ミシマ社の話

第54回 ながいながい旅

2015.04.19更新

 かつて旅人を名乗っていたことがあります。
 会社を辞め、フリーとなった私は、旅に出るつもりでいました。旅先で自分を紹介するのに、名刺があるといい。ある日、ふと思い立ち、実際に作ることにしました。そのとき、肩書きに「旅人」と刷りました。出来上がった名刺を手にした僕は、得意満面。なんてかっこいいんだ。と我ながら思ったものでした(いやはや)。その「旅人名刺」をもって、東欧を数カ月、放浪しました。20台の半ばを過ぎた頃のことです。
 それから3年後の2006年10月、僕は本当に旅に出ます。出版社を起こし、運営していくという旅です。3年前の旅とはまるで違う旅。
 「旅人」を名乗った旅では、帰国日を決めず、宿も行き先も何一つ決めず出発したものの、ただひとつ決まっていたことがあります。それは、いつかは日本に戻ってくるということです。時期が未定というだけで、出発点と終着点が同じということは決まっていました。
 それに対し、出版社を始めるという旅は、完全なる片道切符です。
 それもこれも、こういう思いを掲げて始めたからです。
「出版社たるもの、100年つづいて、初めて第一歩を踏んだといえる」
 同時に、「絶版本をつくらない」ということも掲げました。本という生き物が生き物でありつづける(読みつづけられる)ためには、出版社を「つづける」ということが前提になってきます。なぜなら、出版社がなくなれば、どんなに素晴らしい内容の本であっても、その時代の人たちがすぐに手に入れて読むことはできませんから。
 「100年で一歩」ととらえ、本が「生き」つづけるには、必然、片道切符での旅になります。
 9年目のいま、その旅の途上であることはいうまでもありません。

    *

 突然、私事で恐縮ですが、旅の途中で子どもが生まれました。もうすぐ二歳。
 子どもを見ていると、その成長のはやさには舌を巻くばかりです。数日、出張で家を離れることがあると、戻ってきたときは「目に見えて」大きくなっている。言葉も達者になっている。そんなとき、ときどき、それに比べて自分は現状維持で精一杯だな、と思ったりして苦笑いが出ます。
 けれど、先日ふと気がついたことがあります。
 赤ん坊の成長はたしかにはやい。だからといって、1歳児が一カ月後に10歳児になることはない。体格面においても、知能面においても。どんなに成長がはやい1歳児であれ、それは1歳児として、成長がはやいというにすぎない。
 このことに気づいたとき、ぱっと目の前が開かれるような感覚がありました。そして同時に、あやうかったなぁ、と思いました。
 ミシマ社のことです。
 
 つい数カ月前を冷静にふりかえってみると、自分たちがけっこうあやういところにいたことに気付きます。
 表面的には、2月に『シェフを「つづける」ということ』が出て、その売れ行きも好調で、3月には7年半ぶりにひと月二冊同時刊行を控えるタイミング。いやおうなく場が活気づいていました。
 7年半前と同様、何かが起こる前の独特の高揚感が漂っていました。7年半前との違いは、人数が増えたこと(当時2人、現在10人)、二拠点になったこと(自由が丘と京都)、そして経験が増えたこと。
 ひと月二冊同時刊行、高揚感という点では同じですが、0歳児と8歳児の絶対的運動量が違うように、日常の仕事量がその時点でまったく違っていました。たとえば営業でいえば、すでに発刊した60冊の本の営業を日々おこないつつ、新しい二冊の営業もおこなうわけです。既刊本が一冊もなく、これから出る二冊の営業だけで済む状況とは大違い。
 しかし、そこはさすが8歳児。
 ちゃんと乗り越えていけるのです。小学一年生が、不慣れな学校通いにとまどいながらも、初めて出された宿題を、なんとかかんとか、やり遂げていけるように。
 事実、やり遂げました。
 しかし、あやうさは、私たちの気付かないところに潜んでいたのです。
 それは、私たちがまるで15歳児のようなやり方でやり遂げようとしていたことにあります。つまり、ちょっと背伸びして、より「わかった」ようなつもりになっていたのでしょう。8歳児であることを忘れたかのように。
 イキっていた。そう言えるかもしれません。関西弁でイキるとは、調子にのってかっこつける、といった意味でしょうか。
 けれど、8歳児はあくまで8歳児であって、12歳でも15歳でもまして20歳でもない。どう背伸びしたって、20歳のかっこよさなど持てるわけもなく、15歳の魅力を出すことだってできない。その分、8歳児の良さがある。
 その良さとはなにか。
 と問えば、失敗ができる、ということだろう。
 むろん15歳だって失敗できる。20歳であれ、40歳であれ、何歳であっても、失敗していいのだ。けれど、歳を重ねるにつれ、失敗することに臆病になっていくのは否めない。つい、うまくやろうとしてしまう。
 先に、あやうかったと述べたのは、うまくやろうとしていた、ということである。8歳児だというのに!
 けれど、くりかえすが、8歳児は8歳児にすぎない。失敗することが宿命づけられているといってもいい。もっといえば、失敗することが役割である。きっとある部分においては、そうなのだ。
 にもかかわらず、うまくやろうとしていた。しかし、当然、失敗する。失敗することが宿命づけられた生物なのだから。
 けれど、同じ中身の失敗であれ、うまくやろうとして(つまり、失敗しないようにして)失敗するのと、失敗がなんであるのかも知らずに失敗するのとでは、ダメージの度合いがちがう。
 前者が傷になりやすいのに対し、後者はエネルギーになる。まるで正反対である。失敗することが宿命づけられている生物にとって失敗は(通常の意味における)失敗ではなく、むしろ日々の糧であったのだ。あるいは、楽しみであるといってもいいかもしれない。
 
 *

 ながいながい旅の途上、これからも失敗だらけにちがいない。
 けれど、それがないより、あるほうが楽しい。
 その歳、その歳にふさわしい動きをつづけていきたいと思う。無理な背伸びをすることなく、卑屈になることもなく。ただ自然に、のびのび、のびのびと。
 
 

* お願い:この「ながいながい旅」のなかで、少しずつ、けれど確実に成長していきたいと思っています。ぜひ、その成長を長い目で見守っていただきたく、サポーターになっていただけましたらとてもうれしいです。何卒よろしくお願い申し上げます。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

ミシマ社のblog
株式会社ミシマ社

バックナンバー