ミシマ社の話

第51回 銭湯経済、はじめました。

2014.10.15更新

 銭湯経済、いよいよ始まる――。
 本年6月末に、ミシマ社京都オフィスは引っ越ししました。
 城陽オフィスから数えて、3カ所目です。一軒家から始まった関西での出版活動は、1年3カ月のワンルームでの活動を経て、ふたたび一軒家にたどりついたわけです。
 それも今回はたんなる一軒家ではありません。
 鴨川沿いすぐ、一階に3部屋、二階に4部屋、さらに屋根裏部屋付き・・・と書けば聞こえはいいですが、この情報を仔細に見ていくと、こんな情報が加わることになります。築年数不詳、あちこちに隠し扉、やたら長細いトイレ(ノックをされても便座から手はけっして届かない)、風呂場は大きな建物と不釣り合いなくらい激小、大股を開かないと登れない高い位置にあるベランダ、間違って開くと一階へ真っ逆さまの扉・・・。
 訪れた方々からは「忍者屋敷」「ここには、なんかいるね」など、いろんなお言葉を頂戴しています。とにかくネタには困らない建物であるのは間違いありません(これを書いている日には、床の間の天井が落下(!)しましたし)。

 それでも、僕たちは(すくなくとも僕は)、このオフィスをたいへん気に入っています。
 その最大の理由は冒頭に掲げました「銭湯経済」を実践するに、これほどふさわしい場所はないと思われるからです。
 「銭湯経済」という言葉は、本年6月に発刊された平川克美さん著『「消費」をやめる~銭湯経済のすすめ』で初めて公となりました。
 以来、本書の版元である出版社として、これを実践せねばならぬ。とりわけ、本書が「シリーズ 22世紀を生きる」の一冊でもあることから、同シリーズ編集部のある京都オフィスでの実践は必須であろう。
 そういう思いでいたころ、このオフィスを偶然見つけたのでした。

 この近所には、銭湯がいくつかあります。有名なのが、鴨川をわたってすぐのところにある「桜湯」。レトロ感あふれる銭湯です。
 
 「疲れがたまったときなどは、手拭いを肩にかけてひと風呂浴びに行ったりします。それからまた、仕事場に戻るわけですが、家が近いので残業も苦にならず、もう一度風呂に入って家に戻るといった生活をしています」(平川克美『「消費」をやめる』)

 いま、京都オフィスのメンバー3人とも、ご近所。そういうこともあり、平川さんのこの言葉を実地でいけるわけです。
 もちろん、銭湯経済は、そうした「形」だけをさしているわけではない、と捉えています。出版社としての実践形があるにちがいない。そう考えたとき、まっさきに思い浮かぶのは、「添加物を使わない編集」です。
 これは拙著『失われた感覚を求めて~地方で出版社をするということ』(朝日新聞出版)でも少し触れたことですが、その具体例に触れたいと思います。
 きっかけは、昨年11月に刊行した木村俊介著『善き書店員』でした。
 これは、6人の書店員さんにじっくりロングインタビューをおこない、その言葉を丹念につづった一冊です。聞き手であり著者である木村さんの解釈を、一切挟み込むことなく、語り手の声だけで届けようとした本です。6人で300頁を超える仕上がりです。
 つまり一人のモノローグが、50ページも60ページもつづく。
 通常の感覚でいえば、それは「読みやすい」とは言いがたいでしょう。
 当然、編集段階で、「小見出し」を入れていくことを検討しました。
 たとえば、「深夜ひとりでオフィスに戻ると」「倒れた本の山に囲まれて」「来月の家賃が払えない・・・」といったような小見出しを、3~5ページに一回のペースで入れていく。そうするだけで、読み手のほうで「リズム」がつくりやすくなる。あるいは、「小見出し」だけを拾い読みしてざっと内容をつかむことができる。
 編集作業のひとつの役割として、テキストと読み手の「あいだ」を橋渡しするということがあります。そのひとつの行為によって、一人でも多くの読み手がつくように。
けれど、結論をいえば、『善き書店員』にはまったく小見出しは入っていません。
ぱっとページを開いただけで、目に飛び込んできやすい「小見出し」にひっかかりを覚える、といった可能性をなくしたわけです。
 それは、15年以上編集の仕事をしてきたなかでも初の試みであり、私にとって大きな挑戦でありました。もちろん不安もありました。
(大丈夫だろうか?)
 何度か自問したこの問いには、いまの読者が「読める」ものになるだろうか、という不安があったことを否定できません。そして、この不安の奥をさらに覗けば、たしかに、信頼の土台が情けなくも脆弱であったのです。
 なんのとっかかりもない、テキストだけが流れている本を、いまの読者は読むのだろうか。こうした思いがまったくなかったとは言い切れません。
 しかし、編集者が果たすべきは、一冊の本がもつ本来の力を最大限に引き出すこと。
 それをせずに、受け取る側の「なれた味」にばかり合わせていては、かえって、届くはずの人に届かない本になってしまう。おそらく、世の中にはそういう本がゴマンと溢れているのでしょう。
 『善き書店員』でいえば、小見出しという選択肢はありえないものでした。
 なぜなら、語り手ひとりひとりの呼吸に合わせながら耳を澄ますことでしか、テキストに書かれたほんとうの意味は読むほうの側に入ってこないからです。
じっくり耳を澄ます。
 これを実現しようとしたら、小見出しが「ノイズ」になることは、火を見るよりも明らかでした。
 にもかかわらず、私は不安だったのです。いつもの味付けをしないことに対して・・・。

 平川さんは『「消費」をやめる』発刊記念のイベントで、よくこんなことをおっしゃっていました。
 「会社でおもしろくないことがあったらどうしたらいいかって? そんなの、一緒に銭湯行けばいいんだよ」
 お湯に浸かって、溶けるような感覚になる。そうした感覚に立ち返ってから物事を見直す。
 すると、いかに自分が硬直していたかがよくわかる。
 これまで慣れていた味付けは、ただ慣れていただけで、いい味付けであることとイコールではない。むしろ、素材の良さをもっと引き出すやり方は別にいっぱいある。そして、当然のこととして、そうした味を待っている人たちはいる。
 「善き書店員」がいっぱいいるように、「善き読者」たちは時代を越えて無数にいる。
 
 『善き書店員』発刊からもうすぐ一年が経ちます。おかげさまで発刊後しばらくして増刷をかけることができ、着実に「届いている」実感があります。
 届くべき人たちにちゃんと届ける。
 これぞ銭湯経済の醍醐味です。
 立地的にも銭湯経済のぴったりのところに移り、いよいよ、出版社としてのそれを実践していきます。
 10月3日に再開した「ミシマ社の本屋さん」は、その一環です。
 くるくる、くるくる。
 大きなお風呂の水がゆったり回るように、会社も、善き人たちと循環していこうと思います。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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