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第19回 2010年6月 今月の一冊vol.2(後編)

2010.06.30更新

ミステリーは日常に潜む?

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『配達あかずきん―成風堂書店事件メモ』(大崎梢、東京創元社)

私は『配達あかずきん―成風堂書店事件メモ』(大崎梢、東京創元社)です。これは、本屋さんを舞台に、杏子という書店員と多絵ちゃんというアルバイトのふたりが、書店で起こる謎や事件を解き明かすという短篇が5つ入っている本です。

大崎さんは元書店員で、それだけにディテールの描写がすごい詳しいんですね。「新刊の時間になったら平台に新刊をこれくらい並べ替える」とか、「配達する量はどれくらいあって、配達先によって領収書や請求書が必要」とか、そういったディテールがおもしろい。

この本は、北村薫さんの『空飛ぶ馬』(東京創元社)と同じ系統の「殺人が起こるわけではないけれど、日常に潜むささいなことから意外なことがわかる謎解きのおもしろさ」が存分に展開されている作品です。

私がとくにおもしろいなと思った話は、タイトルにもある「配達あかずきん」です。主人公のお店から美容院に配達したばかりの雑誌に、「ブタはブタ」って落書きされたお客さんの盗撮写真が挟まれていて、その写真を本人が見てしまい・・・。となるんですけど、そこからお店から美容院に行く間に誰がどうやってその写真を入れたのか? ということで謎解きが始まるんですね。

カラクリは読むとわかるんですけど、読んでいて思ったのは、人の話を聞いているときに「あれ、なんかおかしいな?」と思うときってあるじゃないですか。「この人、昨日と言っていたことが違う」とか、理由はわからないのに何か違和感を感じたり。でも、この物語でもそうなんですけど、そういった違和感を遡ると大事件につながっていたりする。自分が感じていた違和感を見逃したことで、知らずに何かを運ばされていたり、悪人の片棒を担いでしまっているんですね。

だから、そういう日常に潜んでいる「あれ、おかしいな?」ということを追究したりしたら、日常がミステリーになるのかなぁと。

木村はははは(笑)。

ちょっとした「あれ、さっきと服が変わってる」とか、そういうところに人の無意識の何かが出ているんだなと。で、自分もそういうことをもう少し気をつけよう、と思った一冊でした。以上です。

オオサコなるほど。ミシマ社も気をつけていないと。ぼくもさっき会社に入ってくるなり、三島さんがTシャツの上にシャツ着はって、何かあったのかなと思ったから。

三島ぼくは今日からTシャツをズボンにinすることにしたんです。それで、まだちょっと照れがあって思わずシャツ着て隠したんですね。

窪田なんでですか。

三島ぼくが腹こわしていたのは、「Tシャツをinしてなかったからなのかもしれない」という仮説に辿りついたからです。いま実験中なんですよ。今日治ってたら、「inキャンペーン」を張ろうかなと。

窪田2枚着ないとだめですよ。なかにinするほうとビジュアル的に見せるほうと。

三島いやいや、これはinで攻めるっていうのが大事なの。

窪田なるほど。

三島それはともかく、さっきの話に戻すと、なんでも意識し出すとすべてが怪しく見えてくるからね。違和感のないことも違和感があるかのように思うのは、ちょっと推理とは違うからね。

オオサコただの邪推ってこともありますからね(笑)。おもしろいですね。

なるほど。じゃぁ、次は三島さんで。

本を読んで初めて吐き気をもよおした一冊

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『レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち』(石井光太、新潮社)

三島私は石井光太さんの『レンタルチャイルド―神に弄ばれる貧しき子供たち』(新潮社)です。

オオサコいま話題の。

三島この本は、もう読み出したら止まらないです。一番の衝撃は身体に訴えかけるエネルギーがすごいなと思ったところです。ぼくは、本を読んで初めて吐き気をもよおしました。それくらい石井さんの描写がリアルです。実際にムンバイの街を歩いて乞食、ホームレスの人たちのところに行って、「レンタルチャイルド」の話を聞いていくんですね。

「レンタルチャイルド」というのは、女乞食なんかが赤ん坊を抱いているほうが三倍ほど多く儲かるという理由で、彼女たちに貸し出される子どもたちのことです。裏にはマフィアがいて、誘拐されてきた子を借りてくることもあるそうです。中には、より儲けるために、障害を負わされた子もいる。数日前にはなんともなかったのに、いきなり目が見えなくなっていることもあるそうです。
また、レンタルチャイルドとして「つかい終えた」後、体に傷を負わせて物乞いをさせる仕組みもあるらしい。

