ミシマガ・スポーツ

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『サッカー批評』46号(2010年3月10日発売):「ベスト4」なんていらない

南アフリカで開催された、四年に一度のサッカーの祭典で、日本代表は、大会前の大方の予想を覆し、グループリーグを突破、ベスト16という成績を修めた。
日本代表がワールドカップで勝利を味わったのは、実に8年ぶり。自国開催以外では初めてのことだ。
日本代表の戦いは、熱狂とともに、「善戦」「大健闘」「日本サッカーの新たな一歩」と受け止められた。

だが、ちょっと引っかかる。
あの戦い方でよかったのか?
今回の結果は、一体全体どういう形で日本サッカーの糧になるのだろうか?

・・・・・・

ひとりくすぶっていても仕方がない。そこで、ある方にお話を伺ってきた。
『季刊 サッカー批評』の編集者・森哲也さんだ。

『サッカー批評』は実にユニークなサッカー誌だ。

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『サッカー批評』45号(2009年12月10日発売):日本人はサッカーに向いているか?

「サッカー誌」と言えば、試合のスコアと分析が載っていて、今をときめく選手のインタビューが華を添える。そういうものだと思っていた。

『サッカー批評』はそうではない。
サッカー誌でありながら、試合の結果が載ることは極めて稀だ。
「批評」の名が示すように、サッカーを論じている。それも、多角的に。
ときに戦術、強化・育成、監督論のようなテクニカルなテーマから、ときに日本サッカー協会(以下、協会)やJリーグ、クラブのあり方まで。またあるときは、サッカーにおけるメディアのあり方を問い、またあるときはサッカーに潜む陰の部分にもメスを入れる。日本サッカー不遇の時代に心血を注いだ人々に光を当て、「サッカーとは何か?」という根源的な問いに迫る。

そして、その「批評」は、一見したところかなり手厳しい。

「『ベスト4』なんていらない」(46号:2010年3月10日発売)
「日本人はサッカーに向いているか?」(45号:2009年12月10日発売)

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『サッカー批評』(2010年9月10日発売予定):勝因と敗因と未来 表紙の写真は日本代表新監督のアルベルト・ザッケローニ氏。新監督の企画記事も直前で差し込んだとのこと。

など、面と向かって突きつけられると、ドキリとするようなテーマを特集に据えている。
関係者への緊張感溢れるインタビューも、『サッカー批評』の見どころのひとつだ。

だが、『サッカー批評』の日本サッカーへの愛情は深い。それは、読めば分かる。文面から滲み出ている。愛情からくる手厳しさだ。

そして、その愛情ゆえ、本質へ迫るべく議論はどうしても深くなる。

そんな『サッカー批評』が、今回のワールドカップを、日本代表の戦いを、どう見たのか?

9月10日発売予定の48号では、「ワールドカップの総括」が特集で組まれている。
一足先に、南アフリカでの日本代表の戦いについて訊いた。

というわけで、プロ野球ベストナイン座談会企画で始まった「ミシマガ・スポーツ」で、初のサッカーネタをお届けします。

(聞き手:萱原正嗣 8月11日取材)

第3回 南アフリカワールドカップを振り返る―極・骨太サッカー誌『サッカー批評』編集長に訊く(前編)―

2010.09.06更新

勝因と敗因と未来

―― 本日はよろしくお願いします。次号(48号)は「ワールドカップの総括」が特集とのことですが、どんな内容になるのでしょうか?

特集タイトルは、「勝因と敗因と未来」でいこうと思っています。ピッチの上はもちろん、直前の準備やこれまでのプロセスも含めて検証していきたいと思っています。
代表関係者だと、岡田監督(正確には「前監督」。以下同じ)と、大木さん、小倉さん、大熊さんのコーチ陣3名、技術委員長の原さんに取材を申請しています。『サッカー批評』では、当事者の声を聞いて、それをもとに検証・批評していくスタイルを大切にしているので、内部の人の声は是非聞きたいと思っていますが、何とも言えない状況です(*)

