ミシマガ・ミュージック

CDが売れなくて音楽業界も不況だと言われて久しい昨今ですが、どっこい音楽生活が充実しているミシマガ編集部のアダチとモリ。

素晴らしい音楽は、今、この瞬間も奏でられ、心震わせる感動が生まれている。
そう信じて疑わない私たちは、ミシマガ・ミュージックというコーナーを新たにつくりました。自分たちの耳と目で確かめ、ぐっと心をつかまれた音楽を少しずつ紹介していきたいと思います。

第1回目にご登場いただくのは、タテタカコさん。
今年4月、季節外れの冷たい雨が降るなか、タテタカコさんと小谷美紗子さんのツーマンライブを聴きに行きました。それまで、タテさんの音楽といえば、映画『誰も知らない』の挿入歌「宝石」しか知らず、ほとんど予備知識もない、まっさらの状態でタテさんの演奏を聴きました。

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『Harkitek or ta ayoro(ハルキテク オッ タ アヨロ)』

演奏前に一時期好んで聴いていた安東ウメ子さんのムックリとアイヌ民謡が流れ、期待で胸がふくらむなか、はじまったステージ。凛とした佇まいでピアノを弾き、全身全霊で伸びやかに歌う姿に、ただただ圧倒されました。

あのきらめくような歌の数々は、どのようにして生まれたのか。
今回、会心のアルバム『Harkitek or ta ayoro(ハルキテク オッ タ アヨロ)』の制作エピソードに加え、ライブ企画を募り、人や場所との出会いをつむぎながら、一年かけて日本全国をまわるツアーについてお話を伺いました。
(聞き手:足立綾子、写真:森王子)

第1回 『Harkitek or ta ayoro(ハルキテク オッ タ アヨロ)』は、こうして生まれた(タテタカコさん編)

2010.06.18更新

「左手」のはかりしれない可能性

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―― 先日、はじめてタテさんの演奏を聴いたのですが、そのとき、タテさんの音楽って春に食べるタケノコみたいだなって思ったんです。タケノコって、みずみずしいなかにも苦味があるじゃないですか。

タテエグみもアクも含んでいますよね。食べすぎるとだるくなっちゃう(笑)。

―― (笑)。でも、それって人として正しい生体反応ですよね。タテさんの音楽って光と影、生と死が描かれていて、私たちを生かしも殺しもする「大自然」ってことばに括れるのではないかなと感じました。タテさんの音楽を聴く行為は、大自然の恵みである旬の食べ物をいただいて元気をもらうような感覚に近いなーと思ったんです。

タテありがとうございます。

―― タテさんの音楽がどのように生まれるのか伺っていきたいのですが、まず、最初に今回のアルバム『Harkitek or ta ayoro(ハルキテク オッ タ アヨロ)』のタイトルをアイヌ語からとられたのは、なぜですか?

タテ今回、アルバムをつくっていたときに、∀kiko(アキコ)さんという絵描きの方と地元・飯田のフリーマーケットで知り合う機会があって、マネージャーが∀kikoさんの絵を見て、ピンときたみたいで、ジャケットを書き下ろしていただけたらと思ったんです。去年、∀kikoさんの個展で、絵にアイヌ語のタイトルがつけられているのを見て、「左手に宇宙」ということばをアイヌ語にして、アルバムのタイトルにさせていただきたいと思い、∀kikoさんからアイヌ語の研究者の方をご紹介いただいて、「Harkitek or ta ayoro」に決めました。

―― はじめに「左手に宇宙」というタイトルは決まっていたんですね。

タテ録音が終わったあと、スタッフとの話のなかで出てきました。今まで、左手のことをぞんざいに扱っていて、右手が主役で左手は添え物だという感覚でいたんです。

―― それはピアノを弾く上で、ですか?