石井さんは、その仕組みがどうなっているのか、をまさに体当たりで追っていくわけなんですね。

石井さんが知り合った少年のひとり(ラジャ)は、当初、自分たちの仲間の子どもたちが青年マフィアに虐待を受けることにすごい反発を持っていた。けれど、4、5年後に石井さんがもう一度ムンバイに行ったときには、そのラジャが今度は青年マフィアのほうにいて、リーダー格になっていたりするんですね。

石井さんはそれを質すわけです。「ラジャ、君もマフィアの一員なのか」って。でも、ラジャはこう言う。「俺はマフィアじゃねえ。あんな野郎どもと一緒にすんなっ。俺は仲間から頼まれて傷つけて、物乞いをさせてやっているんだ」。完全に悪循環に陥っている。結局、ホームレスの子どもが成長して生きていくには、そこで「力」をつけて小さな子どもたちを売り物にするしかないのか。痛みとともに、いろいろと考えてしまいます。

それにしても、そこまで行ったら石井さんの身も危ないよ、っていうところまで追っている。実際、危険な目にあったりもしているんですけど。

オオサコすごいですね。

三島そのラジャという青年が二十歳くらいになった話が、最終章に出てくるのですが・・・。もう出てくる話がどれもえげつなすぎるので、この辺でやめておきます(苦笑)。あえて、ここでは表面的なことを言うにとどめますが、ノンフィクションとしては素晴らしい。何かを考えさせられるとかそういったシンプルなものじゃない、鬼気というか、そういうものが迫りくる一冊でした。

木村現実なんですもんね。

三島でも、読んでいくと、もはや現実かどうかもわからない感じ。

オオサコ活字でもここまでの表現ができるっていうことですね。

大越『g2』で石井さんが書かれていた、アフリカの少年少女兵士の話も現実なのが信じられないぐらい、むごい話でしたけど、そういうところばかりよく取材に行きますよね。

オオサコ使命感ですかね。

三島なんというか、平和とか平等とかそういう大義名分がないところがおもしろいと思う。だから、変な感情的ブレがない気がします。徹底して冷徹に追いこんでいくから(笑)。

木村寺子屋でも「書かなきゃ死んじゃう」って言ってましたもんね。

大越しかし、インドはあれだけ経済発展をしていても、やっぱりそういう人たちがいまだにいるんですよね。21世紀の話とは思えないですよね。

三島人間がただのモノみたいに軽い。ぼくたちは、人間が感情を持った何かというふうな視点で普段は生きていますが、そういうぼくたちからするとひとつひとつの行為が耐えられないようなものです。

大越実は、私が今日紹介しようか迷ったのが、『戦争における「人殺し」の心理学』(ちくま学芸文庫)という本なんです。いまの話にもつながるんですが、生物学の研究で、本来、生き物は同種の生物を殺さないようにできているんだそうです。人間ももちろん同じで、第2次大戦の兵隊を調べてみたら、非常に多くの兵士が銃を敵の上空に向けて撃っていて、威嚇するだけでなるべく殺傷しないようにしていたらしい。

それがわかったので、近代の軍隊は「いかに人をモノとして見るか」ということを徹底的に訓練していった。また遠く離れた相手をモニターを通じて攻撃することも、抵抗感を下げることがわかり、ベトナム戦争あたりから殺傷率がものすごく上がったそうなんですね。つまり、相手を人間と思わなくなると、ふつうの人が何でもやれるようになってしまう。そういう大変興味ぶかい本だったんですが、ちょっとこれはドン引きされるかな、と思って紹介するのをやめました。

三島そうですね。だから考えますよね。「家畜との違いって何?」とか「ペットとの違いは?」とか考えざるをえない。・・・という、「重くて、けど一冊として最高におもしろい」本でした。
では、最後にオオサコさん。

オオサコこの後? まさかトリとは・・・(笑)

女帝・皇后と「ヤマトの時代」で歴史を切ってみた

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『平城京遷都―女帝・皇后と「ヤマトの時代」』(千田稔、中公新書)

オオサコ私は、中公新書の『平城京遷都―女帝・皇后と「ヤマトの時代」』という、千田稔先生の一冊です。これがなかなかの本でした。ちょうどぼく、140Bで、「月刊島民」っていう大阪の中之島ばかりをあつかったフリーマガジンをやっていて、それの今月号で「奈良から見た大阪」という特集をやったんですね。

中之島の雑誌なのに奈良の特集をやったという前代未聞の特集なんですけど、そのときの資料として読んだのがこの本です。著者は千田稔先生といって、いまは奈良県立図書情報館というところの館長さんをされています。

