K氏の大阪ブンガク論

第17回 泉州弁で描ききる――『村上海賊の娘』

2018.01.02更新

 K氏は『村上海賊の娘』を読んで、「こんなんありか」と声を上げた。「ダントツにおもろい。とんでもなく凄い歴史小説や」と思った。
 それは海賊武士の話し言葉が「泉州弁」で書かれたものだからだ。
合戦の際の台詞が「者ども、うろたえるでない。駆けよ」でなく、「お前ら、びびったらあかんど。走らんかえ」なのである。

 この長編小説は戦国時代の大阪で起こった「第一次木津川口の戦い」を再現した小説である。
 「これや、これ」とK氏が本棚から抜き出してきたのは『信長公記』の現代語訳の文庫本だ。子供の頃から司馬遼太郎や海音寺潮五郎とかの合戦ものが好きだったK氏であるが、「『信長公記』はやなあ、1560年の桶狭間合戦からから本能寺までハイライトが、岸和田の藤井町の地車(だんじり)に彫刻にあるんや」とのことだ。合戦をこの場で見てきたがごとくことさらK氏は熱く語るのだが、正直「また岸和田だんじりか」とあきれてしまう。

 『信長公記』は、慶長年間(1600年頃)に太田牛一(ぎゅういち)が著した織田信長の伝記である。信長の7歳年長だった太田は、彼の英雄に仕え元服から本能寺で切腹するまで生涯を実見してきた。
 したがってこの信長の一代記は歴史書としても信用度が高く、叙事文学・戦記文学としても優れた作品だというのが定説だ。

 『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)の巻9/天正4年(1576)、「(5)木津浦の海戦」には次のように記録されている。

 七月十五日のことであった。中国筋安芸の水軍、能島元吉・来島通総・児玉就英・粟屋元如・乃美宗勝という者が、大船七、八百艘を率いて大坂の海上に来航し、大坂方に兵糧を補給しようとした。
 これを阻止しようと迎え撃ったのは、真鍋七五三兵衛、・沼野伝内・沼野伊賀・沼野大隅守・宮崎鎌大夫・宮崎鹿目介、尼崎の小畑、花熊の野口。これらも三百艘を漕ぎ出し、木津川河口に防御戦を張った。敵は大船八百艘ほどである。互いに漕ぎ寄せて、海戦となった。
 陸では、大坂の楼岸、木津のえつたの城から一揆勢が出撃し、住吉海岸の砦に足軽勢が攻め掛かってきた。天王寺から佐久間信盛が軍勢を出し、敵の側面を攻撃した。押しつ押されつ長時間の戦いとなった。
 そうこうするうちに海上では、敵は焙烙火矢というものを作り、味方の船を包囲して、これを次々に投げ込んで焼き崩した。多勢にはかなわず、真鍋・沼野伊賀・沼野伝内・野口・小畑・宮崎鎌大夫・宮崎鹿目介、このほか歴々多数が討ち死にした。安芸の水軍は勝利をおさめ、大坂へ兵糧を補給して、西国へ引き揚げてしまった。 


 という歴史的史実だ。泉州武士を中心とした織田信長側の軍勢が村上海賊の本願寺側に敗れる海戦だった。本願寺方の村上海賊と織田信長方の泉州武士のいわば代理戦争であるが、この小説で主人公と戦う眞鍋七五三兵衛初めとする泉州海賊侍が、場面場面で口にする台詞があまりにも凄すぎるのだ。

 「眞鍋海賊の武勇を見せちゃらんかい」
 「ああ、そらあれじょ。直政(なおま)っさんの国がド田舎やさかいじょ」
 「おのれんとこの小倅(こせがれ)ぁ、おのれより戦上手やど」
 「面白(おもしゃ)いのぉ、こいつら」 


 「わっしょれ〜。なんやこら、正統派の泉州弁そのままやしな」とK氏はそれらの台詞をいちいち声を上げて自らの岸和田弁で読んで、「最高やのぉ」と反芻しながら、上下巻あわせて1000ページ弱もある長編を一気読みである。 
 まるでだんじり祭で地車を命懸けで曳行している最中に発せられる「浜言葉」そのもの。それも地元民でも思わず苦笑してしまう荒っぽい会話の台詞に、「そうか泉州の海賊侍の合戦の時の言葉は、祭の時におがってる(叫んでる)のと同(おん)なじや」と膝を叩いて喜ぶのだった。

