K氏の大阪ブンガク論

第13回 完全無欠、大阪ブンガクの金字塔ーー町田康『告白』

2017.10.09更新

 「これこそ完全無欠、大阪ブンガクの金字塔や!」とK氏が叫ぶ小説は町田康さんの『告白』である。谷崎潤一郎賞を受賞した2005年の作品であり、中公文庫版850ページの大作だ。
 「ようこんなもん、よう、一丁書いてこましたろやんけと、思うわ」とK氏はすでに町田さんの河内言語の世界に入り込んでいる。

 この『告白』は河内音頭で歌い継がれてきた「河内十人斬り」をど正面から書いている。明治26年5月25日、金剛山麓の南河内水分村で実際に起きた大量殺人事件である。

 その惨殺事件の犯人である主人公は、博打打ちの城戸熊太郎とその舎弟の谷弥五郎の二人。やられる悪は、村の顔役・松永傳次郎とその息子兄弟の熊次郎・寅吉。
 寅吉に女房・縫を寝取られ、熊次郎に縫との婚姻の件で五百円だまし取られたうえ博打の借金をも踏み倒され、あげくのはてに一家にボコボコにドツキ回され半殺しの目に遭った城戸熊太郎。
 その仕返しにと、谷弥五郎とともに松永一家の寝込みに殴り込み、十人斬殺し家に火を付けた話である。

 元はと言えば、富田林署のお抱え人力車夫、岩井梅吉が人力車で警察官を運ぶ時に詳細を聞き出し、それを盆踊りの際、櫓の上から河内音頭にのせて唄った。まるで浪曲師が出来事としてのニュースを河内音頭のメロディにのせて詠むがごとき伝統の「新聞(しんもん)詠み」であり、いまなお唄い継がれる河内音頭の大ネタだ。
 
 五歳と三歳の子供を含め十人殺した熊太郎弥五郎は、金剛山に立て籠もる。明くる日には富田林、三日市、更池、古市、柏原、国分、八尾、教興寺の警察署より約100名の警官が結集、28日に武装した村民を含め総勢147名で包囲網をしき、二人を捕縛せんと山狩りに入る。
 10日間あまりのすったもんだの山中の捕物帖のあと、熊太郎は弥五郎を村田銃で射殺し、自分も引き金に足指をかけ自殺する。
 
 子どもの頃から河内音頭に親しんだK氏は、「これがベストや」と昭和40年代録音の京山幸枝若の「河内十人斬り」を取り出してきた。鼻息も荒い。なんとカセットテープ4本に収録された超ロングバージョンである。ほかには鉄砲光三郎のLPも持っている。

 125年後の今なお、「男持つなら熊太郎弥五郎、十人殺して名を残す」などと唄に詠み継がれ、大量殺人に喝采を送り続ける河内の人てどうよ? であるが、K氏によると、毎年盆踊りで櫓から定番「河内十人斬り」が聞こえるや、地元のおばちゃんたちは踊りながら「こんな男やったらついていくわ」、おっさんは腕組みして「これが男っちゅうもんや、なあ」などと聞き惚れるとのことだ。

 町田さんの『告白』は長編小説、長くて3時間の音源よりも詳細でよりリアルな表現だ。やはりブンガクの醍醐味である。
 色と欲の典型。姦通と借銭、金の魔力、賭博、暴力そして殺人...といった人間の属性としての狂気。そしてそれらについての言葉にならない思弁。
 しっかり1週間かけて読んで実に味わい深い、正真正銘の代替不可能な作品である。

 そしてこの小説は、徹底的な河内弁、それも主人公始め明治20年代の南河内の極道含めたあらゆる人物の会話で成り立つ、河内〜大阪言語による「音とリズム」のブンガクでもある。

 「なんやと、この餓鬼ゃ、一緒さひてくれやとお? はっはーん、ちゅうことは松永が縁談断ってきたんもどうせおどれが向こう行て、百万だらええ加減吐(ぬ)かしたからやろ。なんちゅうことをさらすんじゃ、あほんだら。銭をどないしてくれんね、銭を。それを先に言わんかいな。銭どないすんのんか。銭のことも言わんとなにが嫁くれじゃ、あほんだら。銭のないもんに娘やれるかいな、あほらしい」といってトラは立ち上がった。(p.598)

 「この河内弁はどうやぁ。えげつないやろ」とK氏。
 ちなみにトラは主人公熊太郎の嫁で松永寅吉と姦通する、縫の母親である。娘の縫を村の有力者である松永一家にやって、金銭をせしめよう図る因業な婆である。
 この数センテンス、200字あまりの文章だけでも、トラが「カネカネカネの亡者」であることがわかるだろう。

 ただこの河内弁の乱れ打ちは、河内弁がどんな特徴を持つ言語かを知る関西人にも読みにくい。
 「これはエゲツない河内弁やなあ」というK氏にとっても何とか音に直して読めるがーー黙読にしても文章を読むということは、自分で音読して自分の耳で聞くことであるーー標準語の人はどないするんや、音読不可能ちゃうんか、と思うのだ。