選手は、川口選手と稲本選手に話を聞きます。川口選手は4大会連続でワールドカップメンバーに選ばれていて、稲本選手は3大会連続でワールドカップの本戦に出場しています。過去のワールドカップと比べて、今回のチーム、戦い方がどうだったかを選手の声で語ってもらおうと思っています。
あとは、解説者や評論家の方々など、外から見た評価です。もちろん、日本代表だけでなく、世界のサッカーの流れやワールドカップ全体の総括も予定しています。

 * その後の情報で、岡田監督、原氏は取材NGとなった。岡田監督はスケジュールの関係上、原氏は協会公式の総括を終えるまでは取材は受けられない、というのが理由とのことだ。

「ベスト4」なんていらない

―― ワールドカップ開催前の特集(*)を見ていると、日本代表について厳しい見方をされていたように思います。

 * 45号、46号。特集タイトルについては本稿の導入部参照。

まず、岡田監督が掲げた「ベスト4」の目標ですが、これを本気で信じていた人は誰もいないと思っています。監督自身も本当に信じていたのかどうか・・・。
岡田監督の意図は、選手の意識を少しでも上に向ける、ということだったと思いますが、それをなぜ、メディアに対してもオープンにしたのか? それはいまでも疑問です。

「ベスト4」自体を要らないと言っているのではなくて、そういう目標が一人歩きしてしまうことがよくないと思っています。現実問題、いまの日本代表には「ベスト4」の実力はありません。可能性はゼロではありませんが、現状の日本が目指す目標としては適切ではないと思います。

それより、いま取り組むべきは足場を固めることです。まずは継続的にグループリーグを突破できる力をつける。その先のことはその次の話です。急ごしらえで強化して「ベスト4」になったとしても、本当の意味での強さが根づかないと思います。
それが、46号で「『ベスト4』なんていらない」という特集を組んだ理由です。

僕自身の直前の予想としては、グループリーグ突破はできないと思っていましたし、46号の冒頭でも書いたように、ノルマは「1勝」と考えていました。どんな形でも「1勝」することが、「日本にも勝つチャンスはある」ことの証になり、それが、もう一度サッカーへの関心を取り戻し、次への希望にもつながると思っていました。ドイツの惨敗の印象を払拭することが、今大会のテーマだと考えていました。

今回「1勝」したときはすごく盛り上がりましたが、昔の盛り上がり方とは違うように思います。昔は、日本のサッカーがどこまでも強くなっていくような幻想を抱いていた人が多かった。だからこそ、ドイツであまりにも厳しい現実を突きつけられたときに一気に熱が冷めてしまいました。今回のベスト16という結果を、冷静さを保って受け止めたように見えたのは、ドイツの苦い経験から来ているところが大きいと思います。日本サッカーが、ファンも含めて少しずつ成熟してきている証だと思います。

運に助けられた勝利、運を活かすための準備

―― 特集テーマの「勝因と敗因と未来」に沿ってお話を伺いたいのですが、「勝因」についてはどのようにご覧になっていますか?

端的に言うと、運に恵まれたところが非常に大きいと思います。守備は機能していましたが、どうやって点を取るかが見えない戦い方でした。
特に、初戦のカメルーン戦は、カメルーンの出来の悪さに助けられたところもありました。これは検証が必要な情報ですが、カメルーンは高地対策をしていなかった、という話も聞いています。それに、本田選手のゴールは、トラップミスが自分の足に当たって足下に落ちてきたから生まれたものです。後半も、勝っているのにディフェンスラインがずるずる下がってしまって、腰が引けている感じがありました。率直に、「よく勝てたな」という印象です。
ただ、確かに運には恵まれましたが、運を活かすための準備はできていたと思っています。

―― いい準備と言うとどういうところでしょうか?