タテはい。ところが、左手はじつはバックグラウンドや世界観を決めたり、広げたり、深めたりしている大事な存在だっていうはかりしれない可能性を感じたときに、宇宙とはかけ離れた身近な存在ですけど、「左手に宇宙」って決めました。

―― 制作の終盤に決めたんですね。

タテもう最後ですね。アルバムのジャケットに∀kikoさんが一緒に住んでいる狼犬の左手が描かれているんですけど、左手だけ白いんですね。獲物をとるときに必ず左手をあげて、雪のなかのもぐらをバシってつかまえたりして、そういう姿を見たりしても、今まで自分のなかでは、左手は言うことを聞かない存在だったのに、だんだんクローズアップしてきたんです。そのあと、「左手は感覚の手だよ」って∀kikoさんの友人の方に教えていただきました。

―― それはおもしろいですね。

タテ高尾山で屋久島の杉を一日かけて磨くっていうワークショップがあったようで、磨くって魂を磨くことにもつながると聞きました。自分に合った木を見つけるのに、麻袋に入った屋久島の杉を必ず左手でとらなきゃいけないって。自分の左手の感覚だけで、ぴったりくる木を選ぶことができるそうですよ。

開かずの扉が、どかーんと開かれた

―― 前作『敗者復活の歌』から二年ぶりのアルバムですよね。前作も聴かせていただいて、すごく凝縮された世界観でお腹にずしんとくる重みのあるアルバムだなと感じたんですが、今回のアルバムは、リラックスされて歌われているなという印象をうけました。すごく開かれているというか、自分自身が外界にどんどん広がっていくような・・・・・・。感覚的な話で申し訳ないんですけど。

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タテどんぴしゃりですよ!

―― タテさんになにか心境の変化があったのかなと思ったのですが、タテさんご自身は前作と今作の違いはどう思われていますか?

タテ前作『敗者復活の歌』は青森県で冬に録ったんですけど、前作まで一人で演奏して一人で歌って、限られたスタッフの人たちとひきこもって、ぐっと集中して吐き出すといった作業をしてきました。

今回、2年あいて、そのあいだに去年、石橋英子さんに1カ月に一曲ずつプロデュースをお願いして、飯田に来てもらって曲を一緒につくっていったんです。自分だけではつくれなかった「こういう感じなんだけど・・・」っていうもやもやしたものが、「もしかしてこういうこと?」って音を入れてくださったりしたときに、自分の想像をこえた、よりはっきりとした曲の世界が見えたんです。

そうやって石橋さんと一緒に曲をつくっていくなかで、今度ライブで一緒に演奏してみたいと思うようになりました。いつか誰かとそういうことをしてみたかったのですが、ほんとうに心が動くまではできないなと思っていたんです。当時、どうしても最後にひとつ殻がやぶれない、開かずの扉があったのですが、去年、石橋さんと全国五カ所でライブしたときに、ステージにあがった瞬間にその扉がどかーんって開かれちゃって。

―― それは、すごい!




動画:タテタカコ×石橋英子 「幸せなら手をたたこう~またやっちゃいました~祝日」


タテ自分でどうにもならなかった部分っていうのが、開いたと同時に味わえなかった楽しさを知ってしまって、今回のアルバムはいろんな人に参加してもらいたいなってはじめて思いました。最初は誰かと一緒にやるのがこわかったんです。

でも、ぜったいに好きだし、信じている人たちばかりだから大丈夫だと思って。録音作業が苦しいというよりは、はじめて楽しい緊張感に変わりました。

「(レコーディングの)そういう空気っていうのは、全部CDのなかに入るんだよ」って言われていたんですけど、みんなでごはん食べて、ちょっと息抜きにお風呂入りに行ったり、∀kikoさんも家族で来てくださったりして、空気が悪くなりそうになると、入れ替わり立ち替わり、誰かがふわっと新しい空気に入れ替えてくれました。それですごくみなさんに救われて、そういう意味ですごく開かれているというか、ふさぎがちにならなかったですね。

カンボジアの子どもたちと音楽の体験

タテそれと、カンボジアに去年二回連れてっていただいたんです。

―― それはどういう方々と一緒に行かれたのですか?

