ミシマ社の話

第55回「コーヒーと一冊」創刊にあたって〜ゼロ歳児の「本」の世界〜

2015.05.28更新

 2015年5月23日。
 前々回のこのコーナーで述べたとおり、3つの柱を盛り込んだシリーズが、無事、創刊しました。三冊同時の刊行です。
 
 ちなみに3つの柱とは以下のとおり。

1) かつての本好きカムバック
2) これからの書き手の方々へ
3) 本屋さんに元気を

 1番目に関しては、「読み切る感覚」をもう一度味わってもらうため、「おもしろい」をぎゅっと詰めこみ、100ページ前後の仕上がりにしました。
 2番目は、創刊三冊をご覧いただければ一目瞭然。ほぼ新人の方々ばかりが、著者であります。
 ・佐藤ジュンコ『佐藤ジュンコのひとり飯な日々』
 ・北野新太『透明の棋士』
 ・松 樟太郎『声に出して読みづらいロシア人』
 
 本の未来を語ろうとするならば、10年後、20年後、30年後に、すばらしい書き手の方々が活躍しているかどうか、が欠かせないはずです。書き手なく、本は存在しえないですから。とすれば、才能ある新人がひとりでも多くデビューでき、その人たちが大きく育っていってくれること、それは本の未来に直結していると言えるでしょう。
 ところが現状は、ネットやブログで書く機会は増えているものの、「本」の著者として活躍し「つづける」ための機会はけっして広がっていない。そのひとつの理由は、数十年前と比べて、出版社側に「育てる」余裕がなくなってきたことがある。
 そうした現状を変えていきたいという思いから、創刊3冊、全員が新人という(寡聞のかぎり)前代未聞の試みにふみきりました。

 ・・・というふうに書き出していくと、止まらなくなりますので、先に進むことにします。3番目「本屋さんに元気を」、に進みます。
 これは、書店さんに対し「6掛け・買い切り」という卸方法をとることで、本屋と出版社の共存共栄をはかるという試みです。本屋さんなくしては、誰のもとにも届かない本が無数に生まれるだけですから。
 具体的には、買切りにすることで、これまでの倍近い利幅を確保してもらう。そうすることで、「薄利多売」でしか成り立たないとされてきた書店が、仮に売れ数が半分になっても、成り立つ。
 これが、未来の書店運営のスタイルではないか、と考えたのです。すくなくとも、現状ではジリ貧ということが自明ななかで、一歩を踏み出す方向としては確かなはずです。
 
 *

 こうした取り組み全般に通底している思いがあります。おおげさにいえば、思想的根拠です。
 平川克美さん著『小商いのすすめ』『「消費」をやめる』(ともにミシマ社刊)。
 この2冊が、シリーズ「コーヒーと一冊」を支えているといって過言ではありません。
 
 先ほどから「未来」という言葉を何度か使っていますが、それは「これまでのやり方の延長ではない、新しいやり方で切り拓いていく世界」のことをさしています。『小商いのすすめ』の冒頭で、平川さんはこう書いておられます。

  「問題の回答は、人の数だけ、会社の数だけ存在する」ということは、3・  
 11の後でも、変更の必要はないと思います。ただ、問いの数は震災によっ 
 て(ほとんどひとつに)絞られたと言ってもよいと思うのです。
  その問いとは、わたしたちは、個人的な生活や、会社や、社会や、それら
 を貫く経済や、哲学について、これまでのやり方の延長でやっていけるのか、 
 それともこれまでとは違うやり方を見出さなければならないのか

 こうした分析の拠り所は? というと、日本という国が、有史以来初めて「人口減少」という局面を迎えたことが挙げられます(詳しくは平川克美著『移行期的混乱』)。
 つまり、人口が自然減していく時代が未来である、ということです。
 そのとき、たとえば書店でいえば、「薄利多売」を前提としたやり方で、はたして未来に向かっていけるのか。
 「コーヒーと一冊」は、こうした問いにひとつの回答(本当に、ひとつに過ぎないけれど)を与えようとしたものです。
 『小商いのすすめ』(2012年2月刊)から二年後、平川さんは『「消費」をやめる』で、よりつっこんで、「これまでと違うやり方」を提言します。
 それは、一個人の生き方として、「アノニマスな(顔の見えない)消費者」から脱却していこうというものです。
 誤解を承知でいうとこういうことです----お金をはらうほうがえらい、という生き方自体が、「これから」ではなく「これまで」の旧い価値にどっぷり浸かったものですよ−−。
 では、どうすればいいか。
 平川さんは言います。「生産者としての側面を回復することです」。

 実際、シリーズ「コーヒーと一冊」創刊時に、こんな質問がネット上で寄せられました。
 「一冊100ページ(1000円)ということは、1ページ10円ということ?」
 答えは、半分イエスと言えなくもないが、私の率直な答えは「ノー」。
 だって、本ですから。と思ったのでした。
 いうまでもなく、本は紙に刷られた活字だけでなりたっているわけではありません。一冊という形あるもの、その存在全体が「本」といえます。ですから、「コーヒーと一冊」の場合も、表紙の紙の質感やそこに刷られたタイトル、ひとつひとつ手書きで作られた書体、表紙裏に刷られたメッセージなどなど、そうしたものを切り離して、本文のテキストだけを換金することなど不可能なのです。
 という「モノ」としての本についてはまた別のところで詳述するとして、違う視点からも違和感をおぼえたのでした。
 それは、その問い自体が、「これまで」の価値、どっぷりアノニマスな消費者的問いと感じたからといえるでしょう。
 今回のシリーズ自体が目指している世界の価値観からいえば、「生産者」の側面が含まれていないといけません。つまり、一冊を買うという行為は、消費者(読者)であると同時に、新人を育てる、出版社や書店を運営する、という生産者的行動でもあるのです。
 今回、シリーズ創刊の三冊ともに「価格1000円+税」としたのは、新しい時代の読者(消費者)は、同時に常に生産者でもある、と考えてのことです。
 あらゆる発想を、前例のない時代にいることを自覚したうえでおこなっていく。これが、「これからの時代」を生きるということです。
 価格もしかり。
 メーカーの立場でいえば、新しい時代を築いていくためのコストを定価に反映させなければならず、読者の立場からいえば、一冊の購買が、後の世代に「本」が残っていくための資金になっていく。
 なんといっても、「これから」の本の世界が置かれている状況は、ゼロ歳児のようなものですから。ゼロ歳児だけの「自力」で成長していくのはとうてい無理。周りにいろんな形でサポートしていっていただかないことには、ゼロ歳児が一歳児に、そしていつかは大人になっていくことは叶いません。
 自分たちを育ててくれた「本」が、後続世代にも残り、さらに豊かなものになっていく。
 本シリーズでは、そうなっていくためにも、読者と出版社の新しい関係を築いていきたいと願っています。

 *

 そして、その関係を「媒介」する、とても重要な役割を担っているのが、本屋さんです。
 次回は、本屋さんにおける「リスク」と、amazonをはじめとするネット書店について記します。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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