ミシマ社の話

第57回 出版・実験の時代を迎えて

2015.11.08更新

 さる10月23日の朝、滋賀県は彦根市へ赴いた。
 高校の図書館司書の方々の前で、「いま、関西で出版社をするということ」と題し、ちょっとした講演をすることになっていた。
 着いて早々、ふたつのことに驚いた。一つ目は、彦根城内に会場の高校はあったこと。学びの環境として申し分ない。こんな環境で勉強できるのは幸せだなぁ、なんてことを思いつつ、二階にある図書館へ向かう。そこにはすでに、滋賀県内の公立高校の図書館司書さんたちが集まっておられた。そこで二度目の驚きに遭遇する。というのは、全員が女性だったのだ。正直、彦根城内に高校があることよりもびっくりした。

 いうまでもなく、高校図書館の司書さんたちは、日々、高校生たちと接している。高校生とは、いわば「未来」そのもの。と言っては大げさだろうか。少なくとも、私は本気で思っている。『THE BOOKS green~365人の本屋さんが中高生に推す「この一冊」』を今年の3月に発刊したのは、そのひとつの現れだ。そこに、本と高校生との出会いを増やす一助になればという願いを託した。むろん、中高生をはじめとする若者たちの未来を本は拓く、と信じているからだ。
 それだけに、この日、司書の方々から「現場」の声を聴けることが楽しみでならなかった。

 はたして、今の高校生たちは、本とどんなふうに接しているのだろう? そんな疑問を、開始早々からぶつけてみた。
 「長年、高校生と接しておられて、高校生の読書量は増えていると感じていますか? 横ばいですか? それとも減っていると思いますか?」
 皆さんは、いかが思われますか? 60名ほどの司書さんたちの反応は、驚愕に値する。包み隠さず言うと、あまりの衝撃に、二の句を継ぐのに困った。
 結論は、「増えた」と感じている方はわずか1人、「横ばい」は一人か二人がおそるおそるの挙手、ほぼ全員が「減っている」に手をあげた。しかも、一切の躊躇のない挙手であった。
 がーん。
 その大勢の手を見た瞬間、開かれうる未来の扉が急にしぼんだように感じた。
 私は慌てて、その「感じ」を振り払おうと、語りはじめた。そうでもしないと、未来の扉が本当に閉じてしまいかねない!

 「ミシマガ」サポーター制度、シリーズ「22世紀を生きる」、シリーズ「コーヒーと一冊」、そしてミシマ社初の雑誌『ちゃぶ台』の創刊...。
 こうした実践例について、その意図、具体的試みなど、時間が許すかぎり述べた。その後の質疑応答の反応がすこぶるよく、「もう少し延長してもいいですか」と頼まれた。なかでも、シリーズ「コーヒーと一冊」への賛同は少なくなく、励みになった。「こういう薄くておもしろい本(このシリーズはすべて100ページ前後でつくることにしている)がもっとあってほしいです。本好きじゃない生徒たちにも自信をもって勧められます」と。

 いずれにせよ、厳然たる事実は、未来を生きる人たちが、本と触れ合う機会を失っているということ。ある方が質疑応答の時間に言ったように、「二極化」が進んでいるのだろう。ものすごく読む人とまったく読まない人の2極に。そして、読まないほうの極の割合が高まっているのだ。
 そして、終わりかけのとき、抜けきらない「高校生は読まない」ショックにトドメを刺すような発言も聞いた。
 「基本読まないんですが、それでも読書を勧めると「それ、みんなが面白いって言ってるの?」と訊くんです。「みんなと違う」ものを読みたくない。違うことを過剰に恐れているんです」

 出版という仕事にかかわっている人が、こうした現実に無自覚であってはいけない。何もしないで、ただ指をくわえている、ということはあってはいけないと思う。そういう無自覚あるいは自覚的無視の態度は、自分たちの代さえよければいい、という発想と変わらない。「いま儲かるのであれば、環境が破壊されようが構わない」「いま安ければ、原子力発電でいいじゃないか」という短絡的態度と同列にある。

 「いま、」を使うことが許されるのは、過去と未来の結節点、連結点としての「いま、」しかないと思う。両者を結ばず、「いま」が孤立した点としてだけあることほど危険なことはない。たとえ、その点がどれほど大きく、パワフルだとしても。未来へ流れゆかない火の玉は、その場で自家爆発するしかない。
 結局、ひとりひとりができることといえば、自分がかかわる世界のなかで、「いま、」を未来へと流していくことだろう。自分が毎日生きている以上(つまり、生かされているわけで)、恩恵を受けつつ、未来へとつながる行為をおこなわなければいけない。過去とも未来とも断絶した「いま」と決別して。


 「ちゃぶ台」自体は、新しいものではない。むしろ、古い道具に属するといっていいだろう。ただし、その機能は、古びるどころか、かえって、新しい使われ方をしていると思う。食事はもちろん、雑談、ミーティング、会議、そしてパソコンを置いてカチャカチャしたり・・・。機能面を言えば、ちょっとしたスマホみたいなものだ。むろん、存在感、身体性はスマホの比ではない。