 K氏の記憶なのだが、むかし寺山修司が宮沢賢治の詩について何かで書いていたのだが、宮沢賢治の作品は地元の岩手弁で読まないと本当の良さはわからない、味わえない、と。
 たしかに青森人の寺山が、岩手人の宮沢の詩を評して、言いそうなことである。

 しかし大阪泉州の旧い街で育ったK氏は、高校の現国の授業でも大阪弁発音で読んできた。
 『永訣の朝』の「うすあかくいつさう陰惨な雲から みぞれはびちよびちょふつてくる(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」は、寺山が言う岩手弁とはほど遠いイントネーションのはずだ。大阪や京都の中学・高校は、地元出身の先生が多く、授業ではあたりまえにそこの地元関西弁の読み方で朗読していた。というか、授業でも授業外でもそれ以外の言葉を話していなかったからだ。
 けれども国語の時間に泉州弁で読んだ高校生のK氏にも、行ったことのない岩手のうす寒い暗さや湿っぽい霙の冬がリアルにたちあがったのである。
 
 翻って『告白』の河内弁について。町田さんは「全国どこの人でも、極端な話、中国の留学生でも日本語を読める人なら(『告白』の小説世界に)連れて行く自信はあります」とK氏に語ったことがある。
 K氏はその言葉にしびれた。さすが町田さん、レベルがちゃうなと思った。
 「そら、町田さんの勝ちや。そやないと、とある方言で書かれたブンガク作品が、その地方の方言の音読やないとホンマのとこ読めへんかったら、作品自体がその地方だけのもんになって、閉じてまうやんか」と、「大阪ブンガクの可能性」についてK氏の言及が始まるのだった。

 町田さんは「河内十人斬り」の現場から近い堺の出身であり、この作品を書くにあたって現地を何回も取材している。
 さらに巻末には、K氏の挙げた京山幸枝若のロングバージョンはじめ河内家菊水丸まで、さまざまな河内音頭が「主な参考音源」と記されている。
 さすがパンクロッカーの町田さんは耳が良い。今の富田林や千早赤阪村の百姓が喋っている河内弁を聞き、そのうえで「そうではないなあ」と、この『告白』において明治26年のあの愛憎の挙げ句の果ての大惨殺事件「河内十人斬り」の世界の河内弁を脚色したと言う。

 K氏が「最高やのお」というところは、谷弥五郎がまだ十四、五のガキだったときに、ヤクザだらけの賭場に、

 「そんなこと言わんと。遊ばしてくれや。子供かて銭もってたら客やんけ。ほら、銭はこないしてちゃあんと持っとんね」
 とやって来るところだ(p187)。

 このシーンが熊太郎、弥五郎の出会いでもある。
 まだまだ子供の弥五郎は、博打の参加について
「あかんちゅとるやろ。さっさと去なんと正味、えらい目遭わすど」
 と言われ、持ち銭を取りあげられる。

 「わいの巾着、なにするんじゃ。かやしてくれや」
 「じゃかあしんじゃ、あほんだら。さっさと失せさらせ」
 「かえさへんかったら警察ィ言いにいくど」
 (略)
 「ははは。ぼけ。おまえが警察ィ走ってる間にわしら疾(と)うに茣蓙巻いて去んでるわ」
「ははは。あほんだら。人相書きちゅうもんがあんのん知らんのか。わいはもうおどれらの顔の造作、みな覚えてしもたわ。それ警察ィ行て言うたらおどれらみな監獄いっきゃ、はは、おもろ」
 

 極道者の大人たちと互角に言い合う弥五郎は、警察よりも、
「この足で富田林の東井一家の妻籠親分とこィ行てこれこれこういう人間が博奕してましたて言いにいったるわ。むこは玄人や。お前らみな半殺しにされるわ」
 などと恫喝まがいのことをぶっ放す。  
 

「なにぬかしゃがんね。われ正味、行く気け?」
「それが嫌やったらわいの巾着かやしてくれや」
「巾着かやしたら東井一家には言いにいけへんのか」
「いやあかんな」
「なんでやね」 
「わいかて男や。ここまで虚仮(こけ)にされて黙ってるわけにはいかんわ。それでも言って欲しないにゃったら、おい兄ちゃん、それなりのもん出したれや」と少年は凄んだ。
 正味の節ちゃんは凄まれて一瞬たじろいだが、じきに癇を立て、
 「おう、餓鬼、おちょくっとったらあかんど、こらあ」と怒鳴った。
 子供に凄まれたうえ一瞬でもたじろいでしまったという事実を自ら認めたくなかったのである。
 「俺はなあ、正味の節ちゃんちゅてここらではちょっと名ァの知れた人間や。おどれらみたいな坊主に凄まれて銭出すとおもとんのかど阿呆、東井一家に言いにやとお? ぼけがっ。言いに行こ思ても行かれへん身体に正味したるわ」と言い、それから客の方に向かって言った。(p190)