 とりわけうまいこと書いてるなあ、というのは
「殺(い)てまえ!」
「不味い(あかなし)よぉ」
「塩で食(いか)んかえ」
 という、表意文字の漢字とそこに付くひらがなまでを含めて、リアルな泉州弁に読ませるためにルビを振っているところで、「なるほどそういう手があったんか」とK氏は感嘆するのだった。

 そんなK氏は早速Twitterに「『村上海賊の娘』の泉州弁は最高。和田竜はすごく泉州弁に精通している。研究をしているのか」と呟いた。
 すると反応が早いリツートの中に、「役割語の研究」でおなじみの大阪大学の金水敏教授から「あの小説は林さんが方言指導したんです。知らなかったの?」とリプライがあった。 

 林さんというのはNHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』で方言指導をした、女優の林英世さんのことである。
 『カーネーション』はデザイナーのコシノ三姉妹を育て上げた小篠綾子の生涯を描いた2011〜12年の連ドラで、放送されるやいなや全国で話題になり、ギャラクシー賞に輝いた名作だった。
 とくに開始早々だんじりの豪快な遣り回し曳行のシーンとともに特徴ある岸和田弁がオンエアされ、「ユニークな関西弁だ」と喝采を浴びた。「抑揚がかわいい」という評価もあって、K氏は「ほんまかえ」と訝ったが、まんざらでもないと思った。
 何を隠そうこの連ドラで多用されるだんじり祭のシーンは、K氏が参加している五軒屋町のだんじりを太秦映画村に持っていって撮影したものだ。 
 「(父親役の)小林薫に、だんじりにタカるとこの演技指導しちゃったんや」というのがK氏の自慢だ(ほんまかいな、と思うが事実とのことだ)。

 泉州弁の方言指導を受け持った林英世さんはK氏の岸和田高校の後輩であり、太秦での撮影の際にも真っ先に「Kさん。こんなんですが、これでええですか」と台本を持ってきた。それは他所の言語話者にもわかりやすい(類推しやすい)見事な岸和田弁で、「ええんちゃうか」とK氏は目を細めて頷いた。同時に「ええんかいな、こんなん放送して」と思った。
 林さんはすべての台詞をあらかじめ自分でボイスレコーダーに録音して出演者たちに聞かせた。とくに主人公に扮する尾野真千子には目の前で岸和田弁を聞かせて指導した。

 NHK大阪放送局制作の番組では、俳優の喋る大阪弁イントネーションが「らしくない」だけで「大阪弁がおかしいから見たくない」と如実に視聴率に跳ね返る。制作にあたって林さんは、プロデューサーにまず「何とかして大阪弁をクリアしたいんです」と言われた。
 だんじりの岸和田旧市エリアはとくに地元意識が強いからそのハードルは高くなる。俳優が下手な岸和田弁を喋ろうものなら、「んなもん、あっかえ。だんじりちゃうわい。で一発退場やな」とはK氏の弁である。
 「本番でその都度目の前で方言指導するのですが、尾野真千子ちゃんは耳が良いので、きっちり口真似以上のものを言ってくれました」と林さん。ええ話である。

 視聴率も抜群で大成功をおさめ、さらに「岸和田弁っておもしろい言語だ」と人々を魅了した『カーネーション』の放送が終了して3年。今度は時代小説の名手である和田竜さんの『村上海賊の娘』が出版されたのだ。
「おー、これ読んでみぃ。めちゃおもろいど、祭で言うてる丸出しの泉州弁や」と、ことあるたんびに岸和田の知人友人に吹聴していたK氏であるが、その方言指導をしでかしたのがまた林さんなのだということを知ると、「え〜、これも、お前やったんかぁ!」と即座に林さんに電話した。

 いきなり電話がかかってきて、それを聞いた林さんは「やった」と思ったらしい。 
「K氏がそういうからには、勝った!と(笑)、変な話、ほっとしました」
 と、ミシマガジンのインタビューに答えている。
 泉州岸和田の人間に見られるK氏や林さんの独特のコミュニケーション作法もおもろいが、「ほっとした」という林さんの繊細な心性が実に良い。