タテCMのお仕事で知り合ったプロデューサーの方に誘われて行きました。その方が、カンボジアに学校を百何十校建てる活動の創始者の方とつながりがあって、その創始者の方がお亡くなりになったときに、カンボジアの現場を見に行って、なにかしたいってことになったんです。実はカンボジアには音楽の授業がいっさいないそうなんです。

―― そうなんですか。

タテそれで「タテさん、子どもさんと音楽の体験しに行きませんか?」って声をかけてくださって。「行きます!」ってなんにも勉強せずに、国のことも全然知らずに。全部で十校ぐらい行きました。

―― キャラバンみたいな感じですね。

タテそうですね。車一台で山奥のベトナムとの国境のあたりとか、海の近くの魚介類がおいしいところとか、いろんな小中学校に行きました。自分の歌を自己紹介で歌うんですけど、歌っても自分のことを知らしめに来たわけでもないし、通訳の方がいるけど、ことばが通じるわけでもなくて。最終的には自分じゃなくてもいいというか、ただ楽しい瞬間がそこにあればいいんじゃないかと思っていました。

小さい頃から働いていて、大人の世界でいろんなものを見てきた子どもさんたちの目っていうのは、純粋な子どもなんだけど、やっぱりどこか影がありました。半日は学校で半日は働いている子どもたちの貴重な時間のなかで、「なんか、おかしかったな。あいつ、変なやつだったな」でも、なんでもいいからそういう時間にしたいなと思いました。歌ってもお腹いっぱいにはなってもらえないけど、「この瞬間をみんなでとにかくふざけてやる!」って。

どうにもならないし、なにもできないというのが痛いほどわかるのが、自分にとっては大事な体験でした。今まで、子どもさん、苦手だったんです。心と違うことをしていると表情とかで全部見抜かれちゃうから、大人として接していいのか、思いっきり遊んでいいのかわからなくて。今まで避けていたんですけど、カンボジアに行ったら、そんなこと言ってられない。「見て! 見て!」って必死になれて、価値観を変えられた体験でした。それも今回のアルバムには響いている気がします。

―― 「今日を歩く」を聴いたときに、タテさん、子ども、めちゃめちゃ好きなんだなと思っていたので、子どもが苦手だったというのが意外ですね。身近で遊んでいる子どもの無邪気な様子が、あの曲には現れているじゃないですか。

タテ「今日を歩く」は、カンボジアに行く前に、ある番組のエンディングの曲の依頼がきてつくりました。長野県の善光寺の近くでカフェを営む知人に赤ちゃんが生まれて、テレビで取材されたんです。その番組は、お母さんが孤立しないように、近所のお店の人たちみんなで子どもを育てようというドキュメンタリーで、その子のことを思って曲をつくりました。そのためにつくった歌ですが、カンボジアに行ってから、日本で暮らしても2歳の子と友だちになれたり、小さい子と仲良くなる機会がぐっと現実味を増してきて、自分に帰ってくる歌になったんじゃないかなと思います。

「幸せなら手をたたこう」を自由に歌う

―― カンボジアで子どもたちとコミュニケーションするうえで、この曲、子どもたちの心をぐっとつかんだぞとか、ウケがよかったものってありましたか?

タテカンボジアの子どもたちって、音楽を知らないんですよ。30年前、ポル・ポト政権の時代に内戦で多くの芸術家、音楽家が虐殺されてしまったことで、伝統舞踏や音楽が途絶えてしまったそうです。通訳してくれた30代の女性の方に聞くと、音楽の時間はなかったし、歌を歌うのが苦手だって言っていました。

動画:タテさんがカンボジアの学校で歌う「雨は五月に降る時を待つ」

最初に、二、三曲、自分の歌を歌って、そのあと子どもさんが歌えるっていうカンボジアの民謡と「幸せなら手をたたこう」をカンボジア語で歌いました。「♪幸せなら手をたたこう」って手をたたいてもらったりもしたんですけど、こうしてっていっさい言わなかったです。

教えるつもりはなかったので、そこらへんは野放しにしました。「♪幸せなら手をたたこう」って、むぎゅーって手で顔をつまんだり、「変な顔してー!」とか(と、実際に変顔をするタテさん)。

―― あはははー。

タテそういうのをやっていって、最終的に1時間たつうちに、子どもさんたちが民謡とかでも手をたたくのでもだんだん自分たちでこうしようっていうのが生まれてくる。最初、めちゃくちゃたたいていたのに、自分なりのリズム感が生まれていて、これはすごい感性なんだって驚きました。

「キーボードをめちゃくちゃ弾いてよ」って順々に弾いてもらって、これにあわせて歌ったりもしました。めちゃくちゃだから、ぜんぜん合わないんですけど、だんだん人が代わっていって授業が終わりに近づくにつれて、歌に合わせようとか、こういうふうにしてみようかなって自分なりの気持ちが生まれているのにびっくりしました。最初しかめっつらだった子が、帰るときに今まで歌っていた歌を口ずさみながら帰る姿を見たときには、楽しかったのかなって。

―― 何人ぐらいのクラスだったんですか?