 大人の極道者に囲まれ、蹴られても殴られても、単身で向かって一歩も引かない弥五郎であったが、さんざんなぶられる。そこに居合わせ一部始終を見ていた熊太郎が「もう、蹴んのんやめとけや」と止める。
 自分が十五歳の時に起こした殺人の際の記憶、「この暴力の『感じ』に根源的な不快を覚えていた」からだ。

 結局、熊太郎は少年・弥五郎を救う形で大立ち回り。子供のくせに、
「この餓鬼、短刀(どす)のんでけつかった」
 弥五郎は客の一人のアキレス腱を切ったり、熊太郎も割り木を振り回して殴ったりして「賭場(やま)」を荒らす。
 
 「ここがよう出来た河内音頭そのままやんけ」とK氏がその「賭場荒らし」後の熊太郎、弥五郎の会話の部分を指さす。

 「ところで、なんで子供のくせして博奕までして銭儲けしょうおもてん?」と尋ねた。
 尋ねられた弥五郎は最初のうちは、「そら、銭は誰かて欲しもんや」などとぐずぐず言っていたが、やがて意を決したように言った。
 「わたいの妹がな奉公ィ行てん」
 「われの妹ちゅたら、年ゃなんぼや」
 「十一ゃ」
 「ほん」
 「その妹が兄やん奉公は辛いさかいにやめさいてくれちゅいよんにゃ。しやけどそれまでわいらがいてた親戚の家の治兵衛ちゅうおっさんが給金を前借りしとるさかいにやめられへんにゃんけ」
 「なるほどわかった。つまりおまえは妹の前借りを払たろうとこないおもて博奕場に行たんちゅうこっちゃな」
 「そういうこっちゃ。しゃあけどお陰で銭がでけた。おおきにな、兄さん」と弥五郎はまた頭を下げた。(p213)

 この出会いがあって「生まれは別々でも、死ぬときゃ一緒」と音頭に唄われる名文句、その12年後の松永一家へ、死を覚悟しての殴り込みの直前、弥五郎は妹の奉公先へ今生の別れを告げに行く。
 『告白』では約500ページ後の会話がこれだ。

 「あれ。兄やんやないけ。こんなとこ来てどなしたんや。また、銭か」
 「阿呆ぬかせ。奉公してるおまえに銭みたなもん借りにくるかれ。こないだはちょっと細かいもんがなかったさかい煙草銭借ったんやないけ」
 「あ、細かいもんがなかったんか」
 「そやがな」
 「ほな大っきいもんはあったんけ」
 「口の減らん餓鬼やで。きょうはちゃうね、ちょう話あるさかいに主屋でおまえの居所聞いてやってきたんや」
 弥五郎はそう言うと懐から一円を取り出し、これを梁に与えた。
 「こ、これは」
 「とっとけ」
 「兄やん、また悪いことでもしたんとちゃうんけ」
 「心配しいな。そんな銭とちゃうよ。おまえも年頃やないけ。いつともそんな野良着きてんとよそ行きのべべ買い」
 と、いつになく親身なことをいう兄の様子に胸騒ぎを覚えて梁は言った。
 「そら嬉しけど、兄やん、なんでこんな大金をわたしに呉れんね」
 急に泣き出しそうな梁の顔を見た弥五郎は、初めは遠くに働きに言って当分の間会えぬのだ、と尋常の暇乞いを言ってごまかそうと思っていたが、急にそんな風に取り繕うのが面倒になって言った。
 「実はな、わしゃ、今度、死なんならんことになってな。おまえとも今日で別れんならん。おまえもわしがおらんようになったら寂しかろうが、ええ人間みつけてその人頼りに、達者で暮らしてな」

 泉州弁話者であるK氏が「こんな感じやろ」と河内弁と思しきアーティキュレーション(音楽のような話調)で台詞を音読し、「泣かせるやろ」とのことだが、一度ぜひ標準語話者に音読してもらいたいものだ。
 さんざ「あかんあっかえ。へんな大阪弁やんけ。ピジン大阪弁はあかん」とK氏はおちょくるだろうが、東京弁の人にも「わかるねぇ」となるはずだ。

 必要以上とも思えるひらがなの多用と、表意文字そのものの漢字の字面のバランス。母音を伸ばしたりする際のひらがなカタカナ併用の小文字による音表記。助詞の省略。
 明治26年の南河内の現場の本当のイントネーションは、書き手である町田さんも分からないはずなのであるが、始めに視覚的にひっかかりながらもまっすぐ入ってくる書き言葉、すなわち物語として書物に印刷される独特極まりない能記と語感は、否応なしに読む者を明治半ばのあの初夏の猟奇事件の「河内世界」に巻き込んでいくのだ。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年岸和田市生まれ。神戸大学農学部卒。
1989年京阪神エルマガジン社にて『Meets Regional』誌をたちあげ、12年間編集長を務める。
2006年に編集集団140Bを大阪・中之島に設立、現在取締役編集部長。
著書に『だんじり若頭日記』(晶文社)、『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)、『有次と庖丁』(新潮社)、『飲み食い世界一の大阪〜そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの〜』『K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。』(以上、ミシマ社)など。近著に『濃い味、うす味、街のあじ。』(140B)がある。

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