K氏の大阪ブンガク論

第14回 「役割語」の顛覆を図るーー町田康ブンガク

2017.11.10更新

 大阪で街の雑誌の編集者だったK氏は、町田康さんの文学に精通している。「登場人物に喋らす大阪弁は、阪大の金水敏教授が明らかにした『役割語』を逆立ち、いや脱臼させたもんや。並大抵の技芸やない」とベタほめだ。

 「役割語」とは「特定のキャラクターと結びついた、特徴ある言葉遣いのこと」で、金水先生はここ近年の大阪弁・関西弁の役割語には、「冗談好きでおしゃべり好き、ケチ・拝金主義者、食いしん坊、派手好き、好色・下品、ど根性、やくざ・暴力団...といったステレオタイプがある」ということを明らかにしている。

 すなわち小説はじめ漫画や映画、ドラマにしろ「浪速のド根性見せたる!」「世の中はなぁ、ゼニで動いてるんや」といった大阪弁を喋る登場人物と先に挙げたキャラクターがリンクしているということだ。
 要するに「もうかりまっか?」と登場人物に言わせることによって、商人(あきんど)らしい商人を描く、といった図式なのだ。

 K氏にとっては「それが地元の人間とっては、たこ焼き・吉本・タイガース(安倍首相の神戸での演説の例のように)みたいなんは、おもろくも何ともないんや」とのことなのだ。

 同じ岸和田出身の清原和博の「番長日記」は、「おぅワイや!」で始まり、「はじめにピシッと言うとく」「ムカつくのう」「エラい目にあわさなあかんな」とかでさんざん引っ張った上、最後に「以上、清原調でお届けしました」なのだが、当の清原は「ワイなんて自分では言わない」とメディアで何回も言及している。

 「あれは『FRIDAY』のスキャンダル系ヤバい写真からみの文章で、確かにおもろかったけど、ナンボ何でも文学作品とちゃうわな」とK氏。
 K氏にとって大阪弁は、基本的に話す言葉やし、面白い言葉やと思てるけど、大阪弁で書かれた詩や文に出会うと、たとえば「大阪、ごっつう好きやねん」とか「ニュー関西弁が登場したら、ほんまに日本が変わるかも知れへんね。言葉から見なおすことができたら、力が湧いてくるんやないやろか」とか、「おぅワイや」の番長日記的な文は、こちらの人間として恥ずかしいと思う、鬱陶(うっと)しくて時には腹立たしくなったりする。

 「冷めたたこ焼きを食わされてるみたいや」
 なのである。これは岩下志麻の『極妻』においての台詞と同様に「下手や」とも思う。
 反して大阪市営地下鉄の「チカン、アカン」は「上手い」と思う。「この大阪弁運用のセンスの違いはなにか」とK氏は考えるのであった。

 けれども大阪弁を多用する町田康の作品には、時代感覚を越えて、「うまいこと大阪弁を使うなあ」と思う。大阪弁で読む擬音語擬態語多用。あるいは「くわぁ」とか「あかんではないか」とか。

 その言語運用感覚はどこから来るものか。
 それも凄惨な「河内十人斬りの時空」をリアルにその土地その時代の河内世界とそこでの言葉を想定して描いた作品『告白』は例外的で、町田さんの小説空間は、まったく場所の地方性や時代性を特定できないものがほとんどだ。
 『パンク侍、斬られて候』は江戸期と思しき時代小説だが、いきなりレゲエ・シンガーのボブ・マーリーとジミー・クリフ、夏目漱石の『吾輩は猫である』が出てきたり、K氏によると「ぐちゃぐちゃの世界や。誰も真似でけへん」名作である。

 そのK氏が「一番おもろい。ひょっとしたら著者の町田さん本人より、オレのほうが読んでるんちゃうか」という短編小説集が05年に出版された『浄土』(講談社)である。
 ここに収録された作品の数々で、町田さんは「役割語」の顛覆を図っているのだ。
 大阪弁を「ズラせながら次に捻って1回転半」みたいな感じで登場させてるんやなあ、とK氏は指摘する。

 普通、文学作品にしても新聞記事にしても、「大阪弁で書く」ということは、あくまでも話し言葉の描写であり、書き言葉の場合は若干違う。
 そんなこと言われてもわかりまへんがな。とか、難かしてどもなりませんわ。などというようには書かない。これでは読みにくいからだ。だからこそあえて書く場合は会話文として「 」の中に入れてしまうことが多く、K氏たちが関西ローカルでやってきた雑誌の場合もおおむねそうだ。

 熊太郎は「おっさん、なにゆうてんねん」と思った。

 とか

 調べによるとK容疑者は、死亡した被害者から「しばくぞ」とどなられて「むかついてカッとなって、やったれと思た」と話した。

 とまあ、こんな具合だ。

 ところが町田さんの『浄土』は、「全然違う作品が多い。いきなり地の文で大阪弁を使こてから、登場人物はあくまでも標準語がベースなんや」とK氏。
 『本音街』は「タクシーも本音街に行ってくれ、というと嫌がって、道を知らない振りをする」変わった街の話だ。「本音で話し、生きる人」がいる街だ。もちろん架空の街であり、もちろん関西地方の「ある街」のことではない。
 書き出しはこうだ。