タテひとクラス、3、40人ぐらいでしたけど、クラスのときもあれば、学年ごと、学校ごとのときもあったし、学校にはお寺が隣接しているので、近所のおばあさんや親御さんとかももの珍しそうに集まったりしていました。学校に行けない子が柵にしがみついて、じいーっと見ていたり。こういう機会がなければ一生行けないような場所でした。

―― 観光地化されたところならまだしも、現地の人が実際に暮らしているところですからね。戦火の爪あとは、まだ残っていましたか?

タテそうですね。最近まで地雷源だったなんにもない大野原にテントがぽつんとあって、そのテントで子どもたちが授業を受けていました。その大野原にこれから学校が建てられる。そしたら井戸も掘られるし、水があるなら集落をつくってここで暮らしていこうという人もいました。

カンボジアにはキリング・フィールドという処刑場や強制収容所がたくさんあって、ワシが訪れた収容所には、拷問の様子をおさめた写真、人骨や血がそのまま残っていて、目を逸らしたくなるものばかりだったけど、それを自分は見れてよかったなと思いました。あえて見る必要が自分にはあったというか、そういう爪あとがそのまま残ったところに肌に触れる距離で見れたというのはよかったですね。

―― カンボジアでのさまざまな体験をうけてつくった曲が「祈りの肖像」なんですか?

タテそうですね。「帰路(かえりみち)」も影響をうけていますね。自分のなかで理解のできないことが目の前に広がっていたので、消化不良のまま「なんなんだろう。なんなんだろう」って。目で見ることはできても心のなかに最終的にすとんと受け入れられるのは時間がかかるもので、帰ってきて6カ月ぐらい経ってから、ようやくその場に行ったことに実感がわいて、「祈りの肖像」をつくりました。

―― 「祈りの肖像」は静かな歌いだしからはじまり、クライマックスが生命力あふれる力強い感じで締めくくられていて、ライブで聴いた曲のなかでも強く印象に残りました。今回のアルバムのなかでも核になる曲なのかなと思いました。

「まんなか」にいれたら・・・

―― どんなときに曲は生まれるのですか?

タテたとえば「CMの曲で」と言われたときも「CMに向けて」と思うと力が入っちゃうんです。あの映像に合った素晴らしい曲をみたいな感じで頭がいっぱいになっちゃう。それが拭い去れないと、染みこんで消えるのか、忘れるのかわからないですけど、そういうのを一回超えないと出てこないですね。「よし、今からつくります!」というよりも、こうリラックスしているときとかに生まれますね。それは、頭で考えてないからでしょうね。

―― ふだんの生活のなかで、自然にふっと生まれるんですね。

タテ誰かに対して考えていてもだめだし、自分のことばかり考えていてもだめだし、その綱渡りした「まんなか」にいれたら、いちばんいいんですけど。

―― 歌詞と歌、どちらが先ですか?

タテ歌詞が先のときもあるし、後のときもあるし、それも決めないようにしています。ルールを決めるのが大好きなので、いったん決めてしまうと最終的に自分の首を絞めちゃうんですよ。

―― 曲をつくるうえで、ヒントになることってありますか?

タテ人と出会うことですね。ツアーとかもそうですけど、自分が想像したとおりの道だけを歩いていたら、たぶん出会えていなかった人たちと今まで出会えていて。その人がこの道があるよって教えてくれたら、また新しい道に行けたり。こういう映画があるよ、こういう場所に行ってみたらとか、そういうひとつひとつが積み重なったり、刺激になったりしています。

思いがけないなにかがあるっていうのは、昔だったらぜったい嫌だったんです。ぜったい悪い方向にしか考えないし、石橋叩きわって渡れなくするタイプなんです。でも、ぽんって渡ってみたら、新しい景色が広がっているというか、それの繰り返しです。

からだが先に反応した出会い

―― 石橋英子さんと出会われたきっかけは?