 そんなやりとりを大阪ディープサウス・ローカルでしているさなか、この『村上海賊の娘』は吉川英治文学新人賞と本屋大賞を立て続けに受賞した。歴史・時代小説では司馬遼太郎以来の快挙となる100万部突破というタイミングに、K氏に紀伊國屋書店のHさんからメールがあった。
 「本屋大賞受賞とグランフロント大阪店1周年記念のトークイベントをやるので、和田竜さんのお相手、聞き役をしないか」とのことだ。

 当然K氏は小躍りして「やりますやります」と有難く受けた。
 そしてトークショーで冒頭の「眞鍋海賊の武勇を見せちゃらんかい」以下の泉州海賊侍の泉州弁の台詞分をプロジェクターで大写ししながら、K氏は岸和田だんじり祭礼時のようなダミ声による正調泉州弁朗読を炸裂させ、大いに喝采を浴びた。
 「祭の当日では、今もこういう言葉を喋る人が今もいるんです。とても荒っぽく特徴のある言葉ですが、まるで毎年祭の日にだけ解凍されるようです。やはり岸和田だんじり祭りは、命懸けの激しい祭ですから」
 との説明に、和田さんはニヤリと頷き、200人の聴衆は沸きに沸いた。

  和田竜さんはこの作品を書く際、一旦シナリオに起こして林さんに渡した。たとえば和田さんがまず「お前がやったんか。えろうべっぴんやんか」とご自身が泉州方の登場人物を想定した関西弁の台詞を書き、それをいちいち林さんが赤入れをする。
 仕上がりは「お前(わが)がやったんけ。えらい別嬪やんか」となる。K氏はトークショーで実際そのシナリオを見せてもらったが、付箋だらけで真っ赤かである。「この台詞だけのシナリオを元に、地の文だとかを加えて完成させました」と和田さんは説明する。
 また「なるべく本物に近づけたいという思いだけでやってました。一つ一つの台詞に対して、『これは尊敬語だけどあんまり尊敬がこもっていない』といったニュアンスを含めて問いかけて、林さんが教えてくれた言葉をメモする。それを直した上でまた小説を起こすという作業をやりました」と語る。

 一方、この作品の小説空間においての泉州海賊武士の台詞について、後に林さんはK氏にこう説明した。 
「そこで生きている人間たちの持っている気質や、風土の持っている何かを伝えたくて泉州弁を使っているのであって、泉州弁がどんなものなのかというのを皆さんにお知らせするためにやっているのではない」。つまり方言としての正しい泉州弁を書くことではないのだ。K氏は「なるほど、さすがプロや」とまた唸らせられるのだった。

 ところでK氏がこの『村上海賊の娘』で一番グッときたのが、「俳味」についてである。「せや、『俳味』。これやねん。和田さんは、しびれるようなことをうまいこと表現してはる」

 七五三兵衛は、こういう異質な者を愉快がる俳味(はいみ)のようなものを持っている。七五三兵衛だけではない。泉州の男は程度の差こそあれ、この俳味を必ず有していた。むしろこの味がなければ、泉州の男として、「面白みのない、取るに足らぬ男」と見下される。泉州者は剽悍(ひょうかん)であるにもかかわらず、武家の本分たる武功を立てるよりも、俳味を発揮することの方が大事だと思っているふしさえあった。(上巻・p272)


 寺田又右衛門と松浦安太夫という兄弟の武将が、主人に遠矢をかけて殺し、松浦は岸和田城を乗っ取る。まさに「悪たれ」であり、「主殺(しゅころ)しが泉州半国の触頭なんぞ名乗りくさって、やることがえげつないんじゃ」と七五三兵衛に悪罵を投げかけられる。
 けれども、合戦の際、配下の侍衆を置き捨て一番始めに逃げ帰ってぬくぬくと砦の中に引っ込んでしまう「瓜兄弟二人」を七五三兵衛は「面白(おもしゃ)い奴のぉ、こいつら」と吹き出して笑う。

