり、マクドナルドが表向きにも「スマイル」を捨てたり、スタバが「緑茶」しかださない店になったり、ミシマ社が出版社でなくなったり・・・それほどまでに考えられないことだった。つまり、理屈をこえて、それはアカンという類の「ありえない」ことだった。
もちろん、事実はずいぶんと違った。
京都進出は、ぜんぜん「あり」だった。
どころか、地方で出版を、という旗を掲げたとき、地方都市で始めるのはむしろ自然であった。
なにより、自身の身体がすでに反応していた。
昨年末より、執筆を市内のカフェですることが多くなっていた。
すると、不思議なことに、スイスイとはかどるのだ。
同じ一時間でも、気分的には、城陽での執筆量の倍ほど進む。
(な、なんだ・・・)
考えてみるに、場の空気がちがうのだ。城陽の空気が「生活者」的であるのに対し、三条界隈の空気は「仕事」的。
当然、僕たちは日々「仕事」をしている。出版という仕事をしている。
仕事をしている以上、「仕事」的空気が強い場のほうがはかどるのは、もはや論を待たない。

そもそも僕は、場のもつ力というものを、ミシマ社立ち上げ時から重要視していたはずだ。
だからこそ、7年前、自由が丘にオフィスを置いた。
新しい出版社をつくるのだ。あえて出版の中心じゃないところで、と思った。
だからといって、自由が丘が活気のある街であるのは間違いなかった。
出版の空気は薄くとも、「何か」をやるための活気は十分にある。そこにいるだけで、適度なほがらかさを保ちつつ、仕事にも打ち込める。
そういう意味で、結果的にではあるが、自由が丘は出版社を起業するに最適な立地だった。

ところが、城陽は違う。
出版の地でないのはもとより、仕事をガシガシ進めるような空気感でもない。

あくまでも自分たちの役割は、出版活動を通じて「面白い」を実現しつづけることだ。
それを、東京でない場所でも実現しようとするとき、地方の中心地でおこなうのは、至極、自然な流れであろう。

7年前、これからを思い悩んでいたとき、「会社をつくったらいいのだ!」と思いついたとたん目の前がぱっと開けた。
それに近い感動とともに、今回の京都進出が自分のなかで沸き出でた。

僕は、大発見をしたような顔でお会いする方々に伝え始めた。
「京都市内に(城陽オフィスの)編集部の機能を移そうと思います」
おお、大英断!
そんな返答がくると思っていたわけではないが、皆さんの反応はすこぶる冷やかだった。
「そりゃ、そうやろ」
「そんなん最初からわかってたやろ」
15年ほど東京で活躍され、昨年地元に戻ってこられたあるライターさんには、「そりゃ俺も神戸に戻ってきて(ライター)やってるけど。あくまで神戸や。城陽って、俺で言ったら、丹波篠山でやるようなもんやろ。それは、ないで」
(た、たしかに・・)
反論のしようがなかった。

結局のところ、こういうことだろう。
城陽の良さを深いところで理解することなく、「どこだって」できる。
そんなふうに、思いあがっていたのだ。
もちろん、理屈をこねれば、どこだってできると思う。現にこの間もやってきた。しかし、その土地の人々が真に欲していることと自分たちの活動が一致していないと、いつまでたっても徒手空拳、観念的な域を出ない。
城陽に実際に生活者となって感じたのは、本と触れ合う場がそもそも少ない、というものだ。だから、「ミシマ社の本屋さん」だけをこの地に残し、編集部の機能を市内に移設することにした。
遅まきながら、確信をもって決断した。

いずれにせよ、これを思いついてから、昨年末から考えていたもろもろがいっきに動きだした。
それが、冒頭で述べた「ボールとボールのぶつかり合い」だ。

「平日開店ミシマガジン」を「みんなのミシマガジン」に改名リニューアルする。
昨年末、そう決めた。
それ以来、ずっとリニューアル・プランを考えていたのだが、その真っ最中に、突然、「京都市内進出」なるボールが飛んできた。
そして、この二つは、見事なばかりにぶつかり、合体した。

二つのボールはすでに、切っても切り離せない関係になっている。


*次回、「みんなのミシマガジン」リニューアル・プランについて!

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

ミシマ社のblog
株式会社ミシマ社

バックナンバー