タテはじめて対バンさせていただいたとき、石橋さんのリハーサルを聴いて、「なんだ! この人はー!?」とだあーっと涙が出たんです。ライブ前って緊張するんですけど、どぅらーんってぜんぶ余分な力を落とされちゃったというか。実際にライブを見たら、すごく素晴らしくて。知り合いになりたいと思って、連絡先を教えてくださいって自分から声をかけました。

―― タテさんからアプローチされたんですね。ふだんから積極的なんですか?

タテ・・・いえ、ぜんぜん。打ち上げとかで、気づいたらひとりですよ。なかなか会話をしていかないから、まわり見まわしたら誰もいないこともあります。

―― そんなタテさんが・・・

タテ「この人とだけはつながりたいっ!」みたいな。

―― それが、今回のアルバムのいい結果につながって。その直感はすごく正しかったんですね。

タテからだがいちばん正直なんですよね。いちばん反応するというか、止められなかったというか。

―― 石橋英子さん以外にもいろいろなミュージシャンの方々が参加されていますけど、その方々との出会いは?

タテエンジニアをしていただいたNATSUMEN(ナツメン)のAxSxE(アセ)さん、ドラムの山本達久さんも石橋さんのつながりで出会いました。envy(エンヴィー)さんはYouTubeで見たら、びっくりして、すぐCDを全部揃えました。今まで感じたことのない爆音のなかの美しさみたいなものの究極版のように思えて、爆音なのに耳鳴りがしない。オーケストラを聴いているような、木や空気とかと同じようにも感じました。

―― envyさんが参加された「誕生日」、めちゃめちゃかっこいい曲ですよね。

タテ「誕生日」は、ある程度の地位や名誉を手に入れた人が、なにか事件をおこしたことがきっかけで、人生がめちゃくちゃになってしまった様子をテレビで見たときに感じたことや自分のことを照らし合わせてできました。生きていても一回死ぬぐらいの出来事がある人にはあるだろうなって。もしかしたら、生きていても再生する瞬間っていうものがあって、そういうことを歌えたらなと思ってつくりました。

―― 一度失敗したらおしまいみたいな風潮って、どこかおかしいですよね。この曲はenvyさんに参加してもらおうって、どの時点で思われたのですか?

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タテ正直最初からenvyさんとやってみたいという気持ちはあったんです。でもそれと並行して曲をつくるというのが難しかったんですけど、たまたまつくっていった曲がこれはTetsuさんにことばを入れてもらいたい、Dairokuさんにドラムを入れてもらいたいと思って、曲ができてから、自由にことばやドラムを入れてくださいってお願いしました。

―― ある程度できあがったところをお送りして「誕生日」が完成したんですね。

タテひとりでやっていたときは、全部自分が把握していないと気がすまなかったんです。でも今回は石橋さん、山本さん、envyさん、ディジュリドゥのima-coco(イマココ)さんの創造力が自分では把握できないほど素晴らしくて、それが自分にとっては逆によかったんだと思います。


次週「人と場所との出会いでつむぐツアー」に続きます!

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■タテタカコさんのMy Spaceで『Harkitek or ta ayoro(ハルキテク オッ タ アヨロ)』のなかから「祝日」「今日を歩く」「誕生日」「innocence」「帰路」「眠りつくまで」が視聴できます。

■Tour 2010 "Harkitek or ta ayoro"企画を募集中。「我こそは!」と思う方は、こちらをご覧ください。


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タテタカコ

1978年生まれ。長野県飯田市在住。シンガーソングライター。
2004年、映画『誰も知らない』(是枝裕和監督作品)の挿入歌「宝石」を収録したアルバム「そら」をリリースしデビュー。以降、映画の主題歌や、CM等に楽曲を提供。2007年には、ドキュメンタリー番組「情熱大陸」で、その独特な音楽活動の様子が放送され話題を呼んだ。

年間100本以上のライブを行い、人と、街と、そこにある歴史や文化と出会いながら、独自のスタイルで表現を鍛錬している。
2010年4月、二年ぶりとなるアルバム『Harkitek or ta ayoro』をリリース。企画を募りながら、1年かけて日本全国をゆっくりじっくりまわるツアーの真っ最中。

HP
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