 久しぶりに本音街に行きたくなった。
 毎日、あほやうどんにまみれて生活しているとたまに本音街に行きたくなる。(p.113)


 これはとくに東京人もよく知っている大阪の象徴たる「あほやうどん」であり、そうなると「ほ」を上げて、「うどん」をフラットにする、大阪イントネーションで読むしかない。
 あとはほんの3カ所だけ、「本音街へ着いた時」と「最後の一文」のところが「地の文」で使われていて、「本音街」で見たこと聞いたことに対しての「私」つまり主人公の思いが大阪弁で物語られるだけだ。

 あしこで休んでこましたろ。とわざわざ上方の言葉を口に出したのはなんとなく気後れしている自分を鼓舞するためで、なぜ気後れするかというと、(p.115)

 「いまエレベーターの中で屁をこいたので臭いですよ」
 私は本音街のこういうところが好きだ。
(略)
 私がエレベーターに乗ったら屁をこいたことはすぐに露見してしまうのに知らない振りをする。なんでそんなことができるかというと建前で生きているからだ。そして私も私で、声高に、「さっきの女が屁をこきよったからくっさいなあ」と周囲の人に言うこともなく、渋面をつくって無言で階数表示を見上げている。私もまた建前で生きてしまっているのだ。(p.116)


 最後の結語はこうだ。

 闇に向かっておもうさま本音を言うてこましたろうと思ったが、なにも思いつかなかった。(p.132)


 そのほかの人々の会話による「本音街」の描写は、

「さよならというのはどういうことですか」
「もうあなたと別れるということです」
「なぜですか。僕は少しふざけただけです。別れないで下さい」
「いえ。私はあなたと別れます。なぜならあなたが途轍もない馬鹿だとわかったからです。私はあなたのことがほとほと嫌になりました。足は臭いし、チンポが臭いくせにフェラチオしろと言うし」
「わかりました。足とチンポも洗います。だから別れないでください」
「一日何回洗うのですか」
「足が一回、チンポが二回でどうでしょうか」
「やはり別れます。フェラチオ自体が面倒くさいのです」(p.120)


 というのが手を替え品を替え続く。
 「無茶苦茶おもろい小説やねんな。そこで大阪弁が使いすぎると、これはもう旨いピザが食べられへんなくなるタバスコ的に、ほんまうまく使われているのが最高」とK氏は力説する。

 主人公が、自意識メガトン級過剰男に遭遇する『あぱぱ踊り』の書き出しも大阪弁が使われている。この作品も舞台はとある「場末のような往来」であり、「を南に曲がった裏が倉庫街」であり、日本列島上の具体的な場所は、文章からは思い浮かべられない。

 秋であった。夏であった。どっちや? 秋であった。風が涼しいなあ。首筋が寒いなあ。多くの人がたくさんの人が、どっちや? 多くの人がリストラの恐怖に怯えつつ往来を寂しそうに歩いていた。
(略)
 景況が悪しいため物流が減衰して倉庫の需要があんまりないのであった。あんまりやわ。あんまりやわ。あんまりやわ。あんまりやわ。気が触れたようなリピートビートが鳴り響いていた。(p.77)


 その後は、ピタリと大阪弁が止む。そして軽薄極まりない意識過剰男、つまり悪辣な登場人物に

「いやそういうもんじゃなくってもっとピースな感じっていうのかなあ」(p.98)


のような現代的(夜中のバラエティ番組に登場する東京の若者的)な標準語を延々喋らせているのだ。

「いや、っていうか、俺の凄さっていうのはもうはっきり言って俺自身もわからんほどのもんですよ。つまりね、俺がね俺がね、なぜ俺の凄さが俺のなかで凄いことになっているか、っていうことを、でしょ? つまり訊いてるのは。つまりそれはね、俺の凄さっていうのは悪にも向かうことができるわけ。善にも向かうことができるわけ。けどはっきりいって人間なんでしょ? 俺は。っていうか、俺ですら人間な訳じゃないですか。」(p.84)


 そしていきなり1カ所だけこんな具合だ。

 「っていうか、なにが言いたいの」
 「なにが言いたいってあんたが言ったんでしょ。エケメに行けばわかるって」
  「それはいった」
 「じゃあ証明してよ」
 「っていうかそれはもうわかってることやん」
 男は急に関西弁を使った。
 「なにがどうわかってんのよ」(p.97)


 中野区に怖ろしい「ギャオス」が出現する『ギャオスの話』は、内閣総理大臣である錦奔一が、自衛隊の出動を命じる。

 関係者は「このまま真っ直ぐに南下して代々木公園に行ってくんねえかな」と思った。一般の都民は「くんな。こっちにくんな」と思っていた。(p.141)
 実は奔一はアメリカ合衆国大統領ゲオルグ・スターから、「なんやったらぼくらの軍隊が出動したってもええよ」と云われていたのである。(p.143)