サブタイトルにもありますように、女帝・皇后と「ヤマトの時代」というところで歴史を切っています。ぼくらが普通教科書で習うのは、飛鳥・白鳳・奈良時代という分け方をするんですけど、時代区分って実は恣意的なものじゃないですか。要はそれをもう一度とっぱらって、大和盆地、奈良に都があった時代として分けてみたらどんなふうに見えるのかな、という試みをしているのがこの本の特徴です。

そこでキーワードとして出てきたのが、「女帝・皇后」。日本って数名しか女帝っていないんですね。江戸時代にふたりいて、あとは全員ヤマトの時代に集中している。推古、斉明(皇極)、持統、元明、元正、称徳(孝謙)とたくさん即位していて、それがどういうふうに当時の国家の政治に意味を持っていて、どういう正当性があって、なぜそうなったのか、ということが書いてあるんですね。

私は大学でずっと歴史をやってたものですから、推理小説じゃないですけど、そういうおもしろさがあったりとか、歴史好きには文献の見方とか、この辺の時代だと考古学とか地質学の成果を使った論証のしかたとかがすごくおもしろかったりもしました。

大越おもしろそうですね。

オオサコで、千田さんは、あとがきにも書いてあるんですが「遷都という現象に目を奪われすぎである」ということを言ってるんですね。
今年は、奈良で秋まで「平城遷都1300年祭」というのをやっていまして、いま平城京に行くとせんとくんがいたりするんですが、けっこういまの人たちって、実は奥行きのあることなのに、定点としてだけ見てイベントをやって、そこだけを消費してしまうところがあると思うんですね。

それもいいんですけど、それだけじゃなくて、平城京というのは奈良に70年くらいしか都はなかったんですけど、「710年から780年くらいまでの時間の幅を考えるべきだ」と千田先生は言っています。そのあたりがおもしろいなぁ、と思ったところですね。よくありますよね。歴史の何年祭とか。

三島はい。

オオサコ全国であるんですけど、そこだけをただピンポイントのイベントとして消費してしまうとちょっともったいないかな、という感じがします。京都との比較も面白いんですよ。

窪田へー。

オオサコ何か「日本の文化」というと京都っていうイメージがあると思うんですが、ヤマトの時代と比べて京都に都があった時代のことを「内向的で国家意識が薄れつつあった平安時代と一線を画さねばならない」って言ってるんですね。

国風文化とかあったじゃないですか、そういう内に向かっていくものは「内向的」だと。奈良の時代は海外からの文化をどんどん取り入れて、それをなんとか軟着陸させるのに多大なエネルギーを使っていたわけです。

三島なるほど。

オオサコこれも千田先生にうかがったのですが、たとえば「東京」も「奈良」と比べて考えたときに、明治維新のときに確かにいろいろな文物を取り入れてるけど、それは学問のレベルでしか取り入れてない。医療とかも技術のレベルでしか入れていないと。

西洋の学問というのは、背景にキリスト教がある。でも、それと一緒に取り入れてるんじゃなくて、たとえば医学でも技術だけしか入れてないんじゃないか、という指摘をしてる。

奈良時代の場合は、仏教という精神文化と一緒に入ってきている。光明皇后が悲田院とか施薬院をつくったのは、その背景に仏教的な思想があるからそういう行為になるのだと。そういうふうにして、「奈良」というキーワードを横に置くと、「京都」も「東京」もまたちょっと違って見えてくる。

窪田なるほど。

オオサコそれに、奈良に都があったから、川でつながっている大阪は奈良の外港として発展できた側面があるんです。言ってみれば「大阪っていうのは、奈良が育てたようなもの」で、「大阪の人はもう奈良に足を向けて寝られませんよ」ともおっしゃっている。そういう発想が抜群におもしろいなと思って。

三島おもしろいですね。なるほどね、奈良が日本の中心やったと。

オオサコ奈良が国家の礎を築いたとおっしゃっています。

三島その上に東京も乗っかってるだけやないかと。

窪田なるほど。

三島奈良ですよこれからは、やっぱり。

オオサコ都市計画でいっても、都のつくりかたというのは平城京で完成して、平安京はそれを踏襲している。お話も面白いですが、実証的に展開されていて、痛快です。

そして、実は7月に、その千田稔先生にナカノシマ大学で講演してもらうんですね。そこではもっとおもしろい話が聞けますよ、みたいな感じで宣伝させていただいて(笑)すみません。

三島そら、聞きたくなりますね。

オオサコ「女帝」っていうのがいいですね。

三島なるほど。奈良と女帝で日本をもう一回読みといて行ったら違うものが見えてくるかもしれません。

いやー、今日もおもしろそうな本が目白押しでした。早速読んでみます。
オオサコさん、本当にありがとうございました。

オオサコありがとうございました。

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