ミシマ社の話

第50回 ミシマ、2014年をふりかえる

2014.01.07更新

 今回は、140B連載に登場しているミシマ氏に初登場してもらうことにした。

 新年が明けると、不思議なものでたしかに晴れやかな気分になる。
 時間にして24時間のちがい、いや、数時間の差で(もしかするとわずか数分!)日をまたぐだけで「なにか」が変わる。
 1月1日を、前日の延長というより、これから始まる365日の初日として認識しているからだろうか。
 いずれにせよ、実態としてなにも変わらないものを、数字ひとつで、リセットしてしまう。
 ひとの心や意識までもリセットしてしまう。
 数字のもつ魔力ははかりしれない。

 とミシマは今年にはいって何度も思った。
 事実、ミシマのなかでは、すがすがしい風がゆったりと吹いている。
 昨年まではなかった風のような気さえしている。真偽のほどはわからぬが、ミシマはそう感じている。
 年が明け、一週間が経とうとしている。
 風の正体を知りたいというわけではないが、ミシマは、このタイミングで、ざっとふりかえることにした。
  そもそもはたして、ミシマのなかに新年の風は吹いているのだろうか。

・ 1月1日

 京都から石川県小松にいる両親のもとへ向かう。サンダーバードにて。
 京都駅で、新年初ツイートをする。
「あけましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願いいたします。皆様にとりまして、本年が「いま」という輝ける瞬間の積み重ねでありますように。本日の「ミシマガジン」、森田真生さんより新年の贈り物があります。10時半の更新です!」

 森田さんは、一昨年(2012年)にお会いした方々のなかでもっとも衝撃を受けたお二方のうちのお一人である。
 ちなみに、もう一人の方が、昨年末ミシマ社から「シリーズ22世紀を生きる」第二弾として発刊された『あわいの力』著者の安田登先生である。
 安田先生は能楽師のワキ方で、そのワキの役割を「「何もしない」を全身全霊を込めてする」と表現されている(『異界を旅する能』ちくま文庫)。
 ミシマは、その一文に触れたとき、「編集者の役割も、まさにそれだ!」とふるえた。
 そうして「何もしない」を積み重ねた結果、ミシマガで3カ月に一度、「数学の贈り物」を森田さんに書いていただけることになった。
天から「贈り物」が降ってきた。
 いまもミシマはそうとしか思えないでいる。
 今回の「数学の贈り物」は、おそらく何度も何度も読み返すことになる。ミシマはそれだけは確信をもってわかっている。

 夕方、小松市内の銭湯(といっても温泉)に行く(泉龍温泉)。
 今年はとにかく「あわいの力」を高めていこうと思っている。
 温泉に浸かると、自分の身体と水とが溶けまざりだす。そこに「あわい」が生まれる。あわいとなったわが身体は、いつしか自身の脳を飛び出し、古今東西をかけめぐる。
 そうして初めて気づく。
 温泉に浸かる直前まで、せまい空間にわが身を閉じ込め、そこでだけで発想しようとしていたことに。
 あわいに身を置いたとたん(置くというより、溶け出したとたん、というほうがしっくりくる)、思考に羽がつき、飛躍をみせる。
「あわい」は創造の源でもある。
 そんなことを考えているうちに眠りにおちた。

・ 1月2日

 昨年末にオープンした明文堂小松店にいく。
 まだここにミシマ社の本は置かれていない。ので、ご担当のM氏にミシマは挨拶をした。
 近々置いていただけることになり、新春いい出だしとなる。
 併設のカフェ(タリーズ)で、ミシマはパソコンに向きあい、原稿を書く。自身の原稿をひたすら書く。
 ミシマは二冊目の本をずっと書いている。かれこれ一年以上も。
 昨年11月末あたりから、ようやく、本が動き出した。
 ではそれまでは動いていなかったのか?
 はい。
 では何を書いていたのか?
 文字を・・・。
 ものすごい分量の文字をミシマは書いた。累計すると、すでに数冊分は優に越えているだろう。
けど、行く当ても無く書き進めた原稿は結局、どこにも行き着くことはなかった。
 ようやく、行き着く先が見えてきたので、スパートをかけている。
 四月には出す予定でいる。編集担当の朝日新聞出版のYさんには、とっくの昔に渡していなければならなかった。
 だから正月がないのはしょうがない。
 けれど、いまは書いていて楽しい。
計画と無計画のあいだ」で書いているからだ。
「無計画と無計画と無計画と・・・」で書いていた時期はじつにしんどかった。
とミシマは、ふりかえる余裕すらもっている。
 そうして、思う。
「よく書くこともないのに、あんなにいっぱい書いたものだ」

・ 1月3日

 この日も明文堂小松店のタリーズに行き、執筆を継続。
 前日気づいたが、このカフェには暖炉がある。
 薪をくべて暖をとる。
 もちろん、外からもうもうと煙が出ている。
 小松のこの場所でないとできない贅沢さだろう。