ひとつは、直前で選手の自主性が発揮されるようになったことです。メンバー変更や方針変更の影響も大きかったとは思いますが、選手が危機感を持って、自分たちで考えて自分たちで提言、実践する動きが生まれました。
それをもたらしたのは、日本サッカー界全体の経験が大きいと思います。1998年、2002年、そして、一番大きいところでは、2006年の惨敗の記憶が多くの人の頭に残っていて、「あの失敗をもう一回繰り返しちゃいけない」という思いが、選手や監督、スタッフの間で共有できていたんだと思います。例えば、ベテランの中村俊輔選手や稲本選手が、レギュラーから外れても腐らずにチームを盛り上げる役割を果たしました。
今回の結果は、サッカー界全体の経験値が上がってきた証であり、経験を踏まえて、チーム全体がやるべきことをやったからこそ、もたらされたものだと思っています。

とはいえ、チームはギリギリの状態にあったはずです。直前で主力を入れ替えて、戦い方も変えて・・・。初戦で結果が出ていなかったら、チームが完全に自信を失っていたと思います。その場合は3戦全敗もありえたと思います。
今回の結果を手放しで喜ぶのではなくて、今の代表チームの実力を正しく評価する必要があります。今回はうまくいったのでベスト16までいけましたが、それは「うまくいけば」という条件つきです。それが、日本サッカーの置かれている現状です。

直前の方針変更は・・・

―― 直前の方針変更についてご意見をお聞かせください。これまでの準備は何だったんだ、という声もありますし、私もそう思うところがあります。勝つための現実的な判断というのはわかりますが、あまりも直前過ぎたと思います。

岡田監督としては、前線からプレスをかけて、パスをつないで崩すスタイルで、世界で結果を出せると考えていたと思います。それが、結局うまくいかなかったわけですが、岡田監督は、どこまで世界との距離をわかっていたのか疑問です。
ただ、それは、岡田監督だけを責められるものではなくて、世界の強豪国と本気で試合をする機会が少ない日本の事情によるところが大きいと思っています。本気の試合でなければ、強豪相手に何ができて何ができないか、測ることはできません。
そう考えると、次の監督は世界のレベルを肌身で知っている人を選ぶべきだと思います。戦術や方法論は、その次の話で十分です。

話を戻すと、勝てなければやり方を変えるのは、どんな監督でもあることですし、どんなに戦術や方法論が素晴らしくても、いまいる選手でそれを実践できなければ、やり方を変えるしかありません。選手の特性を活かして、力を結集させて勝つのが監督の仕事ですが、本大会直前のあのタイミングでやり方を変えた岡田監督の決断は、勇気の要ることだったと思いますし、勝ち点を取るための現実的な判断だったと思っています。
目指していたサッカーでは世界で勝てない、という意見は前々からありましたので、そういう意味では、直前過ぎたというのはその通りです。その辺りは、取材を通じて検証していきたいと思っています。

パラグアイ戦の見方

―― 「敗因」についてはどのようにお考えでしょうか?

いろいろあると思いますが、率直な印象として、特にパラグアイ戦は見ているのがしんどい試合でした。コンディションがよくなかったという話も聞いています。初戦で勢いに乗って、メンバーを固定して戦ってきた影響が出たように思います。もちろん、だからこそベスト16に行けたとも思いますが・・・。

―― 点を取られる気はしませんでしたが、点を取れる気配も感じられませんでした。

岡田監督に是非聞いてみたいところですが、PK戦狙いだったのかもしれません。パラグアイは全く歯が立たないチームではなかったので、もっとリスクを冒して攻めてほしかったと思っています。
日本は、代表チームに限らずJリーグでも、リスクを冒す場面が少ない。それは、サッカーだけの問題ではなくて、社会全体がリスクを冒すことを求めていないことの表れだと思っています。

日本とセルビアとの比較―リスクの冒し方、自己主張の仕方―

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『欧州サッカー批評』2号(2010年8月18日発売):ビッグクラブの戦略、中堅クラブの戦術、小クラブの野望「欧州サッカー中堅国の現在地」でセルビアやアイルランドのサッカー事情に触れる。

例えば、旧ユーゴスラビアのセルビアは、数多くの優秀な監督を輩出しています。その背景を、8月18日発売の『欧州サッカー批評』2号で、木村元彦さん(*)に取材してもらいました(*)

