ミシマ社の話

第47回 僕は「あいだ人」

2013.07.14更新

 ご無沙汰ぶりです。このコーナーを読んでくださっている方々、失礼いたしました。
 4月の「みんなのミシマガジン」リニューアル創刊と、サポーターの方々へのプレゼントである「紙版」の制作に追われるあまり、本コーナーの執筆が後回しになっておりました。

 お伝えしたいことはやまほどあるのです。
 京都オフィスの引越し、「みんなのミシマガジン」創刊、ミシマ社初の新卒新人入社、合宿、営業クボタくんの退職、それにともなう採用活動、個人的ですが第一子の誕生・・・こうしたことが「いっとき」に重なっておきました。

 その怒涛の日々を振り返るには、まだ熱すぎます。もうしばし、ほとぼりが冷めないことには、やけどしそうで・・・。

 で、今回は、ある発見について述べようと思います。

 端的に申せば、自分という人間を言い表す「言葉」を見つけたのです。
 僕は、単行本の編集者です。だからといって、営業の仕事をしないわけではありません。仕掛け屋仕事だってします。なんといっても「全員全チーム」の会社ですから。もちろん、代表である以上、(いちおうですが)会社の経営者でもあります。かつて、旅人と名乗っていたときもありました。 この4年前に合気道を始め、武道家と名乗れるくらいに早くなりたいと思っています。最近は、一児の父親にもなりました。

 そんな自分っていったいなんなのでしょう?
 出版人という表現では、過不足が生じるように思います。旅人や武道家志願が抜け落ちてしまいますから。
 もちろん人は、何かひとつで成り立っているわけではありません。

 最近よく言われる概念に、「分人」というのがあります。簡単にいえば、ひとりの人間は、「個」である前に分人である、その集積が個人をつくっている、というものです。先ほど述べたように、僕自身もときと場所によって、編集者であったり、営業マンであったり、社長であったり、旅人であったり、父親であったり、修行者であったりしているわけです。まさに、分人の集まりが僕という個をつくっているわけです。

 ただし、その分人はバラバラなわけではなく、それぞれが有機的につながっているはずです。とすれば、 それらすべてを包摂するような言葉があるのではないか? と考えたわけではありません。ただ、ふと思いついたのです。

 それが、「あいだ人」です。
 あいだじん? あいだびと?
 まぁ、なんと読んでいただいてもかまいません。
 ともかく「あいだ人」でした。私は。

 どういうことかと言いますと、自分のやっていることのすべての共通項として、「あいだ」がありました。
 むろん、編集者とはそういう存在です。
 読者と作品・作者の「あいだ」に立って、両者をつなげるのが、編集者にとって、なによりの使命です。
 営業しかり。
 そもそも、メディアとは、そういう意味ですから。

 ところが、昨今、「メディア」という言葉が、間違って使われることが多いようです。
 たとえば、「自分メディアをもとう」「メディア力を高めよう」といったフレーズをときおり耳にしますが、そのときのメディアは、こういう意味で使われているでしょう。
 メディア=情報発信
 もちろん、そんなわけはありません。
 メディアの意味は、情報発信ではありません。それでは、一方通行になってしまいます。
 字義通り、メディア(media =mediumの複数形)です。つまり媒介。言い換えれば、「あいだ」なのです。

 ですから、メディア人を日本語に置き換えれば、「媒介者」となるでしょう。
 自分のケースでいえば、出版メディアという仕事をしているわけですから、出版という媒介によって、しかるべき「一冊」をしかるべき人々に送り届けるのが、その仕事です。
 まさに、「あいだ」にいつづけることによって。
 そう考えると、編集者として、出版人としての自分は、「あいだ人」そのものと言えます。

 また、会社の代表も、常に、社会と社員の「あいだ」に立っていなければいけません。「あいだ」に立たない代表ほど、無責任な存在はありませんよね。
 旅人も、「あいだ」の人です。
 というのは、旅人は、無名性にその本質があります。その土地において誰も知る人がいない。そういう土地に行って、祖国・故郷と現地との「あいだ」に立つのが旅人だからです。(たしか)柳田國男が指摘したように、かつて旅人は、ある土地に他の土地の情報をもたらす重要なメッセンジャーでもありました。まさに、土地と土地の「あいだ」の存在です。

 父親であることは子と社会の「あいだ」にいることですし、修行者は師匠と現実・現状の「あいだ」で揺れ動きつづけることがその日々の大半でしょう(その揺れこそが修行と思います)。
 そういうふうに、自分の分人はほとんどが「あいだ」に立つことをその最大の役割としていました。
 ですから、自分の分人を総称すると、「あいだ人」と称するのが適切だったのです。
 もちろん、生き方も、会社の運営も、編集のしかたも、「計画と無計画のあいだ」でやるのを常としておりますから。
 あらゆる意味で、「あいだ人」でした。

そして、僕はひそかに(!)こうも思っています。
本来誰もがみんな、「あいだ人」ではないだろうか。

はてさて、どう思われますか?


 次回、「あいだ人」の危機について述べるつもりです。本来誰もがみんな「あいだ人」であるはずなのに、現実はそうなっていない。とすると、それはとても危機的なことなのでは、と僕は考えました。
 「あいだ人」が危ない!
 ・・・かもしれません。
ともあれ、その救出こそが社会的に急務なように感じてならないのです。


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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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