 雑誌『ちゃぶ台』もまた、古くて、新しいものである。たとえば、コデックス装という製本方法でこの雑誌はできている。コデックスというのは、先日、松家さんに教えていただいた通り、「表紙やカバーのある製本が登場する前の状態」のこと。いってみれば、本の原点である。ところが、このきわめて古い形式は、現代の商業ベースの出版界においては、ほとんど使われない。理由は簡単。本屋さんの棚に差されたとき、折本がむき出しで、タイトルがないからだ。棚差しでタイトルのわからない本は、「商品」にならない。だがはたして、商品にならない、イコール本ではない、ということなのか。

 そんなことはないだろう。逆に、「商品」にこだわるあまり、もともと本に備わっていた「原点的」な良さが抜け落ちてしまっている。そういうことは多いのではないだろうか。
 この『ちゃぶ台』でいえば、コデックス装にしたことで、本がパカっと180度開く。ぜひ試していただきたい。ちゃぶ台に『ちゃぶ台』を置き、本を開く。すると、両手が空く。本を押さえる必要がないのだ。両手フリーの状態での読書。これは、人類が四足歩行から二足歩行へと進化したときに比肩する革新的出来事...と言えるかもしれないし、言えないかもしれない。すくなくとも、読書という行為に、身体レベルで揺さぶりをかけることだけは間違いないはずだ。

 読書のやり方すら、「常識」という枠にしばられているのである。
 ここでは詳しく述べないが、「雑誌=台割」という常識にも一石を投じた。雑誌や本の作り方は、まだまだ可能性に満ちていると思っている。
 いずれにせよ、いまは実験の時代なのだ。
 行き過ぎた「商業出版」によって断絶した過去と、真に豊かな未来とを「いま、」を媒介にしてつなぐ。そのためには、実験が要る。

 もっとも、今回、実験を促したのは、現在の出版界を支配する効率的・商業的の可能性を模索したかったからだけではない。むしろそれは、動機としては、二番目以降に位置付けられる。
 中身、である。
 あくまでも、先にどうしても伝えたい中身があって、その中身を最大限生かす形は何か、を考えた結果、装丁、雑誌作りのやり方といった「外まわり」での実験が追随してきたのだ。

 『ちゃぶ台』の帯は、こう謳っている。

 「(お金にも政治家にも操られることなく)  自分たちの手で、  自分たちの生活、  自分たちの時代をつくる。」


 この言葉の下に、

「生まれつつある「未来のちいさな形」」


 という一文を添えた。
 新しい時代の到来を告げる。それが、『ちゃぶ台』考案の原点にほかならない。
 
 もとは、4月29日の周防大島(山口県)の訪問がきっかけだった。
 関東から移住してきた若い農家さんたちを中心に、マルシェという直売所がその日、開かれた。昨年から数えて3回目の開催。この日、人口1万8千人の島に2千人の人たちが訪れた。
 ...というふうに書いてしまえば、現在の枠組み内の表現にとどまってしまう。私が見て、聞いて、触れた、彼らとの時間は、農業のこれまでの枠を超えた行いだった。そこに「未来のちいさな形」を感じたわけだ。そのことを伝えるのに、従来の範囲内での表現にとどまってしまっては、あまりにこぼれ落とすものが多すぎる。先ほど述べた「外まわり」は、若き農家さんたちに触発される形で生まれたといっていい。

 ともかく、周防大島で「未来」を感じた。先ほど、「行き過ぎた「商業出版」によって断絶した過去と、真に豊かな未来とを「いま、」を媒介にしてつなぐ」と言ったが、つなぎたい未来がここにあるように感じたのだ。
 もちろん、まだ、それは種(たね)でしかない。
 種であるため、それがいかなるものか、具体的に表現することはむずかしい。芽が出て、花が咲いたとき、人は、それを「美しい」「素敵」といった形容詞で表現する。メディアはたいてい、そこまで「目に見えた状態」になってから扱おうとする。事実、現在、大きなメディアで流れてくるものの大半は、花が咲いた状態、あるいはもう萎みだしたくらいのものだろう。

 『ちゃぶ台』は、まだその美しさや素敵さが目に見えない状態の種を扱った一冊である。その種を扱うのにふさわしい土壌と育て方を実験的に模索した雑誌である。そして、「いま流れてくる情報」に絶望したり、希望を見出せないでいる人たちに、何としてでも届けたいという願いを込めた雑誌である。

 この種は、読む人のこころの中にある土壌にだけ着地する。

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三島邦弘(みしま・くにひろ)

1975年京都生まれ。1999年大学卒業後、PHP研究所に入社。単行本の編集者となる。2003年退社後、東欧などを旅する。同年10月、別の出版社で編集活動を再開。2006年10月株式会社ミシマ社を単身設立。「原点回帰」の出版社を標榜し、編集・営業・仕掛け屋などチームの枠を超え、「出版は全身運動である」という思いのもと、日々、奔走中。
「ミシマ社のblog」もがんばって書いてます。

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