それによると、セルビア人には、「遺産相続を当てにするな」という格言があるようです。戦争が起きて財産がいつなくなるかわからないから、自分の力で財を築け、ということです。それで、リスクを冒して成長・成功することが、社会の中で当たり前のこととして受け入れられています。

そして、そのために自分で考え、自分で応えを出し、自分で行動することが当たり前になっています。それがサッカーの場面でもうまく作用しているということです。

 * 木村元彦(きむら・ゆきひこ):サッカージャーナリスト。『誇り』『悪者見参』(集英社文庫)、『終わらぬ民族浄化』(集英社新書)、『蹴る群れ』(講談社)、『オシムの言葉』(集英社文庫)など、旧ユーゴのサッカーに関する著作が多い。

 * 特集タイトルは「ビッグクラブの戦略、中堅クラブの戦術、小クラブの野望」。その中の「欧州サッカー中堅国の現在地」で取材記事を掲載。

―― 平和になると戦えなくなる、というのは何だか皮肉ですね。

戦えないというわけではないと思います。日本の選手も十分に戦っていました。
リスクを冒すとういのは、失点を恐れずに攻めるということです。ある瞬間にスイッチが入って、攻撃に転じるところがサッカーの醍醐味のひとつですが、日本の場合だとそれがなかなか見られない・・・。

ワールドカップでの対戦国は日本より格上のところが多いので、今回のように守備的な戦い方になるのは仕方がない部分もありますが、守備的な戦いの中にも、リスクを冒す時間帯をつくらなければ世界では勝っていけません。もちろん、対戦相手との力関係、選手の特性、試合の状況によっては、自分たちで主導権を握って攻める戦い方も選択できないといけない。選手自身もそういう判断ができるようにならなければなりませんし、監督も、そういう戦い方ができる人を選ぶべきです。

日本の場合、代表監督、代表のサッカーがサッカー界全体に与える影響が非常に大きいことも問題です。トルシエになったら「フラット3」が流行して、ジーコになったら選手に自由にやらせるというように・・・。
指導者がそれを求めている風潮もあります。ですが、協会、代表チームはひとつの指針を示すだけです。指導者は自分で考えて正解を見つけていくような人じゃないと、本当の育成・強化にはつながっていきません。

セルビアの場合はまさにそうです。彼らは自分で考えて自分で答えを出そうとする。自分の意見を率直に言うことも当たり前です。
日本だと、それがなかなか難しい。監督の立場でも、前任者を否定すると波風が立つので、堂々と物を言えない雰囲気があります。そういうところは、日本が「サッカー的」ではない部分だと思います。

日本人はサッカーに向いているか?

―― 45号で「日本人はサッカーに向いているか?」という特集を組まれています。「日本」が「サッカー的」であるかどうか、ご意見をお聞かせください。

「日本人をネガティブに捉えるな」という声を多くいただきましたが、こちらとしては、ネガティブに捉えているつもりはありません。問いかけです。ポジティブな議論が生まれていけばいいと思っています。
結局社会だと思っています。選手も社会の中からしか生まれてこない。そういうところから議論していかないと、「日本らしいサッカー」というのは見えてきません。

それに、「らしい」サッカーというのは、日本だけではなくて、どこの国も抱えている問題です。今回優勝したスペインにしてもそうです。スペインがいまのスタイルで勝負できるのは、シャビとイニエスタという類稀な名手がいるからです。
もちろん国ごとにある程度の傾向はあると思いますが、最後はいまいる選手で戦うしかないわけです。その中で「らしさ」を追求・表現していくしかありません。

どういうサッカーが「日本らしい」のかはわかりませんが、ひとりのファンとしては、個の判断でどんどん動いて攻めて行くサッカーを観たいと思っています。現代サッカーの枠の中で育ってきた選手は、結局それ以上にはなれませんし、そこでひたすらハードワークする選手を集めても、観ている方としては面白くありません。自分で考えて自分で動いて、枠を飛び越える選手が出てきてほしい。オシムの「考えて走る」サッカーは、そういうことを意味していたと思っています。

オシムの言葉は、「走る」ところだけが広まってしまいましたが、むしろ「考える」ことが大切です。これについて、遠藤選手が以前こんなことを言っていました。「『考えて』走るんであれば、『考えて』止まることも重要なんじゃないか」と。オシムもそうだと答えていました。
とはいえ、「考え」たからといって、すぐにできるようになるわけではありません。シャビとイニエスタにしても、昔からずっとバルサ(FCバルセロナ)にいて、日々のトレーニングの中で染みついているDNAみたいなものがあるわけです。その上にハイレベルな戦いで経験値を積んで、それでああいう引き出しの多いプレーができる。あのスタイルを真似してやりましょうって言っても、簡単にはできません。

日本はスペインになれるのか?