 (泉州侍にとって、こういう小ずるさこそ、瓜兄弟の持ち味でないか)
 元々、こんな兄弟なのである。端から分かりきっていたことだ。小ずるくも自軍のみ撤退し、挙句見えすいた言い訳をする。「いつものあれか」と面白がるのが泉州者のあるべき姿ではないか。


 と和田さんは書くのだが、「一方的に悪行を正面切ってやっつけるのではなく、ちゃんと笑って輪の中に入れておいてくれる土壌が泉州にはある」とのことである。
 K氏はそれを受けて、再び岸和田だんじり祭の人々の「俳味」を挙げる。例の「だんじりで言うたら」である。
「祭やってるいろんなツレとは10歳ぐらいからずっと一緒にやってるんですが、そうなると性格とか皆分かってくるんですよ。あいつは掃除の時になったらいっつもどっか行ってしまうとか、周りは知ってるんですわ。で、いつものように来ないと先に怒るよりも『昔からそうやろ』とあきれ笑いするんです。たまに来たら『お、珍しいのぉ。祭雨降るんちゃうか』と言って、皆でまた笑うんです」
 そうやって異質な者を正しさの名において排除せず、面白がる気質を岸和田の人間は持っている、と言う。
 「せやし変わった奴が、野放し状態でいてるんです。珍獣だらけ」とK氏は笑うのである。

 これが和田さんが描く、村上海賊の敵方である泉州海賊侍そのものなのだ。そうK氏は自分に引っぱり込んで解釈している。
 武士は何よりも武勲であり、武勇や忠義といった精神で語られがちだが、和田さんがずばり「俳味」と表現するマインドを持ち、戦国の世で各自が各自の問題や事情を抱え、それについてお互いにちゃんと考えたうえで言動を起こす。それも過剰に。
 そういう集団の敵だからこそ勝つのも大変だし、合戦を描いても何か別種の人間的な「趣」が生まれてくる。
 K氏にそう語った和田さんに「ナンでそんなグッとくるとこばっかり書かはるんですか」と思った。

 また後日、「泉州弁で考える」と題したシンポジウムがホテル日航関西空港であった。堺市、岸和田市はじめ泉州地域の9市4町の自治体で構成する「泉州観光プロモーション」の主宰で、和田竜さん、林英世さん、言語文化学が専門の西尾純二・大阪府立大教授、そして竹山堺市長も壇上に立ち、泉州の首長が全員客席に顔を揃えるという「泉州弁原理主義」のイベントである。
 シンポジウムの終わりの質疑応答で、「これは言うとかな」と挙手した、岸和田の30代男性がいた。作品の中で泉州侍の触頭として登場する「沼間義清」ゆかりの岸和田市「沼町」の祭礼関係者である。沼町は岸和田天神宮の「天一番」の氏子である。
 かれはその沼間氏についての質問に加え、 
 「小説てなんや? 思てました。どんなもんが小説かなんか端からわかってませんわ。第一、小中高と国語の教科書なんか読んだことない。重たいしずっと学校の机の下、置いてましたわ。
 ところが『村上海賊の娘』の評判を聞いて、初めて本屋に買いに行って、初めてほんまに読んだ小説で、こんな感動したことないですわ」とぶっ放して大いに聴衆の笑いを取り、和田竜さんを称賛した。
 「ええ話やろ。まさにこれぞ大阪ブンガク」とK氏は目を細めるのである。

 和田竜さんが大阪湾で戦国時代に起きた合戦の話をかつて類を見ない泉州弁の会話文体で書き切ったのが、この『村上海賊の娘』である。
 これは作者にとって、また読者にとって、自分が実際に立つ土地ではない別の場所の風土、さらに過去という存在しない時間である小説空間を、リアルな方言を使う事で発見したことにほかならない。けれどもその言葉が400年の歴史を越えて今も息づく泉州弁に見事につながっている。K氏はここに和田竜さんのブンガクとしての多大な先端性を感じるのである。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。 1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。 2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。 著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『濃い味、うす味、街のあじ。』『いっとかなあかん店 大阪』『いっとかなあかん神戸』(以上、140B)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』以上、ミシマ社)など。津村記久子さんとの共著『大阪的』(ミシマ社)も大好評発売中。

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