 午後、京都に戻り、自宅の掃除をする。
 夜は借りていた、ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』を観る。
 といっても、8カ月になる赤ん坊の世話をしながらのため、何度も中断しながら。
 サーカスのシーンだけは赤ん坊もじっと観ていた。
 ミシマはサーカスを観る赤ん坊を観ていた。
 この映画もまた「あわい」を描いた作品だった。
 と考える自分に気づき、どれだけ「あわい」が好きなんだと自ら思った。

・ 1月4日

 ミシマ社自由が丘オフィスへ向け、移動。
 しかし、不安は的中し、新幹線は満席だった。自由席も通路まで埋まっている状態だった。
「ああ、早めに予約しておけばよかった」
 そんなふうに思ったものだ。去年までのミシマであれば。
 けれど、新年、そういう発想とは決別した。
「いかなるときも平時のこころでありたい」
 めざすは、ここである。
 二時間ちょっと立っているあいだ、中島敦の『悟浄歎異』を思い出す。

「全く、悟空のあの実行的な天才に比べて、三蔵法師は、何と実務的には鈍物であることか!」
「外面的な困難にぶつかった時、師父は、それを切抜ける途を外に求めずして、内に求める。つまり自分の心をそれに耐え得るように構えるのである。いや、その時慌てて構えずとも、外的な事故によって内なるものが動揺を受けないように、平生から構えが出来てしまっている。いつどこで窮死してもなお幸福であり得る心を、師は既に作り上げておられる」

 三蔵法師の域には遠くおよばずとも、かくありたいとミシマは思う。
 これは大きな心境の変化といえよう。
 以前のミシマは、悟空のほうにより惹かれていただろうからだ。

「我々には何の奇異も無く見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとく素晴らしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動を促す機縁だったりする。もともと意味を有った外の世界が彼の注意を惹くというよりは、むしろ、彼の方で外の世界に一つ一つ意味を与えて行くように思われる。彼の内なる火が、外の世界に空しく冷えたまま眠っている火薬に、一々点火して行くのである。」

 三蔵法師の境地をめざすにつれ、ミシマはひとりの人物のことを思い出さずにはいられない。
 その人物とは、何を隠そう、バッキー井上氏である。
『あわいの力』と同様、「シリーズ 22世紀を生きる」の一冊であり、その第一弾である『人生、行きがかりじょう』著者、バッキー氏。
 氏は、本書でくりかえし、こんなことを言っている。
「おいしいもんばっかり求めてたら、その時点で負けや」

 変わらぬ現状をそのまま受け入れ、平然と日々を送る。
 そういう年でありたい。

 自由が丘に着いてからは、メンバー全員で初詣にいき、その後、新年会。内田先生など豪華な方々がつぎつぎに訪れてくださり、いい年にならないわけがない、と思える時間となった。


・ 1月5日

 自由が丘合宿。
 京都メンバーと自由が丘メンバーと、合同でミーティング。
 営業のことから編集のことまで。
 実り多し。
 しかし、ミシマは前日ワインを飲みすぎたせいか、ひどくお腹をこわした。
 あわいのお腹。と思ってみたが、てんで創造的何かは生まれなかった。

・ 1月6日

 実質上の仕事はじめ。充実。
 夜、前日につづいて、家でひとり『ナイアガラ トライアングル』を聴く。
 大瀧詠一さんを偲んで。

 約二年前、平川克美さんにお声掛けいただき、「ラジオデイズ」での大瀧詠一さんの収録に同席させていただいたことがある。
 それまで正直なところ、ミシマは大瀧さんのことを詳しくは知らなかった。
 けれど、お話を聞いているうち、とんでもなくすごい人だということが、やっとわかった。
 具体的に何かを言ったから、ということではない。
 それこそ、言っていることすべてが超人的だった。
 こういう存在を生で見るのは、後にも先にも大瀧さん以外にない。
 宮沢賢治の故郷近くで生まれ育った大瀧さんだが、そのとき、ほんとうに風のような人だと感じた。
 その後、神様みたいだとも思った。

 ふりかえると、この二年はずっと大瀧さんがいたのだということに気づく(具体的には、いま書いている本がそれになると思う)。
 そして、その大瀧さんは年を越えずにお亡くなりになった。

 2014年、この一週間をふりかえって思う。
 新年の風と思っていた風は、大瀧さんではなかろうか。
 大滝さんという風がいまも自分のなかに吹いているように思えてならないのだ。
 ミシマは、そんな実感とともにいまある。

 大瀧詠一さん、本当にありがとうございました。
 この一年を、大瀧さんへの恩返しと思って送ろうと思います。

 心からご冥福をお祈りいたします。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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