―― 「日本はスペインを目指せ」という論調が強いように思います。このことについてはどうお考えでしょうか?

体格面は確かに似ていますが、スペインの個人技術はものすごいものがあります。ほぼ全員が世界のトッププレーヤーです。穴があったとすればサイドバックくらいです。しかも、あのチームはほとんどバルサです。バルサの中で育て上げた素材とスタイル、DNAを、スペイン代表は活かしただけです。
「あのスペインと本当に同じことを目指すのか?」と疑問に思います。バルサの哲学は強烈です。本当にそこに辿り着こうと思ったら、ものすごい時間がかかるはずです。それをやり通す覚悟があるの? と思います。

彼らはドリブルしようと思えばドリブルで切り崩す高い技術を持っています。そういう選手が集まってパスをつないでいくのと、頭からパス中心でサッカーを組み立てていくのではまったく次元が違います。その差はきちんと認識しておく必要がありますが、そこのところを見落としている人が多いと思います。そこは協会からもきちんとメッセージを出してほしいですね。協会が選手を育てられるわけではありませんが、間違った方向に進んでいるものは指針を出して是正していってほしい。パスしかできない、考えられない選手が増えたらとんでもないことになります。

監督の選び方

―― 先程監督の人選の話が出ましたが、これまでの監督の決め方はどうも一貫性がないように見えます。トルシエで縛りすぎたから個を尊重するジーコにして、そうしたら自由放任過ぎたから戦術家のオシムにして・・・という感じですよね。その辺りはどのようにお考えでしょうか?

確かに一貫性はありません。「日本としてこういうサッカーをやってほしい」という理念のもとに監督を選ぶべきだと思いますが、現実は行き当たりばったりです。

―― そこはどう変えていけばいいと思われますか?

例えば、いい選手がゴロゴロいるような国なら、強化の方向性は問題になりません。場当たり的であっても「結果を出してくれる」監督ならそれでいいわけです。
ですが、日本の場合は選手のレベルがまだそこまでいっていない。だとすると、強化の方針に沿う人を監督に選ばないと効率が悪い。ただ現実は、監督によって強化の方針までもが左右されているのが実態です。どう変えていくかは、難しい問題です。

そして、いま一番問題なのは世代交代です。ジーコの4年間で若手にチャンスが与えられなかったことによりますが、それはジーコの責任というよりは、ジーコを選んだ協会の責任です。世代交代できないままオシムにバトンタッチして、オシムはそこから始めなければいけない状態でした。
ということを考えると、4年後に今回以上の成績を目指すのではなくて、まずは世代交代を重点に置いて、4年後ではなく8年後で勝負する。そういう取り組み方、監督の選び方があってもいいと思います。

いろいろなサッカーができるのが理想

―― どういうサッカーを志向するか、というところはどうでしょうか?

一番いいのは、いろいろなサッカーができることです。守備的な戦いも攻撃的な戦いも、身体能力を活かしてロングボールを放りこむサッカーも、華麗なパスワークで崩すサッカーも、組織で相手の良さを消すサッカーも、いろいろなサッカーができたほうが絶対いいわけです。そして、試合の状況や対戦相手との力関係に応じて、いろいろな戦い方を選択できるのがベストです。

ただ、いきなりあれもこれもできるようにはなりません。現状を踏まえて、道筋を立てていく必要があります。目指すサッカーをコンセプト・メークして、それができたらその次の段階という形で、計画を立てていくべきだと思います。

―― 日本サッカー協会は2015年には世界のトップ10入りを果たし、2050年にはワールドカップ優勝という目標(*)を掲げていますが、この目標に向けてどうステップアップしていくのがよいとお考えでしょうか?