 もし米軍がギャオスに手もなくひねられたら自信満々であったスターはどういう反応を示すだろうか。
 意地になるに決まっている。連中が意地になるということはどういうことかというと戦術をエスカレートさせるということで(略)
劣化ウラン弾とかを使用するということである。そうなったら、「うちそれまずいんでどうかひとつ穏便にお願いします」といって済まなくなって、連中は「だいたいそっちが頼んだんやんけ」なんて理窟にならぬことをいって強行するに決まっている。(p.144)


 はははっ、米大統領とか米軍人に大阪弁を喋らせとるがな。とK氏は痛快がる。

 第一九代允恭天皇の第五皇子、長谷朝倉宮にましまして天の下知ろし食したもう大長谷幼武尊(おおはつせのわかたけるのみこと)は気宇壮大な帝王であった。


 という壮大な書き出しで始まる『一言主の神』は、こう続けられる。

 允恭天皇が四五四年に薨じたる後、いろんなことがあって結局、石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)にまします、允恭天皇の第三皇子の穴穂尊、安康天皇の位に即き、叔父の大日下(おおくさか)のところに使者を遣わしたところから話が始まる、
 その使者は根の臣というもので、出かけていった根の臣は大日下に言った。
 「わたいは天皇の使いですけどね、あんたの妹さんをね、天皇の弟はんの大長谷はんの嫁はんにもろたらどやちゅわれましてね。ほいでやってきたんだっけど、どないなもんだっしゃろ」(p.159)

 穴穂尊が怒った怒らんの、「なめとったらあかんど、こらあ」と絶叫して大日下を殺した。(p.161)


 『一言主の神』は『古事記』のなかにある、大長谷幼武尊(雄略天皇)が葛城山で自分と同じ大王の鹵簿(衣裳行列)姿で現れた一言大神との出会いとその後の物語だ。
 暴虐の限りを尽くす雄略天皇はその姿に激怒するも、それが「悪事(まがこと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神」と知ると、衣裳、武具などを脱いで一言主に献上する。
 
 その主人公の幼武尊はこのように描かれる。

 かつて幼武尊が暗峠を生駒越え、河内に行ったときの話である。幼武尊は山の上から河内国を見渡し、「くほほ。このあたりもみんな俺に服属してけつかる」と悦に入り、その直後に、しかし河内の国に来たからといってなにもすぐにけつかるなどと言うことはないな、と思っていた(p.166)


 大阪という土地柄、結構高校生の頃から『古事記』に親しんでいるK氏は「稗田阿礼よりも上手いこと書くやんけ」と感心している。

 「むっちゃオモロいなあ」とK氏が絶賛する場面、一言「言離」すれば、「世界を切り分ける」すなわち世に実現させる一言主が、言離によって長谷朝倉宮を無茶苦茶にして、それに幼武尊が激怒するところ。
 
 幼武尊に「下駄とかボンカレーとかそんなせこいものではなくもっと雄大なものを」とからかわれた一言主は「森ビル」と言離する。
 すると途端にあたりは暗くなり、生駒・葛城・金剛の山並みを圧倒する巨大なビルディング群が忽然として現れる。

 すっかり国事・政務にやる気をなくし、部屋にひきこもった幼武尊が部屋を出て、我が目を疑うシーンはこう書かれている。

 宮殿の壁の至る所にスプレー缶で落書きがしてあった。稚拙な筆跡で、「するめ参上」とか「FUCK」とかそんなくだらないことが書いてある。
 窓はどういう事情か、安っぽいベニヤ板で塞いであって、そのベニヤ板にも愚劣な落書きがしてある。もちろん床には、天ぷら湯、スコーピオンズのLP、洗濯板、アロマポット、筆ペン、シュークリーム、マブチモーター、江夏のサインボール、スカルリング、ベンザブロック、テンガロンハット、煮込み、アッパッパなど訳のわからぬものが足の踏み場もないくらいに散乱しているうえ、そうして形ある物だけでなく、丸めたティッシュペーパー、吸い殻、握りつぶした煙草の袋、バナナの皮、ポテトチップスの空き袋といった完全なゴミも散乱していた。(p.183)


 小説のリアリティは必ずその現場、つまりそこだけの時空を描き出すことで成立するが、読み手はそのテキストを逆に普遍的なもの、あるいは自分がイメージできる世界に引きつけて読み取るしかない。

 その意味で、明治の時代小説『告白』は、河内の百姓の日常からヤクザの屋敷や村田銃のディテールまで、カミソリ一枚が滑り込まないほど隙間がない河内(大阪)弁の「役割語」のみですべてのリアリティが成り立っている。それは「役割語」を越えた「役割語小説」であるのだが、『浄土』の短編連作は、大阪弁の「役割語」を「脱臼させまくり」の快作で、そこが「おもしろいことやんけじゃんざます。うるる」と、K氏は今年4月に出たばかりの『関東戎夷焼煮袋』の第一章「うどん」の結語を引用するのだった。

(続く)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。 1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。 2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。 著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』『いっとかなあかん神戸』(以上、140B)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』以上、ミシマ社)など。津村記久子さんとの共著『大阪的』(ミシマ社)も大好評発売中。

大阪的

バックナンバー