 * JFA2005宣言

優勝を本気で目指しているのか、というのは疑問を感じます。
というのも、ファンが何を求めているのか、はっきりしないからです。ワールドカップで優勝するような国になってほしいのか、そこは半ば諦めて、いいサッカーやスピリットを見せてくれればそれでよしとするのか・・・。
今回の反応を見ていると、勝てばよいわけではない部分があるように思います。つまり、「日本らしさ」への期待ですね。

ひとつの例ですが、日本と同じ島国のアイルランドは、ワールドカップ優勝は、現実的な目標としては完全に諦めています。彼らは、日々の戦いの中で、現実を嫌と言うほど見せつけられていますから。結果は伴わなくとも、最後まで諦めずに戦い抜くスピリットを見せればそれでよしとする国民の合意があります。欧州や南米の他の中堅国も同様です。
この点は、日本の場合だとまだ曖昧です。ただ、それはいまの日本のサッカーが過渡期にあるからなわけで、歴史を積み重ねていく中で、目指すべきものははっきりしてくるだろうと思います。僕は、いまのこの状況をとても面白いと感じています。

日本サッカーが強くなるために・・・

―― 森さん自身は、日本サッカーに何を期待されますか?

個人的には、やはりワールドカップ優勝を目指してほしいと思っています。
そこで大切になってくるのは育成ですが、誰が育てるかが問題です。
協会は育成の方針づくりや手助けはできますが、最後は現場に委ねるしかありません。今回の代表メンバーを見ていて気づくのは、大半は高校サッカー育ちで、クラブ育ちが少ないということです。高校サッカーに頼りきりだと、一貫性のある育成・指導は難しい。つまり、各クラブがいかに育成に力を注いでいくかがカギを握ります。

Jリーグのクラブの多くは経営が厳しく、育成にお金をかけられない、という話も聞きますが、そこは逆で、育成にこそ投資すべきです。
面白い理論を持って、情熱を持って育成に取り組んでいる指導者もいらっしゃいますが、育成にお金が回らないと、そういう方たちも報われません。育成のスペシャリストを育てていく意味でも、クラブは育成にもっと力を注いでほしいと思っています。

特に日本の場合は、選手から指導者になる流れが多いのですが、浦和レッズのフィンケ監督が訴えているように、早い段階から指導者を育てていくことが必要です(9月10日発売の48号にインタビュー掲載予定)。
Jリーグもサッカー協会もこの点は認識していると思いますが、ここには力をもっと注いでいってほしいですね。

そして、本当に重要なのは、強化よりもむしろ環境づくりです。
スタジアムひとつとっても、アクセスを含めて改善していく必要があります。そうやって、サッカーに触れられる機会を増やしていく。
いいものを知っている人の中からしか、いいものは生まれてきません。選手や関係者だってそうです。そうすることで、ファンの眼も肥えてくるし、サッカーへの関心も広まっていくはずです。
たまたまワールドカップで勝ったからではなく、サッカーが日常の話題になって、週末になったら多くの人がサッカーをして、観に行って、新聞にはサッカーに対する深い記事が4面も5面も載っていて・・・。
そういう風になれば、日本のサッカーも強くなっていくはずです。そのためにできることを、メディアとして取り組んでいきたいと思っています。


次回は、サッカーを読む面白さや、『サッカー批評』のつくり方について伺います。
引き続き、乞うご期待!

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森哲也(もり・てつや)

1978年8月14日、兵庫県淡路島生まれ。四天王寺国際仏教大学(現・四天王寺大学)を卒業後、上京。2006年に編集プロダクション・レッカ社に入社し、同年末の『サッカー批評issue33』(双葉社)より編集長を務める。サッカー書籍としては『大和魂のモダンサッカー』(双葉社)、『世界のサッカー応援スタイル』(カンゼン)などの編集に携わる。8月に2号目が発売された『欧州サッカー批評』の編集長も兼任する。

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